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2009年 04月 19日

【山梨・観光アーカイブ 2】 新日本八景

 昭和2年4月9日の大阪毎日新聞、東京日日新聞の紙面に日本新八景選定に係る募集告知が掲載された。
 この企画は「昭和の新時代を代表すべき日本の勝景は、よろしくわれ等の新しい好尚によって選定されなければならない」としたもので、山岳、渓谷、湖沼、海岸、河川、平原、瀑布、温泉の8部門に分けて実施された風景の官製郵便葉書による人気投票と選定委員の協議に基づく選定による、大阪毎日、東京日日の両新聞社主催、鉄道省後援によるものであり、昭和2年4月10日から5月20日までの間で、当時の日本の総人口約6000万人に対して総投票数9342万票を得たものであり、こうした数字からも、この企画が全国において注目されたものといえるだろう。

 この新日本八景選定にあたり、山梨県では当時の内部部長が采配を振るい、景勝地開発委員会を県庁で開催し、富士五湖(湖沼の部)と御嶽昇仙峡(渓谷の部)を推薦することとし、全県民一人一票主義を標榜した奮起を促した投票運動が続けられていった。
 特に御嶽昇仙峡について甲府では、甲府市、山梨開発協会、商工会議所、金桜神社、料理業組合、水晶組合などの名を連ねた御嶽昇仙峡推奨後援会が組織され、投票の推奨が行われた。

【山梨県繁栄のために 県民諸君よ、起て!】
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 御嶽昇仙峡と投票数の一位を競っていた天竜峡、瀞峡も懸命な得票集めを行っており、御嶽昇仙峡も更なる得票の上積みをしなくては一位確保が困難と思われ、甲府市は緊急に協議会を開催し20~30万票の上積みを行うための葉書代の支出が話し合われるなどした。
 これは、こうした状況の中、山梨県民有志の名で投票期間の終盤に出された、御嶽昇仙峡への投票を求めるチラシである。このチラシの内容からも当時の投票に関する状況が覗える。

【新日本八景の選定結果を掲載した昭和2年7月6日の大阪毎日新聞】f0191673_7153278.jpg


 4月10日から5月20日の間における投票数と7月3日に開催された日本八景審査委員会において、日本八景、日本二十五勝、日本百景がそれぞれ選定された。

【選定された「日本八景」】
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 富士五湖については、湖沼の部において1,328,978票の最高票第一位を確保したものの、投票数第三位734,112票の十和田湖が湖沼の部において日本八景に選定(投票数の第二位は菅沼(群馬)であった。)された。
 また、御嶽昇仙峡の投票数は2,992,930票で渓谷の部においては第二位であり、天竜峡が3,127,170票で第一位、瀞峡が2,064,590票で第三位となったが、渓谷の部における日本八景には投票数で第十一位606,391票の上高地渓谷が選定された。 

【選定された「日本二十五勝」】
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 日本二十五勝には県内から御嶽昇仙峡、富士五湖が選定された。
 また、日本百景に山梨県内から駒ケ岳(山岳の部)投票数212,090票、八ヶ岳平原(平原の部)投票数197,134票が選定されている。

 なお、県内において投票されたその他の場所と投票数は次のとおりである。【()の数字が投票数】
 
 【温泉の部】
  下部温泉(3)、塩沢温泉(2)、西山温泉(1)
 【瀑布の部】
  仙嶬の滝(1)、仙蛾の滝(1)、千波の滝(1)
 【山岳の部】
  白根山(11)、大菩薩峠(10)、三つ峠(7)、矢納山(1)、山梨御嶽(1)、源次郎岳(1)
 【湖沼の部】
  吉田湖(1)
 【渓谷の部】
  猿橋(21)、桂川渓谷(1)、駒ケ岳(1)、差出の磯(1)
 【河川の部】
  桂川(2)
 【平原の部】
  富士甲州裾野(13)、西行峠(1)、甲府盆地(1)

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by kaz794889 | 2009-04-19 08:34 | 山梨観光アーカイブ | Comments(3)
2009年 04月 15日

