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2009年 11月 30日

甲府市立春日尋常小学校新築記念


【創立当時の春日尋常小学校跡】
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 児童の増加と義務教育年限の延長に伴い、明治43年度においては甲府市内の小学校校舎に児童収容が困難となったことから、甲府市代官町に明治42年8月31日に新築移転した相生尋常小学校の旧校舎跡(現在:甲府市中央1-20-11附近)を使用し、明治43年4月1日に春日尋常小学校が創設された。
 現在の甲府商工会議所前に当たる写真の場所が、春日尋常小学校が創設された場所である。

【春日尋常小学校校舎新築記念絵葉書のタトウ】f0191673_17514382.jpg
 春日尋常小学校が創設された旧相生尋常小学校のあった場所は、甲府市相生町であったが、地籍の上では春日町にも跨っていたため、新設小学校の校名は春日としたものである。また、旧相生尋常小学校の校舎の一部は甲府市水道部も庁舎として使用していたものである。
 大正3年に甲府市役所の新庁舎が同地に建設されることとなり、甲府市工町の旧琢美尋常小学校校舎(大正2年に甲府市深町、現在の甲府市立図書館の場所に新築移転)に大修繕を加えた、同校舎に春日尋常小学校は4月25日に移転することとなり、4月27日からは新たな場所で授業を開始している。
 その後、大正8年9月から甲府市の直営工事として春日尋常小学校の新築工事が開始され、大正9年3月31日に甲府市百石町(現在の甲府市丸の内2-35)の新たな場所に新校舎が竣工した。
 なお、こうした経緯で建設された一連の校舎も昭和20年7月の甲府空襲で全焼している。



━甲府市春日尋常小学校新築記念①━
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━甲府市春日尋常小学校新築記念②━f0191673_17522924.jpg


 甲府市中心部の空洞化のため児童数が減少したことから、春日小学校は学校創立95年の平成17年4月1日から、甲府市内中心部の穴切、相生小学校と統廃合され、甲府市立舞鶴小学校が新たに創設(旧春日小学校の場所)されている。

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by kaz794889 | 2009-11-30 18:42 | 学校 | Comments(0)
2009年 11月 29日

「東宮台臨之地」碑

【東宮台臨之地碑】
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 「東宮台臨之地」碑は甲府市総合市民会館(甲府市青沼3-5)の駐車場側である北西の一画に建てられている。
 この石碑が建つ甲府市総合市民会館の地は、かつて甲府市立商業高校のあった場所であり、この石碑は当時の市立甲府商業学校に皇太子殿下(後の大正天皇)が行啓されたことを記念して建てられたものである。
 


━東宮殿下山梨県行啓記念 絵葉書①━
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 明治45年3月27日から4月4日まで、当時の皇太子殿下が陸軍演習御見学の目的を以って山梨県内各地に行啓された。
 甲府市内については山梨県庁、県立高等女学校、草薙合資会社製糸工場、市立甲府商業学校、県立甲府中学校、矢島製糸第三工場、歩兵第四十九連隊、山梨県師範学校、武田氏館跡などに行啓されている。
 市立甲府商業学校には、3月30日の午後に行啓され校長等に謁を賜い、英語、商業実践等の教授、生徒成績品を台覧され午後2時25分に退出され県立甲府中学校に向かわれている。
 また、4月1日には西山梨郡里垣村の誓願寺境内の御野立所に成らせて陸軍の演習を御見学後、市立甲府商業学校内の御野立所に成らせて御昼餐を召され午後2時50分に還啓された。
 こうした東宮殿下の行啓を記念し、市立甲府商業学校は「東宮殿下 山梨県行啓記念」として二枚一組のこの絵葉書を発行している。
 絵葉書の下に写る建物は御旅館とされた甲府城跡に建つ機山館である。



━東宮殿下山梨県行啓記念 絵葉書②━
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 絵葉書の右側は市立甲府商業学校の商業実践室、左側は学校校舎の全景である。

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by kaz794889 | 2009-11-29 22:46 | 石碑 | Comments(0)
2009年 11月 28日

