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2011年 01月 30日

第一回山梨県知事選挙

【第一回山梨県知事選挙における山梨県選挙管理委員会発行の『知事選挙公報』】
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 1月30日は第16回山梨県知事選挙の投開票日である。
 終戦後における選挙制度の改正により、都道府県知事は官選から民選となり、昭和22年4月5日に第1一回山梨県知事選挙が執行された。
 終戦後の混乱時期であり、保守・革新が入り乱れ、保守派は当時の官選知事であった吉江勝保、社会党右派は衆議院議員であった松沢一、社会党左派は大鷹貴祐、引揚者連盟の柳本朝光、元外交官の川村茂久の5人の候補者が立候補しており、この立候補者の人数は、現在に至るまで山梨県知事選挙における最多立候補者による選挙となっている。
 なおも選挙の結果、自由党及び民主党幹部の支持を受けた吉江勝保が次点の松沢一に3万票余の差を付け138,218票で当選し、初代の民選知事となっている。


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by kaz794889 | 2011-01-30 19:13 | 選挙 | Comments(0)
2011年 01月 23日

ぶどうの精

【『ぶどうの精』】
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 かいてらす(山梨県地場産業センター)正面入口右側に置かれたブロンズ製、高さ1.17mの立像が、柳原義達によって昭和28年に製作された『ぶどうの精』像である。
 昭和25年、毎日新聞社主催の全国観光地百選の投票が行われ、渓谷の部第一位に御岳昇仙峡が選ばれ、この成果が非常に大きな宣伝効果となり、昇仙峡は観光シーズンには渓谷銀座と言われるほど多数の観光客が押しかけるようになり、渓谷の部第一位となった前後に観光宣伝が活発に行われるようになり、甲府市と観光協会は昭和27年には東京、神奈川、静岡方面を中心に観光キャラバン隊を派遣し、観光宣伝と観光客の誘致に大きな成果を収めており、昭和28年には東京を中心に京浜、千葉、埼玉方面に大規模なキャラバン隊を派遣し、新宿三越に臨時の観光案内所を設ける一方で、東宝映画のロケ地を昇仙峡に誘致するとともに、都内の主要映画館で甲府の観光地のスライド上映を行っている。
 こうした中、全国観光地百選の渓谷の部第一位の選出、第一回「御岳昇仙峡まつり」の開催記念と観光宣伝のため、甲府市は『ぶどうの精』像を御岳昇仙峡を背景として昭和28年に新宿駅構内に設置し新宿駅利用者へのぶどう郷と御岳昇仙峡の観光宣伝に努めてきたが、昭和36年に新宿駅が改築されることに伴い、『ぶどうの精』像は新築された甲府市役所新庁舎玄関前に昭和38年5月に移設されている。
  その後、昭和60年に山梨県地場産業センターが開館すると、それを記念し現在地に二度目の移設が行われている。



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by kaz794889 | 2011-01-23 22:25 | Comments(0)
2011年 01月 22日

商店の包装紙5 『内藤呉服店』

【甲府市桜町・内藤呉服店の包装紙】f0191673_17362682.jpg


 内藤呉服店は初代内藤友五郎が明治20年に甲府市三日町の実家である、兄の古着商、内藤忠右衛門宅にて呉服行商として創業している。
 その後、明治27年に甲府市桜町23番地に転居し、この年の5月には太物商を開始している。その後、明治45年5月に甲府市桜町31番地に転居している。
【明治36年頃の内藤呉服店】
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 甲府市桜町23番地時代の内藤呉服店である。
【内藤呉服店発出の大正14年の年賀状】
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 大正14年に内藤呉服店が得意先に発送した年賀はがきである。



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by kaz794889 | 2011-01-22 18:05 | 商店の包装紙 | Comments(0)
2011年 01月 16日

選挙粛正運動

【選挙粛正標語】
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 普通選挙法が制定されその法律に基づく選挙が実施行われたことにより、政党政治が進展する一方において、選挙にまつわる買収や贈収賄などの問題も浮上してきた状況から、政界浄化を求める国民世論が拡大したことなどから、斉藤実内閣当時、選挙違反に対する厳罰化を規定した選挙法制の改正とともに、公明正大な選挙の実施を求める選挙粛正運動が進められた。


