峡陽文庫

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2008年 12月 31日

汲古館・南塘文庫

 村松新道、陸軍からの甲府城払い下げなど、村松甚蔵の名をご存知の方も少なくないでしょう。
 村松甚蔵は、明治2年12月12日に甲府柳町28番地(現在:甲府市中央4-4、共済駐車場の場所)の砂糖問屋、上野屋の四男育三として生まれ、明治27年に兄善蔵の後を相続し先代甚蔵を襲名しました。日清製粉や富士川電力などの重役、大正8年に県会議員、昭和2年に衆議院議員などの公職を務めるとともに、大正6年4月には当時の金額で11,622円を納付して陸軍省から甲府城跡の払い下げを受け、山梨県に寄附するなどの篤志家でもありました。
 また、文化の面においても、「明治維新後、西洋文化の輸入とともに洋書や活字本が勢力をしめ、和漢の典籍は、日に月に散佚し、遂には聖賢の数までも泯滅に至ることを嘆き、和漢の古書類の蒐集保存を志し、約20年間に18,000余巻を集めた」と後に自身が記した、南塘文庫を明治43年に設立しています。


【舞鶴城公園内 山梨県教育会事務所(大正14年頃)】
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この建物は、山梨県教育会事務所並附属図書館として県から土地・建物を借り受け、明治44年6月までは甲府市桜町65番地(現在:丸の内1-12-4附近)にありましたが、借用期限切れと同時に建物を山梨県教育会が譲り受け、同年11月に甲府城内に移転改築されたものです。
 村松甚蔵が設立した南塘文庫の書物は、大正14年頃まで、この附属図書館に保管を依頼していました。


【山梨県教育会事務所並附属図書館の跡】
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 甲府城内の武徳殿正面前、最近まで山梨県議会議員会館の建っていた場所です。


━汲古館 南正門斜面全景━
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 南塘文庫を収める独立の施設図書館「汲古館」として、大正14年9月に甲府市桜町63番地(現在:中央2-5-20)に完成した建物。
 開館後、一週間で1,400余人が見学に訪れたようです。


━汲古館 南塘文庫階上階 下内部━
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 汲古館の内部。
 南塘文庫の蔵書については、村松甚蔵が独自の方法によって分類した『南塘文庫和漢図書分類目録』が大正4年11月に発行されています。


【汲古館跡の現在】
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 汲古館を偲ぶものは、その跡地に何も残っていません。


━汲古館西門側面全景━
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【西側から眺めた汲古館跡の現在】
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 汲古館の建物と蔵書は、昭和20年7月の甲府空襲により全てが焼失しました。
 斜め前(甲府市社会教育センターの場所)にあった進徳幼稚園やその裏手にある甲府税務署などは甲府空襲を免れています。僅か道路一つを隔てて明暗が分れたのでしょうか。

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by kaz794889 | 2008-12-31 15:41 | 絵葉書 | Comments(3)
2008年 12月 30日

教安寺と木喰仏

 全国各地を行脚しながら木喰が彫り続けた、いわゆる木喰仏・微笑仏は、現在も全国に1000体以上が残されているようです。
 木喰仏が世に出る機縁は、淺川巧の案内で日野春辺の散策と小宮山清三宅の朝鮮陶器見学を目的に山梨県入りした柳宗悦が、大正13年1月9日に小宮山宅の文庫蔵に置かれた二体の木喰仏の姿に触れたことに始まります。

【教安寺(甲府市城東2-8-4)】
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 全国を行脚していた木喰が最後に山梨を訪れたのは、木喰が91歳となった文化5年です。
 その際、木喰は教安寺に七観音を造立しました。
 この事実は、前述した柳宗悦の木喰仏調査に関する協力者であった小宮山清三の発見により確認されたものです。 

【「教安寺木喰仏 木喰研究の愕く可き新発見」新聞記事の一部】f0191673_20352310.jpg

 教安寺の木喰仏について、大正14年2月2日に小宮山清三自身が新聞に記した記事によると、大正14年1月上旬に、吉岡順作(甲府市富士川町9番地の医師)から、教安寺に木喰仏らしいものがあるとの報告があり、1月24日の夕暮れに教安寺を訪れると、住職から本堂に通され、御本尊に向かって右隅の天井に食い付いたような、高くて狭い一枚の棚にズラリと真っ黒な七体の木喰仏があり、本堂入口の明るい場所に移して眺めても地肌が見えない程に黒かったため、水で仏像を洗ったところ、七体それぞれの背中には作造年月日が記載してあり、また、七体の木喰仏を勧請した観音堂は、間口二間半、奥行三間半の建物として、庫裏の裏に往来に沿って最近まで東面していたようですが、発見当時には既に取り壊されていたようです。


