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2009年 07月 23日

甲府城の堀端

━甲府名所 舞鶴公園━
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 昭和30年代の甲府名所絵葉書の一枚、「舞鶴公園」である。
 カラー印刷が今より高価な時代の甲府城と堀端の風景である。石垣には雑草が茂み、城壁も当然再建前であり、堀端も道路との境が未整備であり未舗装であるが、堀の水量は現在より多く、遊覧ボートの営業もされていた。甲府城全体が整備される以前の雑然とした状態の時代ではあるが、ある意味では城址が生活に溶け込んでいた頃のなつかしさが感じられる。

【甲府城の堀端】
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 甲府城の石垣も堀端の道路も綺麗に整備された現在の様子である。

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by kaz794889 | 2009-07-23 20:06 | 甲府城 | Comments(1)
2009年 07月 20日

甲府税務署の煉瓦塀

【甲府税務署の敷地西側に残る煉瓦塀】
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 甲府税務署(甲府市丸の内1-11-6)の敷地西側に残る旧庁舎建設当時の煉瓦塀である。
 甲府駅北口に建設が予定されている合同庁舎が完成し甲府税務署が移転した際には撤去されるのだろうか。
 甲府税務署は明治29年11月1日、甲府市及び西山梨郡を管轄地域として設置され、明治35年11月の竜王税務署の廃止により中巨摩郡が、大正11年11月の石和税務署の廃止とともに東山梨郡、東八代郡が管轄地域として追加されたが、昭和22年8月に加納岩税務署(現在の山梨税務署)が新設され、東山梨郡、東八代郡が同税務署に移管された。その後、昭和41年7月には韮崎税務署が統合され韮崎市、北巨摩郡が管轄地域として追加されている。

【甲府税務署旧庁舎】
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 明治41年3月に甲府市桜町66番地(現在の場所)に落成した甲府税務署の旧庁舎である。
 敷地西側の煉瓦塀はこの庁舎が建設された当時のものと思われる。旧庁舎は昭和20年7月6日の甲府空襲でも焼失を逃れたが、庁舎の老朽化と狭隘から昭和39年3月により取り壊され、現在の庁舎が同年12月に新庁舎として落成している。

━(甲斐国) 甲府市の全景━
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 甲府税務署の旧庁舎が写る絵葉書の全景である。
 庁舎回りの状況から、旧庁舎の落成間際頃の様子を写した絵葉書と考えられる。

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by kaz794889 | 2009-07-20 14:29 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2009年 07月 19日

甲府・桜座

【桜座全景】
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 明治9年8月、魚町の三井与平が甲府桜町2丁目に亀屋座に対抗して三井座を開設し、その後、座主が替わり明治17年に桜座と改称されたことが桜座の始まりである。
 その後明治23年8月に規模を新たにして桜座は甲府市桜町15番地に新築移転した。
 この写真は明治23年8月に新築移転した桜座の大正4年頃の状景である。

【現在の桜座跡地】
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 桜座の跡地である桜町15番地。現在は中央1-18-6(甲府中央信用組合の位置)となった桜座の跡地である。

【桜座の内部】
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 新築移転した桜座のこけら落としは、8月29日が初日の市川小団次、沢村源之助、大谷与十らによる「慶安太平記」「市原野」「切られお富」などであった。

【桜座歌舞伎の案内チラシ】
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━甲府桜町通━
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 山梨県で初めての活動写真の公開は、桜座における明治30年11月5日の上映であった。毎夜19:00からの上映で当初の予定である上映期間の一週間を3日間延長するなど、毎夜超満員の盛況であった。
 大正期になると、これまでの歌舞伎から近代劇である新派系統の演劇が上演されるようになった。
 その後大正12年に座主が替わると大正13年1月からは映画と実演の劇場となったものの、大正15年頃までに甲府市内には多くの活動写真館が出現し、映画隆盛のきざしが県内各地に見えてきたため、劇場経営のが困難となってきた。
 写真は明治40年代の桜町通りである。写真の左側に幟が立っているのが桜座である。

━甲府名所 桜町通り━
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 昭和2年の経済恐慌による不況により、商業も不振が続き、こうした状況を打開するための経営費節減策として、廉売百貨市場を企画運営する業者が現れ、甲府市内にも廉売百貨市場が出現し、昭和5年11月に桜座は山梨県内最大規模の桜座百貨市場となった。その後はデパートの出現などにより桜座を含む甲府市内6ヵ所の百貨市場も経営が行き詰まりその姿を消していった。
 桜座はその後軍需工場となったが、昭和20年7月の空襲で焼失している。
 写真は昭和10年頃の桜町通りである。左側に写る建物が甲府桜座百貨市場である。

