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2009年 12月 31日

旧甲府商工会議所

【旧甲府商工会議所】
f0191673_14375012.jpg 甲府商業会議所は創立以来、甲府市八日町の若尾銀行の一室を事務所として借りていたが、甲府市錦町18番地の旧望仙閣支店の建物を取得し、大正元年12月22日に事務所を移転させ甲府商業会議所としてきたが、建物の狭隘化等から大正12年に屋舎の新築を計画され、大正14年4月19日に新屋舎の建設が起工され、翌15年4月20日に竣工した建物が写真の旧甲府商工会議所である。
 昭和52年に甲府商工会議所が甲府市相生二丁目に移転後は、山梨県法人会連合会の所有となり、現在は山梨県法人会館となっている。


【昭和30年代前半頃】
f0191673_14385081.jpg この建物が建つ場所には、かつて旧梁木学校の校舎(明治7年建築)を利用した甲府市役所が、大正4年10月に甲府市相生町50番地に新築移転するまで置かれていた場所である。
 近世復興様式の鉄筋コンクリート三階建として、甲府市柳町73番地(現在:甲府市中央4-12-21)に建つこの旧甲府商工会議所の屋舎は山梨県内における最古の鉄筋コンクリート造のビルでもあり、平成8年12月26日には山梨県最初の国の登録有形文化財のひとつとして指定されている。


━甲府商業会議所 新築落成記念絵葉書のタトウ━
f0191673_14391442.jpg 甲府商業会議所の新築落成を記念し、甲府商業会議所が発行した記念絵葉書である。
 竣工落成式は大正15年4月16日午前10時から、約800名が出席して、新築なった甲府商業会議所の屋上庭園において行われている。


━甲府商業会議所━
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━甲府商業会議所 二階広間━
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━甲府商業会議所 三階大会議室━
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 新築落成式の終了後、この三階大会議室で祝宴が開催され、会議所始まって以来の盛儀であったといわれている。

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by kaz794889 | 2009-12-31 15:56 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2009年 12月 30日

甲州文庫特別展示会

【甲州文庫特別展示会目録】
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 甲州文庫特別展示会は、第五回読書週間に際し昭和26年11月1日から7日までの間、山梨県教育委員会発足3周年、山梨県立図書館開館20周年を記念し県庁構内当時の山梨県立図書館において開催された。
 特別展示会の開催について、展示会目録のはしがきには「創立以来、既に幾多の郷土資料を擁する山梨県立図書館は、この目的を更に一段と強化するため今回かねて本県文化史上貴重な資料として知られる公衆文庫を移譲され、先般無事搬入を了りました。この文庫は、総数約二万余点にのぼる過去三百年余に亘る山梨文化の一大集成である…」と記している。 


【旧山梨県立図書館庁舎】
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 写真は、昭和26年11月に甲州文庫特別展示会が開催された山梨県立図書館の旧庁舎である。
 甲州文庫は中巨摩郡豊村(現在の南アルプス市)出身の功刀亀内が大正8年から昭和26年までの30余年間にわたり山梨県内外において収集した山梨県に関する近世から近代にかけての資料であり、その数は21,986種、個々の資料数で約二万数千点に及ぶ一大庶民生活資料群である。
 功刀亀内から山梨県に移管され、保存機関とされた山梨県立図書館に甲州文庫が到着したのは昭和26年10月9日である。
 なお、甲州文庫は現在、山梨県立図書館から山梨県立博物館に移管されている。

【功刀亀内からの葉書(表面)】
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 山梨県立図書館に移管される以前、昭和13年8月に東京市下谷区上野桜木町の功刀亀内から発出された葉書である。



【同(裏面)】
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 山縣大弐の著作であり、現在も甲州文庫の資料として管理されている、『華曇文字考』上・下巻の借用依頼に対し、別便の小包として依頼人に送付した旨を伝える内容である。
 山梨県立図書館への移管前から、甲州文庫の存在は山梨県内の識者に知られていたものである。
 また、山縣大弐を祀る山縣神社(甲斐市篠原に鎮座)に現在も所蔵されている『華曇文字考』(写本)は、この際に借覧し書写したものである。




