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2012年 07月 16日

御坂隧道

【御坂隧道 河口湖側口】
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 昭和4年11月、旧国道8号線は笹子峠越えから御坂峠経由に路線が変更された。このため、御坂峠開削工事が開始され、昭和5年10月17日に起工式が行われ、翌6年5月に御坂隧道が貫通し11月に竣工している。
 

【御坂隧道内から見た河口湖側出口】
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 御坂隧道の建設を含めた旧国道8号線の改良工事の総工費は84万円余、工事に携わった延人員は36万人であり、御坂隧道の延長は394m、幅員6m、高さ4m、坑内の覆工にはコンクリートを使用し、御坂口から0.89‰で137m上り、そこから河口湖口まで0.72‰の勾配を下るため、どちらの入り口からも反対側は見えない構造となっている。

【昭和13年頃の河口湖側出口】
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 河口湖側の出口を出ると、その左側には太宰治も逗留した天下茶屋があり、現在もその後再建された建物により天下茶屋が営業を続けている。

【御坂隧道 御坂側口】
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 御坂隧道の御坂口の扁額には「御坂隧道」の文字が刻まれている。(現地で扁額を確認したが、揮毫者の文字がはっきりと確認することができなかったため、「御坂隧道」の揮毫者を御存知の方は、是非ご教示いただきたい。)
 また、河口湖口の扁額には、当時の内務大臣である安達謙蔵の揮毫による「天下第一」の文字が刻まれている。
 御坂隧道は平成10年1月8日に国の登録文化財に指定されている。


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by kaz794889 | 2012-07-16 21:56 | Comments(0)
2012年 07月 15日

甲府城三の堀 3(相生二丁目地内)


【桜町南交差点附近の三の堀 ①】
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  甲府城の二の堀跡は山梨県立図書館前の公園から暗渠となり、暗渠の状態で平和通りの東側を南下し、相生町通りの北側を流れた後、再び堀の跡が表に現れる場所がこの位置である。
  ここからの堀の跡は三の堀である。市街地を流れる堀の跡であり、道路から堀の底まで相当の深さがあるため、開口部は安全を考慮しフェンスに囲まれている。 

【三の堀の北側 ②】
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 開口部から見た通りの北側である。
 黄色の看板がある建物の位置が二の堀の跡であり、その場所から三の堀の開口部までは暗渠としてつながっているものと思われる。

【三の堀開口部の南側 ③】
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 現在も残る三の堀跡の中では、最も堀の跡の雰囲気を残している場所である。
 堀の跡を撮影した場所は現在時間貸の駐車場となっているが、以前はガソリンスタンドであった場所である。

【三の堀開口部の南側2 ④】
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【三の堀開口部の南側3 ⑤】
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 開口部から更に南側の三の堀跡である。
 この流れはこのまま更に南下した後、東側にクランクし若松町、青沼、城東と流れ、笠森稲荷の東側で濁川となり、その後は笛吹川と合流する。

【昭和初期の三の堀附近 地籍図】
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 地籍図の右側、柳町と書かれた傍らが、三の堀の開口部(①の写真の位置)であり、その上が現在は暗渠となっている二の堀の跡(②の写真の位置)である。



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by kaz794889 | 2012-07-15 16:59 | 甲府城 | Comments(0)
2012年 07月 08日

商店の包装紙16 『芦川漆器店』

【芦川漆器店の包装紙】
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 芦川漆器店は甲府市八日町で開業した後、桜町23番地に移転している。
 写真の包装紙は、昭和初期の桜町時代に使用されていたものである。
 昭和に入ってからは店名である漆器の他に、家具類も取り扱うようになり昭和25年に有限会社に組織変更するとともに、芦川漆器店から芦川家具店と変更している。

【芦川漆器店発行「御即位大礼記念の栞」】
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 昭和3年の昭和天皇の御即位の大礼際して作成された漆器品の記念品目録である。
 取扱品目として美術蒔絵物、膳椀重箱類、記念品木杯などが記載されている。

 
【現在の芦川漆器店跡】

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 芦川漆器店が営業していた甲府市桜町23番地(現在の中央4-4-23)の現状である。


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by kaz794889 | 2012-07-08 12:24 | 商店の包装紙 | Comments(0)
2012年 07月 07日

甲府 八日町通り

【甲斐甲府市 八日町通り】
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 大正後期から昭和初期にかけての甲府八日町通りである。
 この通りはまさに甲州街道であり、写真の通りを進んですぐ左折したところが甲府柳町宿であった甲府柳町の中心部である。
 写真中央の洋館は若尾銀行の建物であり、その後山梨中央銀行八日町支店となったが、甲府空襲で焼失している。
 道路中央は昭和5年に廃止された甲府と石和を結んだ鉄道馬車の軌道である。
 甲府市街を題材とした絵葉書には、この位置から写した甲府八日町を定番とした情景が多く残されている。

【現在の同位置】
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  国道20号線が甲府バイパスとして市内南部に建設されるまで、この通りは国道20号線として甲府と東京を結ぶ大動脈であった。
  甲府空襲でこの道の両側はすべて焼失しとているため、昔の情景を残すものは一切残っていない中、道筋だけは昔のままであったが、現在、周辺道路の拡幅が進められようとしている。
  写真中央に写るビルは旧若尾銀行の後に建てられた、日本電信電話公社の甲府電報電話局であり、現在はNTT甲府支店となっている。 


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by kaz794889 | 2012-07-07 20:22 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2012年 07月 06日

戦時期の山梨 9 「甲府空襲」

【昭和20年7月7日の日記】
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 67年前の今日、7月6日は甲府市とその周辺地域が米軍機により襲撃された甲府空襲のあった日である。
 午後11時22分の警戒警報発令から同54分の空襲警報発令、翌日午前2時20分の空襲警報解除、午前3時20分の警戒警報解除までの4時間の間に、甲府市街の70%以上が焼失し、1100余名の尊い命が犠牲となっている。
 これまで築いてきた甲府の文化や歴史、伝統がこの僅か4時間の間に烏有に帰している。
 歴史に「もし」は馴染まないことは十分に承知しているが、何かにつけて以前から甲府空襲に限っては、「もし」を考えずにはいられないのである。
 相当以前に北陸の金沢市を訪ね、市街の表通りから入った住宅街を歩いた時に強く心に残っている記憶は「戦災を受けていないというのは、こういうことなのだ」といった印象である。
 何気ない住宅街の小道に戦前がごく普通に、当たり前のように存在していたのである。
 これまで、峡陽文庫の中で記した項目に「昭和20年7月6日の甲府空襲で焼失した」という記述が少なくないと思うが、空襲を経験していない我々にとっても、7月6日は毎年、特別な感慨の1日である。

【甲府空襲の罹災証明書】
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 甲府空襲による罹災者に対して発行された「罹災証明書」である。
 罹災証明書の発行と同時に、疎開の指導を行っていたようである。甲府空襲から一夜が明けた7月7日から、7月18日までの間に、甲府市が発行した罹災証明書の交付数は約50000枚に達したという。
 



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by kaz794889 | 2012-07-06 23:54 | 戦時期の山梨 | Comments(0)