カテゴリ:山梨の近代建築( 11 )


2016年 07月 03日

旧北都留郡甲斐絹同業組合本部

【北都留郡甲斐絹同業組合本部】
f0191673_22405638.jpg 北都留郡甲斐絹同業組合は明治29年2月に設立が許可された北都留郡甲斐絹業組合を前身とし、明治37年9月には同組合が改組され新たに「北都留郡甲斐絹同業組合」として設立されている。
 北都留郡甲斐絹同業組合には廣里村(昭和8年4月1日に大月町となり、現在は大月市)、七保村、富浜村、初狩村などに検査出張所が置かれていた。
 同組合廣里検査出張所は、その後の新築移転することとなり、大正14年2月に起工、同年8月20日に木造スレート葺き洋風二階建て建物が竣工し、同年12月に移転している。写真の右側建物が廣里検査出張所である。
 その後、昭和2年9月には廣里検査出張所が北都留郡甲斐絹同業組合大月支部となり、昭和11年には同大月支部が増築されることとなり、同年11月30日に竣工している。増築部分が写真の左側に写る建物である。
 昭和12年には、猿橋町に置かれていた北都留郡甲斐絹同業組合本部が大月に移転することとなり、大月支部の建物が北都留郡甲斐絹同業組合本部となっている。

【クレイン農業協同組合】
f0191673_23003985.jpg 旧北都留郡甲斐絹同業組合本部庁舎は、現在、クレイン農業協同組合大月支店(大月市大月)の建物として使用されている。




















【クレイン農業協同組合 ②】
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【クレイン農業協同組合 ③】

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by kaz794889 | 2016-07-03 16:40 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2014年 08月 18日

旧桃園信用組合

【JAこま野 桃園支所】
f0191673_14150404.jpg 南アルプス市のJAこま野 桃園支所(同市桃園928)の建物である。
 農業協同の合併が進み現在はJAこま野桃園支所となっているが、かつての桃園農業協同組合(昭和23年5月15日創立)である。 




















【旧桃園信用組合時代の建物】

f0191673_14151599.jpg モルタル造りの建物に隣接する建物は、桃園農業協同組合の前身である、明治33年に公布された「産業組合法」に基づき昭和3年に設立した「桃園信用組合」時代の建物である。
 信用組合は昭和18年の国内態勢強化方策による、農村におけるあらゆる団体の一本化により農業会となり、終戦後、「農業協同組合法(昭和22年法律第132号)」に基づき「桃園農業協同組合」となっている。

 戦前期に建設された「信用組合」や「農業会」時代の建物を引き継いだ農業協同組合の建物も以前は各所で散見されたが、建物の老朽化と農協の合併、再編により、当時の建物は現在殆ど残されていない。










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by kaz794889 | 2014-08-18 16:10 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2013年 08月 16日

旧山梨県庁舎と旧徳島県庁舎に関わる建築家

【旧山梨県庁舎】
f0191673_1543113.jpg  旧山梨県庁舎は昭和2年10月1日起工、同5年3月31日に竣工し、平成21年12月24日には山梨県文化財に指定されており、平成27年3月には「山梨県庁舎別館展示施設整備基本計画」に基づき旧正庁及び旧知事室等を創建時の姿に修復した上、2階東側部分に「山梨近代人物館(仮称)」が開館する予定である。




【旧山梨県庁舎 正面】
f0191673_1552236.jpg  旧庁舎は2年6か月の歳月と総工費100万円、清水組等15業者延べ6,500余人により建設された鉄筋コンクリート造一部鉄骨造で地下1階地上3階建ての建物であり、『山梨県近代化遺産総合調査報告書』(山梨県教育委員会編 平成9年3月発行)によれば「設計者については記録が残存していないので不明であるが、東京大学教授佐野利器博士がしばしば建設現場を視察したとの当時の新聞記事から、同博士が設計ら何らかの関与をした可能性が考えられる。」とある。
  佐野利器が山梨県庁舎の設計に関与したことが裏付けられる建物として、その外観が酷似する旧徳島県庁舎が残されている。




