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カテゴリ:御嶽新道( 1 )


2014年 07月 20日

長田円右衛門の墓

【山梨日日新聞 (昭和28年1月12日付紙面)】
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  長田円右衛門(寛政7年1月9日~安政3年6月9日)は巨摩郡猪狩村(現在:甲府市猪狩町)の農家に生まれている。
  当時の猪狩村の人々は炭や薪を甲府の街で売ることを生業としていたが、当時の道路状況から甲府に出るには荒川沿いを避けて遠回りする必要があったため、甲府への片道に一日を費やす状況であった。
  こうした状況を見かねた円右衛門は荒川沿いの開道を企て、甲府への新道を開く難工事を始め、天保14年に通算9年を要した新道が完成している。
円右衛門により完成したこの新道が、天下の景勝昇仙峡を世に出した御岳新道である。
なお、現在の道筋である荒川左岸のみの一本道や仙娥滝の正面に出る昇仙橋が完成したのは、後年、明治の大改修時である。
  
 
昭和28年は長田円右衛門の没後98年の年にあたることから、2年後の没後100年を控え、御嶽新道に残る嘉永4年6月建立の「長田円右衛門碑」にかわる記念物の建立を計画している旨を伝える新聞記事である。
  
  
  昭和28年は、6月9日に「御嶽昇仙峡まつり 長田円右衛門墓前祭」が開催、3月31日には御嶽昇仙峡が国の特別名勝に指定されるなど、観光気運高まりの年であった。



【長田円右衛門の墓】
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  新道完成後も円右衛門は、腰越地点に「接待亭」を造り、わらじを売り、湯茶を接待しながら天候の悪い日には通行人の休み所としたため、村人から「お助け小屋」と呼ばれたほど誠実を貫き、信用を積み重ねていた。写真は猪狩町の共同墓地内にある長田円右衛門の墓所である。



【長田円右衛門墓所の標石】
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  長田円右衛門の墓は大正13年3月に山梨県の史跡として仮指定されており、墓石の傍らには「御嶽新道開発者 長田円右衛門之墓 山梨県」と正面に刻まれた同時期建立の標石が残されている。
  また、墓前の灯篭二基は昭和2年に成島治平(甲府市長)、名取忠愛(元甲府市長)らが有志と円右衛門顕彰の運動を起こし同年6月9日に献灯供養を行ったものである。



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by kaz794889 | 2014-07-20 13:16 | 御嶽新道 | Comments(0)