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2011年 10月 23日

夜の甲府 

【夜の甲府】
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 甲府市観光協会が昭和30年代前半に発行した「夜の甲府」と題する観光案内チラシである。

【甲府駅前通り】
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 「夜の甲府」の中に掲載されている夜の甲府駅前である。
 左側に写る「東洋堂のビスケット」のネオンがある建物の場所が、当時の山梨交通バスのりばであり、現在、山交デパートの建っている場所である。高い建物のためこの風景を甲府駅前から現在は見ることができないが、甲府城跡に建つ謝恩塔もライトアップされており、今以上に当時の山梨県民には謝恩塔の印象が深かったのではないだろうか。
 
【「夜の甲府」観光チラシの内容】
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 観光チラシには、夜の歓楽街、甲府芸妓、湯村芸妓、映画館案内等について掲載されている。
 創業明治18年「割烹 望仙閣」の広告が掲載されているが、戦後、望仙閣は太田町公園内から市街の甲府市桜町3番地で営業を継続していた。

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by kaz794889 | 2011-10-23 19:50 | 観光案内 | Comments(0)
2011年 10月 22日

山縣大弐を歩く 3 【山縣神社の3】

【山縣神社 二の鳥居前の石灯籠】
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 山県神社の境内、二の鳥居前に建つ宮形角灯籠は、東八代郡石和町の崇敬者、小林慶子(小林中の夫人)の寄進により昭和12年11月22日に竣工している。
 寄進者の小林慶子は旧岩槻藩主であった大岡家の12代目大岡忠量子爵の四女であり、山県大弐が若年寄であった大岡家の初代大岡忠光に宝暦4年から卒去する宝暦10年まで仕えていた経緯から寄進に至ったものである。

【石灯籠竣工当時】
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 茨城県西茨城郡稲田の御影石を用い中巨摩郡貢川村上石田の石工である深沢源一による二基の石灯籠と永代献灯料として甲府電力株式会社の株券三株とともに山県神社に寄進されている。


【正面左側の灯篭】
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【正面右側の灯篭】
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 石灯籠に刻まれている題字である「仗義」は魏書にある「仗大義討逆賊」、「效忠」は、古語の忠效から西八代郡市川大門町の村松志孝が撰定したものであり、その文字は当時、東京高等師範学校教授であった長野県出身の田代秋鶴が揮毫し、一文字5円、計20円の揮毫料をお礼としたようである。


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by kaz794889 | 2011-10-22 09:33 | 山縣大弐 | Comments(0)
2011年 10月 16日

樋口一葉と若尾逸平

 明治24年11月に発表された樋口一葉の随筆「森のした艸」の中で一葉は若尾逸平に言及している。

【樋口一葉の随筆『森のした艸』の一節 春陽堂文庫「文範と随筆 樋口一葉全集第三巻」・昭和9年6月15日発行より】
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【概訳】
『若尾が甲州から商売のため江戸に出立した斉に、八王子近辺の宿屋に泊まった際、夜中に隣室の二人ずれが話す甲州という言葉が耳に入り「最近、横浜沖に数多く貿易のために訪れる外国船は水晶を特に高価で求めている」旨の会話を聞くと、いち早く甲州に戻り、大量の水晶屑を廉価で求め、横浜で外国商人に高価で売りさばき、それを基に更なる富を得て、明治23年の国会開設時には多額納税者として貴族院議員に互選された。甲州から志しを抱いて江戸に出立したのは若尾が30歳余の時期であったらしい。』

【若尾逸平】
f0191673_13581146.jpg若尾逸平は文政3年12月6日に巨摩郡在家塚村(現在:南アルプス市)に生まれ、天秤棒一本で甲州と江戸、横浜の間を品物を担いで往復して利益を得、横浜開港期には貿易の一角に入り生糸、水晶等を甲州から運び外国商人に売り、また、明治維新の混乱期ら変動の激しい相場を利用し富を増大させ、いわゆる甲州財閥の巨頭の一人となり、後に山梨県内第一の富豪といわれるようになっている。




【若尾逸平の墓(甲府市・長禅寺)】
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 大正2年9月7日、若尾は94歳の天寿を全うした。若尾の死後に刊行された『若尾逸平傳』(大正3年刊・内藤文治良編著)には「万延元年12月26日のこと幾造(若尾逸平の弟)は生糸の売り込みに出かけたところ、そこの商館で何か光る石片を二三人の商人から買い取るのをみて、幾造はよそながら、注意深くみると、それは水晶のくずであった。幾造は黙ってみていたがその値段の高いのに心ひそかにはっとして驚いた。幾造はそのまま売り込みのため八王子に来ていた兄(若尾逸平)のもとに走り、その日の内に兄弟は甲州に帰って御嶽村に急いだ。この頃、御嶽村では黒平で採取した水晶の原石を数戸の細工人が玉や印材等に細工をしていた。逸平兄弟はこの細工品を採った用途のない水晶の屑を殆どただのような値段で買い取り、これを麻袋に入れて天秤棒が肩にめり込むほど担いで甲府に戻り、幾造が横浜を出発し、わずか中一日おいて28日の晩には再び横浜に着き、その足で逸平兄弟は水晶屑を買い入れていた異人館を尋ね、百斤について8~9ドル程の価格で売りさばいた。意外なほどの利益を得たため次から次に甲州から水晶屑を運び、その年の暮れから翌年の正月にかけた十数日の間に1500円の利益を得、このことを称して逸平兄弟は水晶大尽と呼ばれた。」といった内容が記されている。