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by kaz794889 | 2009-12-30 15:08 | Comments(0)
2009年 12月 29日

相生町東部連合大売出し

【歳末年始・相生町東部連合奉仕大売出しチラシ(表面)】
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 相生町は現在の甲府商工会議所がある東西の通りに面した町であり、明治維新前は甲府城の外堀がこの通りの北側にあったことから、南側のみに家並みがあったことから、片羽町と云われていたが、外堀が埋められたことから、明治9年に相生町となっている。
 この相生町の東側(現在の甲府商工会議所を中心にし概ね東部と西部に区分)にあった商店が連合した、昭和初期頃における歳末年始の大売出しのチラシである。
 戦前の相生町には、現在の甲府商工会議所の場所には山梨貯蓄銀行があり、通りを挟んだ前面には甲府市役所が置かれていた。また、東西の通りは東側から柳町、桜町、春日町、錦町の各通りの南端が交わっていたことから、今以上の賑わいを擁していた。

【同上チラシ(裏面)】
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 相生町東部連合に加盟する9軒の商店は、以下のように相生町通り(東西の通り)に並んでいたが、この内、現在も同じ場所で営業を続けている商店は鳥林商店のみとなっている。
 「相生町通りの南側」
 暗渠から川筋が現れる西側から順に、雨宮紙店、宮沢康済堂、鳥林商店、野際商店、野呂瀬商店、角屋牛肉店、相生町佐渡町通りを挟み、現在の甲府商工会議所の東側の角地に高木商店荒物部と並んでいた。
 「相生町通りの北側」
 裏春日通りの東側から順に、ヤマロク商店、入原商店とならんでいた。

【現在の相生町東部附近】
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 かつて山梨貯蓄銀行があった場所にある甲府商工会議所である。
 高木商店荒物部があった場所は、写真中央の会議所敷地の角地である。



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by kaz794889 | 2009-12-29 19:27 | Comments(0)
2009年 12月 27日

長潭橋


【御嶽昇仙峡・吉田初三郎画伯筆『観光の甲府』甲府市発行絵葉書】
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 吉田初三郎により描かれた甲府を題材とし、『観光の甲府』と表題し甲府市が発行した絵葉書(「葡萄郷」「泉都甲府」「武田神社と信玄公」など)4枚の中の1枚である、長潭橋(ながとろばし)を描いた「御嶽昇仙峡」である。
 長潭橋は山梨県内における景勝地のひとつである御嶽昇仙峡のシンボル的な役割を果たしている。

━甲斐御嶽 長潭橋━
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 長潭橋は甲府市平瀬町と甲斐市吉沢との境界である荒川に架かる鉄筋コンクリート固定アーチ橋であり、大正14年10月に橋長34.6m、幅員3.6m、ケーブルクレーンによるステージング工法らより、総工費26,000円をかけて架設されている。
 祝橋、万年橋、栄久橋などと並びも山梨県内における数少ないコンクリートアーチ橋であり、県内の景勝地である御嶽昇仙峡の入口に位置したアーチ橋としての景観は、昭和初期以来、数多くの絵葉書や観光案内に掲載されるなど、ランドマークとしての重要な位置付けとなっている。

━(御嶽昇仙峡) 長潭橋及天神森附近━
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 「長潭橋(昇仙峡)保存か、撤去か」これは、平成21年12月12日の山梨日日新聞に掲載された見出しである。
 山梨県が建設から84年が経過し老朽化が進行する昇仙峡の長潭橋について、架け替えの方針を固めたという記事である。
 山梨県が橋の点検を行ったところ、橋の上下部でコンクリートのひび割れや剥離、鉄骨の露出が見つかったこと、建設当時の設計荷重は6tで現在の基準である25tを大幅に下回り耐震基準も満たしておらず、道幅が狭いため大型観光バスのすれ違いもできないとのことである。
 橋の改修に当たっては、現在の橋を残した上で別の場所に新たな橋を建設する案と現在の橋を撤去し新たな橋を架設する案など4案に基づく改修検討会が設置され本年度内の方針決定を予定しているとのことである。