【山梨・観光アーカイブス 1】 

 「山梨・観光アーカイブス」は古い観光案内史料等で、山梨県内の観光について紹介していきます。

『つつじ案内』
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 山梨県内の桜や桃の季節も終り、つつじの時季を迎えます。
 「つつじ案内」と称する山梨県発行のこの観光チラシには、『初夏はつつじの丘へ新緑の山に』のキャッチフレーズのもと、山梨県内のつつじの名所として、「富士山麓の躑躅ヶ原」「八ヶ岳山麓の躑躅」「甘利山の躑躅」が紹介している。



『甲斐つつじ名所案内略図』
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 「富士山麓のつつじヶ原」
  富士山の吉田口登山道に沿った中の茶屋から大石茶屋附近は躑躅ヶ原と呼ばれ、蓮華つつじの群落地として名高く、昭和3年3月3日に「躑躅原のレンゲツツジ及びフジザクラ群落」として国の天然記念物に指定されている。
 
 「八ヶ岳山麓のつつじ」
  八ヶ岳の南麓、美し森一帯にわたる地域には種々の躑躅が一面に群生し、美し森躑躅ヶ原と呼ばれている。先年、鉄道省の全国躑躅番付に西の大関を勝ち得た程あり其の美観はすばらしいものがある。その中心をなす「美し森の大ヤマツツジ」は昭和10年6月7日に国の天然記念物に指定されている。
 
 「甘利山のつつじ」
  南アルプスの前山である甘利山頂上にわたる芝原地帯には一面にレンゲ躑躅が群生している。

『新緑の山に つつじの丘へ』
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by kaz794889 | 2009-04-15 21:26 | 山梨観光アーカイブ | Comments(0)
2009年 04月 12日

甲府城追手門


【県庁前 スクランブル交差点】
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 かつての甲府城追手門があった場所は、現在の県庁前スクランブル交差点附近である。(右側の黒いビルが県民会館ビルである。)
 以前当ブログで紹介したとおり、昭和3年9月に新築移転(現在の甲府第一高校の場所)するまで、県庁の建つ場所に甲府中学校があり、追手門は同中学校の正門として使用されていた。

━(甲府名勝)舞鶴城表面━
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 明治40年代頃の甲府城追手門である。写真に写る太鼓橋の正面突き当たりに追手門があり、甲府中学校の正門として使用されていた。
 甲府中学校の移転後、その跡地に県庁が移転し現在も残る旧県庁舎(昭和5年4月竣工)、県会議事堂(昭和4年9月竣工)などが相次いで建設されることとなり、甲府城の西側の一画(甲府駅前通り)が崩され堀が埋め立てられるなどした際に、追手門を始めとした写真に写る石垣、堀も取り壊されている。

━西側から見た追手門と太鼓橋━
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 山梨県民会館ビル附近から眺めた追手門と太鼓橋である。
 県庁建設に伴い埋め立てられるまでは、現在も残る堀に写真に写る堀が続いていた。また、写真に写る堀の附近が県民会館ビルや県民会館ホールが建っていた場所である。


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by kaz794889 | 2009-04-12 22:50 | 甲府城 | Comments(0)
2009年 04月 11日

大日本武徳会山梨支部武徳殿

 甲府城址、舞鶴公園内「二の丸」に建つ武徳殿は、大日本武徳会山梨支部武徳殿として昭和7年9月に着工、同8年3月に竣工した建物である。
 昭和20年8月にGHQの占領施策により大日本武徳会が解散させられた後、山梨軍政部により建物は接収された。接収解除後、県有財産となり、昭和36年6月からは山梨県警察本部に移管されている。
 また、昭和59年9月には建物の老朽化に伴う改修が実施され、同58年3月に改修工事が完了し現在に至っている。

