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2012年 09月 30日

お月見だんごを供えましょう

【「明日は十五夜 お月見だんごを供えましょう」 「き祢や」のチラシ】
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 本日は十五夜であるが、台風接近により今年の十五夜の月見は不可能である。
 写真は「きねや」のお月見だんごのチラシである。
 「きねや」と聞いて連想するのは、やはり「だんこ」だろうか、昭和30年代前半頃のチラシであり、橘町、甲府駅前、錦町、柳町、岡島に販売店があったようである。
 
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by kaz794889 | 2012-09-30 16:24 | 広告・チラシ | Comments(0)
2012年 09月 29日

『甲斐叢書』と甲斐叢書刊行会

【『甲斐叢書』第一次刊行既刊の第1巻~第6巻】
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 北巨摩郡甲村(現在:北杜市高根町)上黒沢出身の郷土史家廣瀬廣一が主となり、赤岡重樹、土屋操、太田亮の協力と、甲斐叢書刊行会の主である朗月堂の店主、須藤孝平の財政的援助により、昭和9年から11年の間に刊行されたのが『甲斐叢書』である。
  甲斐国志、甲陽軍鑑などの著名な資料や未刊行のため稀覯に属した諸文献などの郷土史に関して必要な文献として甲斐叢書は刊行されている。



【第二次会員募集 甲斐叢書 内容見本】
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  甲斐叢書は全12巻の叢書であり、その内の第1次刊行書目として、甲陽軍鑑、甲斐日記、裏見寒話、甲斐叢記などを収めた、第1巻から第6巻が昭和9年から昭和10年にかけて刊行されている。
  その後、第2次刊行分として甲斐国志、甲斐の手振などが掲載された第7巻から第12巻は昭和10年以降、原則、隔月に刊行され昭和11年に完結している。
  この内容見本は、第1次刊行分である第1巻から第6巻の6巻が刊行された後、増刷が決められたことから、更に追加の会員300名の募集を主に発行したものである。
  甲斐叢書は当時、普及版と豪華版の2種類のタイプが刊行され、その定価は普及版が3円50銭、豪華版が4円50銭であった。
  なお、甲斐叢書(全12巻)は、昭和49年に東京本郷の第一書房から復刻版が刊行されている。





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by kaz794889 | 2012-09-29 23:10 | 郷土誌 | Comments(0)
2012年 09月 23日

甲府・藤光山 法華寺

【法華寺本堂 [甲府市細工町]】
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 藤光山法華寺は甲府市細工町(現在:武田1-4-34)に所在する日蓮宗の寺院である。
 天正2年に武田信繁が現在の地に移すまでは、西山梨郡住吉村上村(現在:甲府市上町)に所在していた。
 写真の本堂は、昭和20年の甲府空襲でも焼失を免れた、甲府市街地域でも数少ない寺院建築であった。


【現在の法華寺本堂】
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 法華寺は甲府市内にある遠光寺、信立寺とともに甲府法華宗三か寺の一つであり、約800年前に写経された山梨県内でも最古の写本と言われている、甲府市の指定(平成8年2月14日)文化財「紺紙金泥法華経」を所蔵している。
 なお、現在の本堂は平成7年に改築されたものである。


【現在の法華寺 山門】
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 山の手通りに面して建てられている、甲府空襲による焼失を免れた法華寺の山門である。
 

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by kaz794889 | 2012-09-23 15:23 | 寺院 | Comments(0)
2012年 09月 22日

かつぬま葡萄郷へ

【甲州ぶどうの本場 かつぬま葡萄郷へ】
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  昭和34、35年頃に出されていた、勝沼葡萄郷の観光パンフである。
  このパンフに掲載された下記の「勝沼葡萄郷観光案内図」にもあるが、笹子有料トンネルが昭和33年12月に開通し、甲州街道である国道20号線の難所であった笹子峠越えが解消されたことにより、自動車を利用し「東京より2時間30分」が観光山梨のキャッチフレーズであったことから、このパンフにおいても、そのフレーズが強調されている。
  案内図に記載された13の葡萄園は、現在も老舗葡萄園として営業を続けているところが少なくない。


【勝沼葡萄郷観光案内図】
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by kaz794889 | 2012-09-22 21:40 | Comments(0)
2012年 09月 17日

玄法院の鐘楼


【写真① 玄法院裏の路地と鐘楼】
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 写真①は、「写真の場所を教えてください」の標題で平成23年12月23日に峡陽文庫に掲載したものであり、掲載後、S氏とY氏からご教示いただき場所の特定に至ったものである。この場を借りて改めて感謝申し上げる次第である。
 
