<   2010年 05月 ( 6 )   > この月の画像一覧


2010年 05月 30日

武田氏館跡大手門と武田神社鎮座祭 

━甲府旧城址(武田信玄公ノ居城)━
f0191673_18585245.jpg


 武田神社が現在鎮座する、国指定史跡・武田氏館跡の主郭部の東側の入口である。
 また、この東側の入口が、武田氏の館時代における大手門にあたっていた。
 
━武田神社東入口(甲斐西山梨郡相川村に在り)━
f0191673_1854472.jpg


 武田氏館跡に武田信玄を御祭神とした武田神社が鎮座したのは、社殿が竣工した大正8年であり、鎮座祭が盛大に斎行されている。
 これは、武田神社の鎮座祭にあたって仮設された鳥居である。
 また、武田神社の拝殿、本殿に向かう正面の入口の石垣と石段は、神社の鎮座により造営されたものであり、武田氏の館時代は土塁の状態で、そこに館への入口はなかったものである。

【同位置の現状】
f0191673_1901770.jpg


 整備された現在の東側入口である。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-05-30 20:16 | Comments(0)
2010年 05月 22日

小田切謙明


【小田切謙明の肖像写真】
f0191673_1883162.jpg
 大河ドラマ『龍馬伝』の放送により、清運寺(甲府市朝日5丁目)にある千葉佐那の墓が注目されている。
 千葉佐那の墓は小田切謙明を始めとした小田切家の墓所墓所内にあり、その由縁については既に種々の情報により紹介されているところである。
 山梨県内において小田切謙明の名は、自由民権運動家や海洲温泉(海洲温泉については当ブログにおいて以前紹介している。)として知られている。
 小田切謙明(弘化3年12月1日~明治26年4月9日)は、山梨郡西青沼村に生まれ、年少にして副戸長、戸長を務め、明治9年には銀行類似会社である貸付会社、補融社を設立するなどし、その後板垣退助に従って自由民権運動に東奔西走し、山梨県最初の自由党員となり、県議会において席を列することはできたが、第一回衆議院議員選挙以来、数次に渡って立候補したものの、中央政界への進出は果たすことができずに終わっている。



【小田切謙明君頌徳之碑】
f0191673_1841029.jpg
 自由民権運動家として、庶民の生活向上を願っていた小田切謙明を頌徳するため、昭和11年11月に斎木逸造、野口二郎らを発起人として舞鶴公園(甲府城跡)内に建立された、高さ5m、横幅1.7mの頌徳碑である。 


【現在の頌徳碑】
f0191673_1759099.jpg



【小田切謙明の葉書(表面)】
f0191673_18183326.jpg
 明治9年12月3日に資本金15,000円をもって西山梨郡飯沼村に、小田切謙明、若尾逸平ら11人を発起人とし、銀行類似会社「補金社」が設立され、小田切謙明は初代社長となつている。
 これは、補融社時代に差し出された小田切謙明自筆の葉書である。


【小田切謙明の葉書(裏面)】
f0191673_18284941.jpg




にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-05-22 22:04 | Comments(0)
2010年 05月 15日

富士川下り

【初秋の霊地ハイキング 富士川下り】
f0191673_10153529.jpg


 JR身延線が国鉄移管前の富士身延鉄道であった頃、東京、横浜近郊の駅向けに同社が発行したチラシである。
 身延山周辺のハイキングと併せ、富士川下りがオプションとして案内されている。
 江戸時代から甲斐と駿河を結ぶ交通の要路であった富士川舟運は、昭和3年の身延線全通頃までに、その本質的な役割は終えていたが、波高島と身延の間(所要時間約一時間)においては、観光としての富士川下りが営業されていた。
【沿線案内 富士川に沿ふて】
f0191673_10192386.jpg
 富士身延鉄道が発行した「沿線案内」である。
 富士川下りについて、この沿線案内においては「左岸では天空に聳える八木沢の絶壁が連なり、急流は身延裏山の麓を回って紆余曲折、スリルを満喫させつつ軽舟はさながら生あるものの如く身延まで流れ下る。」
と記されている。
 また、波高島、身延間の富士川下りの料金は、一艘5人までで2円50銭であった。