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━武徳殿 正面━
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 武徳殿は昭和3年に行われた御大典記念事業として企画されたものであり、有志の寄附42000円を始めとした資金により建設されたものである。 
 新築落成記念しおりによれば「白木社殿造リニシテ屋根ハ日本瓦本葺トシ建坪数172坪余ナリ、内道場ハ50坪ニシテ観覧席は約500名ヲ収容シ得ラルヘク演武場ノ電燈照明ニハ特ニ意ヲ用ヒタリ」と武徳殿の建物について説明している。
 また、武徳殿の後方には、大正8年に建設された旧仮武徳殿を改造し、客殿、湯殿、便所等を増築した94坪の附属屋として武者溜が整備されている。

【舞鶴公園内 武徳殿配置図】
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 右の図で、青く塗りつぶしている下図が武徳殿、上図が武者溜である。
また、武徳殿と武者溜から離れた右側の上図は、武徳殿と同時期に新築・整備された大弓場である。



【県庁構内から見た武徳殿】
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━武徳殿 前面全景━
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━武徳殿 背面全景━
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【武徳殿新築落成式並記念演武大会誌】
f0191673_1732955.jpg 昭和8年3月に落成した武徳殿の落成式は同年4月29日の天長節に挙行された。
 当日は午前10時30分から武徳殿新室祭式神事に引き続き落成式、その後午後1時から演武が行われている。



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by kaz794889 | 2009-04-11 20:02 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2009年 04月 08日

『桜の名所 今昔 4』 山高の神代桜と実相寺


━神代桜(幹周60尺・樹高90尺・樹齢1800年)(内務省保存指定木)━
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 田山花袋編『新撰名勝地誌』(明治43年4月23日・博文館刊)には、「高さ5、6丈、幹の周囲約4丈、枝の八方に分れ、幹の自ら洞腹をなせる所平坦にして畳2,3畳を敷くべし。花は八重の淡紅、旧暦2月下旬より3月上旬まで、即ち穀雨の節より7,8日前を開花の候とし、僻地なれども花時に到れば四方らり杖をひくもの多し、また、樹上宴を張るのは奇観を見ることあり」と記されている。
 北杜市武川町山高の日蓮宗大津山実相寺にあるこの桜は、山高の神代桜と言われ、国の天然記念物に指定(大正11年10月12日指定)されている。
 神代桜は日本最大規模の桜であり、伝説によれば、日本武尊が東国に遠征の際、この場所を通りがかり記念にこの桜を御手植えされたものといわれ、その後、実相寺を訪れ桜の樹勢の衰えを心配した日蓮が、その回復を祈ったところ次第に樹勢が回復したと言われている。

━実相寺 惣門━
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 神代桜のある実相寺の寺域は一條忠頼の城址であり、永禄4年に川中島の合戦にあたり武田信玄が武運長久の永代祈願所として現在地を寄進しこの地に移転、現在に至っている。
 実相寺は創建以来2度の火災に遭い、歴史的建造物や寺宝等は失われているが、樹齢2000年以上とされる神代桜を始め約3000坪の境内には、ラッパ水仙など約10万本が植えられているなど、花畑の中を参道が続いている。

━実相寺 本堂━
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 『新撰名勝地誌』には実相寺について「現在の堂宇は本堂、七面堂、鐘楼、書院、庫裏等、毎歳4月5月の頃は花を訪ねて来るもの多し」と記されている。

━実相寺 庫裏━
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━実相寺 七面堂━
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by kaz794889 | 2009-04-08 17:32 | 桜の名所 | Comments(0)
2009年 04月 05日

山梨県立第一高等女学校創立二十周年

━山梨県立第一高等女学校 創立二十周年記念━
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 大正11年に県立第一高等女学校(後の甲府高等女学校)と改称された、同校の創立二十周年記念の絵葉書である。下方に写るのは当時の正門、上方は左から初代校長の中村正持、二代校長の林光徳、三代校長の内田幾太郎、四代校長の伊藤裕である。

━山梨県高等女学校━
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【県立山梨県高等女学校学則】f0191673_13221675.jpg
 山梨県立第一高等女学校は、明治35年5月1日、県立高等女学校として甲府市寿町に開校した。
 その後、明治38年に県立高等女学校、大正11年に山梨県立第一高等女学校、同13年に山梨県立甲府高等女学校と校名を改めている。