 写真の場所は、甲府市天神町の真言宗寺院、法性山玄法院の裏側(北側)路地であり、写真の先に写る建物は玄法院の鐘楼である。


【写真①の現在】
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【玄法院の正面】
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【写真② 明治期の玄法院全景】f0191673_61790.jpg
 写真②は明治期における玄法院の全景である。
 上部右側に描かれている高楼が写真①に写る鐘楼である。この鐘楼は、明治25年に建設された高さ15mの建てものであり、昭和20年の甲府空襲で境内の主要な建物は焼失した中で鐘楼は焼失を免れたものの、終戦後、老朽化などから取り壊されている。


【写真③ 「時の鐘」とされていた玄法院鐘楼】
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 写真③は『明治・大正・昭和写真集 甲府90年』(昭和56年3月・甲府市発行)に「時の鐘(愛宕町英和短大の西方)」として掲載された写真であるが、「甲府には愛宕町、いまの境町踏切を渡った右手の高台に<時の鐘>があって、時を報じていた。」と同書に記された時の鐘とは異なる、写真①の玄法院の鐘楼である。
 【※ 掲載された写真の説明が異なる旨の指摘は、既に伝えられているものである。】 






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by kaz794889 | 2012-09-17 07:12 | Comments(0)
2012年 09月 16日

甲府・名画座

【名画座ニュース特報①】
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 新東宝系の映画館である名画座が発行していた、「名画座ニュース特報」(昭和32年5月21日発行№18)である。




【名画座ニュース特報②】
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 上映中御案内 総天然色大シネスコ巨編 『明治天皇と日露大戦争』は、昭和31年12月に日本最初のシネスコープ大型映画と銘打って製作が開始され、昭和32年4月29日に公開された新東宝の映画である。
  観客動員数2000万人の記録を打ち立てたこの映画は、興行史上の大記録を打ち立て、上映したすべての映画館はすし詰めの超満員であったといわれる。
  ニュース特報に掲載されている広告からも分かるとおり、甲府駅に近い場所にあった名画座も、その立地環境から多くの観客で溢れていたのではないだろうか。 




【名画座のあった場所】
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 秀英予備校ビル(甲府市丸の内2-15)の建つ位置が、かつて名画座のあった場所である。





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by kaz794889 | 2012-09-16 21:28 | 劇場・映画館 | Comments(0)
2012年 09月 15日

甲府城二の堀 4 (丸の内2丁目地内の3)


【写真① 県立図書館前公園西側の端から見た開水路】
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 新道橋から開水路が暗渠化し県立図書館前の公園下を流れる二の堀が、再び開水路となるのは相生2丁目地内と思っていたが、同公園の西側端の下に写真の開水路が存在することに気が付いた。



【写真② 県立図書館前公園西側の開口部】
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 南側から見た図書館前公園下の開口部である。
 図書館前の公園が開設される以前、まだ同所にサンニチ印刷の前身である又新社があった昭和41年の住宅地図では、公園下の暗渠は開水路として流れていたことが確認できる。



【写真③ 東側にクランクし再度暗渠化する二の堀跡の開水路】
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 開水路はすぐに東側にクランクし再び暗渠化するが、この間の開水路は両側の石積などが比較的オリジナルな形で残されている。



【写真④ 暗渠化した二の堀跡】
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 写真③で再度暗渠化した上の現状である。
 写真に写るアスファルトの駐車場の先に写るコンクリート部分が暗渠化した二の堀の真上に当たる位置である。更にその先に写る石組みは開水路当時の二の堀の両側に積まれていたものと思われる。暗渠化したとはいえ、開水路当時の雰囲気が僅かながらに感じられる。



【写真⑤ 暗渠となった二の堀跡の上に建つ飲食店街】
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 写真④の右側に続く飲食店街の西側端の建物である。
 建物の左側には全容は確認できないものの、開水路時代の石積が残されているようである。また、飲食店街は、暗渠化した二の堀の川幅とイコールの幅で建てられていることが認められる。



【写真⑥ 暗渠となった二の堀跡の上に続く飲食店街】f0191673_14281432.jpg
 写真⑤に続く飲食店街である。
 全ての状況は確認できないが、この飲食店街の大半の店舗はすでに営業していない様子である。




【写真⑦ 暗渠の上に建つ飲食店街が途切れる位置】f0191673_14284845.jpg
 西側から東側に向けて建つ飲食店街の東側の端である。




【写真⑧ 暗渠化した二の堀の流れが平和通りに接する位置】
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 飲食店街の東側に位置する入り口は平和通りに接しており、暗渠化した流れはそのまま平和通りを南下して流れている。



【丸の内2丁目地内の地籍図】
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 昭和10年代の甲府市地籍図に、「丸の内2丁目地内の3」における現状の位置を記している。
 地籍図の上部に赤色四角枠で記しているのが、県立図書館前の公園の位置である。
 また、その下に楕円で記しいるのが、公園下の開水路の位置であり、その左側の楕円は再度暗渠化している飲食店街のいちである。




