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2010年 02月 28日

恵林寺 境内

【恵林寺拝観のパンフレット】
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 甲州市塩山小屋敷にある乾徳山 恵林寺は、元徳2年(1330年)、夢窓国師によって開山された臨済宗妙心寺派の古刹である。
 室町時代には衰退した時期があったものの、天文10年(1541年)に武田信玄が甲斐の守護になると、恵林寺再興のため京都妙心寺から諸名僧を次々と講じ寺運興隆を図るとともに菩提寺として定めている。
 その後、武田氏滅亡直後の天正10年(1582年)4月3日、織田信忠によって攻められ、当時の大伽藍は悉く焼失し廃墟となったが、同年10月に徳川家康が寺領29石余を寄進するなど恵林寺の再興を図っており、後に甲斐の領主となった柳沢吉保は寺の修復を図るなどし自らの墓所も恵林寺に定めている。
 また、慶応4年(1868年)当時の境内は36,400坪を有し、堂宇も仏殿以下20余棟の大伽藍であった。



━甲府八景 恵林寺境内 信玄公手植の桜━
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 写真に写る門は、山梨県指定文化財として昭和60年3月19日に指定された「恵林寺三門」。
 また、中央に写る古木が、信玄公手植えの桜であり、明治三十年代後半の状況である。

【現在の同位置】
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 白石が敷き詰められているなど境内は整備されており、信玄公手植えの桜については、その面影も無くなっている。

━恵林寺(武田氏菩提所 甲斐東山梨郡松里村)━
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 徳川家康を始めとし江戸時代以降から再興されてきた伽藍も、明治38年の失火により、仏殿、大庫裏など堂宇の主要部を焼失している。写真中央の礎石部分は、その際に焼失した仏殿跡である。

【現在の同位置】
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 現在、仏殿跡には昭和44年に移築された元文5年(1740年)建立の開山堂が建てられている。


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by kaz794889 | 2010-02-28 22:04 | 寺院 | Comments(0)
2010年 02月 21日

峡中新聞


【甲府八日町 峡中会社址】
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【「新聞発祥之地」石碑】
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 山梨県において最初に発行された新聞である「峡中新聞(こうちゅうしんぶん)」は、発行人である内藤伝右衛門が峡中会社を設立し、明治5年7月にその第一号が発行された。
 峡中会社が置かれていた、甲府八日町16番地(現在:甲府市中央4-2-24、NTT甲府支店前の通りを挟んだ正面)には、発行を継承した山梨日日新聞社により、創刊百年記念の一環として昭和47年6月25日に除幕式が行われた、『新聞発祥之地』記念碑が建てられている。
 峡中新聞の発行は、当時の山梨県令であった土肥実匡が明治政府の意を受け、山梨県庁学務課職員に県内の戸長役場からの通信を集めて編集し、峡中会社を発行者としていた。
 また、当時は木版印刷によっていたが、甲府に木版の彫工がおらず、内藤伝右衛門は自ら東京に出向き、四谷多賀町の版木師を呼び寄せるなどし、定価3銭、小倉半紙二つ折り八枚つづりの冊子形式による新聞発行に至っている。
 峡中新聞は明治5年7月から明治6年4月の間、第一号から第八号まで発行されていたが、明治6年1月に着任した藤村紫朗県令から内藤伝右衛門に峡中新聞の編集権が移譲されると、同年4月発行の第九号から新たに誌名を『甲府新聞』と改名している。



【峡中新聞 第一号】
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【峡中新聞 第二号(左)及び同第二号附録(右)】f0191673_1651108.jpg


 本紙とともに第二号からは附録がつくようになっている。
 その内容は「免許を受けた陸運会社が9月1日に開業するため、無免許者による商売はいけない。」旨の布達である、この後も第三号、第四号、第六号及び第七号には各本紙とともに附録がついているが、これらの附録は本紙以上に増刷(当時の本紙発行部数は概ね500~600部であったが、附録は数千部印刷されたこともあったようである。)され、附録の内容がそのまま和本としても発行されている。

【峡中新聞 第三号(左)及び同第三号附録(右)】
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 明治5年10月発行の第三号附録である「四郡区別村名表」の発行主旨について、「甲斐国改正の区別村名等詳細に取調、仮名を施し公私の便用に備える為に今般発行したものである。」と第五号に記されており、附録の内容は現行化され『甲斐四郡村名区別表』と題した和本により、明治7年に内藤伝右衛門により発行されている。