成器舎


【生徒募集広告】
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【成器舎規則、教則及雑則】
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 自由民権運動に奔走し、その後の運動の行き詰まりにより運動の同士相互の疲労、不信が増殖していく中で政治活動から切り離した別の世界を育みたいという希望の高まりから、東八代郡南八代村の加賀美平八郎が明治15年11月に設立した私塾が成器舎である。
 成器舎は14歳又は小学中等科卒業以上の青少年への漢学教授や儒者的徳目に沿った勉学態度を身につけことを主体とし、その後、明治17年には教則を全面改正し教科に英学・算術を加えている。
 校舎は当初、加賀美一族の菩提寺である定林寺の建物を使用し、その後には八代小学校の一部を借用していた。
 開設から2、3年の内に成器舎の評判は高まり、山梨県内各地や県外からも生徒が集るようになり、明治17年には寄宿舎も設けられ、小林一三や河西豊太郎などの山梨県内外でその後活動した人々も寄宿生として成器舎に在籍していた。
 明治18、19年が成器舎の最盛期であり、中学校令による尋常中学校の整備と県下各郡に創設された高等小学校に挟撃され、明治21年には生徒数が前年の半数に減少し、22年には南八代村外四か村組合から補助費を仰ぐこととなり、生徒数も18名程度に減少するなどし明治23年頃に閉鎖されている。 



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by kaz794889 | 2009-11-28 21:02 | 学校 | Comments(0)
2009年 11月 23日

私立山梨普通学校

【私立山梨普通学校 校舎正面】
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 私立山梨普通学校は明治23年4月に、日蓮宗の役僧である野沢義真を設立者として甲府市稲門2630番地(現在の甲府市伊勢二丁目1番地:千秋橋に向かう国母通りに面した位置附近)に設立された私立学校であり、遠光寺の寺域に位置していることから日蓮宗の関係にり設立されたものと考えられる。
 学校の設立後、いつ頃まで存続していたかは定かではないが、下記の写真にあるように、明治39年8月に御料局甲府支庁が設置されると、私立山梨普通学校の校舎をその庁舎として開庁しているようである。
 この御料局甲府支庁も官制の改正等により、帝室林野局甲府支庁となり明治43年頃には新庁舎を甲府市百石町に建設し移転している。
 その後、帝室林野局甲府支庁が新築移転すると、この場所には日進館女子職業学校が設置されている。


【御料局甲府支庁時代の校舎】
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【『同窓会誌 第五号』 私立山梨普通学校同窓会・明治34年2月16日発行】
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【私立山梨普通学校 第三年次履修証書】
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by kaz794889 | 2009-11-23 14:01 | 学校 | Comments(1)
2009年 11月 22日

第21回総選挙・翼賛選挙

【山梨常会資料 第28号(昭和17年3月31日発行)】
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 第20回総選挙により選ばれた衆議院議員の任期満了に伴い、昭和17年4月2日に公示され4月30日投票となった第21回総選挙は、翼賛政治体制協議会推薦候補者を中心に戦われた、いわゆる翼賛選挙といわれている。
 この選挙は全国で1077名が立候補し、翼賛政治体制協議会による推薦者381名、非推薦者85名(当時の衆議院議員の定数は466名)が当選している。

【衆議院議員選挙投票所入場券(表面)】
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 左の衆議院議員選挙投票所入場券は、第21回総選挙における西山梨郡内某村の入場券であり、その余白にはこの選挙におけるスローガンである、「国思う一票、国思う人へ」「大東亜築く力だこの一票」が刷り込まれている。
 この選挙における山梨県内(山梨全県区の定数は5名)の立候補者は13名、その内翼賛政治体制協議会が推薦した、いわゆる推薦候補者が5名、非推薦候補者は8名であった。
 昭和17年4月30日に実施された投票の結果、推薦候補者が4名(高野孫左衛門、今井新造、田辺七六、堀内一雄)、非推薦候補者が1名(平野力三)当選している。
 この選挙は戦前期における最後の総選挙であり、男性のみに参政権が与えられていた最後の総選挙でもあった。



【衆議院議員選挙投票所入場券(裏面)】
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by kaz794889 | 2009-11-22 22:34 | 選挙 | Comments(0)
2009年 11月 21日

第4回総選挙と石原彦太郎

【明治27年8月30日 甲府新聞 号外】
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 明治27年3月1日に実施された第3回総選挙から3か月後の明治27年6月2日、衆議院が解散され8月2日公示、9月1日投票として第4回総選挙が行われることとなった。
 また、日本と清国との間の情勢が緊迫し戦雲が立ち込む状況の中、公示前日の8月1日には日本が清国に対して宣戦布告し日清戦争が勃発しており、選挙と戦争がほぼ同時に進められ、双方に対する社会情勢の熱狂振りが窺われる。
 ちなみに、総選挙後の9月15日に明治天皇は大本営を広島に移されるとともに、9月18日には第7回臨時帝国議会を広島において開催することとして召集されている。
 
