カテゴリ:甲府城( 29 )


2012年 09月 08日

甲府城二の堀 3 (丸の内2丁目地内の2)

【飯田通りの南側】
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 飯田通りの南側に流れる二の堀は、ダイタビル西側に沿って流れる二の堀


【ダイタビルの西側に沿った二の堀:北側から南側を撮影】
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【暗渠部と橘児童公園】
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 その後、二の堀は暗渠化し橘児童公園の下へと流れている。

【橘児童公園南端と忠徳橋】
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 暗渠化した流れは、橘児童公園の南端で開口部となり、忠徳橋の下を南側に流れていく。

【前記の開口部】
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【忠徳橋の南側】
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 忠徳橋の南側から新道橋の間は、二の堀の面影と雰囲気残す場所の一つとなっている。


【忠徳橋と新道橋の間】
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【南側から北側、新道橋方向の二の堀】
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【新道橋から忠徳橋方向の二の堀】f0191673_1034115.jpg



 新道橋から南側の流れは再び暗渠化され、県立図書館前公園の下を南側に向け更に流れている。。


【新道橋から県立図書館前公園に向かう暗渠部】
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by kaz794889 | 2012-09-08 11:13 | 甲府城 | Comments(0)
2012年 07月 15日

甲府城三の堀 3(相生二丁目地内)


【桜町南交差点附近の三の堀 ①】
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  甲府城の二の堀跡は山梨県立図書館前の公園から暗渠となり、暗渠の状態で平和通りの東側を南下し、相生町通りの北側を流れた後、再び堀の跡が表に現れる場所がこの位置である。
  ここからの堀の跡は三の堀である。市街地を流れる堀の跡であり、道路から堀の底まで相当の深さがあるため、開口部は安全を考慮しフェンスに囲まれている。 

【三の堀の北側 ②】
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 開口部から見た通りの北側である。
 黄色の看板がある建物の位置が二の堀の跡であり、その場所から三の堀の開口部までは暗渠としてつながっているものと思われる。

【三の堀開口部の南側 ③】
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 現在も残る三の堀跡の中では、最も堀の跡の雰囲気を残している場所である。
 堀の跡を撮影した場所は現在時間貸の駐車場となっているが、以前はガソリンスタンドであった場所である。

【三の堀開口部の南側2 ④】
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【三の堀開口部の南側3 ⑤】
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 開口部から更に南側の三の堀跡である。
 この流れはこのまま更に南下した後、東側にクランクし若松町、青沼、城東と流れ、笠森稲荷の東側で濁川となり、その後は笛吹川と合流する。

【昭和初期の三の堀附近 地籍図】
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 地籍図の右側、柳町と書かれた傍らが、三の堀の開口部(①の写真の位置)であり、その上が現在は暗渠となっている二の堀の跡(②の写真の位置)である。



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by kaz794889 | 2012-07-15 16:59 | 甲府城 | Comments(0)
2012年 05月 19日

甲府城二の堀 2 (丸の内2丁目地内)


【① 宝1丁目地内から見た丸の内2丁目地内の二の堀】
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 協同駐車場南側の二の堀跡の流れは朝日町通りの下を潜り、丸の内2丁目地内に至っている。


【② 甲府共立病院駐車場北側】
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 西側から東側に流れる、甲府共立病院駐車場北側の二の堀跡。


【③ 甲府共立病院駐車場東側】
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 前記②の流れは一旦突き当たった後クランクし、南側に向けた流れとなった後、再度写真手前に突き当たった後、西側から東側へと流れを変えている。


【④ 前記③の流れがクランクした金山神社前】
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 前記③の流れがクランク後、西側から東側に流れる二の堀跡。
 写真の正面左側に写る建物が金山神社である。


【⑤ FM富士駐車場南側】
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 前記④の流れは、写真手前で道路の下を潜り、この写真の流れに続いて東進している。


【⑥ 暗渠化された前記⑤の流れ】

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 写真に写る黒色自動車の先から流れは暗渠化され、南東方向に流れを変えて手前の道路下(道路に写るアスファルトの色が異なる部分)を流れている。


【⑦ 再び表を流れる二の堀】
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 前記⑥の流れは道路下を潜った後、再度二の堀跡が表面に現れ流れている。




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by kaz794889 | 2012-05-19 07:36 | 甲府城 | Comments(0)
2012年 04月 14日

甲府城二の堀 (宝一丁目地内)

【① 中央本線から南下する二の堀跡】
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 甲府城二の堀跡を跨ぐ中央本線から南側の二の堀跡である。
 甲府市街に残る二の堀は、その殆どが市街地の住宅地内であるが、甲府市宝一丁目地内に残る二の堀跡は、広い駐車場の敷地内に残されている。

