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2012年 04月 30日

商店の包装紙12 『朗月堂書店』

【昭和10年代の朗月堂書店の包装紙】
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 朗月堂書店は西山梨郡千塚村(現在:甲府市)出身の須藤孝平が明治35年1月に甲府市桜町39番地で創業した書店である。
 昭和10年10月には店舗を新築し営業を継続したが、昭和20年の甲府空襲で店舗を焼失している。
 戦後、店舗を復興し同地で営業を継続していたが、平成3年5月には貢川店(甲府市貢川本町13-6:昭和54年10月開店)に本店を移している。
 掲載の包装紙は、書店名の周りに当時の山梨県内における中等学校等の徽章をデザインしたものであり、主に教科書や参考書の包装に使用されていたと思われる。

【朗月堂書店の封緘紙】
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 昭和10年代に使用されていた朗月堂書店の封緘紙である。
 意匠となっている建物は、昭和10年10月に新築された当時の店舗である。




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by kaz794889 | 2012-04-30 17:56 | 商店の包装紙 | Comments(0)
2012年 04月 29日

甲府市制六十周年祭 市内小中学校音楽会

【甲府市制六十周年 市内小中学校音楽会プログラム】
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 昭和24年は、甲府に市制施行された明治22年7月1日から60年の節目の年であった。
 市制施行六十周年記念事業としては、隣接の西山梨郡住吉村畔地区及び中巨摩郡池田村の合併や甲府市立病院の建設や「甲府市制六十年誌」が刊行されている。
 市内小中学校音楽会は、こうした市制六十周年記念の一環として開催されたものである。



【プログラムの内容】
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【昭和28年頃の甲府市街中心地】
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 昭和28年頃に撮影された、視界を遮る物もなく周りの山々の稜線がはっきりと確認できる甲府市街中心部である。写真の構図などから、昭和27年に建設された鉄筋コンクリート六階建ての甲府地方裁判所から撮影されたものと考えられる。
 音楽会プログラムに記載された開催場所は、甲府市警察署裏広庭となっていることから、写真の手前右側に写る甲府警察署庁舎(後方から写る三階建の建物)裏側の木造の建物が散在する辺りで開催されたのであろう。

 
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by kaz794889 | 2012-04-29 18:47 | Comments(0)
2012年 04月 28日

国立公園 昇仙峡 山梨交通株式会社

【国立公園 昇仙峡】
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「渓谷の美を中心として、南画の如き自然景観を誇る景勝地の代表と申されている昇仙峡は、甲府市を隔る北方九キロ担々たるドライブウェイをバスで三十分で、国立公園玄関口である長潭橋を渡って天神森に着きます。」
 昭和20年代中期に山梨交通が発行した観光チラシに記載された、国立公園 昇仙峡を案内する一説である。




【山梨県内観光交通略図】
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 当該チラシに記載されている、山梨県内の観光交通略図である。

【長潭橋附近の山梨交通バス】
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 長潭橋の手前にある、橋と渓谷撮影のビューポイント附近における山梨交通バスと長潭橋である。
 このチラシによれば、甲府駅前から昇仙峡天神森までの所要時間は30分、料金は40円である。現在もこの区間は約30分が所要時間ということだが、運賃は570円である。




【山梨交通本社】
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 甲府駅前にある昭和20年代の山梨交通本社である。
 バスのりばの建物がある場所は、現在、山交百貨店が建てられている。また、奥の「電車のりば」は、昭和37年6月に廃止された山梨交通電車の乗り場である。
 現在その跡は、山交ビルとなっている。

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by kaz794889 | 2012-04-28 23:19 | 観光案内 | Comments(0)
2012年 04月 22日

春を告げる 桔梗屋の生菓子

【桔梗屋の生菓子】
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 春を告げる桔梗屋の生菓子と銘うった、「桜もち」と「草もち」をメインとした春に向けた、桔梗屋本店のチラシである。
 チラシ中に年月日等の記載はないが、電話番号が局番なしの4桁番号であることから、昭和37年9月の甲府電報電話局複局化以前のチラシと考えられる。




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by kaz794889 | 2012-04-22 18:33 | 広告・チラシ | Comments(0)
2012年 04月 21日

