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2012年 11月 25日

山梨県立韮崎中学校

【山梨県立韮崎中学校 本館】
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【韮崎町発行 開校祝賀記念絵葉書 タトウ】
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 北巨摩郡における最初の県立中学校として大正11年9月21日に韮崎中学校の設置が認可され、同12年4月1日に敷地面積6,996坪、生徒定員350人の中学校として開校している。
 北巨摩郡への中学校設置については、南部の韮崎町、中部の若神子村、穴山村、北部の長坂村が候補地とされてきたが、最終的には韮崎と若神子に絞られ紆余曲折の結果韮崎町に設置されることとなった。

 校舎本館の絵葉書は左記の記念絵葉書(三枚一組)の中の1枚である。



【現在の山梨県立韮崎高等学校 校舎】
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 終戦後の学制改革により、韮崎中学校は山梨県立韮崎高等学校となっている。
 開校時の校舎であった校舎本館は昭和39年2月28日に火災のため焼失しており、現在の校舎はその後建設された校舎を取り壊し、平成13年10月に新築された校舎である。




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by kaz794889 | 2012-11-25 21:21 | 学校 | Comments(0)
2012年 11月 24日

明治45年東宮行啓を歩く2 【舞鶴城奉迎門】

【(行啓記念)御旅館機山館ト奉迎門】
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 明治45年3月27日の午後4時15分に甲府駅に到着された東宮殿下及び供奉者一行は、御旅館となる舞鶴城(甲府城)跡に建つ機山館に向かわた。
 写真の奉迎門は、甲府城址の入口となる、同城址の堀に架かる遊亀橋を渡った先に建てられたものである。




【現在の舞鶴城(甲府城址)遊亀橋と奉迎門跡】
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 奉迎門の建てられた場所の現在である。
 甲府城址の整備により石垣が整備されるとともに、白壁の一部も再建されるなどの整備が図られている。
 城址後方にあたる北側に高層マンションが建設されるなど、城址周辺の景観は必ずしも十分とは言えない状況である。




【桜町通り】
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 甲府駅から御旅館の建つ城址までは橘町、錦町、紅梅町、写真の桜町通りを経るルートにより到着されている。
 写真の突き当りが甲府城址であり、その城址に建つ写真の洋館が御旅館となった機山館である。






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by kaz794889 | 2012-11-24 21:34 | 明治45年東宮行啓を歩く | Comments(0)
2012年 11月 18日

甲府・銀座通り 2

【(甲府名所) 銀座通り】
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  昭和10年代初期の甲府銀座通りである。
  二重回し姿の男性が写ることから、冬の某日の午前8時50分(赤岡時計店の大時計の示す時間から。)の様子である。また、 後方に写る松林軒ビルには「育児と栄養展覧会」の垂れ幕が掲出されている。
  左の新聞を読む男性の店は「三沢小間物店」、その隣が「赤岡時計店」「小坂理髪館」「梅林堂」と続いている。  
  甲府銀座については、平成22年3月4日の峡陽文庫、甲府市街点描『甲府・銀座通り』を参照されたい。
 


【現在の同位置】
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  現在の同じ場所であるが、通りはアーケード化されたものの、通りを歩く人波に往時の姿は認められない。
  



【甲府銀座通り入り口】
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by kaz794889 | 2012-11-18 16:19 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2012年 11月 17日

韮崎 清水屋旅館

【韮崎市 本町 清水屋旅館のパンフレット】
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【中央線韮崎町 清水屋旅館 】
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 清水屋は甲州街道韮崎宿で初代清水代右衛門が弘化2年に創業した旅館である。
 当初は旅籠と練油業を営んでいたが、明治42年に三代目鯉鮒七の弟金七の分家に伴い練油業を分業している。
 観光地要素が現在ほどではなかった当時、平常における利用者は商人の利用がほとんどであったが、徴兵検査や製糸女工募集の際は相当の賑わいがあったとされている。


【現在の清水屋旅館】
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 清水屋旅館は現在も旧甲州街道韮崎宿である、韮崎市本町通の創業地と同じ場所で営業を続けている老舗旅館である。




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by kaz794889 | 2012-11-17 08:21 | 旅館・ホテル | Comments(0)
2012年 11月 11日

甲府在勤時代の北杜夫

【「たのしい山日 PR版」 第七集】
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 昭和35年頃に山梨日日新聞社が発行した「たのしい山日 PR版」という同紙の購読促進を図る16ページ^ほどの冊子に、「狂人守りの先生 甲府にいた芥川賞作家」と題した記事が掲載されている。
 掲載記事にある甲府にいた芥川賞作家とは、「夜と霧の隅で」で昭和35年上半期の第43回芥川賞を受賞した北 杜夫である。
 北 杜夫(本名:斉藤宗吉)は、昭和2年5月に斉藤茂吉、輝子の二男として誕生し、麻布中、旧制松本高校、東北大学医学部を卒業後、昭和28年に慶応大学医学部神経科教室に同大学医学部の助手として入局、その後の昭和30年12月に当時の山梨県立玉諸病院に1年間勤務している。




【「狂人守りの先生 甲府にいた芥川賞作家」】
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  「たのしい山日 PR版」の「狂人守りの先生 甲府にいた芥川賞作家」は、「4年ほど前、慶応大学病院の医局員だったころ、派遣されて甲府市里吉町の県立玉諸病院に1年間在職したことがあるので、本県にも馴染みの深い人。そこで東京都新宿区大京町の自宅に北氏を訪ね甲府の思い出話などを聞きながら、その人柄と文学の周辺にふれてみた。」とした、北杜夫への甲府在勤時代のインタビューが2ページに渡って掲載されている。
  「甲府は本当に丸1年、365日が1日も前後しない満1年の滞在でした。県立精神病院といっても院長さんが病気なので、そのアシスタントとしてさし向けられたんですから、病院を一人で背負い込んで忙しかった。」、「時折り留守番を頼んで映画を見に行ったものでした。」、「病院のあったあたりは、ほかに医者がいないので、近所の農家から、やれ風邪をこじらせた、お腹をこわしたなんていう急患が持ち込まれるんです。」などの甲府時代が語られている。




