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2012年 10月 28日

恩賜林記念館

【恩賜林記念館】
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  甲府城跡である舞鶴城公園内の南西端に建つ恩賜林記念館は、恩賜林保護団体が恩賜林御下賜40周年記念事業として昭和26年に企画し、恩賜林内から産出した石材・木材を使用し、外壁は人造花崗ブロックからなる2階建の木造建築として、水沢工務店の施工により昭和28年5月17日に竣工した建物である。
  建築規模は1階、2階合わせて810㎡、当時の工費金額約1千万円の財源は、県や林業団体の助成金・寄付金と160余の恩賜林保護団体の拠出金によるものであった。建設当初、恩賜林記念館には山梨県内に分布する動植物の標本を収集展示し広く一般に公開されていたが、現在は主に講演会、研修会などの会場に使われている。

【東側から見た恩賜林記念館】
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  平成2年以来進められてきた、舞鶴城公園整備事業における「舞鶴城公園整備計画」において、甲府城跡にあった占用施設が撤去された中、昭和8年落成の武徳館と恩賜林記念館は現在地に残されている。
恩賜林記念館は建設当初、山梨県内に分布する動植物の標本を収集展示し一般に公開していたが、現在は主に講演会、研修会などの会場に使われている。

【小尾嘉郎の墓】
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 恩賜林記念館は山梨県北巨摩郡甲村五町田(現在:北杜市五町田)の出身である、小尾嘉郎(明治31年5月20日~昭和47年12月8日)が設計している。
 小尾は甲府中学、名古屋高等工業学校を卒業し大正10年東京市電気局に就職し、大正15年3月の神奈川県庁舎建築設計図案懸賞募集(現在の神奈川県庁舎本館)において一等に当選し、昭和5年の軍人会館建築設計図案募集(現在の旧九段会館)においては入選案上位10件の佳作に入選しており、恩賜林会館の設計時には小尾建築工務所を開設していた。
  小尾嘉郎が眠る「小尾家之墓」は、小尾嘉郎が自ら墓石のデザインをしており、写真のとおり墓石の上には神奈川県庁舎の塔をモチーフとしたデザインがなされている。

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by kaz794889 | 2012-10-28 18:07 | Comments(0)
2012年 10月 21日

篠原春雨と句碑

【篠原春雨】
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 (明治13年5月27日~昭和21年4月15日)
 篠原春雨(本名:春治)は甲府柳町57番地(現在:中央4-9-10附近)に、呉服太物、質商を営む父長七、母トメの二男として生まれ、明治30年代に久良伎社同人となり、川柳作者となった。
 明治37年7月14日には川柳久良伎社甲府支部を設立し、新川柳誌「五月鯉」を明治38年5月5日に編集同人として発刊し新川柳を提唱した。
 大正3年5月5日に山梨日日新聞の社会部記者となり、この頃から同紙の川柳欄の選者となるなどし新川柳の発展・普及に努めていたが、大正5年3月13日に山梨日日新聞編集局における執務中に脳充血が突発し、その後快方に向かったものの、遺症として聴力の衰えが進みその後聴力を失っている。
 大正6年3月13日に山梨川柳会を設立し、雑誌「新宝暦」を発刊、昭和18年7月には戦時下唯一の柳誌である「川柳常会」を発刊している。その後、戦時中の疎開先である北巨摩郡穴山村(現在の韮崎市)において66歳で没している。



【篠原春雨句碑】
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  大正6年2月21日、病に倒れ東京の病院で治療するも効果なく帰甲した篠原春雨に対し、門人の人々は本県川柳界の恩人として、篠原家の菩提寺である甲府市細工町の法華寺境内に「川柳や江戸紫に八文字」の句碑を建立するとともに、記念句集である『川柳春雨傘』を発刊した。
  写真の句碑は、大正13年6月30日に改築した前述の句碑である。



【篠原春雨句碑絵葉書「表面」】
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 甲府市桜町8番地(現在の中央1-1附近)に居住していた篠原春雨の自筆により、長野県諏訪郡岡谷在住の者にあてて送付された、昭和2年8月11日付、甲府郵便局の消印のある左記の絵葉書の表面である。


【現在の篠原春雨句碑】
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 法華寺(甲府市武田1-4-34)に現在も残る篠原春雨の句碑である、大正13年6月の改築後、更に改築され句碑の土台である石組みも撤去され、樹木の陰で枝葉に覆われ、現在は句碑の全景を見るのも困難である。



【篠原春雨の墓】
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 樹木の下が句碑、向かって左の墓石が篠原春雨、右の墓石が篠原家代々のものである。 




