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カテゴリ:山梨県指定仮史跡( 2 )


2016年 03月 08日

森島弥十郎の墓

【森島弥十郎の墓】
f0191673_22525566.jpg 森島弥十郎は宝暦11年に都留郡谷村の絹問屋「島屋」を営む森島利八の嫡男として生まれ、諱を基進(きしん)、字を子与(しよ)、桂園(けいえん)と号している。

 弥十郎は好学の人物であり、安永7年、18歳の年に父に請うて江戸に遊学し、大学頭林家の門に入り昌平黌において、大学頭林述斎をはじめとしたすぐれた学者について儒学や諸子の学問を究め、同門には市河米庵、雲室了軌などがいたという。
 その後、天明2年、22歳の年に父の失踪がにより帰郷し家業を継ぐとともに、寛政中期には自宅を塾舎にあてた「朋来園」を開き、郡内地方をはじめとした郷党子弟のために漢学を中心とした諸学を授けていた。

 寛政10年12月に甲府勤番追手勤番支配に任ぜられた滝川長門守利雍に対し、寛政12年に幕府文教主宰 林大学頭衡から甲斐国の地誌編纂が命じられたことから、滝川は国中三郡(山梨、巨摩、八代郡)の編纂主任に甲府学問所教授の富田武陵を、郡内領の編纂主任に森島弥十郎を命じている。文化2年7月に御小姓組頭に転出する滝川は、後任の追手勤番支配である松平伊予守定能に地誌編纂を引き継ぐに際し、森島弥十郎の用ゆべきを強調したという。その後、文化11年に甲斐国の地誌である「甲斐国志」が完成し、幕府への献進が終えると松平定能から森島弥十郎に対し慰労のことばと白銀が賞賜されている。
 「甲斐国志」完成後の文政4年10月13日、森島弥十郎は60歳で生涯を終えている。
 写真は森島弥十郎の墓所であり、墓石の中央「釈道仙居士」が弥十郎の法名である。大正10年6月に墓所は山梨県の史跡に仮指定されており、大正13年3月には「名ハ其進、字ハ子与、本町ノ人ナリ、学ヲ林家及昌平塾ニ修メ、業成リテ後郷ニ帰リ、専ラ育英ヲ事トス、文化中、甲斐国志ノ編纂ニ功アリ、曾テ凶歳ニ当リ穀三百九十俵ヲ出シテ郷里ヲ賑スト云、文政四年没ス、享年六十、此処ニ葬ル」と刻まれた墓石右側の「森島弥十郎之墓」の標柱が建立されている。


【森島子与墓表】
f0191673_22531177.jpg 墓石の左側に建つ「森島子与墓表」は、森島弥十郎を慕う門下生たちが追慕の念を表すために、撰文を林大学頭(林述斎の三男)、揮毫を市川米庵、彫刻を広瀬群鶴による追恩の碑として、文政8年12月に建立されている。

 なお、森島家所蔵の甲斐国志編纂資料は、森島弥十郎の子孫から昭和51年に都留市に寄贈されており、平成5年1月18日には「甲斐国志編纂資料」として都留市の指定文化財(歴史資料)に指定されている。
 





























【都留市谷村横町 専念寺】
f0191673_22543288.jpg 森島弥十郎の墓所がある、都留市谷村横町の真宗大谷派 向富山 専念寺である。






















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by kaz794889 | 2016-03-08 05:40 | 山梨県指定仮史跡 | Comments(0)
2015年 04月 18日

日蓮上人草庵跡

【日蓮上人草庵跡】
f0191673_15275231.jpg 日蓮宗総本山久遠寺の祖廟域(南巨摩郡身延町身延西谷3629)に残る日蓮上人草庵跡は、文永11年の身延入山から弘安5年の秋まで、日蓮が隠棲した草庵の跡地であり、身延山久遠寺発祥の地である。
 
 その後、草庵跡のある西谷の地が手狭になると、文明7年に諸堂宇は現在の久遠寺本堂のある地域に移転し、現在は同地域が久遠寺の中心となっている。

 草庵跡は昭和2年3月に「日蓮草庵跡」ととして山梨県の史跡に仮指定された後、昭和34年2月9日には「日蓮上人草庵跡」として山梨県指定の史跡に指定されている。
 
 写真に写る「日蓮聖人草庵之阯 山梨県」の標石は、山梨県史跡に仮指定された、昭和2年3月8日に山梨県が建立した標石である。
 






【日蓮上人御草庵旧跡と同御廟】
f0191673_16041371.jpg 草庵跡が現在の形に改修される以前、大正後期の草庵跡である。
 現在も残る、草庵跡を囲む十間四面の玉垣は、明治25年に旧姫路藩主酒井家の夫人が寄進したものである。

 また、写真に写る御廟は、昭和17年に現在の祖廟塔及び祖廟拝殿に改築されている。














【草庵跡の内部】
f0191673_15283258.jpg 玉垣内に建立されていた石造物などは撤去され、現在は芝地となっている。
 写真の後方に写る建造物は、祖廟の拝殿である。





















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by kaz794889 | 2015-04-18 17:16 | 山梨県指定仮史跡 | Comments(0)