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2013年 03月 31日

甲府市より南アルプスを望む

【甲府市より南アルプスを望む】
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  甲府市役所発行の「甲府市より南アルプスを望む」と題する絵葉書である。
  モノクロ写真ではあるが、冠雪の南アルプスと甲府城を中心とした甲府市街は桜が満開の時期である。
  手前の市街地には高層の建物が存在しないため、甲府城跡の謝恩塔と天守台跡の天気予報の鉄塔はひときわ高く、市街地のほとんどの場所から望めたはずである。
 昭和11年4月13日に開館した山梨県医師会館が認められることから、昭和11年の桜が満開の時期に写されたものと考えられる。



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  甲府城の左側には、山梨県庁周辺に建てられていた当時の公的な建築物が写されている。
  建物の名称は左の写真に記載した赤字のとおりである。
  現在も残る建物は山梨県庁舎(現在の県庁別館)のみである。現在の県庁本館の場所に昭和7年9月に
山梨県教育会館として移築された機山館は、昭和13年2月の甲府駅前大火で焼失しているが、その他の
建 物は昭和20年の甲府空襲においても罹災することなく終戦後もそれぞれの役割を担った建物として使
わ れていたが、甲府市立図書館、山梨県医師会館、山梨県立図書館の順で、その役割を終えて取り壊さ
れ、現在は残されていない。
  



【「泉都甲府」 吉田初三郎画】
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吉田初三郎により描かれた「泉都甲府」と題する絵葉書である。
 「甲府市より南アルプスを望む」の写真をモチーフとして描かれている。昭和11年~12年頃に甲府市街の中心地各所で温泉が湧出し、甲府温泉と名付けた観光資源として甲府市役所、甲府観光協会にる宣伝がなされたことから、吉田初三郎による絵葉書、「甲府市より南アルプスを望む」の写真を表面に使用した、「振興の甲府温泉」と題する下記のチラシが発行されている。



【「振興の甲府温泉」チラシ】
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by kaz794889 | 2013-03-31 17:37 | Comments(0)
2013年 03月 30日

大和郡山紀行 柳澤家を歩く 3 「柳澤神社」

【柳澤神社要誌】
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  大和郡山城の本丸跡に鎮座する柳澤神社は、大和郡山藩の藩祖である柳澤美濃守吉保公(柳澤吉保)を御祭神として明治13年10月29日に創建(創建当時は現在奈良県立郡山高校のある二の丸跡に社殿が建てられ、現在地には明治15年6月に遷座している。)されている。



【大和郡山城 竹林橋・竹林門跡の社標碑】
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 大和郡山城の旧本丸と旧二の丸との間(鳥居の位置から、その先の石垣(竹林門跡)の間)に架けられていた竹林橋の入り口に建つ一の鳥居と柳澤神社の社標碑 




【柳澤神社境内の碑】
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 柳澤神社境内、拝殿の手前に建つ「祭神 旧川越甲府城主 柳澤美濃守吉保公」と刻まれた碑




【柳澤神社 拝殿】
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 明治23年に建てられた柳澤神社拝殿  




【柳澤神社 本殿】
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 柳澤神社本殿




【柳澤神社 社殿全景】
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 拝殿から本殿を望む柳澤神社の社殿全景
 柳澤神社の境内を含む大和郡山城跡は桜の名所であり、3月下旬から10日間「お城まつり」が毎年開催されている。(本年は「第53回 お城まつり」として3月29日から4月12日まで開催されている。)



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by kaz794889 | 2013-03-30 07:22 | 大和郡山紀行 | Comments(0)
2013年 03月 23日

財団法人 山梨航空機関学校

【山梨航空機関学校 入学要項①】
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  昭和9年9月、玉幡競馬場及び周辺用地を買収し約7万坪の玉幡飛行場が開設(昭和11年1月15日には逓信省が山梨飛行場として認可)され、同時に山梨飛行学校が設置され、昭和12年4月には山梨航空技術学校と改称し、その後昭和18年4月には更に山梨航空機関学校と改称している。