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by kaz794889 | 2009-12-27 09:36 | 御嶽昇仙峡 | Comments(0)
2009年 12月 26日

根津ピアノ

 いわゆる甲州財閥における巨頭の一人として、根津嘉一郎の名は広く知られているところであり、その経歴については既に文献等に詳細されているため、ここでは省略するが、その広い社会貢献に関する事績が後世の我々に深い印象を与えているところである。

【根津ピアノ配給第一日目】
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 「事業を経営する究極の目的は決してかねを儲けるということではない。国家や社会に本当に裨益しようとする真の目的がなくては栄えるものではない。」これは根津嘉一郎の『世渡り体験談』に記されている一節である。
 「社会から得た利益は社会に還元する」という信念のもと、郷里である当時の東山梨郡平等村(現在の山梨市)の学校建築や、現在も根津橋といわれ活用されている笛吹川橋梁の建設などを代表例とした貢献は、郷土山梨に今も語り継がれている。
 そうした社会貢献のひとつが、山梨県下の各小学校へのピアノの寄付であり、それは根津ピアノと呼ばれ根津の名を広く郷土に知らしめている。
 昭和5年に郷里の平等尋常高等小学校(現在の山梨小学校)にピアノを寄贈した後、昭和6年に東山梨郡内の各小学校にピアノを寄贈したことが根津ピアノの始まりであり、昭和8年には山梨県内における約200の小学校にピアノを寄贈している。

 この写真は、県内約200の小学校へのピアノ寄贈にあたり、甲府市近在の小学校に根津ピアノを配給するための第一回目の着荷として、昭和8年8月28日に甲府駅に到着したピアノ28台、オルガン1台を貨車からトラック等へ積み替えた終えた際に撮影された写真である。
 現在甲府駅頭に設置されている武田信玄公の銅像附近から、中央線の線路に沿って設けられている駅前の有料駐車場一帯が当時の甲府駅の貨物ホームであり、撮影されたこの場所はも銅像附近の様子である。
 当日は、ピアノの取扱店である甲府市富士川町12(現在の甲府市中央2-2-13附近)の内藤楽器店が運搬にあたっての万が一を憂慮して家族や職員が出揃って貨車からトラック等への積み込みを指揮するとともに、ピアノの製造元である日本楽器からも職員10名が派遣され、最大の注意をはらっての運送が必要であることなどから、積み込まれたピアノが各小学校に納入されるまで付き添っている。
 この第一日目以降、翌日の8月29日は韮崎駅に20台、9月1日は石和駅に15台、翌2日は身延駅に18台の根津ピアノが到着している。

【根津記念館の根津ピアノ】
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 現在、根津記念館の展示棟である「八蔵(はちくら)」に保存展示されている、昭和5年に当時の平等尋常高等小学校に寄贈された根津ピアノである。
 その側面には「貴族院議員 東京市 根津嘉一郎」の金文字が記されている。

【根津記念館の根津ピアノ】
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 ピアノの側面の壁、右側に掲げられているのは根津嘉一郎の写真である。

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by kaz794889 | 2009-12-26 21:11 | 根津嘉一郎 | Comments(0)
2009年 12月 23日

甲陽館 米倉旅館

【甲陽館米倉旅館跡】
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 商工組合中央金庫甲府支店がある場所(甲府市丸の内1-6-16)は、かつて甲陽館米倉旅館のあった場所である。米倉旅館は明治維新前、甲州街道柳町宿の本陣として当初は甲府柳町(甲府市中央4-2-21附近)において甲陽館米倉として営業していたが、明治40年代にこの場所に移転している。
 柳町時代の様子について『甲府繁昌記』は「甲府停車場から僅か五丁余にして内外旅客にはもっとも便宜なる地たり、家屋の構造は三層楼にして楼上の眺望頗る宜しき、正面は水煙模糊の間、遥かに芙蓉峰と相対し舞鶴城及び甲府停車場、愛宕山等の風光一望のもとに集むべく真に居ながら峡中の山水に接するを得べし。また館内には最も諸病に効ある鉱泉湧出し優に遠来旅客の労を慰するに便ず、加ふるに其の待遇頗る懇切丁寧にして万事抜け目なきが故に来客常に室に満ち、旅客の同館に宿を求むる者、時に或いは謝絶せらるが如きの繁昌なりと云う。」と記している。