【峡中新聞 第四号(左)及び同第四号附録(右)】
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 明治5年8月に発生した大小切騒動に関する記事が全面的に解禁になったことから、第四号の附録はこれまでの経緯について詳しく伝えている。

【峡中新聞 第五号】
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 明治5年11月発行の第五号表紙にある「大小切一件落着」という朱刷りについて、『山梨日日新聞百年史』
には「これが実に本紙の色刷りの初めてである点も意義ぶかい。」と記されている。



【峡中新聞 第六号(左)及び同第六号附録(右)】
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【峡中新聞 第七号(左)及び同第七号附録(右)】
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【峡中新聞 第八号】
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 峡中新聞の紙名としては最後の号となった、明治6年3月発行の第八号である。
 第九号からは「甲府新聞」と紙名を改め、「甲府日日新聞」とビ再改名した明治9年1月13日まで発行されていた。

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by kaz794889 | 2010-02-21 20:49 | 新聞 | Comments(0)
2010年 02月 20日

甲府桜町 吹寄

━連隊 歓迎門 甲府桜町━
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 明治42年4月の甲府四十九連隊の甲府入営に際し、桜町通りに設けられた歓迎アーチ門である。
 門の左側に写る建物が「吹寄」である。
 吹寄は、相生町の角屋と並ぶ山梨県下における老舗の牛肉店であり、その創業は明治維新期と言われており、甲府市内の名物として山梨県内に知られており、明治36年に中央本線が甲府まで開通した前年頃には、建物内の西洋室を改築し洋食も供するようになっている。
【同位置の現況】
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 歓迎門のあった位置は、現在の甲府市中央4-3附近、城東通りとコリド桜町が交わる、「桜通り中」交差点の南側である。
 また、吹寄のあった場所は、現在、山梨貸切自動車(タクシー会社)となっている。

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by kaz794889 | 2010-02-20 22:11 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2010年 02月 14日

甲府城:甲府城からの眺望 3

【甲府城址本丸から眺めた市街北部】
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 甲府城址の天守台下に広がる本丸北側から眺めた甲府市街の北側である。
 中央に写る瓦葺の建物は舞鶴公園整備に伴い建設された公園内のトイレであるが、この一帯にはかつて、中央本線甲府駅にゆかりのあった、C12型蒸気機関車(甲府駅構内における貨車の入替等で使用)、ED17型電気機関車(昭和6年に中央本線が甲府駅まで電化された当時に使用、現在はさいたま市の鉄道博物館で展示)や東京都電が静態保存され、その脇には遊具施設が設置されていた。
 写真の左に写る陸橋(舞鶴橋)は中央本線、身延線を跨ぎ、市街の南と北を結んでいる。また、中央に写る前衛的な建造物は、丹下健三が設計し昭和41年に完成した山梨日日新聞や山梨放送が置かれた山梨文化会館である。

━舞鶴公園より見たる甲府市街(北部)━
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 前記の眺望と概ね同位置から見た昭和初期の様子である。
 写真の下に写る建物は、現在の公園内トイレと同じ位置にあった弓道場であり、昭和8年に武徳殿とともに建設されたものである。
 中央本線の線路の先には、鉄道官舎群が建てられており、その更に北側には山梨県の官舎が建てられていた。
 また、煙突が建つのは丸茂製糸場であり、戦後、桜シルクとして平成の初期頃まで煙突と工場の一部が残されていた。

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by kaz794889 | 2010-02-14 13:02 | 甲府城 | Comments(0)
2010年 02月 13日

機山館

【甲府城:稲荷曲輪】
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 甲府城稲荷曲輪のこの場所には、舞鶴公園整備事業(平成2年から着手)により甲府城址が整備される以前、山梨県立青少年科学センターが建てられていた。
 また、その更に前には山梨県内最初の公会堂としても用いられた機山館がこの場所に建てられていた。 

━東宮殿下 甲府行啓御滞泊所 機山館━
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【機山館落成式の案内状】
f0191673_13152570.jpg 機山館は多人数の集会や貴賓の宿舎に充てるための目的と、一府九県連合共進会開催の記念として、山梨県内外の先覚者により設立された機山会の事業(総工費4万円)として建設され、明治39年9月1日に開場している。
 また、その建物は木造二階建、東西18間、南北9間、階上の大広間は1,500名収容可能であり、階下は9室に分れ、球室、食堂、書房などが置かれ、厨房と浴室は本館とは別棟として建てられていた。
 左記の案内状は明治39年8月27日の午後一時から開催予定の機山館落成式の案内状である。 
 なお、機山館のその後については、当ブログに掲載した次のタイトルを参照されたい。
 「平成20年10月26日『機山館と山梨県教育会館』」
  http://kaz794889.exblog.jp/9492733/