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by kaz794889 | 2012-09-15 14:10 | 甲府城 | Comments(1)
2012年 09月 09日

橘児童公園と甲府市公民館

【広報甲府市(昭和29年12月6日号)】
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 公民館の制度は、終戦後における日本の教育改革のなかで社会教育の地域基幹施設として構想され、昭和21年7月5日付の文部次官名の通牒「公民館の設置運営」が発出され公民館設置運営に明確な指針が与えられた後、昭和24年6月10日の社会教育法公布により、社会教育主事の規定と公民館運営の根拠が定められている。
 公民館の設置運営に係る指針が示された昭和21年当時、甲府市民による公民館設置の要望が少なくなかったようであるが、戦災被害に喘いでいた甲府市当局は容易に対応することができず、昭和24年には社会教育法の公布に促され、公民館設置の要望は益々強まっていき、昭和26年、27年と各種団体が公民館設置を決議し、資金獲得のための廃品回収等がなされていた。
 
 こうした経緯を得て、昭和29年11月16日に橘町児童公園敷地内の北側に、総坪数132.5坪、総工費400万円の甲府市公民館が建設されている。
 左記の広報甲府市は、甲府市公民館の完成を伝える昭和29年12月6日号である。



【現在の橘児童公園内、甲府市中央公民館があった場所】f0191673_19195096.jpg


 甲府市公民館は完成後、中央公民館と改称され、当該公民館を本館とし、甲運、山城、玉諸、能泉四か所に分館を置いた運営管理を行った時期もあったが、その後、建物の耐震性を始めとした老朽化を理由に取り壊され、現在は公園内には公民館更地として残っている。

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by kaz794889 | 2012-09-09 19:49 | Comments(0)
2012年 09月 08日

甲府城二の堀 3 (丸の内2丁目地内の2)

【飯田通りの南側】
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 飯田通りの南側に流れる二の堀は、ダイタビル西側に沿って流れる二の堀


【ダイタビルの西側に沿った二の堀:北側から南側を撮影】
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【暗渠部と橘児童公園】
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 その後、二の堀は暗渠化し橘児童公園の下へと流れている。

【橘児童公園南端と忠徳橋】
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 暗渠化した流れは、橘児童公園の南端で開口部となり、忠徳橋の下を南側に流れていく。

【前記の開口部】
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【忠徳橋の南側】
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 忠徳橋の南側から新道橋の間は、二の堀の面影と雰囲気残す場所の一つとなっている。


【忠徳橋と新道橋の間】
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【南側から北側、新道橋方向の二の堀】
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【新道橋から忠徳橋方向の二の堀】f0191673_1034115.jpg



 新道橋から南側の流れは再び暗渠化され、県立図書館前公園の下を南側に向け更に流れている。。


【新道橋から県立図書館前公園に向かう暗渠部】
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by kaz794889 | 2012-09-08 11:13 | 甲府城 | Comments(0)
2012年 09月 02日

裁縫女学校 玉聲舎

【裁縫女学校 玉聲舎 生徒心得】
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【記念碑建設趣意書】
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 裁縫女学校玉聲舎は、明治25年に東京府下谷区西町の神道禊教会内に設置された神道禊派玉声舎の分舎として、明治26年10月に甲府市穴切神社北側の禊教地内に開設され、当時唯一の裁縫教授所として女子教育に努めていた。
開設当初の校名は単に玉聲舎と称していたが、その後、校名を玉聲裁縫女学校と改称し、創立以来、中津良江、その妹にあたる長倉テル子が教員となっていた。
  その後、大正6年8月31日に学則を改正し、本科、実科、技芸科の三科を設置し玉聲裁縫学校と改称し、昭和2年3月に学則を再改正し、本科、裁縫科、専攻科を置き、専攻科にはタイプライターの習得も加えられるとともに、3教室が増築され昭和2年8月16日に落成している。
昭和15年3月には校舎を更に増築し、同17年10月16日には創立50年周年記念式典が挙行されている。
 
  昭和19年4月1日には甲府市が買収し甲府市立甲府女子青年学校として学校を継続し、同20年11月1日には甲府市玉成女学校とと改め、終戦後の学制改革による新制高等学校への昇格を期して内外の整備を図り、同23年3月に認可を得たため、市立甲府女子高等学校と改称し、昭和25年に甲府市東光寺2-25-1に移転し市立甲府高等学校と改称し、昭和27年に県移管となったことに伴い、県立甲府高等学校となった。
  その後、昭和40年4月に山梨県立第一商業高等学校に改められたが、現在は廃校となっている。

【玉聲舎の跡】
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 穴切神社(甲府市宝2丁目)の北側に隣接してマンションが建てられている場所が、玉聲舎の跡である。




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by kaz794889 | 2012-09-02 16:47 | 学校 | Comments(0)