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2010年 11月 27日

初代駅逓正 杉浦譲顕彰碑

【甲府市遊亀公園内の杉浦譲顕彰碑】
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  昭和45年5月、甲府出身の初代駅逓正杉浦譲の業績に対する顕彰の機運が高まり、郵政、電通関係者や教育、文化関係者等により「初代駅逓正杉浦譲先生顕彰会」が甲府に設立され、顕彰碑の建立、伝記の刊行等の事業に着手することとなり、郵便事業百年の昭和46年6月19日にこの顕彰碑が建立されている。
【慶応3年パリ万国博博覧会に渡仏したときの杉浦譲】f0191673_1812662.jpg
 杉浦譲は、天保6年9月25日、甲府二十人町の同心屋敷に住む甲府勤番同心である杉浦七郎右衛門良尚の長男として生まれ、徽典館教授方見習を努めた後、文久元年には江戸幕府に抜擢され外国奉行支配書物出役となり、遣欧使節に随い渡仏している。
 維新後、静岡藩庁に仕えた後、新政府の民部省に出仕し駅逓正となり、その後も内務大書記官地理局長等を務めたが、明治10年8月22日に享年43歳で没している。


【顕彰碑建設記念絵葉書】
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 従来から、郵便制度創始の最大功労者は前島密と言われており、新式郵便の詳細な計画書を作成し、明治3年6月に太政官に提出し新式郵便を発足させているが、前島密は郵便創業当時、海外出張中で国内におらず、初代駅逓正として敏腕を揮い、この国家的事業を軌道に乗せたのが杉浦譲であり、前島密の華やかな存在に影が被われてきた感が感じられる。



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by kaz794889 | 2010-11-27 21:08 | Comments(0)
2010年 11月 20日

御嶽昇仙峡資料展

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 御嶽昇仙峡は山梨県内屈指の景勝地であり、内外に広く知られた観光地である。
 しかしながら、今から二百年前の御嶽昇仙峡一帯は人跡未踏の深山幽谷にすぎなかったものであるが、当地の長田円右衛門ら先人が岩盤開鑿を彼岸し言語に絶する困苦の中で御嶽新道を開いたことが景勝地であり、また観光地として広く知られることとなったそもそもとなったのである。
 こうした御嶽昇仙峡の先覚者である長田円右衛門が安政3年6月9日に62歳で没してからちょうど百年忌にあたる昭和30年に、円右衛門翁百年祭記念行事の一つとして開催されたのが、「長田円右衛門百年祭記念
御嶽昇仙峡資料展」である。
 資料展は昭和30年6月17日から19日までの3日間、旧山梨県立図書館で開催されており、左記の写真はその際に出された出品目録である。



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by kaz794889 | 2010-11-20 23:05 | Comments(4)
2010年 11月 14日

甲府駅前今昔

━甲府名所 甲府駅前通り━
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 昭和初期における甲府駅前から南側市街地を眺めた状景である。
 甲斐青柳駅に向かう峡西電気鉄道(後の通称゛ポロ電゛)は、当時甲府駅前を発着地としていた。
 また、電車の右手一画が通称゛三角地帯゛と言われ、西柳屋、清水屋といった旅館や土産物店が並んでいた一画である。
 平和通りが造られた戦後の早い時期に三角地帯は撤去されている。かつて武田信玄公像が置かれていた場所附近が、三角地帯のあった概ねの位置である。

【現在の同位置】
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 戦後の復興計画により平和通りが建設されることになったことにより、三角地帯が撤去されるなど、甲府駅前の整備も進められている。


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by kaz794889 | 2010-11-14 16:27 | Comments(0)