 この発見については、当然の如く柳宗悦にも伝えられ、大正14年3月24日に「教安寺七観音」と題した文章を雑誌『木喰上人之研究』第二号に発表(柳宗悦全集第七巻に収録)しています。

━木喰五行上人作七観音の像━
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 教安寺で確認された木喰仏です。
 【右から】子安観世音、千手観世音、大馬頭観世音、聖観世音、如意輪観世音、十一面観世音、大順てい観世音です。
 如意輪、千手観音には文化5年4月14日、聖、十一面観音には文化5年4月15日、子安、馬頭、順てい観音には文5年4月16日と背中に記載されていたようです。

━弁財・木喰観音堂の景━f0191673_2065428.jpg


 木喰仏の発見以降、新たに建てられた、弁財天(文禄年中の甲府城落成に際し、浅野長政公開運守護の本尊として教安寺に納められたもの)と木喰七観音の堂。
 
━甲府 教安寺本堂仏殿の景━
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 教安寺は文化初年の火災により烏有に帰し、本堂は文化10年に再建されました、これがその建物です。(木喰が教安寺を訪れたのは本堂再建前の文化5年です。)

【現在の本堂】
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 教安寺の伽藍と七観音は、昭和20年7月6日の甲府空襲により残念ながら焼失しています。

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by kaz794889 | 2008-12-30 18:52 | 木喰仏 | Comments(3)
2008年 12月 25日

日本メソヂスト韮崎教会

━献堂式記念絵はがき(日本メソヂスト韮崎教会)━f0191673_21592137.jpg


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昭和12年12月24日に献堂された、日本メソヂスト韮崎教会の内部と外観です。
 尖がり屋根のしゃれた教会だったのでしょうか。最近、新しい教会が建てられる(建てられた?)ような話しを聞きましたが…
 この絵葉書の教会は、類焼により昭和29年4月1日に残念ながら焼失しています。
その後、昭和30年頃に今の教会が建てられたようです。


━絵葉書のタトウです。━

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by kaz794889 | 2008-12-25 21:49 | 基督教会 | Comments(0)
2008年 12月 23日

若尾公園と銅像

 いわゆる甲州財閥の巨頭である若尾逸平については、既に広く知られているところです。
 文政3年12月6日に山梨県巨摩郡在家塚村(旧白根町)に生まれ、大正2年9月7日に没するまでの93年間の生涯でした。

━奮闘の勝利者 若尾逸平翁の銅像(甲府市愛宕山に在り)━
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 明治40年、若尾逸平の米寿を記念し東京電燈社長 佐竹作太郎をはじめとした人々により、甲府市愛宕山中腹の若尾家の土地に、河村嘉祥の作により、漆原新七が鋳造した若尾逸平の銅像が建設されました。
 銅像の台座には、重野安繹の撰文が日下部鳴鶴の筆により刻まれていたようです。

━(甲府名所)若尾公園より見たる甲府市全景━
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 大正10年、若尾逸平像が建てられた長禅寺裏山から甲府市水道配水場にかけて、若尾家により若尾公園が建設されました。
 桜の名所として市民に知られていましたが、戦後、廃園となりました。
 廃園後の旧若尾公園跡地は、甲府空襲による校舎焼失により、終戦後建設された復旧木造建築校舎の近代化構想の一環として、山梨英和学院が昭和30年12月に買収し、昭和37年の夏にプール、体育館が完成し、その後39年11月には英和短期大学の建設が開始されるなどしたため、公園の痕跡は現在全く残っていないようです。

━佐竹作太郎翁銅像━
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 佐竹作太郎は京都に生まれ、幕末期に勤王の士であった藤村紫朗と巡り会い、藤村が山梨県権令として赴任した明治6年に随伴して甲府に来住し、明治15年から大正4年に没するまでの33年間、第十銀行の第二代頭取を歴任したほか、東京電燈社長や衆議院議員を務め、大正13年5月には、若尾公園内に「佐竹作太郎君像」と台座に刻まれた銅像が建設されました。

【若尾、佐竹像のその後】 
 若尾公園内に建設された、若尾、佐竹の銅像は、昭和18年3月10日、金属供出により献納されています。
 なお、山梨市の万力公園内にあった、根津嘉一郎の銅像(現在の銅像は、戦後に再建された二代目の銅像です。)も、この日に献納されています。


━若尾逸平の墓所━
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 甲府市長禅寺の若尾家の広大な墓所です。若尾公園にあった若尾逸平像は、この墓所を背後から見守る形で建てられていました。
 幕末維新期に生糸貿易を主軸とした蓄財にはじまり、二代目若尾民造、三代目若尾謹之助によって受け継がれ、昭和2年の金融恐慌による破綻により実業界から退いた、かっての若尾家の栄華が残るこの墓所は、当時の名残を伝える数少ない場所のひとつです。



