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2011年 07月 24日

戦時期の山梨 5 「学徒勤労報国隊」

【第一号 学徒勤労報国隊指導日誌】f0191673_18351219.jpg


 ここに掲載した「学徒勤労報国隊指導日誌」は、昭和19年9月8日附、山梨県知事名により山梨高等女学校長に対し学徒報国隊出動令書が発せられ、東山梨郡加納岩町上神内川112番地(現在の山梨市)にあった中央工業株式会社山梨工場へ動員されることとなった、昭和19年9月21日から昭和20年8月16日までの毎日の状況について記録された指導日誌である。

【第二号 学徒勤労報国隊指導日誌】f0191673_18354833.jpg


 昭和20年2月11日から3月31日までの間には、加納岩国民学校報国隊として当時の高等科2年男子42名、女子41名が山梨高女の学徒とともに仕事に従事している。


【指導日誌第一号の冒頭】f0191673_18362815.jpg


 指導日誌第一号の冒頭部分である。学徒報国隊出動令書を受け入れた後、9月21日の午前10時に中央工業山梨工場の新築600坪の工場中央に紅白の幕を張り、入所式を行ったことが記録されている。

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by kaz794889 | 2011-07-24 19:28 | 戦時期の山梨 | Comments(0)
2011年 07月 18日

戦時期の山梨 4 「金属類回収令」

【山梨常会資料 第二十二号 昭和16年10月1日発行】f0191673_155453.jpg


 昭和12年の製鉄事業法の制定を第一歩として鉄鋼生産の拡充と原料の自給化を進め、アメリカとの鉄くず依存関係を脱却するために、鉱石から一作業工程で鉄鋼が生産できる、銑鋼一貫作業の設備を拡充するための計画をたて、一、二年で日本の鉄鋼陣営が自給体制を確立できる見込みのところまで達していたが、アメリカを始めとした諸国が対日経済圧迫の手段として鉄くず輸出禁止を断行した。また、銅についても当時の日本国内においては、需要激増で生産量を遥かに凌駕していたが、アメリカ、カナダ、チリ、フィリピン等は従来日本に向けての銅鉱石、電気銅の輸出を中止するなど、国内における鉄銅の回収が急務の状況になっていた。

 昭和12年の盧溝橋事件以降、これまでは市町村、各種団体等の活動により廃品回収の一環として鉄銅類の回収に努めてきたが、国際情勢の変化に備え、昭和16年4月1日から第一次官庁、公共団体金属類特別回収を実施し、6月下旬から7月にかけては全国の工場、事業所等の鉄銅の不用品、廃品の回収に全力を傾ける状況であったが、民間物件についても昭和16年10月1日から特別回収が実施されることとなった。

 金属類特別回収の実施については、国家総動員法に基づく勅令である「金属類回収令」、閣令「回収物件施設指定規則」、商工省令「金属類回収令施行規則」が9月1日から実施され、鉄、銅又は黄銅、青銅、その他の銅合金が回収される物件であるが、指定施設、非指定施設、一般家庭では、その取り扱いは異なっていた。

 指定施設(常時10人以上の職員が勤める工場、事業場、商店、銀行、会社、倉庫業、電気、ガス、交通事業、私立学校、病院、劇場、興行場、旅館、料理屋、飲食店など)については閣令により指定された金属は強制的に回収され、指定施設以外の施設と一般家庭については、10月1日の次点においては、法令による供出の強制は定められていかったが、愛国的熱情にうったえて自発的に供出されることを強く期待するといった状況であった。

【甲府宝塚劇場ニュース 第二百九十号 昭和17年1月14日発行】
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 金属類回収令の趣旨と重要さを周知し、より積極的な協力を求めるため、当時の内閣情報局は企画院、商工省、内務省、文部省、鉄屑統制株式会社、戦時物資活用協会等の官庁や民間団体の協力により、日本映画社に「鉄銅に動員命令下る」という啓発宣伝映画を製作させ、映画法に基づく全国指定上映を行わせた。
 (映画法に基づく全国指定上映とは、行政官庁は命令の定めるところにより、特定の映画興行者に対して啓発宣伝上において必要な映画を交付し期間を指定してその映画を上映させるものである。) 
 甲府におけるこの映画は、昭和16年12月18日から昭和17年2月17日までの二ヶ月間、当時、太田町にあった甲府宝塚劇場において上映されている。 

