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2009年 10月 25日

湯村温泉郷 『昇仙峡ホテル』

【昇仙峡と湯村温泉郷附近鳥瞰図】
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 下記の「甲府郊外 湯村温泉郷御案内 昇仙峡ホテル」中に掲載されている鳥瞰図の一部である。


【甲府郊外 湯村温泉郷御案内 昇仙峡ホテル】f0191673_15371383.jpg
 昇仙峡ホテルは昭和12年に甲府市郊外(当時は西山梨郡大宮村:昭和17年4月1日に甲府市に合併)の湯村温泉に開業し、同17年には名称を『昇仙閣』と改めている。
 その後、昭和37年10月5日には国際興業株式会社により買収され、新館の建設など拡張・整備されながら営業されてきたが、昭和63年に営業を終了し同年2月5日に昇仙閣跡に新たなホテルの建設が着工され、平成元年10月17日に『甲府富士屋ホテル』がオープンし現在に至っている。



━昇仙峡ホテル正面全景━
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 昇仙峡ホテルから昇仙閣に名称変更した昭和17年以降、戦時体制が強化されるとともに昇仙閣は軍の保養所となり、終戦後は占領軍の施設として一時利用されていた。

【昇仙峡ホテルの内部】
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【昇仙峡ホテル案内】
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 この案内の中で、昇仙峡ホテルについて次のように紹介している。
 「附近は土地高燥で清爽の気に満ちて、屋上よりの展望は殊によく、南方のそらには甲府盆地を経て、富士の秀麗を仰ぎ、西方に南アルプスの峻 を望み北方近く湯村山(湯村富士)に接して、夏は避暑、冬は避寒に恵まれた好適地で御来遊みなさまの御期待に叶ふ理想郷であります。」



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by kaz794889 | 2009-10-25 16:20 | 旅館・ホテル | Comments(0)
2009年 10月 24日

甲府の観光

【『甲府』 甲府及甲府附近の遊覧地】
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 昭和6年4月、中央本線八王子・甲府間が電化された時期に合わせ、甲府商工会議所により発行されたものがこの案内である。
 甲府の概況について「山梨県唯一の市にして甲斐一円の物資の門口、商業殷賑を極め、工業は製糸業を第一とし、特産として水晶細工、印伝細工、葡萄・葡萄酒等世に名高し。」と記している。
 また、市内の名所旧跡として舞鶴城址、舞鶴公園、遊亀公園、躑躅ヶ崎館跡、機山公の墓、酒折の宮、不老園、善光寺を詳説している。

━(甲府名所)甲府全景━
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 愛宕山から西側から甲府城址を中心に俯瞰した甲府の景観である。
 前記の「甲府」の表紙も、こうした景観を基に描かれたものであろう。


━甲府市 舞鶴公園附近━
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 中央本線の電化を記念して選ばれた沿線名所を写した絵葉書の一部である。
 愛宕山をやや登った位置から写した中央本線と甲府城址を中心とした景観である。



【甲府市勢一班 昭和13年版(表紙)】
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 年ごとに甲府市が発行していた「甲府市勢一班」の昭和13年版(昭和13年10月発行)の表紙と裏表紙である。
 内容は市内及や附近の観光地案内を含めた一般的な市勢要覧であるが、表紙等に描かれた図案は市街に湧出する甲府温泉の湯煙と富士山を中心とした周囲の山々を主眼とした図案に、当時の甲府市街の雰囲気が感じられる。

【同(裏表紙)】
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by kaz794889 | 2009-10-24 18:16 | 観光案内 | Comments(0)
2009年 10月 18日

富士身延鉄道と車内販売

【富士身延鉄道沿線名所案内】
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 大正2年7月20日に富士と大宮町(現在の富士宮)がで営業を開始した富士身延鉄道は、昭和3年3月30日に甲府までの路線が全通し、昭和13年10月1日にその路線が鉄道省に借り上げられた後、昭和16年5月1日には買収国有化され現在の身延線となっている。
 上記の「富士身延鉄道名所案内」図は、十島から国母の間を抜粋掲載したものである。

【列車内葡萄酒販売のお知らせ】
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 甲斐常葉と内船南部(現在の内船:昭和13年10月1日に駅名改称)駅間における、葡萄酒と乾ブドウの車内販売を知らせるチラシである。
 甲州岩崎(祝村)の麗玉園が販売を行ったものであり、販売区間にあたる現在の波高島駅が下山波高島と旧称であることから、鉄道省に路線が借り上げられる以前の富士身延鉄道時代における車内販売と考えられる。