【山梨県選挙粛正委員選任辞令】
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 昭和10年5月8日に「選挙粛正委員会令」が公布され、6月18日には斉藤前首相を会長とした選挙粛正中央連盟が発会した。
 山梨県においても6月に選挙粛正運動の具体的方針が立てられ、当時の土屋正三山梨県知事を会長に、他25名を委員として選任した山梨県選挙粛正委員会が発足している。
 その後、7月2日には県内の市町村ごとに選挙粛正実行委員を置くための「選挙粛正実行委員規定」を県が定めるとともに、山梨県選挙粛正委員会の協力機関として山梨県教育会、山梨県神職会、愛国婦人会山梨県支部などの六団体を構成メンバーとした山梨県選挙粛正連盟が結成されている。


【甲府市役所による周知案内】
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 このように、7月上旬までに山梨県内における選挙粛正運動の体制はひとまず整備されたものの、組織の末端である市町村においては、こうした運動を山梨県当局による上部からの押し付けと受け取るなどしたため、無関心や冷淡な態度が示されるなど、選挙粛正運動の展開は低調を極め、県民は必ずしも協力的ではなかったのである。

【土屋正三山梨県知事による選挙粛正講演】
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by kaz794889 | 2011-01-16 16:29 | 選挙 | Comments(0)
2011年 01月 15日

山梨時事新聞

【山梨時事新聞】
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 終戦後、言論機関再建の機運が全国的に巻き起こり、山梨県内においても昭和21年3月1日に小野永雄を創立者として創刊された日刊新聞が「山梨時事新聞」である。
 創刊当初は輪転機も容易に手に入らず、約一年間は原稿を電話送稿し東京タイムズ社で印刷するといった変則的な作成を行っていたが、昭和22年2月に甲府市山田町に社屋と印刷設備をなし、自家印刷が行われることになったという。 
 創刊後、山梨日日新聞と並ぶ地方紙の双璧として、最高5万部を発行していたが、昭和44年3月31日に第8,365号をもって廃刊している。

【山梨時事新聞社の社屋】
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 甲府市山田町32番地にあった山梨時事新聞社の社屋は、甲府市立中央保育所として現在使用されている。

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by kaz794889 | 2011-01-15 21:52 | 新聞 | Comments(0)
2011年 01月 10日

甲府連隊【歩兵第四十九連隊】を歩く 2「将校集会所跡」

【山梨大学ワイン科学研究センター正門】
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 甲府連隊跡(山梨県福祉プラザ)と甲府陸軍病院(国立甲府病院)の間の道路を北上した、甲府連隊の北西(現在:甲府市北新1-13-1)に位置する、山梨大学工学部の付属施設である「山梨大学ワイン科学研究センター」の場所は、かつての甲府連隊将校集会所のあった場所である。

【同研究センター庁舎】
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 ワイン科学研究センターは、昭和22年に山梨工業専門学校の応用科学教室を借用して創設され、昭和24年の国立学校設置法に基づき山梨大学工学部附属醗酵研究施設である醗酵研究所となり、山梨県特産の葡萄酒を中心にその醗酵に関する基礎的研究を行うとともに、当時は付設の実験工場で実際の醸造研究を行っていた。

【山梨大学附属醗酵研究所時代の旧将校集会所】
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 明治40年3月に竣工した甲府連隊の兵営は、昭和20年の甲府空襲における罹災を逃れたため、終戦後、兵営の建物は種々の施設に転用されている。
 山梨大学醗酵研究所の庁舎も兵営内の将校集会所を転用して使用されていた。
 写真は将校集会所を使用していた昭和20年代後半から30年代初頭の醗酵研究所である。また、左の建物は戦後建設された実験工場と蒸留塔である。

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by kaz794889 | 2011-01-10 12:07 | 甲府連隊 | Comments(0)
2011年 01月 02日

商店の包装紙4 『おふどう 大木呉服店』

【おふどう 大木呉服店の包装紙①】
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【おふどう 大木呉服店の包装紙②】
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【明治42年正月初売り出しのDM】
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 大木呉服店の経営者である大木家は、初代大木彦右衛門が寛文年間に甲府に移住し「井筒屋」を屋号とする呉服商を営み、甲府横近習町で代々の家業として継承していた。
 天保年間に五代目喜右衛門が「井筒屋」の屋号を「おふどう」に改称し、昭和の戦前期まで呉服商を営んでいた。
 店舗は横近習町11番地のほかに桜町35番地(桜町通り沿い)に支店を有していた。


【甲府市横近習町11番地の「おふどう 大木呉服店」】
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 横近習町にあった呉服店の店舗と住宅である。
 甲府空襲においてもこの建物は罹災を免れ、九代目当主が没した後の平成3年に取り壊され、現在は土地の所有者も変わり駐車場となっている。

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by kaz794889 | 2011-01-02 20:57 | 商店の包装紙 | Comments(2)