【現在の桜町通り】
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 現在の桜町通りの状況である。左側のゴミ収集車が停止している附近が桜座のあった場所である。

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by kaz794889 | 2009-07-19 15:14 | 劇場・映画館 | Comments(2)
2009年 07月 18日

田安陣屋跡

【田安陣屋跡】
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 享保の改革により甲府藩が江戸幕府の直轄地となり、甲斐国には甲府城警衛の甲府勤番と、村方を治める三部代官として甲府、石和、上飯田(後に廃止され市川に設置)の各地に代官所が置かれた。
 その後、田安、一橋、清水の徳川御三卿が各地の幕府直轄地に10万石の治所を分割して持つことなり、延享3年には田安、一橋家の各治所3万石が、宝暦12年には清水家の治所が甲斐国内に定まったことにより、江戸幕府による支配系統と御三卿の治所である私領が甲斐国内に入り混じる複雑な支配体制が明治維新期まで続くこととなった。

【田安陣屋跡】
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 御三卿の一つである田安家の治所として、延享3年9月に摂津、和泉、播磨、武蔵、下総、甲斐の6か国に渡って10万石が与えられ、甲斐国内には山梨郡、八代郡の63か村が領地とされた。また、その後の天保3年には巨摩郡の44か村が追加された。
 これにより、田安陣屋は延享4年から明治3年5月までの124年間、当時の一丁田中村(現在の山梨市)に設置されていたが、明治維新による陣屋の廃止後、その跡地は桑畑となっていったが、現在、その多くは宅地に変わっている。

【昭和3年頃の田安陣屋跡】
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 陣屋の廃止後、その跡地は桑畑となったが、現在はその多くが宅地となっている。
 写真に写る石垣と神社は、田安陣屋の東側に位置し、陣屋の守護神として祀られていた水上稲荷社であり、田安陣屋の遺構の一部として現在も残されているものである。「田安陣屋跡」として昭和56年5月25日に山梨市の史跡に指定されている。

【水上神祀の碑】
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 稲荷社境内の拝殿に向かって右側に建つ、文久3年に建立された「水上神祀の碑」(左側)と同時期に建立された「献金の碑」(右側)である。

【小島蕉園翁頌徳碑】
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 拝殿に向かって左側に建つ、大正7年に建立された「小島蕉園翁頌徳碑」である。
 小島蕉園は文化2年から同4年まで田安陣屋の16代目の代官を務めており、「その治績は著しく徳望高き人」として知られていた代官であった。

【水上稲荷社本殿】
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 水上稲荷社の本殿である。
 石垣を登った稲荷社の境内には、この他にも石灯籠や石鳥居など江戸期に建立された石造物等が残されている。

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by kaz794889 | 2009-07-18 21:03 | 史跡 | Comments(0)
2009年 07月 17日

旧甲府郵便局庁舎(甲府市役所南庁舎)

【昭和戦前期の錦町交差点】
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 中央左側に写る建物が、錦町交差点に向けて正面入口のあった旧甲府郵便局庁舎である。
 昭和6年3月に庁舎が竣工している。

【甲府郵便局新築図及工事概要】
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 甲府市八日町にあった甲府郵便局は、庁舎の老朽化や狭隘により錦町に新築移転することとなった。
 錦町の新築地は現在の場所に県庁舎が移転するまで県庁が建っていたむ場所である。
 当時の逓信省における建築技師であった山田守の設計により、広島の森田組(別館については甲府の内藤工業所)が建設工事を請け負い、昭和4年7月に新庁舎の建設が起工され、6年3月に竣工している。




【甲府郵便局一階平面図】
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 新築なった甲府郵便局の一階平面図である。図の上部は後に甲府電報電話局の錦分局となり、既に先年取り壊されている。
 なお、平面図の赤い矢印は昭和6年3月20日の竣工式における局内順路等である。

【甲府郵便局新築工事概要】
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【旧甲府郵便局庁舎の正面入り口】f0191673_2321561.jpg


