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2010年 09月 26日

甲府城:城址からの眺望 4

【甲府城址から東側方面の眺望】
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 甲府城址の数奇屋曲輪から市街東方向の眺望である。
 城壁が再建されたため、いささかの難はあるものの概ねの眺望は可能である。
 建物群の中央に見える瓦屋根の建築物は天理教甲府大教会である。

━舞鶴城頭ヨリ見タル甲府市街━
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 明治42年頃における甲府城址から東側方面の眺望である。

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by kaz794889 | 2010-09-26 20:29 | 甲府城 | Comments(0)
2010年 09月 25日

藤村義朗

【藤村義朗(逓信大臣当時)】
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 藤村義朗は山梨県令藤村紫朗の長男として、明治3年12月4日に京都で出生した。
 幼名は狐狸馬と称し、明治6年に藤村紫朗が山梨県権令(後に県令、知事)に着任するとともに、山梨県に移り、甲府中学の前身である徽典館中等科を明治18年2月21日に卒業しており、幼少年期を甲府で過ごしている。
 徽典館中等科の卒業後、熊本の旧藩主細川侯の嫡子が英仏に留学する際の学友として共に留学することとなり、藤村紫朗の愛媛県知事転任以前に甲府を離れている。



【藤村義朗の筆跡】
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 英仏留学によりケンブリッジ大学に学び帰国し、熊本の済々黌教諭となった後、三井物産に入社しロンドン支店長、上海支社長、取締役を務め退社した後に大正日日新聞を創刊し、大正7年には貴族院議員に互選され、大正13年には清浦内閣の逓信大臣に親任されている。




【藤村義朗夫妻の墓所】
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 藤村義朗は昭和8年11月27日に食道潰瘍のため、東京市中野区上ノ原931の自宅で逝去した。
 享年64歳、葬儀は11月30日に逓信大臣当時の首相であった清浦奎吾伯爵が葬儀委員長となり、仏式により青山葬儀所により執り行われている。
 藤村義朗の妻である増喜夫人との間に子供がいなかったため、晩年は盆栽と旅行に家庭の寂しさを忘れていたという。
 また、明治29年6月に勲功により藤村紫朗が授爵した男爵の爵位は、藤村義朗の死後後継者を欠いていたため、昭和12年1月に藤村家の爵位は返上となっている。

【同墓所】
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by kaz794889 | 2010-09-25 21:37 | Comments(0)
2010年 09月 23日

藤村記念館

【藤村記念館復元記念】
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【藤村紫朗の書簡】
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 藤村記念館の建物は、明治8年に中巨摩郡睦沢村に建設された睦沢学校(現在の小学校)の校舎であり、昭和32年4月まで睦沢小学校校舎として使用されていた。
 当時の山梨県令藤村紫朗により疑洋風建築による学校校舎の建設が進められていた中で、当時の建築の名残りを伝える貴重な建築物として、既に廃棄寸前であった校舎を「藤村様式旧睦沢小学校校舎保存委員会」が昭和36年に譲り受け、山梨県内各界の協力を仰いで総合郷土博物館としての復元を行なうこととした。 同校舎は武田神社境内に移築復元されることとなり、昭和41年8月15日に復元落成式が挙行されている。 この落成式において、建物は山梨県令藤村紫朗の明治初期における功績を長く記念する意図から「藤村記念館」と命名されるとともに甲府市に寄贈され、同市により建物の維持・管理が行なわれている。
 なお、昭和42年6月15日に藤村記念館は、国の重要文化財に指定されている。



【藤村記念館の甲府駅北口への移築工事】f0191673_1356917.jpg


 甲府市による武田神社周辺の武田氏館跡整備に伴い、藤村記念館は甲府駅北口に移築することとなった。 平成19年12月に武田神社内にあった同記念館の解体工事が始まり、翌20年2月から、建物全体を覆うこの屋根月囲いの中で移築工事が開始されていた。 

【藤村記念館正面】f0191673_1356274.jpg


 藤村記念館の外観は、これまでよろい戸が水色、バルコニーが緑色となつていたが、甲府駅北口への移築にあたって調査において、旧睦沢学校として竣工された当時は、白と黒を基調とした建物の色調であった可能性が高かったということから、当初竣工当時の色調により移築復元されることとなった。
 本年5月に工事用の覆いが取り払われ、現在は移築復元後の姿が現れている。
 なお、甲府駅北口に移築後の開館は、本年10月1日の予定であり、開館に併せ館内で常設展と企画展が行なわれるということである。