【② 南下した流れ(①)が突き当り東側にクランクする二の堀跡】
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 二の堀跡は駐車場内を真っ直ぐに流れ、その敷地を東西に分けている。

【③ 南下した流れが突き当たった位置】
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 駐車場内の敷地を抜けた流れはすぐに突き当り、東側にクランクしている。

【④ 東側から見た③の位置】
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 東側にクランクし駐車場の敷地に沿って残されている二の堀跡。
 二の堀の流れはこの先朝日通りを越え、丸の内二丁目地内に続いている。

【三の堀跡(宝一丁目地内)の地図】

 宝一丁目地内の二の堀跡は協同駐車場の敷地内に残されている。この場所はかつて信用農業協同組合連合会等の農協関係団体があった場所であり、戦前は若尾倉庫があった場所である。



【大正時代の二の堀跡(宝一丁目地内)地図】
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 大正時代の宝一丁目地内の地図である。
 憲兵分隊(現在の読売甲府ビルの場所)の上部が二の堀跡が残る駐車場の位置である。


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by kaz794889 | 2012-04-14 11:45 | 甲府城 | Comments(0)
2012年 03月 03日

甲府城三の堀 2 (城東二丁目地内)

【東側に流れを変えた三の堀】
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 城東二丁目地内に入り北上した三の堀の流れは、その後、東側に直角に流れを変える。
 写真は、北上した流れが突き当り、東側に流れが変わる位置を東側から見る情景である。

【再度北側にクランクした位置から笠森稲荷大神社脇に突き当たる三の堀】
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 上記の写真を撮影した位置で、三の堀の流れは更に小さくクランクして北側に流れを変え、笠森稲荷大神社の脇に突き当たり、再び西側に流れが変わっていく。

【笠森稲荷大神社】
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 笠森稲荷大神社は江戸享保年間に愛宕町から勧請したことにより創建された稲荷神社である。 

【笠森稲荷大神社前の橋上から見た三の堀東側】
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 左側から三の堀を流れる濁川は、右側に突き当り、東側にクランク(写真にを撮影した橋上方向)している。
 糸賀喜久太郎遺構『夢の深町六十年前の思出』によると、写真の場所は、明治4年に濁川通船が行われた当時は鰍沢から上がってきた舟の繁舟場であったという。

【笠森稲荷大神社の手前から東側の情景】

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 甲府城の三の堀としての役割は概ねこの場所までとなる。
 この先、三の堀の流れは濁川として市街地から農村地帯を南側に向けて流れ、笛吹川と合流する。


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by kaz794889 | 2012-03-03 15:29 | 甲府城 | Comments(0)
2012年 02月 11日

西側からの甲府城遠景

【舞鶴城公園(甲府市橘町に在り)】
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 写真右側に大正12年5月4日日付の記念スタンプが押印されているが、大正11年9月に完成した謝恩塔がまだ建設途上であることから、この写真はそれ以前の時期に写されたものである。
 石垣の下に広がるのは、かつて県庁の敷地にあった旧制甲府中学の運動場であり、石垣の上に建つ瓦屋根の和風建築は、現在も残る武徳殿が建設される以前にあった武道関係の建物である。


 
【現在の同位置】
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 かつての運動場は中央本線を跨ぐ跨線橋の連絡道路となり、甲府城も近年の整備により、塀や城門が復元され石垣が整備されるなどしている。


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by kaz794889 | 2012-02-11 21:44 | 甲府城 | Comments(0)
2012年 01月 09日

甲府城三の堀(中央五丁目~城東二丁目地内)

【中央5丁目と城東2丁目境界上の橋から西側】
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 平和通りの西側における最後の開口部から、甲府城三の堀が東側で最初に見られるのは、桜町通りの南側の突き当り、暗渠部分からの流れが開口部となった場所からである。
 南側に下る流れは、相生二丁目と若松町の境界部で引き続き南下する流れと、直角に東側への流れに分かれ、かつて花街であった若松町を流れ青沼一丁目地内で再度北側にクランクし、開運橋を過ぎた辺で東側にクランクしている。
 写真は、東側にクランクした流れを三の堀に架かる橋上から撮影したものである。
 開運橋からその先の笠森稲荷神社までの間は、まさに、流れの左右に建つ家並みの裏側を流れるとぃった
風情である。

【城東2丁目地内から前記写真を撮影の橋方向】
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 前記の写真を撮影した橋の東側と、更にクランクして北側に流れが変わる場所を背にした場所である。
 橋の右側には文殊稲荷神社が鎮座している。