 山梨県においては、第一区(甲府市、西山梨郡、中巨摩郡、北巨摩郡)において石原彦太郎(自由党・新)、薬袋義一(国民協会・元)、八巻九万(無所属・元)が立候補し、9月2日に開票の結果、石原彦太郎が当選している。
 上記の号外は、立候補した石原彦太郎が候補者を辞するとの通知書を反対党が有権者に発送したことに対し、自由党山梨支部が断じて候補を辞することはない胸を伝えている「甲府新聞」(峡中新聞から改題した甲府新聞とは別の新聞)の号外である。

【「富士彦」の広告】
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 第4回総選挙で当選した石原彦太郎は、安政元年11月に甲府柳町に生まれ、質屋業と鰹節問屋を「富士彦」の屋号で営んでおり、柳町の戸長を経て、明治22年に甲府が市制施行した際の最初の市会議員となり、明治24年に山梨県議会議員に当選し、その現職時である明治27年に衆議院議員となり、30年には第4代の甲府市長を務めるなどし、明治31年8月に逝去している。
 『甲府繁昌記』には「石原本店」として、「柳町四丁目東側にして相生町よりの突き当たりにあり商品は鰹節類各種、海苔、缶詰類各種にして質屋業を兼ね屋号を富士井と号し「ふじひこ」と称す」と記されている。

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by kaz794889 | 2009-11-21 21:47 | 選挙 | Comments(1)
2009年 11月 15日

談露館

【ホテル談露館】
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【ホテル談露館の案内パンフレット】
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 ホテル談露館は甲府市丸の内1-19-16で営業する創業120余年の甲府の老舗ホテルである。
 案内パンフレットに記載された「談露館のごあんない」よれば、明治20年に有栖川宮殿下が山梨県に来県されることとなった際、宿泊先を探していた山梨県の依頼により、当地に屋敷を所有していた中澤伸吉が宿舎を提供したことを契機に旅館談露館を創業したものであり、談露館の名称は創業者である中澤伸吉の俳号である「談露亭」から付けられたものである。
 なお、談露館の歴史については、ホテル談露館のホームページ内の「談露館の歩み」に詳述されており、本件もその記述を参考とした。



━甲府錦町 旅館談露館━
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 明治40年代の談露館正面である。
 談露館の看板が掲げられている門は、江戸期の甲府勤番時代における甲府学問所である「徽典館」の門を移設したものとして知られており、現在は上野原市西原に移築されている。

━(甲斐国)甲府市錦町 旅館談露館庭園の一部━
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 明治40年代の談露館の庭園である。

【明治期の広告】
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 明治39年に甲府城址である舞鶴公園において開催された一府九県連合共進会の開催に際して発行された、観光案内に掲出された談露館の広告である。



【昭和期の広告】
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 昭和15年4月に山梨県景勝地協会が昭和15年4月に発行した「甲山峡水」に掲載された談露館の広告である。



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by kaz794889 | 2009-11-15 16:10 | 旅館・ホテル | Comments(1)
2009年 11月 14日

樋口一葉の『ゆく雲』と甲州の風景

【開館二十周年記念企画展 樋口一葉と甲州】
f0191673_16115268.jpg 開館二十周年記念の企画展として、平成21年9月19日から同年11月23日までの間、山梨県立文学館において、「樋口一葉と甲州」が開催されている。
 樋口一葉の父親である則義と、母親の多喜は甲斐国山梨郡中萩原村(現在の甲州市塩山)の農家に生まれており、樋口一葉自身の生活は東京であったものの、山梨県の親族や知人との関わりが深く、原点の一部には甲州の血や気質が脈々と流れていたと考えられのではないだろうか。
 こうしたことから、山梨県立文学館においては、平成2年に「樋口一葉の世界」、平成16年には春期、秋期の二回に渡り「樋口一葉展Ⅰ われは女なりけるものを」「樋口一葉展Ⅱ 生き続ける女性作家」が開催されるなど、樋口一葉については山梨県ゆかりの作家として重要な位置付けとして認識されている。
 山梨県ゆかりの作家である樋口一葉の作品の中で、両親の故郷である甲州の風景が重要な役割を果しているのが、『ゆく雲』である。
 『ゆく雲』は博文館発行の雑誌である「太陽」の第一巻第五号(明治28年5月5日発行)に初出された、22歳の青年が東京での恋心をおさえ、大藤村へ帰郷する物語であり、その冒頭に描かれた甲州各地の風景について、紹介することとしたい。


