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カテゴリ:甲府城( 30 )


2010年 02月 14日

甲府城:甲府城からの眺望 3

【甲府城址本丸から眺めた市街北部】
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 甲府城址の天守台下に広がる本丸北側から眺めた甲府市街の北側である。
 中央に写る瓦葺の建物は舞鶴公園整備に伴い建設された公園内のトイレであるが、この一帯にはかつて、中央本線甲府駅にゆかりのあった、C12型蒸気機関車(甲府駅構内における貨車の入替等で使用)、ED17型電気機関車(昭和6年に中央本線が甲府駅まで電化された当時に使用、現在はさいたま市の鉄道博物館で展示)や東京都電が静態保存され、その脇には遊具施設が設置されていた。
 写真の左に写る陸橋(舞鶴橋)は中央本線、身延線を跨ぎ、市街の南と北を結んでいる。また、中央に写る前衛的な建造物は、丹下健三が設計し昭和41年に完成した山梨日日新聞や山梨放送が置かれた山梨文化会館である。

━舞鶴公園より見たる甲府市街(北部)━
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 前記の眺望と概ね同位置から見た昭和初期の様子である。
 写真の下に写る建物は、現在の公園内トイレと同じ位置にあった弓道場であり、昭和8年に武徳殿とともに建設されたものである。
 中央本線の線路の先には、鉄道官舎群が建てられており、その更に北側には山梨県の官舎が建てられていた。
 また、煙突が建つのは丸茂製糸場であり、戦後、桜シルクとして平成の初期頃まで煙突と工場の一部が残されていた。

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by kaz794889 | 2010-02-14 13:02 | 甲府城 | Comments(0)
2009年 11月 07日

甲府城:城址からの眺望 2

【甲府城址から市街地風景】
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 天守曲輪の東側附近から俯瞰した市街地の南側である。
 右側の緑色の屋根は昭和28年5月に建設された恩賜林記念館である。また、その奥に見える駐車場は山梨県民会館大ホールがあった場所であり、それより以前は、現在残されている甲府城の堀につながる形で残されていた甲府城の追手門附近の堀だった場所である。
 県庁舎の本格的な整備が今後進められていく中、そう遠くない時期に、この風景も一変していくのだろうか。

━舞鶴城頭ヨリ望ミタル甲府市街━
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 前記の写真とほぼ同一アングルで写された、明治30年代の甲府市街の情景である。
 中央に大きく写る松の木の右側に写るのは、埋め立てられた甲府城の堀である。また、そこに建つ建物は山梨県議会議事堂である。
 2階建の洋館がいくつか建てられているが、この写真の範囲においては、平屋の日本式住宅が殆んどであるとの観である。


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by kaz794889 | 2009-11-07 15:33 | 甲府城 | Comments(0)
2009年 10月 11日

甲府城:城址からの眺望 1

【甲府城址天守曲輪からの市街眺望】
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 甲府城の天守曲輪西側から甲府市街南側を眺望した情景である。
 後記の写真と比較し、当然ながら市街に高層物が建ち山々を背景とした市街を遠望することはできないが、堀沿いの区割りは往時と変わらぬようである。



━(甲府名所) 甲府市全景━
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 甲府市内を描写した過去の絵葉書には、定番と思われる撮影ポイントがいくつかあるが、そうした中のひとつが甲府城址から市街南部を眺望したこのキャプションである。
 この絵葉書は前記の写真を撮影した天守曲輪西側からと考えられる。ここからの眺めは高い建物のない当時の甲府市街を遠望するには最適な場所であったのだろう。
 堀に架かる遊亀橋の右側に建つ洋館は明治39年に落成した甲府税務署、左側の横長の瓦屋根は進徳幼稚園である。この情景が撮影されたのは明治40年頃と思われる。



━甲府市街全景━
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 市街の情景は前記の写真(明治40年頃)と比較し、堀沿いの木々が成長している。
 市街の変化は乏しいが甲府教会は2代目の建物となり、大正7年の米騒動で焼き討ちとなった若尾本家の場所には若尾ビルが建てられている。大正後期から昭和初期頃の情景と思われる。



━甲府市全景(甲府名所)━
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 甲府市街における当時のランドマークでもあった高層建築として、写真中央の松林軒デパート(昭和12年開業)と写真の右側の岡島百貨店(昭和13年開業)が建てられている。昭和13年~15年頃の情景と思われる。



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by kaz794889 | 2009-10-11 13:17 | 甲府城 | Comments(0)
2009年 07月 23日