 写真にも写る旧庁舎の北側に戦後庁舎が増築された際に撤去されたが、それまでは錦町交差点に面した庁舎の角部分に窓口への正面入口が設けられていた。

【旧甲府郵便局庁舎の南側】
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【西側からの旧甲府郵便局庁舎の状況】
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 旧甲府郵便局庁舎を裏側から眺めた状況である。

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by kaz794889 | 2009-07-17 23:36 | 郵便局・逓信 | Comments(0)
2009年 07月 12日

甲府貯金支局

【旧甲府貯金事務センター庁舎】
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 甲府市北口に建つこの建物は、平成15年1月に横浜貯金事務センターに統合されるまでの59年間、地元で貯金局と呼ばれていた旧甲府貯金事務センターの庁舎である。

【甲府貯金支局史】
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 郵便貯金の預払いの記録は通帳単位に作成された書類を貯金原簿として全国数か所に設置されていた貯金支局において管理していたことから、戦局の悪化による空襲の頻発などから、東京貯金支局で管理する貯金原簿の地方疎開の必要性が高まり、甲府に貯金支局の設置が決定した。
 東京貯金支局の貯金原簿は、函館、仙台、甲府の各貯金支局への疎開が決定し、甲府貯金支局には昭和20年2月までに約418万件分の書類が移管された。
 なお、甲府貯金支局の設置は昭和19年5月頃から計画が進められていたが、庁舎の条件である鉄筋コンクリートの建造物の確保に難儀していたところ、群馬県高崎市から建物提供の申し出があったことから、甲府への貯金支局設置が急変する事態も発生している。



━岡島百貨店(昭和30年代初め頃)━
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 昭和19年9月1日、岡島百貨店の3階以上450坪を本館事務室として、甲府貯金支局が開局した。
 なお、庁舎としては岡島本館の他に桜町の内藤呉服店、日本基督教団甲府教会、寿町の甲府高等女学校講堂、笠井商店倉庫、八日町の印伝屋上原商店を借り入れ分室として事務を遂行していたが、昭和20年7月6日の甲府空襲で本館、分室を含めた庁舎と貯金原簿の全てを焼失している。

【戦後新築された甲府地方貯金局庁舎】
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 甲府空襲による罹災後、庁舎建設までの間は、穴切小学校、桜町の進徳幼稚園、飯田町の日本特殊研磨工場、山田町の芦沢製糸工場などを借り入れ庁舎としていたが、昭和22年4月に現在の場所に落成した庁舎が写真の木造庁舎である。
 なお、昭和24年6月1日の組織変更に伴い、甲府貯金支局は甲府地方貯金局と改称された後、昭和57年3月1日には甲府貯金事務センターと改称されている。

━甲府地方貯金局全景俯瞰━
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 昭和22年に完成した木造庁舎4棟に加え、昭和25年、26年と庁舎の増築はされたものの、終戦直後の資材欠乏時代に建設された庁舎ゆえ、資材も粗悪であり庁舎の破損が年月とともに著しくなったことから、新たな庁舎の新築が決まり、昭和33年12月10日に竣工した新庁舎の全景俯瞰である。
 なお、その後も業務の機械化等により昭和39年5月と44年5月に庁舎が増築され、現在の庁舎が完成している。

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by kaz794889 | 2009-07-12 21:03 | 郵便局・逓信 | Comments(0)
2009年 07月 11日

第十銀行本店

 明治9年の国立銀行条例改正により資本金や紙幣発行条件の大幅な緩和を受け、銀行類似会社であった興益社が国立銀行への転換を決議し、明治10年4月15日に栗原信近を頭取として第十国立銀行が設立された後、明治30年1月1日の国立銀行満期前特別処分法に基づき、第十国立銀行は組織を変更し「第十銀行」として普通銀行に転換した。

━株式会社 第十銀行本店━
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 山梨県為替方であった島田組から譲り受けた社屋に第十国立銀行本店を設置後、社屋の老朽化と人員増加により、新本店が明治22年11月に新築された。
 その後、更なる業務拡大等から社屋が手狭となり、新本店として建設された社屋がこの建物であり、大正13年3月1日に新築落成している。
 その後、金融新体制の確立から第十銀行は有信銀行と合併し昭和16年12月1日に山梨中央銀行として営業を開始し、第十銀行本店は山梨中央銀行本店となったが、昭和20年7月6日の甲府空襲により焼失した。