【「ゆく雲」冒頭】
酒折の宮、山梨の丘、塩山、裂石、さし手の名も都人の耳に聞きなれぬは、小仏ささ子の難処を越して猿橋のながれに眩めき、鶴瀬、駒飼見るほどの里もなきに、勝沼の町とても東京にての場末ぞかし。甲府は流石に大廈高楼、躑躅が崎の城跡など見る処のありとは言へど、汽車の便りよき頃らならば知らず、こと更の馬車腕車に一昼夜をゆられて、いざ恵林寺の桜見にといふ人きはあるまじ』
 上記のとおり「ゆく雲」の冒頭に描かれた甲州各地の風景写真と、作品が初出された時期におけるその風景に対する一般的な認識について、当時の観光案内である『日本名勝地誌 第三篇』(野崎左文著:明治27年5月7日、博文館発行)から紹介する。

【甲斐酒折宮】
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「甲州街道の里垣村字酒折に在り、此地は日本武尊行宮の古跡にして古へ九條の道路は皆茲より起れり、本社は即ち尊の霊を祀り社殿は丘陵の上に鎮して一條の石塔之に通じ丘上には雑樹森々として繁茂し景趣幽邃一見して其の旧社たるを知るべし、本社は元と今の地より四五町北の山間に在り今も石祠の跡を存し里人称して古天神と云ふ」

【差出之磯】
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「秩父街道に衝り笛吹川の西岸八幡村字八幡南組にあり、丘岡直ちに河岸より壁立し岡は岩石より成り松樹頂きにてんてつして其形ち蒼海に枕める一岬角の如し、丘頭に亀甲橋あり、長さ62間、幅3間、丘上丘下割烹店、茶亭多く就中、甲背楼最も名高く紳士豪商の甲府より来りて宴を張る者陸続絶えず、近時其地に桜花数十株を栽え又夏季は無数の蛍を生ず」

【(日本三奇橋之一)甲斐猿橋】
f0191673_16182730.jpg「大原村字猿橋に在り、桂川の流れ此地に来たりて幅最も狭く両岸相迫りて断崖壁立、水勢最も急にして観望亦雄偉なり、橋は長さ17間、幅3間にして橋下に一柱の支ふるものなく橋礎は先づ両崖に各々挿さみ層々
相畳みて前部に突出せしめ両端の接近するに及んで上面にいたを敷きて人馬を渡す、伝えて飛騨の匠の造る所なりと云い、数百年前にして此の奇行ありして其の構造自ずから泰西の建築法に適うと云う亦奇ならずや、橋上より俯瞰すれば水は数尋の却下に在りて両岸は皆岩より成り雑樹其の上をてんてつして見て以って人の気迫を動かしむ、或いは之を東京の御茶ノ水に比する者あれども景の壮絶なるに至っては彼の及ぶ所にあらず」



【舞鶴城公園ヨリ甲府市ヲ望ム】
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「西山梨郡の西南部に位し西は荒川を隔てて中巨摩郡に界し東西32町、南北1里6町、山梨県庁の所在地にして市坊64、戸数6889、人口32676、街区端正にして百貨一たび此地に集りて後ち国内に分散するを以って商業殊に繁盛を極め国産の生糸、繭等の問屋を持って業とする者亦頗る多し、其の官がの重なるものを挙ぐれば県庁、地方裁判所、尋常師範学校、県立病院、警察本部は共に錦町に在り、市役所は柳町に在り、〒電信曲は常盤町に在り、監獄署は橘町に在り、勧業試験所は旧城内にあり、柳町、八日町は商店のきを連ね市街最も殷賑を極め之につぐものを桜町、魚町、三日町等とす」

【(甲斐名勝)躑躅岡ノ景】
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「相川村古府中に在りて今猶ほ城壕の跡を存す、此地を元と躑躅ヶ崎と称し永正6年信虎之を築きて石和館より移り伝えて晴信に至る、天正9年勝頼荒田ににら裂くにしろを構えて之に移り時、人称して新城と云へり、勝頼亡びて後ち二城共に荒廃に帰し只だ野草の悉しいままに繁茂するのみ、亦今昔の感に堪えず」