【山梨県立玉諸病院跡】
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山梨県立玉諸病院はその後山梨県立北病院となり、かつて病院があった場所は、山梨県庁里吉別館となっている。
  なお、写真に写る建物は、病院移転後に山梨県の工業系組織の庁舎として建設されたものであり、病院施設の旧庁舎等は全く残されてはいない。

【北杜夫と辻邦生の著作】
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  甲府時代については、北杜夫の『どくとるマンボウ医局記』(平成5年1月25日:中央公論社)の第9章「山梨県の病院へ売りとばされたこと」として書かれている。また、辻邦生と北杜夫の共編である『若き日の友情 辻邦生・北杜夫往復書簡』(平成22年7月29日:新潮社)は、昭和23年から昭和36年までの二人の往復書簡集であるが、その中の昭和31年分は甲府時代の往復書簡となっている。なお、いずれの書籍も現在は中公文庫及び新潮文庫として刊行されている

【「斉藤茂吉と「楡家の人びと」展」の案内チラシ】
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斉藤茂吉の生誕130年記念と追悼北杜夫として、『斉藤茂吉と「楡家の人びと」展』が世田谷文学館において現在開催(平成24年10月6日から同年12月2日まで)されている。
同展の「長編小説の醍醐味「楡家の人びと」」と題する展示のコマにおいて、北杜夫の甲府時代における山梨県職員身分証明書が展示されている、同展に併せて発行されている図録には当該身分証明書の写真は未掲載であり、展示中の展示品の写真撮影も当然厳禁であることから、同証明書の記載事項を以下のとおり記載したい。
名刺サイズよりもやや小さ目な証明書に「山梨県職員身分証明書 №3914 甲府市里吉町838の2 県立精神病院技師 斉藤宗吉 昭和31年1月27日発行 天野久」と記載されている。 




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by kaz794889 | 2012-11-11 18:24 | 山梨の文学 | Comments(0)
2012年 11月 04日

明治45年東宮行啓を歩く 1 【甲府駅奉迎】


  明治45年3月27日、皇太子時代の大正天皇が、近衛歩兵第一旅団幹部演習と併せ、教育、産業、民情等視察の思召しを以て山梨県に行啓されている。
  山梨県への行啓にあたり、甲府城内の機山館を皇太子殿下の御旅館とし、8日間御在留され4月4日に還御されている。
御在留の間、演習視察の傍ら東宮侍従を明治13年の明治天皇行在所に訪はしめられるとともに、神社、仏閣、名勝、古墳、諸学校、諸工場を視察されている。
  また、御滞留中の山梨県内は県民が挙って奉迎に赤誠を単め、軍人、学生の連合演武大会、運動会、その他国産品陳列、社寺旧家の宝物陳列、諸学校生徒及び甲府市民の提灯行列などがなされていた。
本年、平成24年が大正100年の年にあたることから、1世紀前の東宮行啓の地を歩くこととしたい。


【(行啓記念)甲府停車場前奉迎門】
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  明治45年3月27日午前10時50分に東宮御所を御出門され、新宿駅11時15分発の臨時列車により午後4時15分に甲府駅に到着されている。
甲府駅に到着後、皇太子殿下は腕車に召され橘町、錦町、紅梅町から桜町通りを経て午後4時35分に御旅館である甲府城内の機山館に入られている。なお、この日の甲府は曇天であったという。

【現在の甲府駅前】

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  現在の甲府駅は昭和61年の山梨国体に合わせて橋上駅舎、駅ビル、南北自由通路の三点セットの新駅となり、明治45年当時の甲府駅舎から数えて3代目の駅舎となっている。

【皇太子殿下が御着前の甲府駅付近】
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  行啓当日の甲府駅における奉迎者中、有爵者、文武官高官、貴族院・衆議院議員、従六位又は勲六等以上の者、藍綬、緑綬褒章受領者、商業会議所会頭、郡長、市長、県会、郡会、市会議長、同参事会員、国弊社宮司、管長以上の僧侶、赤十字社特別社員以上の者、愛国婦人会正副支部長等はプラットホームに。
  陸海軍将校、新聞記者、有位帯勲者、官公吏、議員、神官、僧侶、弁護士、医師、赤十字社、愛国婦人会、武徳会員等は甲府駅車寄の左右に。
  高齢者、軍人遺族、学生生徒等は御道筋の両側に整列し、列後の群衆は甲府市空前の盛観であったという。


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by kaz794889 | 2012-11-04 18:32 | 明治45年東宮行啓を歩く | Comments(0)
2012年 11月 03日

濠端からの甲府城

【甲斐 甲府市 舞鶴城公園】
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 甲府城の濠端から北側に向けて、いわゆる城内広場(鍛冶曲輪)方向を写した大正中頃の風景である。
 堀の向かい側の石垣は明治期(一府九県連合共進会の頃)の改修が相当なされている。また、正面右側には洋風建築は、山梨県の公会堂として建設された機山館である。

【濠端から見た現在の同位置】
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 平成2年からの舞鶴城公園整備事業により、濠端の向かい側には塀が再建されるとともに、石垣も往事の姿に改修されている。

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by kaz794889 | 2012-11-03 21:35 | 甲府城 | Comments(0)