━(甲斐国) 富士川の下り船━
f0191673_10265325.jpg


 前記の富士川下りより以前、富士川舟運の最終期頃の下り船である。
 岩石が多く、日本三大急流である富士川舟運で使用された舟は、全体的に薄型で船底は平板といった急流用に工夫された構造が用いられていた。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-05-15 11:10 | 富士川 | Comments(0)
2010年 05月 09日

山梨日日新聞社

【受取之証】
f0191673_0335645.jpg


 峡中新聞の創刊から継続的に発行され明治9年1月に改題された甲府日日新聞は、明治14年1月4日に山梨日日新聞と更に改題されるとともに、これまでの常盤町4番地から桜町37番地(現在:甲府市中央1-3-21)に社屋を移転している。
 上記の受取証は、山梨日日新聞と改題された明治14年7月、桜町37番地の社屋時代におけね新聞代金受取証である。

【新聞代金受領証】
f0191673_043983.jpg


 山梨日日新聞の社屋は、桜町37番地の社屋を業務印刷関係の出張所とした上で、その後、甲府市常盤町10番地(現在:甲府市中央1-2-15)に更に社屋を移転している。
 上記の新聞代金受領証は、常盤町10番地時代のものである。

【甲府市百石町時代の山梨日日新聞社屋】
f0191673_0475215.jpg


  明治36年6月の中央本線甲府駅の開業を踏まえ、明治35年11月3日に山梨日日新聞は甲府市百石町1450番地(現在:甲府市丸の内2-33-1)に社屋を移転した。
 この写真は百石町時代の山梨日日新聞社の社屋である。なお同社の社屋は、それ以降、昭和41年に甲府市北口の山梨文化会館に新築移転するまでの間、ここ百石町に置かれていたものである。

【現在の同位置】
f0191673_0492687.jpg


 山梨日日新聞の社屋が置かれていた場所には、現在、山梨県立図書館が建てられている。


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-05-09 01:20 | 新聞 | Comments(0)
2010年 05月 08日

樋口一葉展

【樋口一葉展目録】
f0191673_1684051.jpg 樋口一葉の両親は共に山梨郡中萩原村(現在の甲州市)の出身であり、山梨を描写した作品があることなどから、古くから樋口一葉は山梨ゆかりの作家とされている。
 昭和30年11月20日から26日を開催期間とした「樋口一葉展」が山梨県立図書館(今年取り壊された県庁構内に旧県立図書館)で開催された際の展示目録である。
 B6判13ページの小冊子ではあるが、第8回読書週間記念行事として開催されたものであり、11月20日(土)には一葉研究者である和田芳恵を講師とした講演会も県議会議事堂において行われている。




【「樋口一葉の世界」観覧券】
f0191673_16202239.jpg 平成元年11月3日の山梨県立文学館開館後、一人の文学者に焦点をあてた最初の企画展が「樋口一葉の世界」(開催期間:平成2年10月13日~11月18日)である。
 同館発行の樋口一葉の世界展図録において「本企画のように一葉に関する貴重な資料が150点余も展示される機会は今後も滅多にないと思われます」と記されており、企画展開催の意義と企画関係者の自負が示されている。
 その後山梨県立文学館においては、山梨県ゆかりの作家である樋口一葉に係る企画展が平成16年の夏と秋、平成21年の秋と、3回の企画展が開催されている。




【「樋口一葉の世界」案内チラシ】
f0191673_16255216.jpg





にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-05-08 17:13 | 樋口一葉 | Comments(0)
2010年 05月 02日

牛鍋 割烹 常盤

【甲府駅前通り 常盤】
f0191673_13572886.jpg


 昭和6年6月、店主の高山俊三が甲府市常盤町10番地(岡島の前附近)に「ときわ」を屋号とした牛肉店の開業が常盤の創業である。
 その後の事業繁栄により、昭和8年に甲府の駅前通りである甲府市橘町1番地(現在:甲府市丸の内2-29-3)に広壮優雅な店舗を新築移転し営業を継続し、戦後も「レストランときわ」として営業を継続していた。

【常盤での宴席風景】
f0191673_1495019.jpg


昭和10年3月26日に常盤において、明日の任地発表を前に山梨県師範学校の卒業予定者有志により開かれた宴席風景である。


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2010-05-02 14:30 | 広告・チラシ | Comments(0)