【西から東の流れがクランクし北側に流れる城東2丁目地内】f0191673_1059753.jpg


 前記写真の位置から流れが北側にクランクする場所から見た、北側への流れの様子である。
 
 暗渠部から開口部となったこのあたりの流れは、甲府城三の堀跡であるとともに、一般的には濁川という河川名で呼ばれている。


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by kaz794889 | 2012-01-09 12:03 | 甲府城 | Comments(0)
2010年 10月 03日

甲府城山手御門

【再建された甲府城山手渡櫓門】
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 甲府城内への出入口として、かつて追手門、山手門、柳門の三つの門が配置され、この内、甲府城の内城の最北端にあった門が「山手御門」である。
 平成9年に日本鉄道建設公団用地内で山手御門に関する堀や土橋などが出土し、それに係る発掘調査の結果、山手御門の位置が特定、確認されたことなどから、JR甲府駅の北口で甲府市歴史公園の建設を進めてきた甲府市により、この山手渡櫓門と山手門が平成19年に再建されたのである。 

【甲府市歴史公園 甲府城山手御門案内図】
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 城外から木橋と土橋で堀を渡った先に山手門があり、その先の虎口空間を直角に折れた位置に二層の山手渡櫓門が置かれている。

【甲府城周辺の地図(明治時代後期)】
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 この地図は、明治42年3月に発行された「改正新刻 甲府市街全図(縮尺5000/1)」の甲府城周辺の部分である。
 山手御門の場所は「甲府停車場」と記載された「甲」の文字の上部である。
 前記の案内図に示されている山手門への土橋や掘割が残されていることが明確に記されている。こうした掘割等について、大正初期頃までの甲府市街図などに記されているが、その後、この場所に鉄道官舎が建設されるなどしたため、掘割なども埋め立てられ山手門のあった跡形は完全に失われていた。 



【甲府城山手御門附近の発掘調査 1】
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 山梨文化会館前から南側の発掘状況である。

【整備後の現状】
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 平成9年に山手門跡の周辺において、約60mにわたって出土した掘割や石垣は埋設保存され、その位置には芝生が植えられている。

【甲府城山手御門附近の発掘調査 2】
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【甲府城山手御門附近の発掘調査 3】
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【発掘調査2及び3附近の現状】
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by kaz794889 | 2010-10-03 15:31 | 甲府城 | Comments(0)
2010年 09月 26日

甲府城:城址からの眺望 4

【甲府城址から東側方面の眺望】
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 甲府城址の数奇屋曲輪から市街東方向の眺望である。
 城壁が再建されたため、いささかの難はあるものの概ねの眺望は可能である。
 建物群の中央に見える瓦屋根の建築物は天理教甲府大教会である。

━舞鶴城頭ヨリ見タル甲府市街━
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 明治42年頃における甲府城址から東側方面の眺望である。

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by kaz794889 | 2010-09-26 20:29 | 甲府城 | Comments(0)
2010年 02月 14日

甲府城:甲府城からの眺望 3

【甲府城址本丸から眺めた市街北部】
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 甲府城址の天守台下に広がる本丸北側から眺めた甲府市街の北側である。
 中央に写る瓦葺の建物は舞鶴公園整備に伴い建設された公園内のトイレであるが、この一帯にはかつて、中央本線甲府駅にゆかりのあった、C12型蒸気機関車(甲府駅構内における貨車の入替等で使用)、ED17型電気機関車(昭和6年に中央本線が甲府駅まで電化された当時に使用、現在はさいたま市の鉄道博物館で展示)や東京都電が静態保存され、その脇には遊具施設が設置されていた。
 写真の左に写る陸橋(舞鶴橋)は中央本線、身延線を跨ぎ、市街の南と北を結んでいる。また、中央に写る前衛的な建造物は、丹下健三が設計し昭和41年に完成した山梨日日新聞や山梨放送が置かれた山梨文化会館である。

━舞鶴公園より見たる甲府市街(北部)━
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 前記の眺望と概ね同位置から見た昭和初期の様子である。
 写真の下に写る建物は、現在の公園内トイレと同じ位置にあった弓道場であり、昭和8年に武徳殿とともに建設されたものである。
 中央本線の線路の先には、鉄道官舎群が建てられており、その更に北側には山梨県の官舎が建てられていた。
 また、煙突が建つのは丸茂製糸場であり、戦後、桜シルクとして平成の初期頃まで煙突と工場の一部が残されていた。

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by kaz794889 | 2010-02-14 13:02 | 甲府城 | Comments(0)