【藤村記念館背面】
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【藤村記念館東側側面】
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by kaz794889 | 2010-09-23 15:52 | 藤村式建築 | Comments(0)
2010年 09月 20日

光沢寺 経蔵

【光沢寺 経蔵】
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 光沢寺(甲府市相生3-5-7)は浄土真宗東本願寺派に属し、東本願寺甲府別院でもある寺院である。
昭和20年7月の甲府空襲により甲府市街にあった殆んどの寺院が罹災し堂宇が焼失している中で、罹災を免れ、光沢寺に現存する最も古い建造物がこの経蔵である。
  経蔵の規模は桁行7.6m、梁間8.35m、重層、塗篭、寄棟造であり、経蔵一階正面入口には須弥壇をもった厨子があるとのことであり、内部の墨書銘によれば、元禄年間に辻藤右衛門がこの経蔵を造営寄進したと記されており、その墨書により造立年代が明らかになっている。

【光沢寺 経蔵側面】
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 経蔵前に設置された案内板「経蔵の由来」によると、経蔵の一切経は明治初期の廃仏毀釈により、その悉くが取り払われてしまったと記されている。

【光沢寺 経蔵前の石橋】
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  経蔵が建立された時期に併せて造られた江戸期のものだろうか、経蔵に向かう直線の道に配された池に架かる石橋である。

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by kaz794889 | 2010-09-20 12:59 | 寺院 | Comments(0)
2010年 09月 19日

横山呉服店

【横山呉服店 正面】
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 都留市の富士みち(国道139号線)、市役所交差点の一角に建てられている横山呉服店の店舗である。
 近年、店舗としての営業を終え、現在は店舗としては使われていないという。
 木骨モルタル造りの昭和初期に建設された推察できる建物である。

【横山呉服店 西側側面】
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 前回紹介した谷村町役場の建てられていた場所の向かいに建つ建物であり、こうした建物がこの交差点におけるかつてのランドマークであり、また谷村町の繁栄を示す景観の一つであったのではないだろうか。

【横山呉服店 東側側面】
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by kaz794889 | 2010-09-19 11:53 | 山梨の近代建築 | Comments(1)
2010年 09月 18日

谷村町役場

━谷村町役場 新築落成記念━
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 明治8年1月、上谷村と下谷村の合併により新たに谷村となった後、明治29年3月7日に谷村は町制を施行し谷村町となり、昭和17年4月1日には三吉村及び開地村を編入している。
 その後、昭和29年4月29日に谷村町、宝村、盛里村、禾生村の4町村が合併し、現在は都留市となっている。
 明治維新まで谷村には谷村陣屋が置かれており、維新後には陣屋の跡に谷村区裁判所が開かれ、明治12年には南都留郡役所が開庁するなど、古くから郡内地方における政治・経済の中心地として発展してきた
町であった。
 写真の谷村町役場は、昭和3年8月に落成した新庁舎である。



【現在の谷村町役場跡】
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 市役所入口交差点の、この角地が谷村町役場が建てられていた場所である。現在も、建物と道路の境に設置されていた柵の一部が僅かに残されている。 

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by kaz794889 | 2010-09-18 21:23 | 役場 | Comments(0)
2010年 09月 12日

甲斐近代百年史展

【「甲斐近代百年史展解説」】
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 「甲斐近代百年史展」は第六回読書週間の主要行事の一つとして、昭和27年11月8日から12日まで旧山梨県立図書館を会場に開催された資料展である。
 江戸時代後期から終戦後までの間における各ポイントごとに、それに関する歴史資料を展示するとともに、各種民具についても、「生活様式の移り変わりと共に、漸時消え失わせつつある庶民文化史の貴重な資料として展示する。」との趣旨から、生活に関する道具類も展示している。



【甲斐近代百年史展 1】
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 この前年、昭和26年10月には近世、近代庶民資料の一代集成とも言われた、2万点にも及ぶ膨大な資料である甲州文庫が、また、甲斐近代百年史展が開催された同じ11月には、山梨県庁に保存されていた、慶長・寛文・正徳期の甲斐国全域の検地帳、明治初年の戸籍、明治期以来の山梨県内日刊紙などの新聞が山梨県立図書館に譲渡・移管されており、こうした資料などが甲斐近代百年史展において展示されていた。