━(甲斐国)甲府市常盤町(米倉旅館前)通り━
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 上記の写真の場所に建つ、甲陽館米倉旅館である。柳町から移転したこの場所は、明治7年10月に県営の勧業製糸場が建てられていた場所であり、県から民間に製糸場が払い下げられた後、中央本線が甲府まで開通した頃に製糸場が取り壊され、町場が形成されていった地域である。
 この場所は常盤通りに面した錦町であり、甲陽館米倉旅館は当時、千人近い団体客を収容できる甲府市内でも有数の旅館であった。

【甲府柳町時代の甲陽館米倉】
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━甲陽館米倉旅館のデザイン絵葉書①━
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━甲陽館米倉旅館のデザイン絵葉書②━
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 写真は、明治45年に甲府停車場前(甲府市橘町)に開業した米倉旅館の支店である。
 また、米倉旅館の経営者であった米倉善八は明治37年4月に甲陽軒米倉を設立させ、中央線の乗客を対象とした甲府駅構内における中売業を始めるなどし、近年まで甲府駅において駅弁の製造販売等が行われていた。

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by kaz794889 | 2009-12-23 13:05 | 旅館・ホテル | Comments(1)
2009年 12月 13日

交通道徳と子供の声


【『子供の声』 山梨交通安全協会発行】
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 大正14年1月に山梨交通安全協会から発行された、この『子供の声』のはしがきは次のとおり記されている。
 「「交通道徳」「左側通行」曰く「何々」と、あらゆる宣伝は耳に馴れ、眼に飽きて参りました。お互いに便利を増し、危険を除く為めの交通道徳の実行は何等そこに特別な努力も苦心をも変更せず、単に公衆各の一片の道義心と不断の注意とに依って立派に行われねばならぬ筈だが、何故か何時になっても其の実行成績の挙がらぬのは実に遺憾で、いささか世の公徳心が疑われるのだ。この際正直にしてしかも敏感に子供の「今日に於ける交通道徳」は如何なるものかを紹介いたし、父兄方の参考に供した次第であります。純真なる心に映ずる交通上の悲劇、喜劇、直情なる悲憤の叫び真摯の筆、如何に吾人の反省自覚を促すものあるか、本冊子を単なる児童の成績物として見過ごすことなま、其の熱烈なる心情を読まれんことを切望いたします。」
 
 道路を通行する者の左側通行等を規定した法令は、「道路取締令(大正9年12月内務省令第45号)」として大正10年1月1日から施行されている。
 この『子供の声』には、当時の甲府市内の尋常小学校及び尋常高等小学校の児童らによる52編の声が掲載されている。
 その中のいくつかについて、当時の市街風景と併せ、以下のとおり紹介する。



━甲府名所 春日町通り━
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 「交通宣伝」 穴切尋常小学校 3年 M・S
 この間、甲府館前の黒山のような人ごみの中を商人風の人が忙しそうに自転車で飛び回っていた。その危なさといったら見ていてもひやひやした。それを巡査が一人で真っ赤になって声をからして止めても、俺の用の方が忙しいやといった風情行ってしまった。大人にもあんな人があるから、交通宣伝がうまくいきっこないと僕はつくづく思いました。
 