【同 入学要項②】
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  写真の入学要項は、昭和19年度入学者に対するものであり、当時の設置課程は、本科(修業年限3年、募集人員200名)及び専修科(修業年限1年、募集人員400名)であった。




【山梨飛行場跡】



  昭和15年に岐阜陸軍飛行学校の分校(昭和18年には熊谷飛行学校甲府分校場と改称)が開設され、山梨飛行場は軍民共用飛行場となった。
  終戦後、山梨飛行場の土地は国有財産となり、甲府空襲により罹災した山梨県立農林学校が移転するなどし、山梨飛行場跡には同行、山梨県警察学校、民間企業工場となっている。





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by kaz794889 | 2013-03-23 17:49 | 学校 | Comments(0)
2013年 03月 20日

日川御小休所跡

【明治天皇御巡幸 日川御小休所跡】
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  明治13年6月16日、29歳の明治天皇は伏見宮貞愛親王殿下をはじめ太政大臣三条実美、参議伊藤博文らを供奉とした総勢約400人の陣容により、山梨・三重・京都御巡幸に出発され、6月19日の午前7時に笹子行在所を発せられ、午後1時40分に東山梨郡日川村歌田二番地(現在:山梨市歌田)の志村勘兵衛宅御小休所に着後されている。
  甲州街道に面して建てられていた志村勘兵衛宅はのあった位置が写真の場所である。



【日川御小休所跡碑】
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  石碑の正面が甲州街道に向けられていないが、昭和9年にこの場所が山梨県聖蹟に指定された時期に建立されたのが、写真の石碑である。
  志村勘兵衛は自宅が御小休所に定められると、明治13年4月上旬に檜及び欅を用いた瓦葺の通用門新築に着手し、6月19日には新築の通用門で明治天皇を迎えられている。その後、この通用門については、西郷従道侯爵、久我通久侯爵、伏見宮貞愛親王殿下、小松宮彰仁彰親王殿下らが来県休憩された時以外は常に閉鎖して一般の出入りは禁じていたという。
  明治天皇の旧蹟である建物は、その後も志村家により守られていたが、明治40年8月24日の未曾有の大水害を被り、家屋、家財の悉くを流失したため、志村家は日川村歌田207番地に移転している。




【駐蹕碑】
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  御小休所跡碑の南側に建てられている駐蹕碑である。
  明治13年6月の明治天皇巡幸の際における志村家への駐蹕を記念するため、志村勘兵衛が昭和4年に明治40年当時の同家屋敷内に建立した石碑である。



【志村勘兵衛頌徳碑】
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  昭和9年に志村勘兵衛家の屋敷跡が山梨県聖蹟に指定されると、それを機に昭和10年に旧屋敷跡4925㎡を当時の日川村に寄贈しており、日川村の合併後は山梨市がその土地を承継し市営住宅地としていたなどの経緯から、昭和55年に建設された頌徳碑である。
  なお、駐蹕碑と頌徳碑は旧住宅敷地内中央に設置されている小公園に並んで建てられている。
 




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by kaz794889 | 2013-03-20 18:23 | 明治天皇旧蹟 | Comments(0)
2013年 03月 16日

大和郡山紀行 柳澤家を歩く 2 「柳澤家墓所」

【永慶寺の柳澤家墓所】
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  柳澤家墓所は、菩提寺である永慶寺内の西側墓地内中央の塀に囲まれた場所が柳澤家墓所である。
  なお、藩祖柳澤吉保の墓所は山梨県甲州市の恵林寺に、初代郡山藩主である柳澤吉里から第5代藩主 柳澤保興までの藩主の墓所は東京都新宿区の月窓寺にあり、永慶寺は、最後の郡山藩主であった第6代柳澤保申以降の柳澤家当主らの墓所となっている。



【第5代郡山藩主 柳澤保興の正室淑姫の墓】
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  墓所の右側の門を入った正面が、第5代郡山藩主であった柳澤保興の正室である淑姫の墓である。
  淑姫は第8代薩摩藩主島津重豪の11女である。  