【山梨中央銀行 本店】
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 第十銀行本店があった甲府市常盤町4番地(現在:丸の内1-20-8)の現在の様子である。
 この場所には、昭和44年11月17日に竣工した山梨中央銀行本店(写真の建物)が所在している。

━株式会社 第十銀行 本店営業室━
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 第十銀行本店の営業室である。現在、金融機関の窓口の殆んどはオープンカウンターとなっているが、戦前期における金融機関の窓口は、こうした鉄格子を配したものが主流であったようである。

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by kaz794889 | 2009-07-11 08:41 | 銀行 | Comments(0)
2009年 07月 06日

甲府空襲


 甲府市とその周辺13町村は、昭和20年7月6日23時53分から翌日の午前2時頃にかけて、B29による空襲を受け、甲府は市街地の74%が焼失し焦土と化し、1,127名が犠牲となった。
 この日の日中の天気は晴れ、最高気温は29℃、22時の時点でも22℃の蒸し暑い夜であったようである。

【戦災援護義損寝具供出要綱(本建村)】
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 南巨摩郡本建村(現在の早川町)で7月30日に開催された常会における配布資料(「本建村常会提出事項」
)には既に「戦災者ノ援護ニ就テ」として罹災救恤品供出について記載されているが、この寝具供出要綱については、8月の終戦前後に出されたものと考えられる。
 その主旨としては、甲府市等における空襲罹災家庭の向寒に際して寝具用意のための義損寝具供出であり、山梨県恩賜財団戦災援護会山梨県支部が主催し、南巨摩郡下一円で5千枚、1万組を供出数量としている。

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 供出の期限は9月25日まで、本建村の割当は127枚で、その内訳は村内4地区で初鹿島地区16枚、小縄地区14枚、高住地区24枚、赤沢地区22枚のほか、赤沢地区の旅館組合には別枠で各旅館単位に合計51枚が割り当てられていた。

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by kaz794889 | 2009-07-06 23:57 | Comments(0)
2009年 07月 04日

甲府・若松町 濁川岸


━甲府若街 緑河岸━
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 明治40年代頃、若松町を流れる濁川に架かる土橋から西側、緑橋方向の光景である。
 郭内だけに制限されていた芸妓の営業が明治14年に緩和され、桜町、春日町に移った後、25年12月の山梨県会において置屋制度が定まると同時に新たな税金として芸妓税、置屋税が賦課され、27年1月に全ての芸妓置屋に若松町への移転が指示されたことが「若街」のはじまりである。

【土橋から見た濁川西側】
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 甲府若街緑河岸の現在の様子である。
 享和3年4月の火災により類焼し西一条町に移転した亀屋座(明治9年に西一条町が若松町に町名改称されたため、明治16年に若松座と改称)は、明治26年に四度目の火災に遭い春日町に再興するまで、写真の左側に写る道路附近に建てられていた。

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by kaz794889 | 2009-07-04 22:38 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2009年 07月 03日

山梨貯蓄銀行


━株式会社 山梨貯蓄銀行━
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 山梨貯蓄銀行は大正11年11月4日に甲府市桜町20番地(現在:甲府市中央四丁目)に開業した。
 その後の業務拡大による本店社屋の狭隘化により、昭和4年4月29日に甲府市相生町20番地に新築移転した同銀行の本店である。

━株式会社 山梨貯蓄銀行営業室━
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 戦時経済の統制下における銀行合同の要請により、昭和18年12月1日に山梨貯蓄銀行が山梨中央銀行に合併すると同時に、山梨貯蓄銀行本店は山梨中央銀行相生町支店となり、日本銀行の本店業務一部疎開に伴い昭和20年7月23日には日本銀行甲府支店が開設され、昭和51年9月に現在の日本銀行甲府支店の新店舗が完成するまでの間、日本銀行甲府支店として使用された。

【甲府商工会議所】
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 日本銀行甲府支店の新築移転後は甲府商工会議所として使用されてきたが、甲府商工会議所の新社屋建設に伴い、旧社屋が取り壊されその跡地に現在の甲府商工会議所が新築されている。
 旧山梨貯蓄銀行本店があった場所に建つ、現在の甲府商工会議所ビルである。

【山梨貯蓄銀行の貯金通帳】
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 昭和12年当時の山梨貯蓄銀行の貯金通帳である。

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by kaz794889 | 2009-07-03 22:16 | 銀行 | Comments(2)