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by kaz794889 | 2008-12-23 15:38 | 甲府細見 | Comments(0)
2008年 12月 22日

甲府・中央館

『中央館』
 中央館は大正14年8月1日、甲府市柳町16番地(現在:中央4-3-5)に蒲田作品や優秀洋画の封切館として開館しました。
 
 この場所を含む一帯は、十一屋醸造店が所有していましたが、大正13年5月に同店が町の発展を考えて醸造場を甲府市横沢町に移したことから、その跡地に商店や飲食店が並ぶ仲見世として賑わいを見せていましたが、中央館の開館により更に発展したようです。
 
【中央館ニュース(昭和5年1月10日発行)】
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 中央館は階下、二階、三階の各階に客席が配置され、各階に水飲み場、喫煙室、化粧室を備えていたようです。


【中央館 週報 第30号(昭和9年7月26日発行)】
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 開館十周年の記念大興行として、「隣の八重ちゃん」「にんじん」などの作品上映を案内しています。


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by kaz794889 | 2008-12-22 22:58 | 劇場・映画館 | Comments(0)
2008年 12月 21日

甲府キネマハウス

『甲府・キネマハウス』
 
桜座に次ぐ大劇場として、甲府市三日町(現在:甲府市中央4-1-13)の寄席「巴亭」を修築して明治35年に開設された巴座も、活動写真による芝居劇の侵食など演劇不振による衰退により閉鎖され、昭和5年8月、その跡地に映画常設間として甲府キネマハウスが開館しました。

【甲府・キネマハウス】 
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 キネマハウスは洋画館として興業していましたが、昭和10年頃には休館し、昭和15年1月に大都映画とニュース映画の併映館として「甲府文化映画劇場」の名称で復活し、まもなく洋画の再映館となりますが、昭和16年8月頃には廃館となり、その後は軍の物資貯蔵所となったようです。なお、建物は昭和20年7月6日の甲府空襲で焼失しています。

【甲府・キネマハウス(内部)】
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【甲府・キネマハウス開館記念絵葉書のタトウ】
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by kaz794889 | 2008-12-21 21:17 | 劇場・映画館 | Comments(0)
2008年 12月 10日

山梨の温泉

 「温泉は風景資源と相まって天与の観光主要資源である。わが山梨は名山秀峰に囲まれたこの大自然の中に幾多の温泉が分布している。」
 山梨の温泉を史料とともにご紹介していきます。

━山梨県温泉 観光案内━f0191673_2338368.jpg
 山梨県衛生課内にあった、山梨県温泉協会が発行した山梨の温泉案内です。
 県内の温泉地として、新興甲府温泉、新興湯村温泉、下部温泉、塩山温泉、増富ラジウム温泉、西山温泉を始めとした温泉地が、この温泉案内に示されています。



━山梨の温泉と景勝交通図━
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 山梨温泉協会が発行した「温泉郷の風光」と題した4枚一組の絵葉書の中の一枚で、図案は鳥瞰図絵師、吉田初三郎が描いています。
 甲府温泉、下部温泉、西山温泉、大藪温泉、湯村温泉、増富ラジウム鉱泉、塩山温泉、田野温泉、嵯峨塩温泉が描かれていました。
 
 今後は、折に触れて山梨の温泉について紹介させていただきます。


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by kaz794889 | 2008-12-10 23:30 | 温泉 | Comments(0)
2008年 12月 07日

新笹子トンネル開通50年

【新笹子隧道開通50年】

 昭和27年の新道路法により、甲府から東京を結ぶ新一級国道は、旧国道8号線(大月~富士吉田~御坂峠~石和)から甲州街道のルートである新国道20号線(大月~笹子峠~勝沼~石和)に変更となりましたが、東京との産業・経済・文化を結ぶこの大動脈には、標高1096m、急坂、屈曲が多い最大の難所である笹子峠がありました。

 甲州街道の時代から、笹子峠は最大の難所であり、昭和13年3月に笹子峠の頂上付近に250mのトンネルを完成させるなど、県道として大月~勝沼間の改良は行われたものの、笹子峠越えは急勾配、未舗装、道幅の狭さな
ど、山梨県の発展に大きな影響を及ぼしていたことから、山梨県は昭和27年の旧道路整備特別措置法に基づき、峠を貫く新笹子隧道を有料道路として完成させることを計画しました。

