峡陽文庫

kaz794889.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

<   2010年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧


2010年 08月 28日

監獄墓地

【監獄墓地 正面】
f0191673_13404427.jpg


 甲府市内寺院の墓地内に建立されている監獄墓地である。
 監獄墓地という名称が正式名称か否かについては未確認であるが、煉瓦塀に囲まれた域内に「合葬之墓」と刻まれた墓碑があり、その背面に「甲府監獄」の文字と両側面には「自明治何年 至明治何年 合葬者何名」の文字が複数刻まれている。
 服役期間内に病死等した無縁の方々が合葬されてきたものと思われる。
 墓碑の背面に甲府監獄の文字が刻まれていること、また域内が煉瓦塀で囲まれていることを考慮すると、明治45年4月に当時の甲府監獄が西山梨郡里垣村梅坪(現在:甲府市朝気一丁目)に新築移転した頃に建立されたものと考えられる。(甲府監獄の名称は、明治20年4月~同22年7月及び同36年3月~大正11年10月までの間において使用されていた。)

【監獄墓地 側面】
f0191673_1341773.jpg


 建立当初は煉瓦塀が域内を四角に囲み、正面右側にも門柱があったと推測されるが、現在残されている煉瓦塀と門柱は、正面左側とその側面のみである。

【監獄墓地 墓碑】
f0191673_13412829.jpg



にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-08-28 14:02 | Comments(0)
2010年 08月 27日

笹子隧道紀念碑

【笹子隧道紀念碑(正面)】
f0191673_1716930.jpg


【同碑(背面)】
f0191673_17192012.jpg
 明治29年5月、八王子、甲府間の鉄道建設工事が開始された中で、笹子隧道(4656m)の建設が最大の難工事であったことは言うまでもない。
 『中央東線笹子隧道工事報告』(明治37年3月25日:鉄道作業局建設部発行)の緒言には「笹子隧道ハ本邦未曾有ノ長隧道ニシテ其延長3哩ニ及ビ、中央鉄道線中ノ最難工事タルノミナラズ我ガ国工業界ノ大事業ニシテ其成否ハ実ニ日本ニ於ケル学術技芸進歩ノ程度ヲ卜スルニ足ルモノト謂フモ敢テ過言ニ非ザルベシ」と記されている。
 また、隧道工事に必要であった材料資材の運搬には頗る困難を要していた。
 東口工区において必要とするものは、御殿場から籠坂峠を越えて吉田、谷村を経由するか、八王子から甲州街道により小仏峠を越え、西口工区においては、静岡の岩淵から富士川を遡って鰍沢に陸揚げし、甲府、勝沼を経て現地に運んでいた。
 延べ工事人数は200万人、5名の犠牲者と94名の負傷者が発生し工費220万円の隧道工事は、その起工から完成までに7年を要している。
 このような大規模かつ難工事の末に完成した笹子隧道の成功と工事完成を永く記念するために建設された記念碑は、宮城県石巻産の石材を用い、東京深川の石材師による、高さ約8m、幅約3mの巨大な板碑であり、明治36年6月11日に除幕式が甲府駅の駅頭で開催されている。
 なお、この記念碑は甲府駅の駅前西側に当初建てられたが、その後旧甲府城内に移設され、平成2年からの舞鶴城公園整備事業に伴い、現在は笹子隧道の最寄駅である中央本線笹子駅前に移設されている。


━笹子隧道 東口(笹子駅側)(左)━
━(甲斐名所) 日本一隧道中央東線笹子西口(甲斐大和駅側)(右)━f0191673_17563115.jpg



【中央東線 笹子隧道工事報告】
f0191673_17582638.jpg



にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-08-27 21:09 | 石碑 | Comments(0)
2010年 08月 26日

亀甲橋

【亀甲橋】
f0191673_1342892.jpg


 山梨市の日下部地区と八幡地区を結ぶ道路中、笛吹川に架けられているのが亀甲橋である。
 現在の亀甲橋は三代目の橋梁として、長さ102.7m、幅員4.6mの三連アーチ橋として昭和8年10月に竣工、架橋されたものである。

【亀甲橋、日下部地区側の親柱】
f0191673_1355890.jpg



━差出之磯━
f0191673_13103144.jpg


 明治初年まで秩父往還は、上万力地区から差出の磯の裏を山越えして八幡地区に抜けていたため、この附近における経路は非常に不便な状態であったため、明治8年から翌年にかけて、差出の磯の切りさげ工事が行われた。
 この際、差出の磯から笛吹川をまたいで日下部地区に至る橋が建設され、長さ62間、幅員3間1尺5寸、総工費10,995円の木橋として、明治11年8月30日に竣工したのが、写真の初代亀甲橋である。

━(甲斐国) 差出の磯━
f0191673_13144980.jpg


  長さ61間、幅員2間のアーチ型木橋として明治44年4月3日に完成した2代目の亀甲橋である。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-08-26 13:43 | | Comments(0)
2010年 08月 25日