 更にこの逸話にも伏線があり、『山梨の百年』(昭和43年、NHKサービスセンター甲府支所刊)には「若尾逸平傳を見ると横浜貿易で一旗あげようとしていた逸平が、旅籠屋の隣座敷の客が外人が水晶をいたく好むのをみて、これから買出しに行くのだというひそひそ話しを立ち聞きして、自分が先回りして飛びかえり、甲州の水晶を全部買い占めて巨利を得たというふうに書かれている。ところが、この話の裏話が実は篠原家(甲州屋篠原忠右衛門家)に伝わっている。逸平が立ち聞きしたのは甲州屋で、立ち聞きされたのは忠右衛門と次男の直太郎で、帳場でたまたま甲州産水晶を買ってきて外人に売ったなら儲かるだろうと投機的な話をしていたのを聴かれてしまったのだという。その当時逸平は、甲州屋へ委託荷を天秤棒でせっせと運んでいたのである。」


 「森のした艸」の逸話は、作者である樋口一葉が当時の社会に広く伝わっていた話題から聞き及んだものなのか、両親が甲州生まれであったことから甲州における地域の話題として耳にした逸話であったのだろうか、若尾の死後に発刊された前述の伝記である『若尾逸平傳』に同様の逸話が記されている事実を踏まえると、樋口一葉が生前に両親の故郷でもある甲州の地を踏んだことがあるのではといったことにも関係する事項であり、樋口一葉が若尾の逸話をどのようにしてしることとなったのかが非常に興味のあるところである。




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by kaz794889 | 2011-10-16 14:08 | 樋口一葉 | Comments(0)
2011年 10月 10日

秋のお便り 早川ベーカリー

【秋のお便り 早川ベーカリー】f0191673_1735491.jpg


 昭和30年代前半に作製された早川ベーカリーの秋向け商品のチラシである。
 早川ベーカリーは昭和4年に甲府市代官町において営業を始め、昭和6年3月に現在の場所である甲府市桜町3番地(現在:甲府市中央1-1-2)に新築移転し、現在も甲府市内における老舗洋菓子店として営業を続けている。

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by kaz794889 | 2011-10-10 17:14 | 広告・チラシ | Comments(0)
2011年 10月 02日

御嶽昇仙峡 菅原屋

【御嶽昇仙峡 菅原屋の案内】
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 休憩所、旅館、大衆食堂、土産品を営業品目としていた昭和30年代初頭の菅原屋の案内パンフレットである。

【昇仙峡案内図】
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 菅原屋は明治初期に御嶽新道を訪れる者を相手に食品を売る金桜神社参拝講や馬方茶屋として創業し、明治40年代から大正にかけての観光客増加につれて休憩所や土産品屋として基盤を固め、現在もその規模を拡大し営業を続けている。



【甲斐御嶽 天神森】
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 路傍に亭々たる一大老杉のもとに天神の石楼があったことが天神森の語源であると云われている。
 天神森に建てられている写真の建物が菅原屋である。


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by kaz794889 | 2011-10-02 18:42 | 御嶽昇仙峡 | Comments(0)
2011年 10月 01日

甲府電気館と「パリの恋人」

【甲府電気館ニュース】
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 昭和33年10月22日発行の甲府電気館ニュース№11である。
 オードリ・ヘップバーン主演の「パリの恋人」は、10月29日から東京と同時ロードショウであり、「東京中がこの甘美の名作に酔っている」とキャッチコピーが伝えている。
 昭和20年7月6日の甲府空襲で焼失した甲府電気館は、同じ年の12月29日に再建開館し、暗たんたる人心に光明をもたらしている。

【東映電気館招待券】
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 甲府電気館は東映系の映画館となり、昭和32年8月には鉄筋コンクリートにより新築されている。
 招待券に描かれた映画館の建物は、昭和32年に新築された電気館である。

【甲府電気館跡(甲府銀座ビル)】
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 甲府銀座ビルが、かつて甲府電気館のあった場所である。
 昭和49年にこのビルが完成しダイエー甲府店となり、その7階には電気館を継承した甲府東映が入居していた。 

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by kaz794889 | 2011-10-01 21:03 | 劇場・映画館 | Comments(0)