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2013年 05月 30日

富士北口 いづや御支度所

【北口 登山ノ栞 いづや御支度所】
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  富士山の山梨県側の登山口である北口の起点は、上吉田の金鳥居であり、いづや御支度所は「金鳥居ヨリ上ル一丁左側」で営業していた。
 支度所は、富士登山に必要な支度を整える場所であり、富士講の講社の人々は御師の家で支度を行うっていたが、一般の道者や一般の登山者は支度所で登山に必要な物品を購入したり、休憩・休息の場所として利用されていた。
 支度所の多くは昭和初期に営業を始めたようであり、上吉田周辺に四軒の支度所があったと言われている。このチラシも、昭和初期に発行されたものと思われる。



【御支度所いづや】
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  登山の支度品や昼食等の値段が記されている。
  当時、吉田警察署は登山者の心得として「支度所、山内休泊所、休憩所などで販売する登山必要品や休泊料、宿料などの代価については、吉田警察署の指定した(公定価格表)が店舗その他一般の見易い場所に掲出してありますから、代金支払の時、特に注意したください」と、登山者への注意を促している。





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by kaz794889 | 2013-05-30 23:55 | 富士山と北麓地域 | Comments(0)
2013年 05月 26日

旧大石郵便局

【旧大石郵便局庁舎正面】
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  大石郵便局は昭和7年1月6日、南都留郡大石村(現在の富士河口湖町大石)に同村の村会議員や助役を務めた堀内禧雄を局長として開局している。
  旧庁舎は開局時の庁舎であり、現在業務を行っている局舎に同局が新築移転したことから、現在旧庁舎は住宅に改装されているが、正面軒下の二つの明かり取り窓に「〒」マークがデザインとして残されているほか、入口上の飾り屋根の下に電飾の跡など、旧庁舎時代の名残が確認できる。




【旧大石郵便局庁舎側面 ①】
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  側面から見た旧庁舎である、窓枠などはすべてアルミサッシとするなど、住宅として活用するなめの改修がなされているものの、通信を担う洋風建築の郵便局庁舎として地区内のランドマークとしての役割を担っていたと考えられる。
  



【旧大石郵便局庁舎側面 ②】
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by kaz794889 | 2013-05-26 15:37 | 郵便局・逓信 | Comments(0)
2013年 05月 23日

遊亀公園を歩く 6(公園内)

【公園内に残る常夜灯】
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  明治7年、一蓮寺の境内地であった約7200坪が、公園敷地として山梨県に移管されたことが遊亀公園の始まりである。
  そのため、現在も公園敷地内には、かつての境内地の名残であろう石造物が僅かではあるが散見される。
  公園内の植栽の中に残る写真の常夜灯もその一つである。




【常夜灯の正面】
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  常夜灯の正面には「永代常夜燈」の文字が刻まれ、その背面には常夜灯が建立された「寛政十戌午二月吉日願主」の文字が刻まれている。
  建立当初の位置からは移動していることも考えられるが、かつて境内地であった名残を現在に伝える江戸期に建立された石造物である。

【常夜燈の背面】
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【大正12年頃の公園内と常夜燈】
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  大正12年頃の常夜灯と通信講習所甲府支所の生徒と教官である。
  明治期の公園開設以来、公園内の整備が図られ、大正期の公園内はこうした情景ではあったが、戦時期における公園地の利用や甲府空襲による被災。また、昭和29年に公園内の築山造営や緑陰化により、現在の植栽に整備されていった。




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by kaz794889 | 2013-05-23 22:58 | 遊亀公園 | Comments(0)
2013年 05月 19日

甲府城三の堀 4(相生2丁目・中央4丁目地内)

【昭和10年代甲府市地籍図(相生町附近)】
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  地籍図右側の南北青色部分が甲府城三の堀の開口部である。



【相生町附近の拡大図】
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【明治39年頃の松月】
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  明治39年頃の甲府市相生町11番地(現在:相生2-1-1)の料理店「松月」である。(拡大図の①)




【前記(松月)の同位置】
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  松月は現在も同位置で営業している老舗料理店である。
  明治期以降、三の堀の南北に沿った部分はかさ上げされていることが写真で確認できる。



【甲府城三の堀開口部】

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  北方向から南方向に流れる三の堀開口部(拡大図の③)




【甲府城三の堀のクランク部分から南側】
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 三の堀開口部は、北から南方向に流れて突き当たった後、東側(左側)にクランクした後、支流として一部は更に南方向に流れている。(拡大図の③)




【甲府城三の堀のクランク部分から東側】
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  甲府城三の堀の開口部、クランク部分に架けられた橋の上から東側方向の三の堀。(拡大図④)