【徳島県立文書館の案内パンフレット】
f0191673_15433444.jpg  旧徳島県庁舎は徳島市八万町向寺山の文化の森総合公園内にその一部が移築(外観と一階エントラスホールが復元)され徳島県立文書館となっている。
  旧徳島県庁舎の概要と佐野利器の関わりについては、徳島県立文書館の1階エントラスホールに掲げられた銘板に次のとおり記されている(一部省略)。
  「 徳島県立文書館の建物は、旧徳島県庁の正面玄関部分を中心に、形式、材料とも可能な限り生かして  建設されました。外枠部分の石材、玄関ドア、階段の手すり、テラコット(陶器製の屋上装飾)、丸形屋根   瓦、外壁タイルの一部などは、旧庁舎の建材をそのまま使用しています。旧県庁舎は昭和5年3月、徳島  市富田浦町字東富田20番地の1(現県庁の西側駐車場一帯)に鉄筋コンクリート三階建て、2年4か月の  歳月、延べ52,400人、86万4千余円の費用を費やして建設されました。建設の指揮に当たった佐野利器  博士は、旧国技館、明治神宮外苑競技場、学士会館などの設計を手掛けられた建築構造学の権威者で   あり、この県庁舎は日本の初期鉄筋コンクリート建築の代表作の一つとされていました。昭和58年の新庁  舎建設着手に伴い、伝統的な旧県庁舎の一部を文化の森総合公園内の文書館として移築・保存すること  になり、平成元年10月に完成しました。」




【旧徳島県庁舎】
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【旧徳島県庁舎 側面】
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【佐野利器の墓所】
f0191673_15454898.jpg  佐野 利器(さの としかた)(明治13年4月1日~昭和31年12月5日)は山形県西置賜郡荒砥村に生まれ、旧制第二高等学校、東京帝国大学建築科を卒業(在学中に建築学を辰野金吾に学んでいる)している。  東大建築学科の教授を任期中途で退官し、日本大学の工学部長を務めるなどした後、1929年(昭和4年)~1932年(昭和7年)に清水組の副社長を務め、建設会社組織の近代化を図る等した建築家、構造学者である。
  佐野利器が旧山梨県庁舎の建設に深く関与したのは、同庁舎が清水組を中核とした業者により建設され、建設時期に清水組の副社長を務めていたことが、その理由の一つではないだろうか。




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by kaz794889 | 2013-08-16 16:03 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2013年 06月 23日

旧北都留郡甲斐絹同業組合上野原支部事務所

【旧北都留郡甲斐絹同業組合上野原支部事務所】f0191673_13324022.jpg 「重要物産同業組合法」(明治33年法律第35号)の公布に基づき、明治38年8月に北都留郡甲斐絹同業組合が発足し、その本部は北都留郡大原村猿橋137番地(現在の大月市猿橋町)に置かれ、上野原支部は北都留郡甲斐絹業組合時代(重要物産同業組合法施行前は、「甲斐絹同業組合規則(明治28年山梨県令第28号)」に基づく北都留郡甲斐絹業組合及び南都留郡甲斐絹業組合が設立され、大原村、谷村町にその本部が置かれ、上野原支部も設置されていた。)の建物をそのまま使用していた。
  その後、北都留郡内の東部地区一帯は当時の上野原町を中心に機業情勢が年ごとに進展し、その生産量が非常増加したことから上野原支部事務所も狭隘となり、新たな支部事務所の設置が必要となり、その際に建設された事務所が写真の建物である。  




【旧北都留郡甲斐絹同業組合上野原支部事務所②】f0191673_13332075.jpg 北都留郡甲斐絹同業組合の発足後27年が経過した大正11年9月21日に起工され、同年11月30日に木造スレート葺き洋風二階建て、総建坪86坪、敷地246坪の支部事務所として竣工している。
  昭和21年12月に新たな組合法である「商工協同組合法」が施行され、同22年3月13日に上野原織物工業協同組合に改組され、現在も同組合事務局として使用されている。
  また、下見板張で、ハーフティンバーの特長を有していた新築時の様式も、建築後90年を経過する中で改修がなされ現在の姿となっている。  






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by kaz794889 | 2013-06-23 14:37 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2012年 12月 09日

旧北巨摩郡農会庁舎

【旧北巨摩郡農会庁舎】
f0191673_23154689.jpg 農会は農事の経験知識を交換し、農業の改良進歩を図るために民間機関として当初発足した組織であり、その始めは明治10年頃に発生した農談会、種子交換会などの組織であったという。その後、明治14年に当時の農商務省が全国の老農を集め第一回農談会を催したことを機に、東洋農会、東京談農会を中核とした有志団体としての大日本農会が皇族を会頭に勧農官僚を役員として設立されている。
  明治20年以降、各府県に地方組織としての農談会、農業会等が相次いで発足され、明治27年には全国農民の意向を代表する機関として全国農事会が設立すると、同会は町村農会、郡農会、道府県農会を組織すめ系統農会を目指すこととなった。
  これに対して政府は明治32年に農会法を成立させ、道府県農会以下、郡、市、町村農会に至るまで、農事改良を行う法人団体として認めることとなり、更に明治43年には中央に帝国農会が設立され、傘下に全国の系統農会を組み込み農会の中央機関として認められることとなった。
  その後、戦時中の国内統制強化に伴い、昭和18年の農業団体法公布により農会は産業組合と統合されて農業会となり、農会は解消されている。
  北巨摩郡農会はこうした経緯の中で設立された、北巨摩郡を所管する系統農会であり、写真の旧庁舎は昭和11年に建設された建物である。