甲府城の堀端

━甲府名所 舞鶴公園━
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 昭和30年代の甲府名所絵葉書の一枚、「舞鶴公園」である。
 カラー印刷が今より高価な時代の甲府城と堀端の風景である。石垣には雑草が茂み、城壁も当然再建前であり、堀端も道路との境が未整備であり未舗装であるが、堀の水量は現在より多く、遊覧ボートの営業もされていた。甲府城全体が整備される以前の雑然とした状態の時代ではあるが、ある意味では城址が生活に溶け込んでいた頃のなつかしさが感じられる。

【甲府城の堀端】
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 甲府城の石垣も堀端の道路も綺麗に整備された現在の様子である。

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by kaz794889 | 2009-07-23 20:06 | 甲府城 | Comments(1)
2009年 06月 23日

甲府城と舞鶴橋

━甲府城━
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 かつての甲府城は中央内城の石垣に沿った周囲に一の堀が巡らされていたが、明治維新後の甲府市街形成や甲府駅設置などの過程において徐々に埋め立てられていった。
 この写真は数奇屋櫓跡周辺の石垣下(現在の甲府城西側)に沿った道路西側(甲府市中央二丁目の4番地、5番地附近)の一の堀が残されていた頃、桜町と橘町の境であった堀を渡るために架橋されていた舞鶴橋である。

【現在の甲府城・壕の最西側】
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 前記の写真に写る一帯の現在の状況である。
 甲府城の堀も現在は城址南側にその一部が残されているのみである。堀に架橋されていた舞鶴橋は堀の埋め立てとともに、大正11年9月に撤去されている。

【現在の甲府城図(部分)】
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 山梨県発行『舞鶴城公園』パンフに掲載された甲府城図に描かれた、舞鶴橋があった附近の現状である。
 ④が数奇屋櫓跡である。また、Pの位置が前記現状写真の中央に写るアスファルト部分である。

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by kaz794889 | 2009-06-23 17:57 | 甲府城 | Comments(1)
2009年 04月 12日

甲府城追手門


【県庁前 スクランブル交差点】
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 かつての甲府城追手門があった場所は、現在の県庁前スクランブル交差点附近である。(右側の黒いビルが県民会館ビルである。)
 以前当ブログで紹介したとおり、昭和3年9月に新築移転(現在の甲府第一高校の場所)するまで、県庁の建つ場所に甲府中学校があり、追手門は同中学校の正門として使用されていた。

━(甲府名勝)舞鶴城表面━
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 明治40年代頃の甲府城追手門である。写真に写る太鼓橋の正面突き当たりに追手門があり、甲府中学校の正門として使用されていた。
 甲府中学校の移転後、その跡地に県庁が移転し現在も残る旧県庁舎(昭和5年4月竣工)、県会議事堂(昭和4年9月竣工)などが相次いで建設されることとなり、甲府城の西側の一画(甲府駅前通り)が崩され堀が埋め立てられるなどした際に、追手門を始めとした写真に写る石垣、堀も取り壊されている。

━西側から見た追手門と太鼓橋━
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 山梨県民会館ビル附近から眺めた追手門と太鼓橋である。
 県庁建設に伴い埋め立てられるまでは、現在も残る堀に写真に写る堀が続いていた。また、写真に写る堀の附近が県民会館ビルや県民会館ホールが建っていた場所である。


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by kaz794889 | 2009-04-12 22:50 | 甲府城 | Comments(0)
2009年 01月 22日

甲府城と堀

【甲府城の堀】
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 甲府城はかつて三の堀まで巡らされていたが、明治維新後、内城の周囲を囲んでいた堀も、市街地造成のために時代とともに徐々に破壊され、往時と比べ僅かな部分のみが堀として現在も残されている。堀が現在の規模になったのは、甲府城内にあった旧制甲府中学校が新築移転した後に、現在も残る県庁旧庁舎が新築された昭和5年頃だろうか。
 平成2年からの舞鶴公園整備事業により、堀の周辺も石垣や水周りが整備されている。

━(甲府名所)舞鶴公園━
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 甲府城の堀でのボート遊びの状景である。
 堀が現在の規模になった後、昭和10年代初めの夏頃だろうか。今と比べ城内の木々も鬱そうとし、石垣や堀にも植物が繁茂している様である。
 堀の端には昭和50年代頃まで、ボートハウスがあったことも記憶している。

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by kaz794889 | 2009-01-22 23:14 | 甲府城 | Comments(0)
2009年 01月 03日

甲府城内・みはらし亭

 甲府城跡は近世の史跡であるとともに、舞鶴公園として親しまれています。
 
━甲府 舞鶴城公園━
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 明治36年12月、山梨県は甲府城跡の一般縦覧を許可し、37年4月に西曲輪を除く本丸、二の丸跡などを県借用地として開放し舞鶴公園としました。壕に架かる遊亀橋は、公園化に伴い明治37年3月30日に建設されたものです。
 ここに写る光景は、舞鶴公園となってまもなくの頃と思われますが、天守曲輪の石垣上には、既に休憩施設が建てられています。