【甲府城三の堀 緑橋からクランク部分(西側←東側)】f0191673_16423964.jpg
  甲府城三の堀に架かる緑橋から西側(突き当りがクランク部分)方向。(拡大図⑤)





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by kaz794889 | 2013-05-19 17:16 | 甲府城 | Comments(1)
2013年 05月 18日

遊亀公園を歩く 5(招魂社跡)

【甲府市太田町公園新設招魂社】
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【招魂堂】
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  明治45年3月の皇太子殿下(後の大正天皇)行啓記念として、甲府在郷軍人会が中心となり、甲府市太田町公園内に招魂社が新たに建設された。
  これまでの招魂社は、明治12年12月に山梨県神道事務局の発議により、太田町公園北側の隣接地(現在の甲府市太田町3-10附近)に建設されていたが、歩兵49連隊が甲府に置かれた明治41年頃に新たな場所(太田町公園内)への建設機運が高まったようである。
  明治45年に招魂社が建設されて以降、「招魂社ヲ護国神社ト改称スルノ件」(昭和14年内務省令第12号)が昭和14年3月15日に公布、同年4月1日に施行され、護国神社の制度が確立されたことに伴い、昭和16年2月に躑躅ヶ崎の地に護国神社の創設が許可され、昭和19年11月に社殿が創建され「山梨県護国神社」として指定されている。
  なお、明治45年の招魂社再建と同時期に奉納された狛犬像(写真の赤丸印)は、山梨県護国神社に移されている。




【太田町公園内の同位置】
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太田町公園内の附属動物園入り口の西側(かつての野外音楽堂があった場所附近)が招魂社のあった場所(跡地はフェンスに囲まれ芝生となった場所である。)
  



【招魂社時代の狛犬 1】f0191673_161488.jpg
招魂社時代の狛犬は現在、山梨県護国神社の拝殿前に写されている。



【招魂社時代の狛犬 2】
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by kaz794889 | 2013-05-18 17:20 | 遊亀公園 | Comments(0)
2013年 05月 16日

甲府市緑町の丸茂要七本店

【丸茂要七本店】
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  甲府市緑町三番地で、夜着・布団・蚊帳・敷布を商いとして営業していた、明治43年頃の若松屋丸茂要七本店である。
  当時の甲府市街地では、こうした蔵造りの商家を数多く見ることができたという。
  この店の建つ緑町三番地(現在:若松町4-2)は、甲州街道の甲府柳町宿である柳町から、緑町、太田町と、かつての甲府市街の賑わいの町が続いた南北の道に面していた。




【現在の同位置】
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  終戦後も長く布団店として営業していたが、現在は営業を終えており、終戦後に建てられた店舗が残されている。





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by kaz794889 | 2013-05-16 23:41 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2013年 05月 12日

甲府市相生町の矢崎金吾商店

【甲府市相生町33番地の矢崎金吾商店】
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  甲府市相生町33番地で、薬品と食料品を販売していた大正14年の「マル金 矢崎金吾商店」である。
  同店は相生町通り(東西の通り)と相生小学校前通り(南北の通り)が交差する角地であり、相生町通りには甲府市役所や山梨貯蓄銀行、桜町や春日町の通りが面するなど、附近は戦前期における繁華街の中心地の一つであった。




【現在の同位置】
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  甲府市相生町33番地は、住居表示の変更に伴い現在は相生2-3-16と改称され、同商店のあった場所には、現在「センティアHOTEL NAITO」が建てられている。





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by kaz794889 | 2013-05-12 14:45 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2013年 05月 06日

心のふるさと富士山へ

【心のふるさと富士山へ】
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  山梨県と静岡県が世界文化遺産登録を目指す富士山について、国連教育・科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である、国際記念物遺跡会議(International Council on Monuments and Sites(イコモス))が条件付きでユネスコに登録を勧告したことについて平成25年4月30日に文化庁が発表した。

  写真のチラシは、富士吉田市商工観光課と同市観光協会により発行されたものである。
  「登山記念に元気な声を留守宅へ! 富士山吉田口の山小舎に電話が開通いたしました」の記載があることから、昭和34年夏頃(富士山の山小屋に電話が開通したのは昭和34年7月1日であった。)に発行されたものと思われる。
  富士スバルラインの開通前であるため、吉田口登山道による富士登山の場合、北口本宮浅間神社から中ノ茶屋、大石茶屋を経由して馬返しに至り、そこから頂上を目指すこととなる。  




【「吉田口が一番いい」】
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 北口本宮浅間神社から馬返しまでの間で、昭和3年からバス運行を行っていたのが富士山自動車株式会社である。
 写真のチラシは昭和30年代に同社が発行した「富士登山のしおり」と題するチラシである。  
 北口本宮浅間神社から馬返しまでの間の料金は185円、所要時間は上りが40分、下りが30分であった。