【第7代旧郡山藩主 柳澤保恵の墓】
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  第7代旧藩主にあたる柳澤保恵(明治3年12月16日~昭和11年5月25日)は、越後黒川藩主・柳沢光昭の次男として生まれ、旧姓は黒川光敏と称していたが、明治19年に第6代藩主柳沢保申の養子となり、保申の次女秀子と結婚し保申の死後、家督を相続している。





【第6代郡山藩主 柳澤保申の墓】
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 第6代藩主である柳澤保申(弘化3年3月25日~明治26年10月2日)は、第5代藩主柳澤保興の三男として郡山城で生まれ、嘉永元年の保興死去に伴い家督を継いでいる。
 明治2年6月17日の版籍奉還により知藩事となり、明治4年の廃藩置県で免官されている。その後、明治17年に伯爵を授爵している。




【第8代旧郡山藩主 柳澤保承と妻尚子の墓】
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 第8代旧藩主にあたる柳澤保承(明治21年12月~昭和35年10月25日)は、第6代藩主柳澤保申の長男として生まれたが、保申の逝去後、黒川藩の黒川光敏が柳澤保恵として家督を継ぎ、昭和11年の保恵逝去に伴い第8代として柳澤家の家督を継いでいる。終戦後の昭和22年、公選による初代郡山町長を務めている。
 柳澤保承の妻である尚子(明治27年6月~昭和48年12月)は、旧佐賀藩主鍋島直大の5女として生まれ、大正元年に柳澤保承と結婚している。




【第6代郡山藩主 柳澤保申の正室明子の遺髪碑】
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 第6代郡山藩主柳澤保の正室である明子は、左大臣一条忠香の三女として生まれ、明治35年に逝去している。
 柳澤家墓所にあるのは遺髪碑であり、墓所は品川区の東海寺に建立されている。







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by kaz794889 | 2013-03-16 22:08 | 大和郡山紀行 | Comments(0)
2013年 03月 11日

大和郡山紀行 柳澤家を歩く 1 「永慶寺」

【永慶寺案内パンフ】
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【永慶寺の略地図】
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  奈良県大和郡山市の龍華山 永慶寺は柳澤吉保を開基とする黄檗宗の寺院である。
  旧郡山藩主柳沢家の初代藩主柳澤吉里の父親である柳澤吉保が宝永元年(1704年)12月、5代将軍徳川綱吉から甲斐・駿河両国に12万1200石余を与えられ柳澤氏の出自の地である甲府藩主となり、柳澤吉里が大和国郡山に転封となる享保9年(1724年)までの約20年間、柳澤家は甲斐国を治めていた。
  甲府藩主となった柳澤吉保は宝永7年(1710年)に甲斐国巨摩郡岩窪村躑躅ヶ崎(現在:甲府市岩窪町)に龍華山永慶寺を建立し、正徳3年(1713年)9月5日に逝去した正室の定子と正徳4年(1714年)11月2日に逝去した吉保が同時に埋葬され菩提寺となるなど、柳澤家が甲斐国を治めた時代、永慶寺は順当な推移していったが、2代甲府藩主であった柳澤吉里の時代である享保9年(1724年)3月、幕命により大和国郡山に転封となったことから、永慶寺も大和国郡山に移転し現在に至っている。
  なお、移転後の永慶寺は柳澤家の信仰の場として当地での別邸的な要素を兼ねて、歴代藩主の庇護の下で明治維新に至っている。

【永慶寺境内略図】
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  境内の主な諸堂等は次のとおりである。
   本堂(大雄宝殿)
   柳澤家仏間(香厳殿)
   庫裏
   山門
   柳澤家墓所




【永慶寺山門】
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  永慶寺山門は天正時代の郡山城主であった豊臣秀長(豊臣秀吉の弟)の時代に大和郡山城の南御門として建築された、当時の大和郡山城の遺構として大和郡山市内に残る唯一の建造物であり、幕末に永慶寺山門として移築されている。
  安土桃山時代の城門建築様式を伝える門として、昭和50年10月2日に大和郡山市の文化財として指定されている。