 昭和29年から調査測量が始まりましたが、県の財政が悪化し財政再建団体への転落が迫ろうとしているなど、トンネル建設が危ぶまれたことから、国からの建設費を強力に要請した結果、新笹子隧道は国の直轄浩司として昭和30年10月に着工され(後に日本道路公団の設立により公団直轄工事として引き継がれました。)、総工費12億8500万円、総延長3005mのトンネルが完成し、50年前の本日、昭和33年12月7日に、関門道路トンネルに次ぐ当時日本第二位の長さを誇る道路トンネルとして開通しました。

━新笹子隧道開通記念展覧会しおり━
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 「ここに設けられた記念展覧会は、ささやかなものでありますが、新笹子隧道の実現を始め、数々の郷土建設につくされた人々に、心から感謝を捧げつつ、富める山梨は、決して迂遠なものではなく、最早われわれの手の届く所まで至ったことを、県民の皆様に御報告申上げ、これを景気として、さらに富郷への道を、力を合わせて進んでいただきますようにとの念願からであります。」と、このしおりの中に展覧会の趣旨が記さています。
 
 開通記念展覧会は、昭和33年11月22日から12月10まで、山梨県民会館大講堂と県民会館ビル建設前の隣接地を会場として、「お猿電車」「農業展」「今昔物語」「商工展」「観光展」を内容として開催されました。


━新笹子隧道開通記念祝賀行事プログラム━
 
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 11月22日から12月10日までの間、県内全域において様々な記念祝賀行事が行われました。
 ○ 一般バス現地見学
 ○ 笹子トンネル交通量懸賞募集(山梨日日新聞主催)
 ○ 新笹子隧道開通記念論文の募集(山梨時事新聞主催)
 ○ 新笹子隧道開通記念実況放送(NHK)
 ○ 隧道記念打上花火
 ○ 開通記念スライド上映会
 ○ 連続放送劇(笹子峠物語)
 ○ 関係郵便局記念スタンプ
 ○ 関係市町村提灯行列
 ○ 開通記念駅伝

━笹子トンネル通行券(昭和34年11月18日)━

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 トンネルの開通後、甲府~東京間は従来の御坂峠越えの旧国道8号線166kmから136kmとなり、笹子峠の難所越えに要する時間も約45分から10分足らずで通貨できるようになり、所要時間は3時間40分となりました。
 首都圏と隣接していながら、山岳地帯の交通不便による地理的悪条件の克服に新笹子隧道の開通は大きく貢献しました。
 
 開通後、笹子トンネルは日本道路公団の有料道路(通行料:大型車600円、トラック300円、普通乗用車250円、小型車150円)として、昭和46年3月まで営業され、予定よりも7年早く4月から無料化となり一般国道として移管され現在に至っています。


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by kaz794889 | 2008-12-07 13:05 | 史料 | Comments(0)
2008年 12月 06日

絵葉書で見る山梨 16

━(甲府名勝) 甲府市常盤町通り━
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 甲府の常盤通りについては、「絵葉書で見る山梨 1」で以前紹介しました。今回は、それ以前の常盤通りの様子です。
 右側の郵便ポストの後は、明治22年に改築した第十銀行本店の鉄柵です。建物にめぐらせた鉄柵とともに、洋風の鉄門が建てられていましたが、大正13年に再度新築した際に鉄門は甲府商業学校の門として譲られました。
 左側の三階建ての建物は、商工組合中央金庫甲府支店(現在:甲府市中央1-6-16)の場所にあった甲陽館旅館です。この場所一帯は明治7年7月に落成した、山梨県勧業製糸場があった場所ですが、明治36年頃に勧業製糸場が取り壊された以降に市街化された地区です。
 甲陽館旅館も、当初は柳町の角(現在:甲府市中央4-2-23附近)で営業していましたが、勧業製糸場の取り壊し後、この場所に移りました。
 甲陽館旅館の後方、洋風三階建ては、望仙閣支店として建てられたもので、大正元年12月からは甲府商業会議所の建物として使われていました。

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by kaz794889 | 2008-12-06 17:53 | 絵葉書で見る山梨 | Comments(0)
2008年 12月 05日

冬の山梨

 今年も12月となり、季節も晩秋から冬へと移ろいでいます。
 「秋色の山梨」から「冬の山梨」へと、季節の観光地を順次紹介させていただきます。

━冬の山梨━
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 冬の山梨における観光地について紹介した、昭和29年発行の観光案内です。
 写真のスキー場は、県営富士山スキー場の二合目附近です。観光案内の中には、6カ所の県営スキー場とスケート場がそれぞれ紹介されています。

━ウインタースポーツ━
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 甲斐のスキー・スケート案内として、戦前期に発行された観光案内です。
 「交通の便も、京浜地方からは僅かの時間で到着し得らるるのも、独り甲斐の地理的関係に於て持つ誇りである。」と記されています。

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by kaz794889 | 2008-12-05 23:20 | 観光案内 | Comments(0)