【甲斐近代百年史展 2】f0191673_17324362.jpg


 上記の二点の写真は、旧山梨県立図書館において開催された同展を観覧する当時の天野久山梨県知事である。

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by kaz794889 | 2010-09-12 19:05 | Comments(0)
2010年 09月 11日

笹子餅

【笹子駅前の「みどりや」】
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 「笹子餅」は甲州街道に面した笹子駅前にある「みどりや」が販売しているヨモギ大福である。
 従来は甲州街道最大の難所である笹子峠を越える旅人の力餅とされてきたとのことであるが、大月駅から甲府方面に中央本線が延伸された明治36年から「笹子餅」として売り出されたようである。

【昭和10年頃の笹子餅】
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 明治36年に開業した中央本線笹子駅は、昭和41年12月に複線化により廃止されるまで、スイッチバック式の駅であった。
 このため列車の停車時間も長く、かつては笹子駅のホームにおいて、その停車時間に笹子餅が売られていた。
 現在も北海道では大沼公園駅の「元祖大沼だんご」、深川駅の「ウロコダンゴ」、小沢駅の「トンネル餅」、札幌駅の「柳もち」などが、笹子餅と同様な名物甘味として駅構内で販売されているようであるが、こうした餅類の販売ルーツは、平成5年頃まで北陸本線金沢駅で販売されていた「柳もち」であったとのことである。

 中央本線は昭和6年に東京、甲府間が電化されており、上記写真の笹子餅の図柄も、伊藤博文による「因地利」の扁額が掲げられた笹子駅側口から東京方面に向かう電気機関車が牽引する列車と架線が描かれている。

【笹子餅の現在のパッケージ】
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 笹子駅は現在は無人駅であり売店もないことから、笹子駅の構内で笹子餅を求めることはできないが、販売元である駅前の「みどりや」で購入することとなる。
 また、中央本線の特急列車内の車内販売などで購入は可能である。

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by kaz794889 | 2010-09-11 17:55 | Comments(0)
2010年 09月 05日

栗原信近翁之像

【栗原信近翁之像】f0191673_1553865.jpg


 韮崎市の穴山郵便局前にある「栗原信近翁之像」は、昭和39年に韮崎市内の穴山農協等の農協が合併し韮崎市農協が新たに発足することとなったことから、穴山農協の嚆矢である孔丘報徳社の創立者である栗原信近の威徳を偲び後世に偉業を伝えることを目的に計画され、昭和45年11月22日に胸像の序幕式が行われている。なお、胸像は石造であり、岡崎市の成瀬石材店に発注したものである。

【梧園翁傳記】
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 栗原信近は弘化元年9月21日に巨摩郡穴山村(現在の韮崎市穴山町)に生まれている。
 豪農としての農業経営や父祖により受け継がれてきた家塾である「松の舎」の経営、村名主としての仕事などに奔走する中で、明治維新を迎え、戸長、区長などを務めていた。
 維新後の山梨県内においては、県令藤村紫朗の殖産興業政策の促進を図る状況の中で、金融機関として第十国立銀行、交通運輸として富士川運輸会社、農業等の産業興隆を図るための農産社の設立など、明治初期における山梨県内の殖産興業発展に大きな役割を果たし、大正13年6月14日に没している。
 
 栗原信近は梧園とも号している。左の資料は栗原信近の伝記として村松志孝が著した「梧園翁寿伝」の草稿である。



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by kaz794889 | 2010-09-05 16:37
2010年 09月 04日

落合水路橋

【落合水路橋 1】
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 桂川と菅野川、朝日川が合流する都留市古川渡にある落合水路橋である。
 平成9年9月16日に「駒橋発電所落合水路橋」として国の登録文化財に指定され、現在も現役の水路橋として東京電力による管理の元、その役割を果たしている。


【落合水路橋 2】
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━甲州桂川水電落合橋制水門━
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 多連式アーチで川床を越える煉瓦造りの落合水路橋は、大月市駒橋の駒橋発電所に桂川の水を引くための送水路として、東京電燈(東京電力の前身)が駒橋発電所の建設工事とともに明治40年に建設したたものである。
 煉瓦造りの落合水路橋は、長さ56m、幅8.5m、高さ5.6mを有し、上部の水路幅5.7mの水路は現在も毎秒最大25㎥の水が流れているという。


━落合水道橋及余水吐━
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 上記二枚の写真はいずれも明治後期の落合水路橋である。

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by kaz794889 | 2010-09-04 11:43 | 電力 | Comments(0)