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2011年 05月 29日

椎山近藤翁碑

【愛宕神社拝殿】
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 甲府市愛宕町の愛宕神社境内に「椎山近藤翁碑」が建立されている。
 椎山近藤翁とは、明治12年に開設された山梨県議会の初代議長を務めた南巨摩郡睦合村(現在の南部町)出身の椎山を号とした近藤喜則(天保3年~明治34年)のことであり、「椎山近藤翁碑」には、その事跡が刻まれている。

【愛宕神社境内の竹林】
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 境内の拝殿に向かった右側に神社の神事で使用するために植栽された竹林があるが、その竹林の樹勢に隠れるように「椎山近藤翁碑」は建てられている。

【椎山近藤翁碑】
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 近藤喜則は維新後に区長、区長惣領代理、学区総理を務め県議会開設とともに議員、議長に就任するとともに、峡南地方の特産である三椏栽培の増産を図るための殖産社の設立や病院、私塾の開設を行うなど、山梨県の明治期における大きな事跡を残している。
 事跡を讃えるこうした石碑は山梨県内にも少なくないが、この石碑の注目する点は、明治40年10月にその撰文を藤村紫朗が行っていることである。
 山梨県内の明治初期における殖産工業に関し、藤村と近藤がそれぞれに関わり両者に接点があったことは明らかであり、当時県令の地位にあった藤村が近藤の功績を讃える撰文を行ったことに違和感はないが、明治20年3月8日に山梨県知事から愛媛県知事に転任した以降、藤村紫朗が山梨県を訪れることはなかったとされているが、この石碑の序幕など、山梨県を訪れることはなかったのだろうか。
 なお、藤村紫朗は明治40年当時は郷里の熊本で生活しており、明治42年1月5日に熊本市本荘の自宅で急性肺炎のため亡くなっている。



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by kaz794889 | 2011-05-29 12:47 | 石碑 | Comments(0)
2011年 05月 22日

商店の包装紙9 『冨士彦』

【戦前期における冨士彦の包装紙】
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 相生町通りと柳町通りがT字路となる突き当たりで、鰹節、海苔、缶詰、結い納品等を取り扱う商店である、「冨士彦」が使用していた戦前期の包装紙である。

【現在の冨士彦】
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 冨士彦は創業地と同じ場所で現在も営業を続けている。

【明治30年代の冨士彦石原本店】
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 石原本店として鰹節、海苔、缶詰等の商品を扱う他、質屋業を兼ね屋号を冨士井屋と号し、坊間「ふじひこ」と称されていた。

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by kaz794889 | 2011-05-22 16:18 | 商店の包装紙 | Comments(0)
2011年 05月 15日

重新徽典館碑

【山梨大学教育人間科学部構内の碑】
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 篆額に「重新徽典館碑」と刻まれたこの石碑は、甲府勤番士とその子弟を教育する目的で寛政8年
頃に創設された教育機関である徽典館の重要性から、その育成、発展を図るため幕府の命により、江戸の昌平坂学問所の分校とする組織改編が天保14年1月に実施されるとともに、徽典館の学舎をこれまでの甲府城追手門南から、敷地面積一千有余坪、建坪177坪の学舎を造営し追手門前に新築移転したことを記念し天保14年12月に建立されたものである。
 徽典館は追手門前、維新後には山梨師範学校となり甲府錦町と移転していくが、校舎狭隘のために明治43年3月に西山梨郡相川村(現在の場所)に移転した際に学舎とともに移されたものである。 

【重新徽典館碑】
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 重新徽典館碑は高さ1.7m、幅1mの石碑である。
 石碑表面のひびは、昭和20年7月の甲府空襲で山梨県師範学校が全焼した際の炎によるものである。



【大正13年頃の碑】
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 大正13年6月発行の山梨県師範学校編纂による「創立五十周年記念」誌に所載された、戦前期の重新徽典館碑である。



【重新徽典館碑の銘文】
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by kaz794889 | 2011-05-15 09:34 | 石碑 | Comments(0)
2011年 05月 14日