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by kaz794889 | 2009-10-18 11:13 | 鉄道 | Comments(0)
2009年 10月 17日

甲州 勝沼葡萄郷

━[甲州祝村] 岩崎 葡萄の里━
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 中央本線の笹子トンネルを抜け甲斐大和駅を過ぎ勝沼ぶどう郷駅に至る頃、甲府盆地の展望が展開され、急峻な山を切り開いた山腹から山麓にかけて一面に葡萄畑が作られている様子は山梨県を象徴する代表的な景観のひとつである。
 この祝村は、明治8年に上岩崎、下岩崎、藤井の3村合併により発足し昭和29年に東雲村、菱山村、初鹿野村の一部と勝沼町が合併し新たな勝沼町が成立するまで存在した自治体であり、江戸期以来のぶどうの産地であり、昭和25年頃の主要農産物作付面積の7割をぶどう畑が占め、また、旧勝沼町に所在するワイン企業の三分の一が集中するなど、旧勝沼町内におけるいわゆる勝沼葡萄郷の中でも大きな位置を占める地域である。
【葡萄郷附近の名勝と其の行程】
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 勝沼町内に置かれた甲州葡萄郷保勝会が指定した昭和10年頃の遊覧葡萄園は、左記の鳥瞰図に見えるように、祝村の宮光園、大一園、勝沼町の川口園、勝沼園など11の遊覧葡萄園が開かれていた。


【葡萄郷御案内】
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 この案内の中で勝沼葡萄郷について「甘美の里葡萄郷は中央線勝沼駅を下車して十町、勝沼町、祝村を中心とする史跡景勝に富む日川の渓流を挟む一帯で、葡萄栽培上、最も重要なる風土の天恵と甲州葡萄最古の歴史を有し、本場岩崎ブドウ、勝沼ブドウとして名実共に満天下の絶唱を博しております。眺望視野を埋むる処、又行く処、見渡す処葡萄ならざるなく、県下における最も著名なる特産物であります。」と記している。



━葡萄郷 甲州勝沼 葡萄園と祝橋の遠望━
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 中央に見える祝橋は、昭和6年に開通したコンクリートアーチ橋で、大正2年に設置された勝沼駅から自動車で葡萄を出荷するために計画されたものである。
━葡萄郷 甲州勝沼 勝沼遊覧園━
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by kaz794889 | 2009-10-17 17:58 | Comments(0)
2009年 10月 12日

甲府琢美尋常高等小学校創立五十年

━甲府市琢美尋常高等小学校創立五拾年紀念 ①━
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 明治5年の学制頒布後の明治7年2月16日、校舎新築とともに甲府工町に琢美学校が開設されてから50年となった大正13年2月16日に発行された「創立五十年記念絵葉書」である。


━甲府市琢美尋常高等小学校創立五拾年紀念 ②━f0191673_11494165.jpg
 写真の校舎は創立50年を迎えた大正13年の校舎である。当時は明治33年に3月に開設された市立琢美子守学校が併設されていた。


【創立五十週年記念唱歌】
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【横近習大神宮】
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 明治7年に校舎が新築され琢美学校となる以前、明治5年の学制頒布に伴い同年10月3日に甲府横近習町に善誘館、西一条町に振徳館、元三日町に本立館の三仮校が設置され旧来の私塾や寺子屋の児童が収容された。善誘館は琢美学校の前身であり、善誘館が置かれた神明社は写真の横近習大神宮(甲府市中央2-7)である。


【工町時代の琢美学校跡】
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 明治7年の学校創立から大正2年6月に新築移転するまでの間、琢美学校は現在の山梨中央銀行東支店附近(城東1-16-12)に置かれていた。


━甲府市琢美尋常小学校新築移転記念絵葉書①━
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━甲府市琢美尋常小学校新築移転記念絵葉書②━
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 琢美小学校は工町校舎の狭隘等から、創立50年を迎える10年程前の大正2年6月16日に甲府市深町(現在:城東1-12)に新築移転している。これを記念して発行されたものがこの絵葉書である。
 なお、この校舎新築に伴う総経費は75,000円であり、その規模と設備は当時の山梨県内第一とされていたようであるが、この校舎も昭和20年7月の甲府空襲により焼失している。