【永慶寺本堂】
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  永慶寺の本堂である大雄宝殿である。



【永慶寺境内】
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  左側の建物が庫裏、その右側の建物が柳澤家仏間である香厳殿である。
  永慶寺の墓域は庫裏と香厳殿の間を進んだ奥である。




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by kaz794889 | 2013-03-11 18:24 | 大和郡山紀行 | Comments(0)
2013年 03月 06日

甲州紀行 3 「市街地の家屋」

【甲府の市街地に残る住宅】
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  昭和20年7月6日の甲府空襲により、甲府は市街地の74%が焼失する甚大な被害を被ったものの、市街のいくつかの地域は、幸いにも罹災することなく、焼ける前の姿をそのまま残していたが、60年以上の時間が経過し老朽化した建物は徐々にその姿が消えつつあり、戦前期の姿を残す市街地の建物は極めて少なくなっている。
  この家屋の周辺は空襲前まで温泉旅館や複数の料亭が営業する地域であったが、甲府空襲で建物は焼失し、空襲直後の写真で見る限り、一面の焼け野原となっている。
  こうした中でもこの家屋は焼け残り、一階外回りは改修されているものの、二階は当時の姿をほぼ留める形で現在まで残されている。
  なお、戦前期の昭和16年当時、この建物は菓子店として使われ、戦後の昭和40年代には鮨店として使われていた。





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by kaz794889 | 2013-03-06 00:27 | 甲州紀行 | Comments(0)
2013年 03月 03日

桃柳庵 藤森旅館

【桃柳庵の差入弁当領収書】
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  甲府市橘町(建設中の県庁防災新館、旧甲府西武のあった位置)にあった桃柳館・藤森旅館の差入弁当の領収書(明治34年2月)である。



【明治38年発行の甲府市街図(部分)】
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【桃柳庵 藤森旅館の全景】
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  藤森旅館は昭和初期に取り壊された甲府城南側の濠端で営業(上記市街図中、青色丸印の位置)していた旅館であり、その創業は明治16年である。
  かつての営業案内には「和風2階建て、客間16部屋、裏は蓮池眺望佳」と記されており、旅館の裏手に残る甲府城の濠には蓮が群生しており、濠端と石垣の蓮池は当時の名所地のひとつとなっていた。
  また、明治45年に当時の甲府市街地外に新築移転するまで、藤森旅館の北西にあたる甲府駅前には甲府監獄(前記市街図の青色部分)が置かれていたことから、前記領収書のとおり、監獄への差入弁当に関することも生業としておこなっていたのである。
   




【明治45年3月の藤森旅館と甲府市街】
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  明治45年3月の、現在の山梨県庁南側、県庁前通りである。
  青色で囲んだ建物が藤森旅館であり、その下に小さく写るのが甲府城の濠である。通りの中央には馬車鉄道の軌道があり、道路左側の塀で囲まれている場所は、現在の山梨県議会議事堂が新築移転する前の山梨県議会議事堂である。




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by kaz794889 | 2013-03-03 15:30 | 旅館・ホテル | Comments(0)
2013年 03月 02日

旧一宮郵便局 2

【旧一宮郵便局 2代目庁舎】
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  大正7年9月6日に開局した一宮郵便局の2代目庁舎である。
  一宮郵便局の来歴と初代庁舎については過日掲載したところであるが、2代目庁舎は昭和33年9月10日に新築移転した庁舎である。




【側面から見た2代目庁舎】
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  集配郵便局として使用されていた庁舎であるが、現在は倉庫としてしようされているようである。




【現在の一宮郵便局 3代目庁舎】
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  現在の一宮郵便局である。
  集配特定郵便局として2代目庁舎から更に新築移転しているが、平成4年3月23日に集配業務が山梨郵便局に移管されているため、現在は無集配郵便局として営業されている。
  大正7年の開局から現在まで、3代の庁舎が残る郵便局は、山梨県内の郵便局は数少なくなっている。





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by kaz794889 | 2013-03-02 20:43 | 郵便局・逓信 | Comments(0)