【旧同庁舎正面玄関部分】
f0191673_23161896.jpg  正面玄関の作りは、旧北巨摩郡農会庁舎の特長的なポイントのひとつである。




【旧同庁舎側面】
f0191673_23164847.jpg  旧北巨摩郡農会庁舎は現在使用されていないが、「山梨県近代化遺産総合調査報告書」において調査対象物件のひとつとなっている。




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by kaz794889 | 2012-12-09 00:00 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2011年 05月 14日

水晶館

【山梨大学 水晶館】f0191673_14543020.jpg

 山梨大学の教育人間科学部キャンパス内に建つ「水晶館」である。
 甲府市柳町84番地で薬種商を営む百瀬康吉が自ら収集した水晶の原石類と水晶工芸品を合わせた45種類134点について、「山梨県から産出したものは本県から離したくない。県教育の源泉である山梨県師範学校に是非置きたい」との意思から、大正8年10月22日に山梨県知事あてに寄付願いを提出し、翌年1月21日附の山梨県指令会第5116号を以って許可され、山梨県有財産になると同時に山梨県師範学校に寄附され、当該水晶類は師範学校内の木造倉庫に一時保管していたものであるが、貴重な水晶類を適正に管理・保管するため、昭和2年に建設された建物がこの水晶館である。

【同背面】
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 水晶の保管庫として建設された施設であるため、建物全体が水晶をイメージする形態となっている。

【天然記念物絵葉書の袋と同タトウ】
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 百瀬康吉から寄贈された水晶類を題材に山梨県が発行した「著名なる鉱物 天然記念物絵葉書」である。
 昭和2年に建設された水晶館も老朽化が激しくなり、その保管にも支障をきたすこととなったため、平成7年からは甲府キャンパス内の事務局棟2階に設けられた水晶展示室において展示・管理されている。

【天然記念物絵葉書の1】f0191673_14555494.jpg


【天然記念物絵葉書の2】
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【天然記念物絵葉書の3】f0191673_14564436.jpg



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by kaz794889 | 2011-05-14 15:34 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2010年 09月 19日

横山呉服店

【横山呉服店 正面】
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 都留市の富士みち(国道139号線)、市役所交差点の一角に建てられている横山呉服店の店舗である。
 近年、店舗としての営業を終え、現在は店舗としては使われていないという。
 木骨モルタル造りの昭和初期に建設された推察できる建物である。

【横山呉服店 西側側面】
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 前回紹介した谷村町役場の建てられていた場所の向かいに建つ建物であり、こうした建物がこの交差点におけるかつてのランドマークであり、また谷村町の繁栄を示す景観の一つであったのではないだろうか。

【横山呉服店 東側側面】
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by kaz794889 | 2010-09-19 11:53 | 山梨の近代建築 | Comments(1)
2010年 01月 16日

旧山梨県立図書館の外塀

【昨年12月の旧山梨県立図書館】
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 防災新館建設のため、県庁構内に残る昭和5年竣工の旧山梨県立図書館庁舎は各方面からの保存を求める要望にも関わらず、コスト増大を理由に記録保存のみにとどめ解体されることとなった、自由近世式、鉄筋コンクリート造りの図書館庁舎については、当ブログにおいて既に掲載(平成21年3月29日「旧山梨県立図書館と県庁第一南別館」)しているところである。
 写真は、解体工事に併せた工事塀の建設が始まっている、平成21年12月19日の状況である。

━山梨県庁━
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 昭和5年に旧山梨県立図書館と相対して建設され、平成21年12月に山梨県指定文化財となった旧山梨県庁舎である。
 写真の左側に写るのは、旧山梨県立図書館の門柱と外塀である。旧県庁舎の前面には現在は大規模な植栽がなされているため、写真の空間は失われているが、手前側片方の門柱と外塀は、そのままの形で残されている(た)。

【山梨県庁舎配置図】
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 県庁舎と図書館の位置関係及び図書館を囲む門柱と外塀のイメージが認識できる、昭和5年4月に発行された『県庁舎議事堂 新築工事要覧』に掲載された「山梨県庁舎配置図」である。

【旧山梨県立図書館の外塀 ①】
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 旧県立図書館の東側に残されていた門柱と外塀である。
 それ以前の状況であるが、現在は旧図書館の解体工事に伴う工事塀に囲まれ、外側から見ることは困難と思われるが、いずれにしても旧図書館とともに取り壊されることとなるのだろうか。