 写真の左側の建物が、春日通りに面した映画館の甲府館(以前ダイエーのあった場所)である。

━甲斐 甲府市 柳町大通り━
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 「交通について」 富士川尋常小学校 6年 N・S
 甲府市の市街を眺めて一番人通りの多いのはなんといっても柳町である。柳町には鉄道も敷かれているが、自転車、車などが通っていてとても危険である。それ故、僕の考えは左側は人道、また右側は車道とか人通りの多い町は各それぞれに決めればよいと思う。山田町を眺めるとあまり人通りは多くないが、自動車の行き来が頗る多い故、自動車など一台通れば一台の自動車のため車を引いている人は回していなければならないので、もっと道路を広くした方がよいと思う。また愛宕町の方は柳町や八日町に比較して人通りがとても少ない故に柳町へ来るには鉄道などを敷いて、すぐ仲見世などへ来られるようにすれば、甲府市の大体の交通は便利になる。

━甲斐名所 桜町通り━
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 「左側通行について」 琢美尋常高等小学校2年 S・A
 左側通行……何という善い決まりでしょう。あの狭いいつも賑やかな三日町見附や桜町横丁はもちろん、どんな広い道でも人通りの少ない道でも皆左側通行をしたらどんなに気持ちがよいでしょう。そして立派でしょう。皆それを守れば外国の人にも恥ずかしくなく、また交通上の事故も出ないし、こんなによい決まりはないと思います。それであるのに、これをまだ守らない人があるのです。それが立派な婦人や偉そうな紳士で守らない人があるのです。それを見ると紳士然としていても道徳を守らない人は偽紳士であるという先生のお言葉が思い出せます。皆さん守りましょう。そして日本の国として恥ずかしくないようにしましょう。

 甲府銀座のアーケードと交差する桜町通りの四つ角である。
 また、文章に書かれている三日町見附は、三日町と柳町が交差する地点(甲府銀座アーケードの東側の入口附近)であり、前記の「柳町大通り」の写真に写る附近である。

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by kaz794889 | 2009-12-13 22:56 | Comments(0)
2009年 12月 05日

旅館 西柳屋

【旅館西柳屋の案内チラシ】
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 旅館西柳屋が発行した案内チラシ(右が御嶽昇仙峡案内、左が甲斐名所案内)である。
  「新館も増築され、万般の設備も整いました。親切丁寧にして安直なるは勿論であります。何卒倍旧の御愛顧を願います。」と右のチラシには御嶽昇仙峡の名所案内とともに、自店の案内が記載されている。
  また、左のチラシによれば、富士身延線南口駅前(現在のJR身延線南甲府駅)に支店が置かれていたようである。

━甲府市 停車場前 旅館 西柳屋━
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 旅館西柳屋は、明治43年8月に創業者である仲澤豊太郎により、甲府駅前の甲府市橘町4番地(旧三角地帯)において営業された旅館である。



【甲府市内重なる温泉旅館案内】
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by kaz794889 | 2009-12-05 19:32 | 旅館・ホテル | Comments(1)
2009年 12月 04日

軍隊歓迎会

━軍隊歓迎会記念絵葉書━
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 明治42年4月22日の歩兵第四十九連隊甲府転営とともに、同年4月18日には甲府衛戍病院が業務を開始し、既にその前年である明治41年3月8日には甲府連隊区司令部庁舎が兵営の東側に完成、同年11月15日には甲府憲兵分隊が開庁した。
 こうした軍の施設が甲府に設置されたことに伴う軍隊歓迎会が、甲府市の太田町公園において明治42年4月25日に開催された。これを記念して発行されたものがこの絵葉書である。
 絵葉書の人物は、右上が軍隊歓迎会長で当時の山梨県知事である熊谷喜一郎、左上が当時の歩兵第四十九連隊長である太田朗陸軍大佐、中央の下が当時の甲府市長である加藤平四郎である。
 また、中央が歩兵第四十九連隊の正門と兵営、左が甲府連隊区司令部、右が甲府憲兵分隊の庁舎である。

【軍隊歓迎会開催案内状】
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 明治42年4月25日の午後一時から太田町公園で開催する軍隊歓迎会に関する案内状である。



【歓迎会員心得】
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 歓迎会における各種心得の案内とともに、歓迎式、園遊会、立食による懇親会といった歓迎会の順序について、歓迎会員心得として案内している。



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by kaz794889 | 2009-12-04 23:04 | 甲府連隊 | Comments(0)