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by kaz794889 | 2012-10-21 16:21 | 山梨の文学 | Comments(0)
2012年 10月 20日

甲府市街東部

【甲府市街東部】
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 甲府城跡から眺望(南東方向)した明治後期の甲府市街(丸の内一丁目、中央二丁目)である。
 この附近は桜町(現在の丸の内一丁目、中央二丁目)の最北地域に当たり、中央に写る寺院風の和風建築は、明治28年12月に竣工した天理教甲府分教会、右側手前の塀に囲まれた建物は進徳幼稚園である。
 市街地に見える複数の煙突は、当時の甲府市街で操業していた製糸工場の煙突である。

【甲府城跡からの眺望】
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 上記の写真を撮影したと考えられる甲府城跡の概ねの位置からの眺望であるが、撮影方向に植栽された木々の枝葉により、同位置の眺望は困難であった。

【現在の「甲府市街東部】
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 当時の建物は何も残されていないものの、道路の形状は当時と殆ど変わっていない状況である。
 天理教甲府教会(正面に写る建物の裏側)は現在も同位置にあり、進徳幼稚園は既に移転しその位置(自動車が駐車している右側の場所)には甲府市社会教育センターが建てられている。

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by kaz794889 | 2012-10-20 17:23 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2012年 10月 14日

没後五十年 飯田蛇笏展

【「没後五十年 飯田蛇笏展」の開催パンフレット】
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【「没後五十年 飯田蛇笏展」図録】
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 山梨県東八代郡境川村(現在の笛吹市境川町)に生まれ、東京における多感な青年時代を経て郷里の境川村を定住の地と定めた、近代俳句を代表する俳人飯田蛇笏(明治18年4月26日~昭和37年10月3日)の没後50年にあたり、改めてその足跡をふり返り、多くの人々に読み継がれている作品の魅力に光をあてていくことを趣旨とした、「没後五十年 飯田蛇笏展」が山梨県立文学館において特設展として開催(開催期間:平成24年9月29日~同年11月25日)されており、当方も昨日拝見させていただいた。
 
 平成元年に開館した山梨県立文学館は、そのオープンの日を三十年前(開館時)に飯田蛇笏が亡くなった10月3日としているなど、飯田蛇笏は山梨を代表する文学者のひとりであり、近代俳句に大きな功績を残している。




【『峡中文人録』における飯田蛇笏】
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 『峡中文人録』は大正2年6月25日に、渋谷俊及び大塚源一郎を編者として、甲府市柳町の柳生堂書店を発行所として出版された書籍であり、そのはしがきによると「明治大正の峡中(山梨県)文壇の盛観を後代に記念すべく刊行を企てたもの」と記されている。
 当時の飯田蛇笏は38歳、この年の2月には五男が誕生している。




【『俳人大家名簿』】
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【『俳人大家名簿』における山梨県の項】
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 『俳人大家名簿』は昭和7年1月に和歌山県西牟婁郡田辺町の榎本精一を編者兼発行人として発行された冊子であり、当時の樺太、台湾、朝鮮等を含む全国を府県等の単位として847名を網羅しているものである。
 発行当時の飯田蛇笏は47歳、この年の12月には第一句集である『山廬集』が発刊されている。




【『飯田蛇笏展』図録】
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 『飯田蛇笏展』図録は、昭和43年9月28日から9月30日を会期として甲府市北口2丁目の山梨文化会館(山梨日日新聞等本社社屋)を会場に開催された「飯田蛇笏展」に関する飯田蛇笏展運営委員会が編集発行した図録である。

【『飯田蛇笏展 没後30年』図録】
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 『飯田蛇笏展 没後30年』図録は、平成4年10月3日から12月6日を開催期間として、山梨県立文学館で秋の企画展として開催された「飯田蛇笏展 没後30年」の図録である。
 56日間に渡って開催された同展には、全国から11,000人余の観覧者が訪れている。
 




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by kaz794889 | 2012-10-14 19:22 | 山梨の文学 | Comments(0)
2012年 10月 08日

観光甲府の案内図と「観光こうふの印象」から

【観光甲府の案内図】
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 昭和20年代の終わりから昭和30年代の当初にかけて作成されたと考えられる、「観光甲府の案内図」である。
 同年代の観光冊子等によれば、当時の甲府に特化した観光名所としては、甲府市街の甲府温泉、郊外の湯村温泉といった「湯の街甲府」、「舞鶴公園」、「善光寺」、「御嶽昇仙峡」、「武田神社」、「甲府葡萄郷」が掲げられている。