【旧山梨県立図書館の外塀 ②】f0191673_1514049.jpg

 外塀の中央は掲示版として使用されていた部分と思われる。
 県庁の正門的な出入口は現在敷地の東側に設けられているが、この場所に県庁が新築された昭和5年当時から前述した東側の入口が設けられるまでの間、県庁の正面入口はこの外塀に沿った形で、錦町通りに直面した北側に設けられていた。

【旧山梨県立図書館の外塀 ③】
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by kaz794889 | 2010-01-16 17:02 | 山梨の近代建築 | Comments(1)
2009年 12月 31日

旧甲府商工会議所

【旧甲府商工会議所】
f0191673_14375012.jpg 甲府商業会議所は創立以来、甲府市八日町の若尾銀行の一室を事務所として借りていたが、甲府市錦町18番地の旧望仙閣支店の建物を取得し、大正元年12月22日に事務所を移転させ甲府商業会議所としてきたが、建物の狭隘化等から大正12年に屋舎の新築を計画され、大正14年4月19日に新屋舎の建設が起工され、翌15年4月20日に竣工した建物が写真の旧甲府商工会議所である。
 昭和52年に甲府商工会議所が甲府市相生二丁目に移転後は、山梨県法人会連合会の所有となり、現在は山梨県法人会館となっている。


【昭和30年代前半頃】
f0191673_14385081.jpg この建物が建つ場所には、かつて旧梁木学校の校舎(明治7年建築)を利用した甲府市役所が、大正4年10月に甲府市相生町50番地に新築移転するまで置かれていた場所である。
 近世復興様式の鉄筋コンクリート三階建として、甲府市柳町73番地(現在:甲府市中央4-12-21)に建つこの旧甲府商工会議所の屋舎は山梨県内における最古の鉄筋コンクリート造のビルでもあり、平成8年12月26日には山梨県最初の国の登録有形文化財のひとつとして指定されている。


━甲府商業会議所 新築落成記念絵葉書のタトウ━
f0191673_14391442.jpg 甲府商業会議所の新築落成を記念し、甲府商業会議所が発行した記念絵葉書である。
 竣工落成式は大正15年4月16日午前10時から、約800名が出席して、新築なった甲府商業会議所の屋上庭園において行われている。


━甲府商業会議所━
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━甲府商業会議所 二階広間━
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━甲府商業会議所 三階大会議室━
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 新築落成式の終了後、この三階大会議室で祝宴が開催され、会議所始まって以来の盛儀であったといわれている。

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by kaz794889 | 2009-12-31 15:56 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2009年 04月 11日

大日本武徳会山梨支部武徳殿

 甲府城址、舞鶴公園内「二の丸」に建つ武徳殿は、大日本武徳会山梨支部武徳殿として昭和7年9月に着工、同8年3月に竣工した建物である。
 昭和20年8月にGHQの占領施策により大日本武徳会が解散させられた後、山梨軍政部により建物は接収された。接収解除後、県有財産となり、昭和36年6月からは山梨県警察本部に移管されている。
 また、昭和59年9月には建物の老朽化に伴う改修が実施され、同58年3月に改修工事が完了し現在に至っている。

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━武徳殿 正面━
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 武徳殿は昭和3年に行われた御大典記念事業として企画されたものであり、有志の寄附42000円を始めとした資金により建設されたものである。 
 新築落成記念しおりによれば「白木社殿造リニシテ屋根ハ日本瓦本葺トシ建坪数172坪余ナリ、内道場ハ50坪ニシテ観覧席は約500名ヲ収容シ得ラルヘク演武場ノ電燈照明ニハ特ニ意ヲ用ヒタリ」と武徳殿の建物について説明している。
 また、武徳殿の後方には、大正8年に建設された旧仮武徳殿を改造し、客殿、湯殿、便所等を増築した94坪の附属屋として武者溜が整備されている。

【舞鶴公園内 武徳殿配置図】
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 右の図で、青く塗りつぶしている下図が武徳殿、上図が武者溜である。
また、武徳殿と武者溜から離れた右側の上図は、武徳殿と同時期に新築・整備された大弓場である。



【県庁構内から見た武徳殿】
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━武徳殿 前面全景━
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━武徳殿 背面全景━
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【武徳殿新築落成式並記念演武大会誌】
f0191673_1732955.jpg 昭和8年3月に落成した武徳殿の落成式は同年4月29日の天長節に挙行された。
 当日は午前10時30分から武徳殿新室祭式神事に引き続き落成式、その後午後1時から演武が行われている。



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by kaz794889 | 2009-04-11 20:02 | 山梨の近代建築 | Comments(0)