カテゴリ:明治天皇旧蹟( 10 )


2015年 12月 23日

明治天皇大橋御召換所趾

【明治天皇大橋御召換所趾】
f0191673_14072394.jpg 明治13年6月18日午前11時30分、明治天皇は北都留郡富浜村鳥沢(現在の大月市富浜町鳥沢)の旧上鳥沢宿の旧本陣であった井上家において御昼食、その後旧猿橋宿に至り、同地の猿橋警察署において御小休の後、板輿から馬車に乗り換えられ旧大橋宿(現在の大月市大月)に進まれ、甲州街道沿いの旧本陣であった、溝口家において御小休の後、ここから再度板輿に乗り換えられるため、御召換をされている。

 当時の旧本陣溝口家の位置が写真の場所である。












【「明治天皇御召換所趾」碑と副碑】
f0191673_14082473.jpg 御召換所とされた当時の建物は明治44年8月7日に火災により焼失しており、現在は、昭和9年に山梨県聖蹟として指定され、昭和12年6月18日建立された「明治天皇御召換所趾」碑と、「明治13年6月18日に大月町字大月(副碑建立当時の所在地)の先々代溝口五左衛門宅に明治天皇が御駐輦された由緒深き遺跡である」旨が刻まれた副碑(御召換所趾碑の左側)が残されている。

 
 













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by kaz794889 | 2015-12-23 15:00 | 明治天皇旧蹟 | Comments(0)
2015年 05月 06日

甲府城址 明治天皇御製之碑

【明治天皇御製之碑】
f0191673_14001821.jpg 甲府城跡の鍛冶曲輪(自由広場)の北側にある石切場跡に建てられている「明治天皇御製之碑」は、甲府市柳町の上甚こと村松甚蔵により大正13年11月に建碑されている。

 明治13年6月16日に御巡幸に向け皇居を出発された明治天皇は、19日の16:30に甲府の行在所である錦町の師範学校に着御され、20日は山梨県庁、静岡裁判所甲府支庁、勧業製糸場に臨幸、21日は甲府城内の勧業試験場において葡萄酒の醸造を御覧になった後、甲府城の天守台跡に臨幸され、その場所に設けられた御仮屋で暫時御休息されている。

 なお、天守台跡には明治天皇の御登臨を記念し、昭和13年3月に山梨県が建設した「明治天皇御登臨之址」碑が建てられている。
 http://kaz794889.exblog.jp/14764503/






【明治天皇御製之碑 正面及び背面】
f0191673_14004953.jpg 御製の碑正面には「 明治天皇御製 えびかつら色津支そ免ぬ山梨の 里乃阿き風佐むくなる羅し 御歌所寄人 入江為守謹書 」と刻まれている。

 背面には「御製之碑」建碑の経緯が島倉龍治(建碑当時の甲府地方裁判所検事局の検事正)の撰及び書により刻まれている。

















【建碑当時の御製之碑】
f0191673_14005374.jpg 甲府城跡の整備により、御製之碑周囲の樹木も現在は整備されている。

 御製之碑の古写真は、大正14年3月22日に建碑者である村松甚蔵が発行した記念絵葉書によるものである。















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by kaz794889 | 2015-05-06 15:14 | 明治天皇旧蹟 | Comments(0)
2014年 11月 24日

明治天皇円野御小休所跡

【明治天皇円野御小休所跡】
f0191673_10054304.jpg 明治13年6月22日、甲府行在所である山梨師範学校を御発輦された明治天皇は、中巨摩郡竜王村(現在の甲斐市)で御小休の後、北巨摩郡河原部村(現在の韮崎市)の御昼行在所に充てられた韮崎学校を経て、同郡円野村(現在の韮崎市)の円野御小休所において御小休されている。

 円野御小休所は甲州街道韮崎宿と台ケ原宿の間に位置する上円井の内藤家が充てられている。














【昭和10年代の御小休所跡と標石】
f0191673_10052059.jpg 円野御小休所跡は昭和10年11月2日に史跡名勝天然記念物保存法に基づく史跡に指定され、昭和11年11月に写真の「明治天皇圓野御小休所」の標石及び「明治13年 山梨三重両県及京都府御巡幸の際6月22日御小休所となりたる処にしてよく旧規模を存せり」と記された説明板が設けられている。













【現在の標石】
f0191673_10055929.jpg 前述の標石は甲州街道に面した建立当初の位置から、現在は御小休所表門の敷地内に移されている。



























【円野御小休所表門】
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【西側から見た御小休所跡】
f0191673_10060554.jpg 長野県側(西側)から見た、甲州街道に面する御小休所跡。
 
























【御小休所跡の御座所】
f0191673_10052689.jpg 昭和10年代の御小休所御座所。
 敷地内の標石後方には、現在も御小休所時代と思われる建物が残されている。



















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by kaz794889 | 2014-11-24 11:20 | 明治天皇旧蹟
2014年 11月 15日

