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2013年 02月 28日

甲州紀行 2 「民家の煉瓦塀」

【民家の煉瓦塀】
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  煉瓦塀と聞いて今も印象に残るのは、東三条通りに沿って建てられていた移転前の旧甲府刑務所職員官舎の煉瓦塀である。
  通り沿いの塀は、煉瓦の上にコンクリートが塗られており、一見すると単純な塀であったが、その裏側にあたる官舎側は建設当初のオリジナルな煉瓦塀であり、刑務所に隣接して建てられていた官舎の塀は通りに沿って南北に相当な長さを有していたが、刑務所移転後の現在、煉瓦塀の痕跡は何も残っていない。
  甲府市内に残されている煉瓦塀のひとつに、以前掲載(平成21年7月20日)した甲府税務署の煉瓦塀があるが、少し前までは、甲府地方検察庁南側に山梨県病院時代の煉瓦塀が。また、甲府駅付近の協同駐車場の西側にも煉瓦塀(若尾倉庫当時のものかもしれない。)が残されていたが現在は取り壊されている。
  官公庁のイメージが強い煉瓦塀であるが、峡東方面で見かけたしゃれた装飾の残る民家の塀は、周囲の日本的風景の中で、そのレンガ色がひときわインパクトをは持つ煉瓦塀であった。




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by kaz794889 | 2013-02-28 00:08 | 甲州紀行 | Comments(0)
2013年 02月 24日

武田信玄公之像

【武田信玄公之像】
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  甲府駅前に建つ武田信玄公之像は甲府を訪れる観光客の記念撮影スポットのひとつとなっている。
  武田信玄像の製作は、武田信玄公奉賛会による構想から4年の歳月をかけ、ブロンズ製、高さ3.7mの像 として昭和44年4月12日に除幕式が行われている。




【かつての武田信玄公之像】
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  武田信玄公之像は、日展参与を務めた金沢市出身の宮地寅彦により製作され、現在より南側である平和 通りの中央分離帯の位置に置かれていたが昭和60年11月に甲府駅前広場の整備に伴い、現在の場所に移されている。
写真は武田信玄公之像が製作された翌年である昭和45年頃のものであり、像の後方に写る駅前噴水も撤去され、甲府駅舎も「かいじ国体」を契機に現在の甲府駅舎に建て替えられるなど、甲府駅前の風景は一変されている。




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by kaz794889 | 2013-02-24 16:53 | Comments(0)
2013年 02月 17日

旧一宮郵便局

【旧一宮郵便局局舎】
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  山梨県東八代郡一宮村(現在:笛吹市一宮町)に大正7年9月6日に開局した一宮郵便局の初代局舎である。
  開局以来、電話受付交換を行う無集配郵便局としてこの局舎により業務を続けてきたが、当時の一宮町(一部地域を除く。)を郵便区とした日川郵便局の集配業務が一宮郵便局に移管され、同局が集配特定郵便局となっている。
  なお、初代局舎は、集配郵便局となった際に局舎新築移転した昭和33年9月9日まで業務を行っていた。



【旧一宮郵便局正面】
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  旧局舎の正面入口部分は壁面に改修されているが、入口部分の切妻屋根及びその下部の飾部分に局舎時代の様式が残されている。


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by kaz794889 | 2013-02-17 11:07 | 郵便局・逓信 | Comments(0)
2013年 02月 15日

甲州紀行 1 「ドイツ窓の家」

【ドイツ窓の家全景】
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 この家との最初の出会いは、峡南地方に勤務していた10年以上前のことである。
 一見したところでは何の変哲もない古民家であるが、主屋二階の西側に向いた窓に特長がある建物であった。
 当時の建物が現在も変わらずに残っているのか最近訪ねたところ、写真のとおり瓦屋根は葺き替えられていたものの、ドイツ窓はそのままの姿で残されていた。





【ドイツ窓】
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  特長的なこの窓について、当時この家の主に尋ねたところ「この窓はドイツ窓だ。」と教えられた。
  以来、この建物のことを自分の中では「ドイツ窓の家」と呼んでいる。
  一般的な日本家屋の窓とは明らかに異なるものであり、日本民家とドイツ窓が融合する形に、いわゆる擬 洋風建築が感じられる。





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by kaz794889 | 2013-02-15 00:07 | 甲州紀行 | Comments(0)
2013年 02月 10日