水晶館

【山梨大学 水晶館】f0191673_14543020.jpg

 山梨大学の教育人間科学部キャンパス内に建つ「水晶館」である。
 甲府市柳町84番地で薬種商を営む百瀬康吉が自ら収集した水晶の原石類と水晶工芸品を合わせた45種類134点について、「山梨県から産出したものは本県から離したくない。県教育の源泉である山梨県師範学校に是非置きたい」との意思から、大正8年10月22日に山梨県知事あてに寄付願いを提出し、翌年1月21日附の山梨県指令会第5116号を以って許可され、山梨県有財産になると同時に山梨県師範学校に寄附され、当該水晶類は師範学校内の木造倉庫に一時保管していたものであるが、貴重な水晶類を適正に管理・保管するため、昭和2年に建設された建物がこの水晶館である。

【同背面】
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 水晶の保管庫として建設された施設であるため、建物全体が水晶をイメージする形態となっている。

【天然記念物絵葉書の袋と同タトウ】
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 百瀬康吉から寄贈された水晶類を題材に山梨県が発行した「著名なる鉱物 天然記念物絵葉書」である。
 昭和2年に建設された水晶館も老朽化が激しくなり、その保管にも支障をきたすこととなったため、平成7年からは甲府キャンパス内の事務局棟2階に設けられた水晶展示室において展示・管理されている。

【天然記念物絵葉書の1】f0191673_14555494.jpg


【天然記念物絵葉書の2】
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【天然記念物絵葉書の3】f0191673_14564436.jpg



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by kaz794889 | 2011-05-14 15:34 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2011年 05月 13日

富士館

【現在の富士館跡】
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【甲府市三日町 活動常設 富士館】
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 富士館は大正7年に松本米兵衛が甲府市三日町10番地に開館した映画常設館である。
 現在、その跡地(甲府市中央4-1-12)は水晶閣駐車場となっている。




【昭和17年10月15日発行 富士館】
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【大正10年5月2日 フジカンニュース 第28号】f0191673_16212393.jpg




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by kaz794889 | 2011-05-13 16:36 | 劇場・映画館 | Comments(0)
2011年 05月 08日

山縣大弐を歩く 1 【山縣神社のⅠ】

【山縣神社正面】
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 甲斐国巨摩郡篠原村(現在の甲斐市篠原)で享保10年に生まれ、明和事件の中心人物とされ謀反の疑いで明和4年に処刑された江戸中期の尊王論者である山縣大弐を祭神として、大正10年9月22日に創建された神社が山縣神社である。

【昭和10年頃の山縣神社正面】
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 昭和9年の冬頃に起工した山縣神社の参道が完成した、昭和10年に撮影された山縣神社正面である。

【山縣神社境内】
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 大正10年の神社創建から90年が経過した山縣神社境内は木々も成長し、神社周辺の市街地とは隔絶された雰囲気が創られている。
 境内で成長する樫の木は、昭和9年4月から数年に渡り敷島村長塚の山縣神社崇敬者が献木したものである。

【昭和17年頃の山縣神社境内】
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 昭和17年4月1日に撮影された山縣神社の境内である。
 
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by kaz794889 | 2011-05-08 07:36 | 山縣大弐 | Comments(0)
2011年 05月 06日

山梨大学工学部正門

【現在の山梨大学工学部正門】
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 山梨大学工学部の正門である。
 同工学部の前身である、旧制山梨高等工業学校当時の正門が、現在も継続して使用されているが、新築当時に門柱の上に設置されていた電飾塔は既に失われている。

【建設当時の旧山梨高等工業学校正門と校舎】
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 山梨大学工学部の前身である旧制山梨高等工業学校は、大正13年9月25日勅令第二百二十二号を以って文部省直轄諸学校官制の改正が行われその設置が正式に決定され、同年12月19日には同校の位置が甲府市元柳町(現在の場所)と定められ、同14年6月24日に校舎本館のほか13棟の校舎が設置されている。

【旧山梨工業専門学校当時の正門】f0191673_2122275.jpg
 戦局の重大化に伴い、政府はあらゆる面において戦時非常体制の強化を図り、教育の面においても「学校整備要領」を閣議決定し、中、高等学校及び大学の教育目標を戦力増強一点に集約し整備を行うこととし、昭和19年3月24日文部省令第二十八号を以って官立工業専門学校規程が制定され、全国の高等工業学校は同年4月1日から「工業専門学校」と改称されることとなり、山梨高等工業学校も「山梨工業専門学校」となった。
 写真の門柱には「山梨工業専門学校」と、新しい学校名が掲出されている。



