カテゴリ:奉安殿( 5 )


2015年 12月 02日

岡部国民学校 奉安殿

【岡部国民学校 奉安殿】
f0191673_23004096.jpg 東山梨郡岡部村(現在の笛吹市春日居町)の岡部国民学校(現在の笛吹市立石和北小学校)の奉安殿である。
 この奉安殿は、大正4年10月29日に当時の天皇、皇后両陛下(大正天皇、貞明皇后)の御真影が岡部尋常高等小学校に下賜され、同年12月に154円92銭5厘を以て御大典記念として御真影奉安庫として建設されている。
 
 また、大正8年9月に児童数の増加から同小学校の校舎が増改築された際、奉安殿は建設当初の校地内の位置から移動させたという。












【旧奉安殿の側面】
f0191673_23005085.jpg 
 昭和20年の終戦後、岡部国民学校の奉安殿と奉安殿内の奉安室が現在の神社境内に移築等され、奉安殿はそのまま神社拝殿西側に鎮座する稲荷社の鞘堂として使われている。
 なお、奉安殿内の奉安室の厨子は神社拝殿内に安置されているという。


















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by kaz794889 | 2015-12-02 06:30 | 奉安殿 | Comments(0)
2015年 01月 31日

穂坂国民学校 奉安殿

【穂坂国民学校の奉安殿】
f0191673_22070968.jpg 穂坂国民学校(現在の韮崎市立穂坂小学校)の奉安殿として使用されていた、「朝穂堰水配役人詰所文庫」である。

 朝穂堰は享保3年7月に完成した、総延長約15㎞キロメートルの堰である。
 堰の取水口と流末には幕府からの役人が駐在し、ここ三ツ沢に詰所が設置されている。
 写真の高石垣の文庫は、関係4ヵ村の夫役の提供により、その詰所屋敷の一角に建てられたものである。

 維新後の明治6年には山梨県布達により朝穂堰に関する官費支弁が廃止となり、その運営が民営となったことから、三ツ沢の詰所は不要になり、その後は穂坂尋常小学校、穂坂国民学校の奉安殿に転用され、終戦後の御真影奉還まで奉安殿とされていた。






【奉安殿正面】
f0191673_22071719.jpg この建物は、昭和46年7月10日に「朝穂堰水配役人詰所文庫」として韮崎市指定の文化財に指定されている。





















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by kaz794889 | 2015-01-31 22:46 | 奉安殿 | Comments(0)
2015年 01月 24日

武川国民学校 奉安殿 

【武川国民学校 奉安殿】
f0191673_10420748.jpg 武川国民学校奉安殿は、昭和3年6月21日に当時の富里尋常高等小学校の奉安殿として建設が起工され、同年10月19日に竣工、11月10日の御大典当日に落成式が挙行されている。

 昭和8年4月1日に北巨摩郡新富村と武里村が合併し武川村が発足したことにより、富里尋常高等小学校も武川尋常高等小学校と改称され、昭和16年4月1日には国民学校令に伴い武川国民学校となった。

 












【同奉安殿 側面】
f0191673_10421570.jpg 終戦後、昭和21年7月の文部大臣通牒により、同年8月2日に武川国民学校奉安殿の撤去作業が開始され、奉安殿は武川村役場の書庫として使用されることとなった。
 その後、昭和36年に現在地に移設されている。




















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by kaz794889 | 2015-01-24 11:13 | 奉安殿 | Comments(0)
2015年 01月 11日

塩山国民学校奉安殿

【塩山国民学校奉安殿】
f0191673_21555891.jpg 塩山国民学校(現在の甲州市立塩山南小学校)のかつての奉安殿である。
 終戦後、殆どの奉安殿は取り壊し、撤去されているが、一部の奉安殿は当初設置されていた小学校の敷地から神社や寺院に移され、忠霊殿や社殿として残されている。
 
 塩山国民学校のかつての奉安殿も、現在は神社境内に移され英霊が祀られているという。

















【同背面】
f0191673_21560692.jpg 背面から見た奉安殿である。
 























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by kaz794889 | 2015-01-11 22:12 | 奉安殿 | Comments(0)
2014年 01月 08日

八田国民学校奉安殿

【八田国民学校奉安殿】
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 各学校に下賜された御真影や教育勅語は校舎内の奉安所に安置されていたが、学校火災において御真影を守って校長が焼死する事件が発生したことなどから、大正期以降は御真影を安置するため校舎から離れた堅牢な奉安殿が建設されるようになり、昭和10 年代以降は全国的にその建設が進められ、木造、コンクリート等による神社形式や洋風形式の形態による奉安殿が建設されていた。
 終戦後、連合国最高司令官総司令部参謀副官発第三号(昭和20年12月15日)として「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」が発令され、奉安殿の撤去が命じられるなど、公的教育機関からの神道の切り離しが本格化し、文部次官通牒による奉安殿の撤去指令が出され「校舎外にあるものは原型を留めないように撤去すること」「校舎内や講堂の御真影奉掲所は御紋章や棚を撤去すること」「撤去措置について市町村長は県に報告すること」などが指示されている。



【八田国民学校奉安殿】
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  八田小学校(南アルプス市)の奉安殿は建設費213円55銭を以て大正5年1月6日に起工、同年10月31日に竣工し、終戦後の昭和21年7月11日に撤去され百田村の個人に払い下げられた後、同年10月に戦没者慰霊殿となり、現在も残されている。



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by kaz794889 | 2014-01-08 18:07 | 奉安殿 | Comments(0)