【深町時代の琢美小学校跡】f0191673_1154955.jpg
 甲府刑務所の移転に伴い、昭和58年4月5日に琢美学校は刑務所跡地(甲府市朝気1-2-52)に新築移転し現在に至っているが、甲府市街地区の小子化などから琢美小学校と富士川小学校を共に廃止し、現在の琢美小学校の建物等を活用した新たな小学校の開設が計画されているようである。
 なお、深町時代の学校跡地には、現在甲府市立図書館(写真の建物)と甲府市教育研修所が建てられている。



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by kaz794889 | 2009-10-12 13:31 | 学校 | Comments(0)
2009年 10月 11日

甲府城:城址からの眺望 1

【甲府城址天守曲輪からの市街眺望】
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 甲府城の天守曲輪西側から甲府市街南側を眺望した情景である。
 後記の写真と比較し、当然ながら市街に高層物が建ち山々を背景とした市街を遠望することはできないが、堀沿いの区割りは往時と変わらぬようである。



━(甲府名所) 甲府市全景━
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 甲府市内を描写した過去の絵葉書には、定番と思われる撮影ポイントがいくつかあるが、そうした中のひとつが甲府城址から市街南部を眺望したこのキャプションである。
 この絵葉書は前記の写真を撮影した天守曲輪西側からと考えられる。ここからの眺めは高い建物のない当時の甲府市街を遠望するには最適な場所であったのだろう。
 堀に架かる遊亀橋の右側に建つ洋館は明治39年に落成した甲府税務署、左側の横長の瓦屋根は進徳幼稚園である。この情景が撮影されたのは明治40年頃と思われる。



━甲府市街全景━
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 市街の情景は前記の写真(明治40年頃)と比較し、堀沿いの木々が成長している。
 市街の変化は乏しいが甲府教会は2代目の建物となり、大正7年の米騒動で焼き討ちとなった若尾本家の場所には若尾ビルが建てられている。大正後期から昭和初期頃の情景と思われる。



━甲府市全景(甲府名所)━
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 甲府市街における当時のランドマークでもあった高層建築として、写真中央の松林軒デパート(昭和12年開業)と写真の右側の岡島百貨店(昭和13年開業)が建てられている。昭和13年~15年頃の情景と思われる。



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by kaz794889 | 2009-10-11 13:17 | 甲府城 | Comments(0)
2009年 10月 10日

遊亀公園を歩く4 (稲積神社)


【稲積神社 正面】f0191673_10471395.jpg
 遊亀公園の西北側に隣接して鎮座するのが稲積神社である。
 境内に建つ稲積神社由緒碑には「崇神天皇の御代四道将軍武淳川別命(たけぬなかわわけのみこと)東征の折田圃を造り五穀豊穣祈願のため、字丸山に奉斎したと伝える甲斐源氏の祖、一条次郎忠頼丸山に館するに当り、庄城稲荷と呼ばれ氏神として甲斐源氏一族の崇敬する所となった。文禄年中、浅野長政甲府城を築くに際し現在地に遷され、後、明治九年郷社となり通称正ノ木さんと呼ばれている。」と刻まれている。



━甲府稲積神社━
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 これは、明治三十年代の稲積神社である。
 当時の神社の様子について『日本名勝地誌第三編』(野崎左文著:明治27年5月7日発行)は「本社は間口三間奥行三間半、其他拝殿、神庫、末社、社務所等あり金彩の美なしと雖も建築古雅にして優美、毎歳旧暦四月三日、十一月三日を以って大祭を行う」と記している。



【稲積神社 社殿】
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 稲積神社は昭和20年7月の甲府空襲により社殿は焼失している。
 罹災後、一時仮殿に奉斎していたが、拝殿は崇敬者一同の浄財により、写真の拝殿等が昭和30年5月に再建されており、本殿についてはは昭和51年5月に再建されている。


【太鼓橋跡からの稲積神社】
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 遊亀公園と稲積神社は園内の池に架けられた橋によって結ばれている。



━(甲府名勝)太田町公園内稲積神社━
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 遊亀公園側から太鼓橋と稲積神社を眺めた明治40年代の光景である。


━甲斐甲府市 太田町公園━
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 遊亀公園の池側から眺めた大正時代の太鼓橋である。写真中央の建築物は明治期に建設された稲積神社の神楽殿である。




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by kaz794889 | 2009-10-10 11:48 | 遊亀公園 | Comments(2)
2009年 10月 04日