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by kaz794889 | 2010-02-13 14:10 | Comments(0)
2010年 02月 11日

甲斐の新印象 山梨県産メロン

【企画展における頒布資料】
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 平成22年1月30日付の山梨日日新聞においても報道された、平成22年白根地区文化祭の郷土研究部企画展『昭和の恐慌から地域を救った温室メロン』が去る2月6日、7日に南アルプス市の桃源文化会館において開催され、見学させていただいた。
 展示の表題にもあるとおり、中巨摩郡西野村(現在の南アルプス市)を主とし、いわゆる西郡地区において昭和戦前期に栽培され、時代の経過とともに忘れられている、温室メロンに関する資料と調査を主題とした興味深い企画展示となっていた。


【年末年始 御贈答用果物栞】
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 甲府市桜町9番地、甲府銀座にあったフルーツパーラー、中村屋が発行した贈答用果物の案内である。
 温室果物であるマスクメロンを始めとした贈答用高級果物が紹介されている。


【「甲斐の新印象 県産メロン」の案内広告】
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 山梨県下におけるメロンの栽培は、中巨摩郡西野村(現在:南アルプス市)の功刀七郎により、大正13年に30坪の加温温室において試作されたことが始まりとされている。
 その後、商品として軌道に乗ってきた山梨県産のマスクメロンは、山梨県内よりも県外市場において高く評価され消費されていった。昭和12年頃の資料によると、西野村の240棟、8,000余坪を筆頭に豊村の90棟、3,700坪のほか、小笠原町、飯野村、百田村、御影村、源村、今諏訪村、南湖村(いずれも現在の南アルプス市)等における生産量が最も多く、これらの町村では温室メロンの出荷組合が設立され、統制のとれた出荷がなされていたようである。
 昭和12年頃の山梨県産メロンは、その総生産量の内に東京市場に6割、関西方面の市場に4割が出回っており、最も遠い市場は広島県内まで移出されていた。
 また、メロンの出荷時期は5月から12月までの8か月間であり、甲府市内の果物店からは県産贈答品として、北海道、樺太、満州国などまで送られていたようである。
 こうした山梨県産のメロンは、当時、秋の収穫にかける葡萄に対し、春の甲斐を語るにふさわしい果物として「甲斐の新印象」とされていた。


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by kaz794889 | 2010-02-11 19:35 | Comments(0)
2010年 02月 10日

甲府桜町通り

━甲府桜町通り━
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 写真は明治39年8月頃の桜町通りである。
 中央の十字路は、左側が紅梅町右側が柳町となる位置(現在:甲府市中央2-9-14、同丸の内1-14-4)である。また、通りの正面は甲府城の石垣であり、その上に建設中の建物は機山館である。

【現在の甲府桜町通り】
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 この場所は紅梅通りと甲府市社会教育センター前の通りが交差する、現在の桜通り北交差点である。




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by kaz794889 | 2010-02-10 22:29 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2010年 02月 07日

甲府・桜町三丁目角 ホシチヱーンストア

━甲府名所 ホシチヱーンストアとホシの食堂(桜町角)━
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 甲府市桜町三丁目の角(現在:甲府市中央1-1-9)にあった、ホシチヱーンストアである。
 階上にはホシの食堂と称した洋食一品料理の食堂があり、お手軽、料理の美味、新鮮なる物の三点具備をモットーとして営業していたものである。
 写真は大正15年頃であり、開催中の甲府勧業博覧会への観覧に併せての来店を案内する、ダイレクトメールとして発出された絵葉書である。

【同一地点の現状】
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 現在の桜町三丁目の角である。
 写真の前の通りが「コリドさくら町」、南北に通じるいわゆる、桜町の通りである。
 また、左側のアーケードが、東西に通じる甲府銀座通りである。この周辺は甲府空襲により殆んどが焼失した地域であり、ホシチヱーンストアの建物も、戦災で焼失している。


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by kaz794889 | 2010-02-07 22:31 | 甲府市街点描 | Comments(0)