【山梨大学工学部開設当時の正門】
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 昭和20年8月の甲府空襲により、山梨工業専門学校の校舎・学校施設は、その86%が焼失している。
 空襲により焼失した校舎も徐々に復興が進んでいき、昭和22年5月31日に山梨大学工学部が設置されている。
 写真の門柱には「山梨大学工学部」と「山梨工業専門学校」の二つの学校名が掲出されている。
 左側の復興本館校舎の車寄せは、空襲による焼失前の本館校舎においても使用されていたものであり、現在は工学部正門を入った先に車寄せ部分のみを活用した東屋として残されている。
 なお、正面の建物は旧講堂である。内部は空襲により悉く焼失したが、戦後も改修され昭和40年代前半頃まで使用されていた。

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by kaz794889 | 2011-05-06 22:12 | 学校 | Comments(1)
2011年 05月 05日

甲府武蔵野館

【甲府武蔵野シネマ・ファイブ】
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 甲府武蔵野シネマ・ファイブ(甲府市中央4-3-5)は、平成10年9月に開館した映画館であるが、平成23年4月1日に閉館している。
 甲府の中心街の一角であり甲州街道の甲府柳町宿であったこの付近も、道路拡幅のためか、旧甲州街道に面した商店の多くが取り壊されており、賑わいをみせていた昭和の面影も消え失せている。

【武蔵野館ニュース №11】
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 甲府武蔵野シネマ・ファイブが開館する以前、この場所には昭和29年3月に開館した前身である甲府武蔵野館が営業していた。
 上記のチラシは、昭和33年3月3日に公開された大映の「大阪物語」をPRする武蔵野館ニュースである。

【甲府中央館 週報103号】
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 甲府武蔵野館が戦後この場所で開館する以前、昭和20年7月の甲府空襲で焼失するまで、ここには大正14年8月1日に開館した映画常設館である「中央館」が営業していた。
 上記のチラシは、1月28日から封切られる、高峰秀子主演の東宝作品である「愛の世界」をPRする、昭和18年1月24日発行の甲府中央館週報である。


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by kaz794889 | 2011-05-05 06:54 | 劇場・映画館 | Comments(0)
2011年 05月 04日

商店の包装紙8 『岩田商店』

【岩田商店の昭和初期の包装紙】
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 岩田商店は甲府市柳町103番地(現在の甲府市中央2-12-20)で海苔、鰹節、乾物などを営業品目としていた商店である。

【現在の岩田商店跡】
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 柳町と甲州街道が交わる角(北東側)が店舗のあった場所である。

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by kaz794889 | 2011-05-04 06:57 | 商店の包装紙 | Comments(0)
2011年 05月 03日

源 有雅の墓

【史跡 源有雅の墓】
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 甲府市小瀬町にある源有雅の墓である。
 源有雅は鎌倉時代の公家であり、承久の乱の首謀者の一人として捕らえられ、鎌倉幕府軍東山道将軍の一人であった小笠原長清に預けられ、鎌倉へ護送の途中に小笠原長清の所領であった稲積庄(現在の甲府市小瀬付近)において承久3年8月29日に殉難された。
 現在、この場所には小祠と追悼碑が残されている。
 小祠は正面に「富士塚 大権現」左側に「宝暦乙亥歳五月吉旦 中興誓誉代」右側に「山梨郡小瀬村鎮守 久品山浄福寺」裏面に「甲陽御勤士三十一人 小祠鳥居御寄進」とあり、甲府勤番 野田成方ら31人が寄進し、浄福寺(現在は廃寺)の僧により源有雅を祀るために建立されたものである。

【源有雅卿の墓 (甲州西山梨郡小瀬)】
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 大正13年頃の源有雅の墓である。大正12年3月に山梨県仮指定の史跡となり、大正13年5月に「源有雅之墳墓 山梨県」の標柱が建てられている。
 現在、源有雅の墓は昭和48年4月1日に甲府市史跡として指定されている。

【源有雅卿建碑事務所からの通知】
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 小祠の横に建つ石碑は明治35年5月に建碑されたものであり、正面には「正二位中納言源有雅卿追悼碑」と、裏面には香川小次郎の撰書により源有雅の事跡が刻まれている。
 左記の寄付を促す通知は、明治35年4月に源有雅卿建碑佐渡幸事務所から発出されたものである。



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by kaz794889 | 2011-05-03 06:27 | 史跡 | Comments(0)