猿橋警察署庁舎

━猿橋警察署庁舎全景及大菩薩嶺━
f0191673_15582053.jpg


━猿橋警察署庁舎正面━f0191673_1625779.jpg
 猿橋警察署の嚆矢は、明治7年に広里村大月(現在の大月市)に置かれた、北都留郡を所管する巡査屯所である。
 その後明治10年8月には谷村警察署猿橋分署が猿橋警察署に昇格し、同年10月には猿橋畔に初代猿橋警察署が新築落成している。
  今回紹介する猿橋警察署の庁舎は、昭和7年11月に旧国道8号線の道路改修に伴い、庁舎の移転が必要が生じ、昭和8年9月に新築落成した2代目庁舎である。
 現在この庁舎は、医院として使用され、建物全体が外装材で覆われている等の改修がなされているため、元の建物の外壁を覗うことはできないが、戦前期における警察関係庁舎として県内に唯一残っている建物であることを考慮する限り、重要な遺構である。
 なお、猿橋警察署は、その後の組織改革等に伴い、昭和17年に大月町350番地(現在の大月市)の第十銀行大月支店の建物に移転し、署名を大月警察署され現在に至っている。


【現在の旧庁舎(西側側面側)
f0191673_1645010.jpg



【現在の旧庁舎正面】
f0191673_167650.jpg



にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-08-25 16:36 | 警察 | Comments(0)
2010年 08月 15日

私立山梨農芸苑

【私立山梨農芸苑 規程及家族法細則】
f0191673_1624897.jpg


 私立山梨農芸苑は、明治41年に米池義一が南巨摩郡増穂村に創立した非行少年や保護者がいない等の少年などを保護し教育するための福祉施設であり、こうした福祉施設は、当時、感化院と呼ばれ明治33年の感化法(明治33年法律第37号)制定までに全国各地に私立の感化院が設立され、少年保護事業において重要な役割を担っていた。
 明治41年4月の感化法改正により、全国各府県に感化院の設置が義務づけられるようになったため、山梨県は明治42年3月29日を以って私立山梨農芸苑を本県における代用感化院と定め、同年4月1日に21条からなる山梨県代用感化院規則を定めている。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-08-15 16:41 | Comments(0)
2010年 08月 08日

第十銀行 東京支店

━株式会社第十銀行東京支店(左)━
━第十銀行東京支店営業室(右)━f0191673_20382481.jpg


 山梨中央銀行の前身である、第十銀行の東京における最初の店舗は、明治10年6月16日、本所一丁目六番地に置かれた第十国立銀行東京出張所である。
 翌年4月には富沢町13番地に移転し東京支店と改称された後、日本橋区堀留町一丁目3番地、神田区南乗物町1番地(山梨中央銀行東京支店が現在置かれている場所)と移転している。
 大正12年9月の関東大震災により南乗物町の東京支店が罹災すると、その後は麹町区有楽町、京橋区尾張町、神田区鍛冶町、神田区千代田町に移転を続け、昭和4年4月15日には現在も山梨中央銀行東京支店として使用されている店舗を南乗物町1番地に新築、移転している。
 この絵葉書は、地上3階、地下1階建ての第十銀行東京支店が建設・竣工したことを記念して昭和4年に発行されたものである。
【山梨中央銀行東京支店(正面)】
f0191673_2040810.jpg


 第十銀行時代からの建物を使用している現在の山梨中央銀行東京支店である。
 昭和4年の新築以来、昭和20年の空襲被害も少なからずあったようであり、地下室は近隣の防空壕の役割も担っていたようである。
 現在、山梨中央銀行東京支店の住所は、その後の住所表示の改正等から、千代田区鍛冶町1-6-10となっている。
 また、千代田区が区内に残る歴史的な価値ある建造物等について、千代田区景観まちづくり条例に基き、指定している「千代田区景観まちづくり重要物件」として、山梨中央銀行東京支店の建物は平成15年6月9日に指定されている。

【同(南側側面)】
f0191673_20403928.jpg


【同(裏側)】
f0191673_2041525.jpg





にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-08-08 21:23 | 銀行 | Comments(0)
2010年 08月 07日

戦時期の山梨 3 心身の錬成は甲府からの山々

【甲府からの史跡名勝めぐり】
f0191673_22252357.jpg



【心身の練成は甲府からの山々】
f0191673_22283222.jpg
 昭和10年頃から、徒歩旅行であるハイキングが流行し始め、甲府市と甲府観光協会の連名による「甲府からのハイキング」と銘打った案内チラシが毎年作成されていた。
 昭和12年の盧溝橋事件発生による日中戦争勃発後、旅行の目的は心身鍛錬によるという意見が強まり、「錬成旅行」などと名称を変えてハイキングや旅行が盛んに行われていたが、戦時体制が進む時代風潮の流れの中、今までの享楽的な旅行の概念は一変され、祖国や郷土を認識して心身を教練するような国策旅行としての史跡や遺跡巡りが奨励されていくようになっていったのである。



にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-08-07 22:41 | 戦時期の山梨 | Comments(0)
2010年 08月 01日

戦時期の山梨 2 我が家の決戦生活展覧会

【「我が家の決戦生活展覧会」パンフ】

f0191673_215146100.jpg


 昭和16年12月の日米開戦以来、昭和17年末頃までは、戦勝ムードに湧く中での戦時体制の強化が進んでいた。
 「我が家の決戦生活展覧会」はこうした情勢の中、大政翼賛会山梨県支部及び大日本婦人会山梨県支部を主催者とし、昭和18年1月4日から15日までの期間、甲府の岡島を会場として開催されている。
 このパンフの中で、同展覧会に就いてとして「私達は勝ち抜く為の家庭生活について工夫試案し、この試案から更によい工夫が生まれ出して、皆さんの家庭に生かされて行きましたら、主催者としてこれ以上の喜びはありません」と記されている。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-08-01 22:06 | 戦時期の山梨 | Comments(0)