━舞鶴城ミハラシより甲府市街を望む━
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 天守曲輪にあった休憩施設・売店の「みはらし亭」です。

━(甲府名所) みはらし亭━
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 「みはらし亭」は、謝恩碑の東側、鉄門跡の階段を降りきった場所(天守曲輪)にありました。
 「みはらし亭」の詳細については未調査ですが、戦後も同じ場所で長らく営業を続けていましたので、「みはらし亭」の名前はご存知なくても、この場所に売店があったことを記憶されている方も少なくないと思います。

【みはらし亭の跡】f0191673_13492926.jpg


 「みはらし亭」は、天守曲輪のこの場所にありました。


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by kaz794889 | 2009-01-03 14:45 | 甲府城 | Comments(0)
2009年 01月 01日

甲府城 庄城稲荷神社

 甲府城の稲荷曲輪には、その名の示すとおり庄城稲荷という稲荷社が戦前期まで鎮座していました。

【甲府城内稲荷曲輪の案内板】  
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【甲府城内の稲荷社跡】
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【『庄城稲荷神社研究』】 
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 庄城稲荷神社については、『甲府城内 庄城稲荷神社研究』(萩原頼平著:昭和16年4月発行)に詳しく記されています。


 甲府城内にあった稲荷社は代々の城主、甲府勤番支配などから崇敬され明治維新を迎えましたが、維新後は祭祀久しく廃絶状態であったことから、甲府城附近の有志者により明治38年に復興されました。また、昭和3年9月には昭和の御大典記念として本殿、拝殿の建築。昭和13年8月には境内の拡張がなされましたが、社殿は昭和20年7月の甲府空襲で焼失しました。

 戦後、県有地(甲府城跡)における宗教施設といった問題などから、稲荷社は元々の稲荷曲輪に再興されることなく、現在は甲府城外濠端(甲府市社会教育センターの北側)に鎮座しています。

【稲荷社遠景】
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【稲荷社】f0191673_1626508.jpg


【稲荷社社殿】
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【御大礼記念碑】f0191673_16522651.jpg


  前述した昭和3年の御大典記念に係る社殿の建築における、奉建金寄附者の名前が刻まれています。
 この記念碑は、現在の社殿の真裏に建てられて(この碑と重なっている石碑は、近年の別の石碑です。)います。城内の社殿が空襲により焼失していますが、この記念碑を含め、水盤などの石造物は、現在も社殿の前に残されています。

【甲府城内・遊亀橋前の石造の灯篭】
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 遊亀橋の傍らに建つ、この石造の灯篭は、稲荷曲輪に稲荷社が鎮座していた戦前期に、社殿の正面鳥居の右側に奉納されていたものです。(戦後、この場所に移されたようです。灯篭の土台正面には「舞鶴公園」、側面には「奉納」の文字が刻まれています。)


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by kaz794889 | 2009-01-01 17:37 | 甲府城 | Comments(0)
2008年 10月 23日

甲府城の景観

【壕に架かる橋】
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 ここは、甲府市社会教育センターから北側の甲府城を見た景観です。
 今では、石垣は見えるものの何の変哲もない石垣沿いの道路ですが、昭和に入って石垣や壕が潰され、残された現在の範囲での甲府城跡となる以前は、左側に写る駐車スペースの先まで壕が残されており、北側に続く道路のための橋が架かっていました。
  壕はその橋の先まで続いており、現在、この道路の右側に北側に向かって建ち並ぶ建物の場所には壕の跡が続いていました。

━(甲府名勝)舞鶴城公園及機山館━
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  前述した明治40年代の景観です。
  左側まで壕が続き、その上に橋が架かっており、その先には更に壕の跡が残っています。
  左側の建物が明治39年に竣工した機山館です。同年に開催された一府九県連合共進会
に 併せて、公会堂として建設され、その名称は武田信玄の号である「晴信入道機山」に因んで
います。機山館については日を改めて紹介させていただきます。

━甲斐甲府市の全景━
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 甲府城内の石垣側から南側、壕と甲府市社会教育センター方向の景観です。
 壕の左側に架かるのが前述した橋です。また、右側の橋は同じ位置に新しい橋が現在も架かる遊亀橋。壕沿いの瓦葺で横長の建物は進徳幼稚園です。その場所に甲府市社会教育センターが建てられています。(中央の寺院風の建物は天理教。その右側の洋風建築が甲府教会です。)

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by kaz794889 | 2008-10-23 23:26 | 甲府城 | Comments(1)