明治天皇菅原行在所跡

【明治天皇菅原行在所跡】
f0191673_15593498.jpg 明治13年6月22日7時に甲府行在所である山梨師範学校を御発輦された明治天皇は、竜王村、韮崎学校、円野村を経て14時15分に北巨摩郡菅原村台ケ原の北原延世方に御泊御着輦され、翌日は長野県上諏訪に向け御発輦されている。

 昭和8年11月2日には史跡名勝天然記念物保存法に基づき、「明治天皇菅原行在所」として国の史跡に指定され、現在も残る標石と説明及び注意事項の掲示場が建てられている。

 なお、行在所の史跡指定は、他の関係史跡を含め昭和23年6月29日に指定解除されている。











【昭和11年頃の明治天皇行在所跡碑と行在所内部】
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 菅原行在所当時の建物は現在もよく旧態が残されている。


【菅原行在所跡に隣接する北原家住宅】
f0191673_15592604.jpg 菅原行在所跡は甲州街道の台ケ原宿に面して建てられており、右側に隣接している北原家住宅は敷地内の文庫蔵等と併せて、平成12年10月12日に山梨県指定文化財に指定されている。





















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by kaz794889 | 2014-11-15 16:53 | 明治天皇旧蹟 | Comments(0)
2014年 01月 01日

韮崎御昼行在所跡

【韮崎市立韮崎小学校の正門旧門柱】
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  明治天皇による明治13年の一府二県(山梨県、三重県、京都府)御巡幸において、韮崎学校(現在の韮崎小学校)は6月22日の御昼行在所となっている。
  当日は、前日の行在所である甲府錦町の山梨師範学校を午前7時に御発駕され、竜王村の小宮山貞彰宅に御小休の後、午前9時30分に韮崎学校に着御され、御昼餐の後、午前11時20分に御発輦され、円野村の朝政宅に御小休の後、午後5時に菅原行在所(北原延世宅)に着御されている。
  御昼行在所となった当時の韮崎学校は、いわゆる藤村式建築として明治11年に着工し概ね竣工(新築校舎の開校式は明治14年7月22日に挙行)した新校舎の二階が御座所に充てられている。
  なお、明治天皇御巡幸から40年目にあたる大正9年6月22日に、6月22日が学校記念日として定められている。



【明治天皇行在所記念之碑】
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【明治天皇御昼餐所跡碑】
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 「明治天皇行在所記念之碑」は、明治天皇御巡幸当時の校舎が老朽・狭隘化したことから、新たに校舎を建設したため、行在所となったことを永く記念するため、元帥伯爵東郷平八郎の表題、韮崎町外二ヶ村組合長小林小六の碑文により建設され、大正14年7月30日に序幕式が挙行されている。
  また、「明治天皇御昼餐所跡碑」は、昭和9年に山梨県聖蹟として指定されたため、昭和10年2月に建立された記念碑である。

【明治13年御巡幸記念録】
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  昭和4年6月22日から24日までの3日間、明治天皇山梨御巡幸50周年記念展覧会が韮崎尋常高等小学校及び韮崎実科高等女学校内に於いて開催され、校舎内の全教室が陳列品等のために提供され、その内の一室である裁縫作法室(御巡幸当時の御座所)が御巡幸記念室に充てられるなどしている。
  こうして集めた御巡幸関係資料が展覧会閉会後に散逸することを防ぐため、昭和5年8月に謄写により三部が作成されたが、僅か三部の記録を憂いた韮崎町の有志により、「編者労を多とし保存の不安の幾分にても寛和せらるれば幸甚なり」を趣旨として昭和7年10月に百部刊行された42頁の冊子である。




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by kaz794889 | 2014-01-01 17:58 | 明治天皇旧蹟 | Comments(0)
2013年 10月 20日

第二回 明治天皇六大巡幸展

【甲府城跡天守台の「明治天皇御登臨記念碑」】
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 明治13年6月16日、明治天皇は7月23日までの38日を全行程とした山梨県三重県京都府御巡幸のため、伏見宮貞愛親王及び太政大臣三條實美ら300余名が供奉し赤坂仮御所を出発されている。
 山梨県内には6月17日に入られ23日に長野県に入られるまでの間、山梨県内に滞在されている。
 甲府には6月19日から22日まで山梨師範学校を行在所として滞在され、その間に甲府城天守台に御登臨されたことを記念して建立されたものが写真の記念碑である。

【第二回 明治天皇六大巡幸展 パンフレット】
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  明治天皇は明治5年(九州・西国巡幸)から18年(山口・広島・岡山巡幸)までの明治前期までの間、六大巡幸と言われる全国に及ぶ6回の長期大規模巡幸がなされている。
  昨年7月、明治神宮において斎行された明治天皇百年祭を記念し、明治神宮と財団法人霞会館との共催で「第一回 明治天皇六大巡幸展」(第一回から第三回にあたる前半の巡幸を対象)が開催されており、本年は昨年に引き続き、「第二回 明治天皇六大巡幸展」(明治13年の山梨巡幸を含む、第四回から第六回にあたる後半の巡幸を対象)が、平成25年10月12日から11月24日までの間、明治神宮文化館宝物展示室において開催されている。