甲府駅と記念碑

【甲府駅前の記念碑】
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 明治36年6月に甲府駅が開業した頃の駅前は、特段何もない広々とした風景だったことから、駅前に庭園を造り乗降客の憩いの場を建設することとなった。
 その完成を記念し明治41年6月に建立された石碑がこの記念碑である、当時の建設費用は千円、石碑の裏には当該事業の発起人、賛同者等の指名が刻まれている。
 建設された庭園はその後、この記念碑とともに大正時代には撤去されている。
 その後、甲府駅の開業75年を記念し昭和53年に再び駅前に移設され、現在は武田信玄の銅像裏に建てられている。
 駅前への移設直前まで、この記念碑は北口の国鉄官舎の一画(現在、甲府城山手門が再建されている一帯)に残されていた。


【甲府駅開業直後の甲府駅前】
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 写真のとおり、当時の甲府駅前広場の一帯は特に何もない殺風景な状況であった。


【駅前庭園建設後の甲府駅前】
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 甲府駅前の植栽の中に建立された当時の記念碑。
 下記の甲府駅前を写した写真の右側植栽を拡大したものである。 


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by kaz794889 | 2012-04-21 16:31 | 石碑 | Comments(0)
2012年 04月 16日

山梨高等工業学校 体育デー運動競技会

【各クラス対抗マラソンリレーのスタート風景】
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 山梨高等工業学校(現在の山梨大学工学部)の恒例行事の一つが、11月3日に開催される体育デー運動競技会である。
 写真はその一環として開催された、各クラス対抗競技であるマラソンリレーの学校表門(正門)前におけるスタート風景である。
 マラソンコースはその年により変動していた可能性もあるが、昭和16年のコースは次の2コースであった。
 ① 学校表門から武田神社前を経て学校裏門に至るコース
 ② 学校表門から日向町(現在の山梨文化会館附近一帯)に下って学校裏門に至るコース

【現在の旧山梨高等工業学校正門】
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 写真に写る門衛所や校舎は昭和20年7月の甲府空襲で焼失しているが、表門(正門)は当時の形状を留めている。

【マラソンリレーの寸景】
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 マラソンリレーの寸景である。


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by kaz794889 | 2012-04-16 11:48 | 学校 | Comments(0)
2012年 04月 15日

瑞泉寺の太子堂

【青龍山 瑞泉寺】
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 瑞泉寺(甲府市中央3-7-17)は浄土宗府中五ヶ寺(誓願寺、尊躰寺、教安寺、来迎寺)の一つとして知られた古寺であり、明応7年(1498年)に武田氏の加護のもと、運公上人が鎌倉にあった錦屏山瑞泉寺を古府中に移し造立したのが始まりであり、文禄2年(1593年)に現在の場所に移されたという。


【瑞泉寺境内の太子堂】
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 瑞泉寺本堂に向かう参道左側に建設された太子堂完成時の集合記念写真である。
 写真の撮影時期の詳細は不明であるが、左側に写る煙突と周囲の建物は、大正15年5月に創業した雨宮製糸場(山田町50番地)と思われる。


【現在の太子堂】
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 瑞泉寺の本堂、庫裏などの堂宇は昭和20年7月の甲府空襲で焼失している。
 太子堂は戦前期と同じ位置に再建されているが、後方にあった製糸場はすでになくなっている。
 後方に写る建物は、製糸場があった奥(西側)に数十年前に建設されたマンションである。



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by kaz794889 | 2012-04-15 11:40 | 寺院 | Comments(0)
2012年 04月 14日

甲府城二の堀 (宝一丁目地内)

【① 中央本線から南下する二の堀跡】
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 甲府城二の堀跡を跨ぐ中央本線から南側の二の堀跡である。
 甲府市街に残る二の堀は、その殆どが市街地の住宅地内であるが、甲府市宝一丁目地内に残る二の堀跡は、広い駐車場の敷地内に残されている。

【② 南下した流れ(①)が突き当り東側にクランクする二の堀跡】
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 二の堀跡は駐車場内を真っ直ぐに流れ、その敷地を東西に分けている。

【③ 南下した流れが突き当たった位置】
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 駐車場内の敷地を抜けた流れはすぐに突き当り、東側にクランクしている。