昭和大礼・地方賜饌式

【地方賜饌御召状】f0191673_12304457.jpg
 昭和3年11月10日に京都御所紫宸殿において挙行された昭和天皇の即位の大礼に際し、山梨県における地方賜饌が同年11月16日に舞鶴公園(甲府城址)おいて行われた。
 これは、山梨県における地方賜饌にあたり、宮内大臣名により出された御召状である。
 
 御召状については、事前に該当者の属する市町村長あてに送付され、当時の山梨県知事官房秘書課名による該当者への通知により、当該市町村役場において受領(一部の場合を除く。)することとされていた。




【地方賜饌式次第】
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 地方賜饌式は11月16日の正午から開かれたため、参入者心得において「当日午前11時までに参入すること」とされていた。
 また、参入については服装も詳細に定められていたほか、必ず本人に限られており、代理人の参入は認められていなかったものである。



【舞鶴公園 地方饗饌場見取図】
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 地方賜饌の会場となった舞鶴公園の見取図である。
 当日の饗饌場にはいわゆる甲府城の広場が充てられており、出席者の官位や公職の席次により「紅札席」「黄札席」など四つの席に分かれていた。
 見取図によれば、当日は広場の東側に救護所や郵便局、休憩所が設けられていたようである。

【現在の舞鶴公園広場】
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 舞鶴公園広場、いわゆる「お城の広場」は、戦前戦後を通じて山梨県や甲府市などによるイベントが数多く開催されていた。
 信玄公祭の際は現在もこの広場が使われている。

【会場全景】
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 地方饗饌の会場全景である。


【当日の会場入口】
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 舞鶴公園の堀に架かる遊亀橋が入口とされ、橋を渡った左側に受付所が設けられていた。


【地方饗饌終了、退出の状況】
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 県立甲府高等女学校の教諭等が退出する状況である。



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by kaz794889 | 2009-10-04 12:46 | Comments(1)
2009年 10月 03日

下部温泉

【信玄公かくし湯 下部温泉御案内】
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 南巨摩郡身延町にある下部温泉は、身延線下部温泉駅附近と常葉川支流の湯川上流附近約1㎞にわたる温泉郷である。
 下部温泉の起因は、景行天皇の代、甲斐の国造、塩海足尼(シオミノソコネオ)が国内巡視の際に霊湯を発見し、その姓をとって塩部(下部)の湯と名づけたことによると伝えられている。
 一般的には、武田軍の負傷兵を療養された湯といわれ、武田信玄の隠し湯として古来から広く知られている。
 下部温泉は江戸時代には東河内領の下部村に属し、化政期の戸数は34戸であったという。明治11年には、常葉地区を中心とする富里村となり、昭和31年9月30日に富里村、古関村、久那土村及び共和村の一部が合併し下部町となったが、平成の市町村合併により下部町は中富町とともに身延町と合併し、現在下部温泉は身延町に属している。
 
  なお、左の観光案内は下部温泉の旅館組合が昭和初期に発行したものである。


【紅葉の旅 「富士身延鉄道発行の観光チラシ」より】
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━「下部温泉」 吉田初三郎画伯筆━
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 「温泉郷の風光」と題する山梨県内の温泉地(甲府温泉、湯村温泉、下部温泉、山梨の温泉と景勝交通図)を吉田初三郎が描いた4枚1組の絵葉書の中の一枚である。

【下部温泉案内】
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 下部川に沿った下部温泉郷の案内図である。
 案内図の中には現在も営業している老舗旅館の名前も少なくない。

━甲州銘湯下部鉱泉場━
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 明治43年頃の下部温泉である。
 明治43年4月にに発行された、田山花袋編『新撰 名勝地誌 巻二』は、「下部温泉」について次のとおり記している。
 「富里村下部にあり。郡中著名の温泉にして、地は群山しょう立の中、東に河流を帯び、西北は山麓を負ふ。浴舎7、8戸あり。道路甚だ不便なれども、温泉の清潔の著しきによりて、浴客一ヵ年平均二万五千人を下らずといふ。鰍沢町よりは舟によりて福井、下山にくだり、対岸の八木沢より、常葉川に沿ひて山に入るべし。

━甲州西八代郡富里村下部鉱泉場 大森館ノ景━
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 前記の絵葉書と、ほぼ同位置から写した明治後期から大正初期に写した情景である。

━甲州西八代郡富里村下部鉱泉場 二ノ橋之景━
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 大正4年頃の情景である。

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by kaz794889 | 2009-10-03 20:52 | 温泉 | Comments(0)