━山梨県立甲府高等女学校(正門)━
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 昭和12年に校舎の前面改築が着工され、同14年12月に新築校舎が完成した。絵葉書に写るのは、その際に完成した校舎と正門である。(左上に写るのは御真影奉安所である。)
 昭和20年7月の甲府空襲によりこの新築校舎も焼失した。
 その後、昭和23年4月の学制改革により校名は甲府第二高等学校となったが、同50年2月には甲府市下飯田4-1-1に移転し、同年4月からは甲府学区総合選抜校の一校として男女共学となり、同52年4月に山梨県立甲府西高校と改称され現在に到っている。
 なお、甲府市寿町の旧校地には、昭和57年11月1日に山梨県内最大の公共ホールである山梨県民文化ホールが建設されている。

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by kaz794889 | 2009-04-05 13:59 | 学校 | Comments(0)
2009年 04月 03日

甲斐・善光寺

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 平成9年に甲斐善光寺の本尊であり国の重要文化財(昭和48年6月6日指定)である「銅造阿弥陀如来及両脇侍立像」の80年振りの御開帳を機に信濃善光寺と同様に7年に一度の御開帳が甲斐善光寺においても行われることとなったが、本年も4月5日から5月31日まで、甲斐善光寺の御開帳が行われる。

━甲斐 善光寺━
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 甲斐善光寺(正式名称:定額山浄智院善光寺)は武田信玄の開基によるものであり、永禄元年、現在の地に伽藍を建立し諸仏を安置したことが始まりとされている。

━(甲府名所) 善光寺本堂━
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 甲斐善光寺の本堂は武田信玄により永禄8年に建立されたが、宝暦4年に門前民家の失火により金堂を含む堂塔の全てが烏有に帰したが、30余年の建設に係る歳月を経て、寛政8年に再建された本堂が現在も残る写真の本堂である。
 なお、後述する善光寺山門とともに、善光寺本堂は国の重要文化財として昭和30年6月22日に指定されている。

【本堂総修繕寄進金受領証】
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 安政2年の大地震による鎌倉三代将軍御影堂等の堂宇の崩壊、明治維新後の廃仏毀釈による打撃により寺運が一転するなか、大伽藍の維持は容易ならざる状況となり、歴代の住職、檀信徒の努力が続けられた。
 こうした中、明治16年に本堂檜皮葺屋根の雨漏りによる傷みが限界に達したため、募金や宮内省御下賜金による修理、同24年頃の本堂屋根の銅板葺き、同40年の本堂屋根の鉄板葺き、大正3年の本堂及び山門の大修理など、文化財指定までの大伽藍に対する維持・管理が続けられていった。
 なお、昭和20年7月の甲府空襲においては、附近民家・山林が被災し寺域に不発弾が落ちたにも関わらず、本堂、山門は奇跡的に焼失を免れている。

━(甲府名勝) 定額山善光寺山門━
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 山門も本堂と同時に宝暦4年に焼失し、明和4年に現在の山門の上棟供養が行われているが、現在の本堂より先に完成しているものの、完成時期は明らかではない。
 なお、本堂・山門の破損状態が著しくなったため、昭和32年4月から本堂・山門の解体修理が進められていったが、昭和34年8月14日に山梨県内を襲った7号台風の影響により、本堂が傾き、山門は倒壊の憂き目にあったものの、翌年7月から山門の再建工事が着手され、37年3月末には本堂・山門共に修理が完成している。

━(甲斐国) 善光寺の大仏━
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 現在は本堂に向かって左側にある銅造毘廬舎那仏坐像である。
 この写真の当時は、本堂右側にあったが、収蔵庫建設に伴い昭和45年に現在の場所に移坐された。
 江戸後期作の山梨県内における古い銅像では最大であり、江戸後期が製作年代と言われている。

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by kaz794889 | 2009-04-03 19:07 | 寺院 | Comments(0)