【④ 東側から見た③の位置】
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 東側にクランクし駐車場の敷地に沿って残されている二の堀跡。
 二の堀の流れはこの先朝日通りを越え、丸の内二丁目地内に続いている。

【三の堀跡(宝一丁目地内)の地図】

 宝一丁目地内の二の堀跡は協同駐車場の敷地内に残されている。この場所はかつて信用農業協同組合連合会等の農協関係団体があった場所であり、戦前は若尾倉庫があった場所である。



【大正時代の二の堀跡(宝一丁目地内)地図】
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 大正時代の宝一丁目地内の地図である。
 憲兵分隊(現在の読売甲府ビルの場所)の上部が二の堀跡が残る駐車場の位置である。


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by kaz794889 | 2012-04-14 11:45 | 甲府城 | Comments(0)
2012年 04月 08日

戦時期の山梨 7 「望仙閣と学童疎開」

【望仙寮に疎開した目黒区八雲国民学校児童】
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 昭和17年頃から帝都空襲に備えた防空準備が具体的に進められていく中、集団疎開が計画され、国民学校初等科児童の集団疎開、いわゆる学童疎開に関する「学童疎開促進要綱」が閣議決定されたのは昭和19年6月30日であった。
 閣議決定を受け、7月7日には文部省、内務省、東京都が「帝都学童集団疎開実施要領」を共同発表し、疎開先を関東地方及びその近隣県と定められ、防空総本部が10日に発表した「帝都学童集団疎開実施細目」
には山梨県等、疎開先の県名が定められ、その後発表された「帝都学童集団疎開先県名各区割当表」により山梨県への集団疎開は麹町区、四谷区、目黒区が割り当てられている。
 甲府には、市内や湯村温泉の旅館、料理屋、寺院等を宿舎として目黒区内の油面、碑、鷹番、原町、月光原、大岡山、八雲の7国民学校が8月から9月にかけて疎開している。  



【望仙寮入り口】
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 目黒区の八雲国民学校の三年生以上の児童250名は、昭和19年9月4日、東京急行電鉄東横線の都立高校駅(現在の都立大学駅)から甲府に向け出発、同日13時38分に甲府駅に到着し、甲府市内16箇所の宿舎に分散し、9月6日には市内の琢美、春日、穴切国民学校を疎開先学校として通学している。
 望仙寮は望仙閣を転用した八雲国民学校児童の宿舎の一つである。
 一般的には遊亀公園内にあった望仙閣をイメージすると思われるが、公園地内にあった望仙閣の建物は、昭和18年前後に中島飛行機の軍需工場となったため、甲府市紅梅町15番地(現在の丸の内1-16)で営業し、当時は廃業していた料亭「卯月」の建物を譲り受け、望仙閣の名前で旅館を営業していた。
 写真は「望仙寮」と「東京都目黒区八雲国民学校宿舎」の門札を掲げた望仙閣の門柱である。
 なお、望仙閣の建物は紅梅町及び公園地内双方とも、昭和20年7月6日の甲府空襲で焼失している。  



【現在の望仙寮跡】
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 望仙寮の児童を含めた八雲国民学校の児童は、戦況悪化に伴い甲府も空襲の標的となる可能性が高まってきたことから、昭和20年6月18日には北巨摩郡若神子村、穂足村、多麻村の寺院等に分散再疎開している。
 オリオン通りのココリ附近が、かつての望仙寮のあった場所である。


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by kaz794889 | 2012-04-08 13:57 | 戦時期の山梨 | Comments(0)
2012年 04月 07日

桜の常盤町通り 

【(甲府名所) 常盤町通り】
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 街路樹として植えられた桜の満開時期を写した昭和初期の常盤通りである。
 右側の洋館は大正13年に建設された第十銀行本店(現在の山梨中央銀行本店の位置)、左側の瓦葺の建物は野々垣写真館、右側の民家が建つ場所は、現在岡島がある場所である。
 道路中央の軌道は昭和5年に廃止された甲府、石和間を結んでいた鉄道馬車のものである。


【現在の常盤通り】
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 80年以上が経過した現在の常盤通りである。
 周りの建物や自動車の流れで風景は一変しているが、ほぼ昔のままの道路幅だけが昔日の名残りである。


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by kaz794889 | 2012-04-07 10:11 | 甲府市街点描 | Comments(0)