【甲府宝塚劇場ニュース第二百九十号の内容】
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 赤線で囲んだ箇所に「鉄銅に動員令下る」の上映について記載されている。
 
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by kaz794889 | 2011-07-18 17:35 | 戦時期の山梨 | Comments(0)
2011年 07月 17日

甲府駅前の笹子隧道記念碑

【甲府駅前時代の笹子隧道記念碑】
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 中央本線の笹子トンネル開通を記念した石碑は、明治36年6月11日に除幕されている。
 笹子隧道記念碑の建設経緯については、峡陽文庫の「23年8月27日、笹子隧道記念碑」を参照されたい。
 明治36年6月の除幕当時、この記念碑は甲府駅前(現在の山交デパート南側の山交タクシー附近)に建てられていたが、昭和初期に甲府城内の一角に移され、更に現在は笹子駅前に移されている。

 写真は甲府駅前に建てられていた頃の記念碑である。
 大正15年9月28日に、甲府駅前にあった中米旅館と内藤薬店が主催した「伊勢琴平参拝団体旅行」に出発した団体が、同年10月になって甲府に戻った際に撮影された写真である。


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by kaz794889 | 2011-07-17 22:48 | 石碑 | Comments(0)
2011年 07月 10日

昭和22年6月3日の甲府

【昭和22年6月3日の甲府】f0191673_12361797.jpg


 昭和22年6月3日、甲府市桜町の松林軒ビル屋上から愛宕山方面を撮影した写真である。
 松林軒当主である鈴木善造が初代院長を務め、昭和21年6月に松林軒ビルを仮校舎として設立した山梨実践女子高等学院(撮影当時は山梨女子高等学院と改称)の創立一周年記念として、当日撮影されたものである。

 写真中央には、空襲に備えた黒塗りの迷彩が残る若尾ビルが写されている。
 また、甲府空襲による罹災を免れた山田町や富士川町方面が撮影の中心となっているためか、甲府空襲以来2年弱であるものの、市街復興の進捗は進んでいる感が認められる。


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by kaz794889 | 2011-07-10 12:59 | Comments(0)
2011年 07月 09日

商店の包装紙10 『柳正堂』

【柳正堂の包装紙】
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 柳正堂は嘉永7年に創業し、甲府柳町に明治16年に店舗を構えて営業を継続してきたが、甲府市中心部の空洞化と旧甲州街道である店舗前の県道拡幅工事を契機に、100年以上営業を続けた由緒ある場所での営業を平成22年7月に終え、現在は甲府市内の他の店舗で営業を継続している。
 この包装紙は昭和初期の包装紙しと思われる。
 図書、雑誌、文房具とあるが、スキー用品や登山用具など多彩な商品を扱っていたようである。

【現在の柳正堂跡】
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 旧店舗の北側交差点を中心とした一帯の道路が拡幅されることから、周辺の古い店舗が次々と解体されている状況である。
 旧店舗跡は、現在時間貸しの駐車場となっている。

【柳正堂営業部発行の絵葉書】
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 柳正堂購買部発行の明治42年頃のエンボス加工がされた絵葉書である。
 当時の店舗正面と店舗内に本が陳列された風景が写されている。陳列の写真の傍らには「山梨県国定教科書特約販売所」の札が掲げられている。

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by kaz794889 | 2011-07-09 19:24 | 商店の包装紙 | Comments(2)
2011年 07月 03日

山日歳晩サーヴィス 『末舞踏と映画の夕』

【「舞踏と映画の夕」プログラム】
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 「舞踏と映画の夕」は、昭和2年11月から山梨日日新聞社が生活困窮者救済のために創設した「山日歳晩サービス」の慈善興業として、同年12月3日及び4日の2日間にわたり桜座において開催されたものである。
 エリアナ・パヴロバ舞踏団によるサンサーンス作曲の歌劇「アラビヤ王宮の一夜」は、ヨーロッパの舞台そのままを再現した舞踏劇であった。
 昭和恐慌という不況さなかの興行であったものの、特等券2円、一等券1円、普通券80銭、学生券50銭の高価な前売券が公演前日までに完売となり、初日の公演時間である午後6時前から会場の桜座はすし詰めの大入り状態であった。 



【「舞踏と映画の夕」プログラムの内容】f0191673_1150763.jpg



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by kaz794889 | 2011-07-03 12:13 | Comments(0)