【甲斐八景 恵林寺】
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「乾徳山と号し秩父道の松里村字小屋敷にあり、元徳2年二階堂入道当寺を創建して夢想国師を開山す、後ち永徳元年武田晴信(機山)寺領300貫を附して壽蔵所として改めて臨済宗古規開山派とす、天正10年近江の佐々木承禎等当寺に潜伏し織田信長怒って之を追い終に火を放ちて堂宇を焼く、後世徳川家康寺を復興せしめしも其規模古へのものに比すれば其の半ばにも及ばずと云う、山門あり形ち日光の皇嘉門の如く俗に竜宮門といふものに似たり、門を入れば本堂あり構造頗る壮麗にして釈迦の像を安す、其西客殿の後に至れば武田晴信の祠あり」

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by kaz794889 | 2009-11-14 21:22 | 樋口一葉 | Comments(1)
2009年 11月 08日

山梨県師範学校新築記念

 徽典館をその前身とする山梨県師範学校は、明治維新後の明治6年5月に館名を開智学校、同7年3月に師範講習学校と改称後、明治8年3月15日に山梨県師範学校となり甲府錦町(現在の中央公園の場所)に敷地面積2273坪の学校が開設された。
 最初の校舎は、擬洋風の三階建校舎として明治9年7月に新築され、明治13年6月の明治天皇御巡幸における行在所にもなったが、明治16年1月29日の失火により校舎及び附属建物を焼失させている。
 その後、明治17年9月に、白亜二層、中央に八角三層の高楼を有する新校舎が建設されたが、その後の組織拡大等により錦町の校舎が狭隘となったことから、明治44年3月、新たに西山梨郡相川村(現在の山梨大学教育人間科学部の場所)に校舎を新築移転させている。
 この際に発行された記念絵葉書が下記に掲載した三種類の絵葉書である。

【旧校舎・新校舎】
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 右の校舎が明治17年に建設された二代目校舎。左の校舎が新築記念の校舎である明治44年に建設された三代目校舎である。
 その後、この三代目校舎も、大正3年11月24日の午前1時頃、校舎本館中央にあった物理化学教室附近からの出火により、他の附属建物と共に焼失している。また、この火災により「徽典館時代以来の書籍、機械器具の一切を失い、学校に関する全ての記録類も烏有に帰した」と『山梨大学学芸学部沿革史(昭和39年6月1日:山梨大学学芸学部発行)』に記されている。

【本館・男子部寄宿舎・附属小学校・女子部寄宿舎】
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 絵葉書に写る建物は、時計回りに校舎本館、男子部寄宿舎、附属小学校、女子部寄宿舎である。
 大正3年の火災により、ここに写る校舎本館と男子部寄宿舎の南寮一棟が焼失している。

【講堂】
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 大正3年の校舎焼失後、大正5年1月に四代目校舎が落成し、同月12日から新校舎における授業が開始されている。なお、この校舎も昭和20年7月6日の甲府空襲により焼失している。


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by kaz794889 | 2009-11-08 11:50 | 学校 | Comments(0)
2009年 11月 07日

甲府城:城址からの眺望 2

【甲府城址から市街地風景】
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 天守曲輪の東側附近から俯瞰した市街地の南側である。
 右側の緑色の屋根は昭和28年5月に建設された恩賜林記念館である。また、その奥に見える駐車場は山梨県民会館大ホールがあった場所であり、それより以前は、現在残されている甲府城の堀につながる形で残されていた甲府城の追手門附近の堀だった場所である。
 県庁舎の本格的な整備が今後進められていく中、そう遠くない時期に、この風景も一変していくのだろうか。

━舞鶴城頭ヨリ望ミタル甲府市街━
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 前記の写真とほぼ同一アングルで写された、明治30年代の甲府市街の情景である。
 中央に大きく写る松の木の右側に写るのは、埋め立てられた甲府城の堀である。また、そこに建つ建物は山梨県議会議事堂である。
 2階建の洋館がいくつか建てられているが、この写真の範囲においては、平屋の日本式住宅が殆んどであるとの観である。


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by kaz794889 | 2009-11-07 15:33 | 甲府城 | Comments(0)