【舞鶴公園より見たる甲府市街】
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 上記の「甲府の観光案内図」と同時期頃に発行されていた「観光こうふの印象」と題する絵葉書集に収められた絵葉書の一部である、後記の絵葉書を含め、カラー写真が一般的となる時期頃まで用いられていた、白黒写真に着色を施した絵葉書である。
 甲府城の石垣上から眺めた市内の南側である。中央に写るビルは、旧甲府地方裁判所庁舎、その手前は
旧甲府警察署庁舎である。

【愛宕葡萄園より見たる甲府市街】
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 甲府葡萄郷は愛宕山南麓、善光寺、東光寺、酒折駅周辺を中心としている。
 この絵葉書は遊覧葡萄園である「愛宕園」のぶどう棚から眺めた市街である。
 手前に写るのは単線時代の中央本線と並行区間の身延線。左側に写るのは現在は統廃合した旧富士川小学校。右側の小山が甲府城である。

【謝恩塔】
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 明治44年の御料林の御下賜を記念して甲府城跡に建設された謝恩塔である。
 手前に写る噴水は、後述する舞鶴城公園整備事業が開始される以前に撤去されている。 


【「謝恩塔」絵葉書の現在】
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 「謝恩塔」絵葉書の現在である。
 平成2年からの舞鶴城公園整備事業も完了し、現在は写真の左側に残る「鉄門(くろがねもん)」の復元工事が進められている。


 
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by kaz794889 | 2012-10-08 12:02 | 観光案内 | Comments(0)
2012年 10月 07日

商店の包装紙18『丸安』

【丸安の包装紙】
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 丸安は丸茂安太郎が甲府市柳町85番地(現在:甲府市中央4-5-25)で、洋傘、洋服などを販売する商店として営業していた。
 丸安の創業は、丸茂本店の2代目平兵衛の弟である安蔵が丸茂本店の筋向いに開設した洋傘店であり、保蔵の子供である安太郎の代に洋品・雑貨の安売り店「丸安」となったものであり、現在の洋品スーパーのはしりであったとも云われている。



 
【丸安の営業品目】
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 包装紙の一部に刷り込まれている、丸安の営業品目である。




【丸安の店舗】
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 包装紙の一部に刷り込まれている、丸安の店舗である。




【現在の丸安跡】
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 丸安は甲府空襲で店舗が罹災し、終戦後に営業を休止している。現在、丸安が営業していた場所は、保坂商店となっている。




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by kaz794889 | 2012-10-07 21:24 | 商店の包装紙 | Comments(0)
2012年 10月 06日

恩賜林御下賜100年に伴う行幸啓

【甲府駅に向かう御召列車】
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  平成23年は、明治44年3月11日に水害復興のために29万8千町歩の御料林が御下賜となり、山梨県に恩賜林が誕生し100年の年であったことから、平成23年11月13日に山梨県民文化ホールにおいて、天皇皇后両陛下をお迎えして「恩賜林御下賜100周年記念大会」の開催が予定されていたが、天皇陛下の御入院に伴い、同記念大会は皇太子殿下が御名代として臨席された。 
  この際、「記念大会に出席できないことを残念に思っており、いずれ日を改めて山梨県を訪れ、恩賜林を視察する御意向」との説明が宮内庁からなされており、こうした経緯から、平成24年10月6日、甲府市に行幸啓されたものである。

【甲府城跡に建つ謝恩塔】
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 甲府城跡にそびえ立つ謝恩碑は、恩賜林御下賜を永久に記念するため、大正6年から3年の歳月と当時の
99,528円の工費により建設されたものである。
 謝恩碑の用材は東山梨郡神金村(現在の甲州市)の恩賜林から切り出された花崗岩が使用され、碑身18m、碑台・台座を含む高さは約30mであり、現在も甲府のシンボル的存在となっている。

【行幸啓の地となる武田の杜】
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 武田の杜保健休養林は、平成23年11月の記念大会ご臨席時における御視察予定の地であったことから、今回の行幸啓において改めて御視察されるものである。




【武田の杜案内図(部分)】
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by kaz794889 | 2012-10-06 16:23 | Comments(0)
2012年 10月 02日

商店の包装紙17『中村果実店』

【中村果実店の包装紙】
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 中村果実店は戦前期から甲府市桜町9番地、いわゆる甲府銀座通りで営業していた果実店である。
 当時の甲府市街において果実店の代名詞として営業していた店舗である。

【中村果実店の跡】
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 甲府銀座通りが裏春日通りと交差する、西南の角地がかつての中村果実店の位置である。

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by kaz794889 | 2012-10-02 22:57 | 商店の包装紙 | Comments(0)