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by kaz794889 | 2013-05-06 12:26 | 富士山と北麓地域 | Comments(0)
2013年 05月 05日

大和郡山紀行 柳澤家を歩く 4「柳澤文庫」

【柳沢文庫のしおり】
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 柳澤文庫は、最後の藩主であった柳澤保申(やすのぶ)の跡を継いだ柳澤保恵(やすとし)が明治35年4月に邸宅の一部を開放して郷土の教育振興のために所蔵する書籍、雑誌、新聞などを公開したことに始まるが、昭和に入り利用者の減少とともにその維持が困難となり、文庫開設と同時に発足した「育英資金」の制度とともに廃止のやむなきに至っていたが、昭和35年10月10日に、郷土の子弟教育の更なる発展を願う有志と柳澤保承(やすつぐ)の発意により、柳澤家からの数万坪の土地と膨大な旧郡山藩資料の寄附により 財団法人「郡山城史蹟・柳澤文庫保存会」が発足し、翌年秋に旧郡山城跡である大和郡山市城内町2-18の現在地に地方史誌専門図書館として柳澤文庫が開設され、城跡の保存管理にもあたっている。

  柳澤文庫には財団発足とともに柳澤家から寄贈された柳澤歴代藩主の書画や和歌、俳諧などの作品や旧郡山藩の公用記録をはじめとする藩政史料など数万点の古文書、古書籍が所蔵されており、そうした所蔵史料の中には甲府藩主時代の史料など、山梨県に関わる郷土史関係史料も数多く残されている。
  こうした蔵書などについては、研究のために広く公開されているとともに、展示室では年数回の展覧会も行われている。(訪問時には「柳澤文庫新春常設展 柳澤家七代 柳澤保申を中心に」が平成25年1月12日から3月17日を開催期間として開催されていた。)



【柳沢文庫 展示室 入館券】
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【柳沢文庫(旧柳澤邸車寄せ)】
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  柳澤文庫の建物は、旧郡山藩主であった柳澤伯爵家の本邸として東京市芝区に明治38年~39年頃に建設されたものであったが、関東大震災による復興工事による道路拡張のために本邸が立ち退きとなったことから、その一部の建物(車寄せ、玄関など)を移築し、当初からあった建物に増築する形で昭和2年に上棟、同3年に竣工している。
  その後も長く郡山別邸として使われていたが、昭和35年の柳澤文庫発足に伴い、柳澤家から同文庫に寄贈されている。




【柳沢文庫(旧柳澤邸車寄せ)②】
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  柳沢文庫における展覧会は旧大広間を展示室として使用しており、旧大広間横の図書室は旧応接室として使用されていたスペースである。




【柳沢文庫(旧柳澤邸車寄せ)正面】
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by kaz794889 | 2013-05-05 14:36 | 大和郡山紀行 | Comments(0)
2013年 05月 04日

甲府宝塚劇場と甲宝シネマ

【昭和11年の甲府宝塚劇場】
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  甲宝シネマが平成25年4月14日に閉館した。昭和21年に甲府市街の中心地である甲府市中央1丁目に移転し、その場所で67年間営業を続けていた、甲宝シネマが平成25年4月14日に閉館した。
  甲宝シネマの前身は、甲府市太田町82番地(現在:太田町3)に実演劇場として新築された演技座を買収し昭和11年7月に開館した甲府宝塚劇場(甲宝劇場)であり、映画上映の他か、演劇も実演する劇場であったが、昭和20年7月の甲府空襲により劇場が焼失したため、昭和21年に甲府市春日町2番地に新築移転し戦後の営業が開始されている。




【甲府市太田町(甲府中央郵便局北交差点)甲府宝塚劇場のあった場所】
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 昭和11年の開館から昭和20年の甲府空襲で焼失までの9年間、甲府宝塚劇場のあった場所(正面のビルが建つ位置)。




【「甲府宝塚劇場ニュース」第259号 】
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  甲府宝塚劇場が週刊単位で発行していた「甲府宝塚劇場ニュース」の第259号である。
  本号は昭和16年6月12日から18日の1週間を紹介する内容として、昭和16年6月12日に発行されている。



【第259号(裏面)】
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  日米開戦の半年前、昭和16年6月の週刊ニュースである。
  既に戦時体制の時期であり、当該週の映画「馬」は陸軍省後援、文部省推薦となっている。また、次週公開を予定の映画「家光と彦左」も「日本人なればこそ、心から泣ける美しい君臣の愛情」との説明を附している。






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by kaz794889 | 2013-05-04 21:42 | 劇場・映画館 | Comments(0)