都留市商家資料館 旧仁科家住宅

【都留市商家資料館 旧仁科家住宅】
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 都留市商家資料館として一般公開されている旧仁科家住宅は、街道沿いの都留市上谷3-1-20に建っている。
  平成5年1月18日に都留市指定文化財となったこの建物は、甲斐絹織物を商う郡内織物会社を経営し、かつての谷村町議会議員などの公職を務めた仁科源太郎が大正5年から10年の年月をかけて建設され、同家関係者から都留市に寄贈された建物である。




【裏庭からの旧仁科家住宅】
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  建物の裏庭から見た旧仁科家住宅である。




【旧仁科家住宅2階から眺めた裏庭と土蔵】
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  旧仁科家住宅の2階から見た裏庭と土蔵である。
  左側に見える平屋の建物は同住宅のトイレと風呂である。また、奥に見える二棟の土蔵も仁科家の物であり、土蔵の先にある道路までが旧仁科家住宅の敷地である。




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by kaz794889 | 2013-02-10 19:01 | Comments(0)
2013年 02月 09日

野口小蘋と十一屋

【野口小蘋画 十一屋チラシ】
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  毎年正月、新年に因んだ縁起のよい題材で作成され、新年向けの販売品に添付していたと思われる、野口小蘋が描いた十一屋のチラシ。他にも毎年数種類のチラシが作られている。



【野口小蘋画 十一屋の御茶袋原画】
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  野口小蘋(旧姓本名:松村親)は、弘化4年4月11日に阿波国出身の医業、松村春岱の長女として大阪で生まれ、幼年から雅号を玉山として画道に励み、慶応元年に日根対山に師事した後、小蘋と改めている。
  明治6年には官命により皇后陛下御寝殿の間の画を任せられるなど、没するまでの間には帝室技芸員に任命されるなど画家として多くの作品を残している。
  明治8年から9年にかけて、甲府横近習町の大木喬命宅北側の同家住宅に居住するなどし、明治10年、野口小蘋31歳の年に、滋賀県蒲生郡桜川村に本家を構える野口正忠の長男で、甲府柳町で同家が営業する十一屋(醸造業)の野口正章と結婚し甲府に滞在している。
  野口正章は十一屋として清酒を醸造する他、明治6年12月に甲府でビール醸造に着手するなど、当時の殖産興業に努めていたが、ビール醸造に係る経費などにより相当の資産を投入する状況であったことなどから、廃嫡という形で弟に十一屋を引き継ぎ、明治15年の夏に妻である小蘋と一人娘の郁の家族三人で上京し、東京に居住することとなり、大正6年2月17日に71歳で没している。

  明治10年から15年の甲府滞在時、野口小蘋は十一屋の家業である日本酒の商標を図案化するなどしていた。十一屋は甲府柳町の店から醤油の醸造を分離し甲府緑町に支店を設けるなどし、御茶の販売も手掛けていた。左の原画は、販売用の御茶袋のデザインとして野口小蘋が描いた原画とその下絵であるが、その年代は東京転居後の作品と思われる。
  



【野口小蘋画 十一屋商品券】
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  明治15年の東京上京後も、十一屋の商売に絡む数々の絵柄を描いている。
  小蘋が描いた十一屋の商品券である。




【野口小蘋の住居附近の現在】
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  明治15年の上京後、野口小蘋一家は明治36年6月に東京市麹町区内幸町に転居し、その場所が大正6年に没するまでの終の棲家となっている。
  写真は、現在の小蘋が住んだ住居(当時の住所:内幸町1-5)附近である。




【小蘋 野口親子之墓】
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  野口小蘋の墓石である。墓石には生まれ年月日(弘化4年4月11日)と没年月日(大正6年2月17日)が刻まれている。





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by kaz794889 | 2013-02-09 23:14 | Comments(0)
2013年 02月 03日

根津翁寿像

【根津嘉一郎翁寿像】
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  昭和7年4月3日に除幕式が挙行された根津嘉一郎の銅像である。
  昭和15年1月4日の根津翁の没後、金属の供出によりこの銅像は供出されている。

【現在の根津嘉一郎寿像】
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  根津翁の銅像が供出された後、その台座には「根津嘉一郎翁銅像再建委員会」により円鍔鰐三による二代目銅像が昭和35年11月に再建され現在に至っている。

【根津翁寿像ト発起人寄附者記名碑】
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【現在の根津嘉一郎寿像と記名碑】
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【根津嘉一郎寿像碑】
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by kaz794889 | 2013-02-03 18:48 | 根津嘉一郎 | Comments(0)