【第二回 明治天皇六大巡幸展 図録】
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  本展は「甲州・東山道巡幸(明治13年)」、「山形・秋田・北海道巡幸(明治14年)」及び「山口・広島・岡山巡幸(明治18年)」の三部構成で展示されている。
  「甲州・東山道巡幸(明治13年)」についても関係史料が展示されているが、松本・塩尻に関する史料を中心として展示となっており、山梨県に特化した史料としては、山梨県立博物館所蔵の「大日本物産図会 甲斐国葡萄栽培図 三代歌川広重画」のみであった。
  なお、図録には、「甲州・東山道巡幸(明治13年)」を概説する中で山梨県立博物館所蔵の史料が他に二点掲載されているとともに、「甲州・東山道巡幸(明治十三年)天覧の文化財」と題する論文が掲載されている。





  
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by kaz794889 | 2013-10-20 11:57 | 明治天皇旧蹟 | Comments(0)
2013年 03月 20日

日川御小休所跡

【明治天皇御巡幸 日川御小休所跡】
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  明治13年6月16日、29歳の明治天皇は伏見宮貞愛親王殿下をはじめ太政大臣三条実美、参議伊藤博文らを供奉とした総勢約400人の陣容により、山梨・三重・京都御巡幸に出発され、6月19日の午前7時に笹子行在所を発せられ、午後1時40分に東山梨郡日川村歌田二番地(現在:山梨市歌田)の志村勘兵衛宅御小休所に着後されている。
  甲州街道に面して建てられていた志村勘兵衛宅はのあった位置が写真の場所である。



【日川御小休所跡碑】
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  石碑の正面が甲州街道に向けられていないが、昭和9年にこの場所が山梨県聖蹟に指定された時期に建立されたのが、写真の石碑である。
  志村勘兵衛は自宅が御小休所に定められると、明治13年4月上旬に檜及び欅を用いた瓦葺の通用門新築に着手し、6月19日には新築の通用門で明治天皇を迎えられている。その後、この通用門については、西郷従道侯爵、久我通久侯爵、伏見宮貞愛親王殿下、小松宮彰仁彰親王殿下らが来県休憩された時以外は常に閉鎖して一般の出入りは禁じていたという。
  明治天皇の旧蹟である建物は、その後も志村家により守られていたが、明治40年8月24日の未曾有の大水害を被り、家屋、家財の悉くを流失したため、志村家は日川村歌田207番地に移転している。




【駐蹕碑】
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  御小休所跡碑の南側に建てられている駐蹕碑である。
  明治13年6月の明治天皇巡幸の際における志村家への駐蹕を記念するため、志村勘兵衛が昭和4年に明治40年当時の同家屋敷内に建立した石碑である。



【志村勘兵衛頌徳碑】
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  昭和9年に志村勘兵衛家の屋敷跡が山梨県聖蹟に指定されると、それを機に昭和10年に旧屋敷跡4925㎡を当時の日川村に寄贈しており、日川村の合併後は山梨市がその土地を承継し市営住宅地としていたなどの経緯から、昭和55年に建設された頌徳碑である。
  なお、駐蹕碑と頌徳碑は旧住宅敷地内中央に設置されている小公園に並んで建てられている。
 




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by kaz794889 | 2013-03-20 18:23 | 明治天皇旧蹟 | Comments(0)
2011年 12月 11日

明治天皇 上野原行在所跡

【上野原行在所跡】
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 甲州街道上野原宿本陣は、明治13年の明治天皇による山梨、三重、京都御巡幸において、御泊行在所と定められ、6月17日午後5時に御着輩、翌18日午前7時に御発輩されている。

【上野原行在所跡 中門】
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 天保2年に上野原宿に大火があり全宿類焼の被害であったが、本陣の建物は地面よりも何段か高い上部にあったため焼失を免れたとも言われている。
 旧本陣の当主であった加藤景明が御巡幸に際し行在所の出願を行い、御用掛による4月の検分の結果、5月7日に内定するとともに、14件の修繕箇所を指示されている。
 中門は現在も唯一残る行在所当時の建造物である。

【上野原行在所跡 中門内】
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 中門内側の現状であるが、行在所当時の建物は昭和22年4月3日に焼失し烏有に帰している。

【焼失前の上野原行在所】
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 昭和15年当時の上野原行在所の建物である。
 上野原行在所は昭和8年11月2日に「明治天皇上野原行在所」として国の史跡に指定され、同月10日には史跡指定記念式が挙行され、昭和9年1月30日には行在所の管理者として当時の上野原町が指定されている。
 また、明治13年の御巡幸以来、地籍の売買により明治29年10月には加藤家から竹中氏に、明治30年5月からは藤田氏が所有している。

【上野原行在所外門跡】
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 甲州街道(国道20号線)に面した上野原行在所の入り口である。
 かつてこの場所には外門があり、その脇には「明治天皇上野原行在所」と揮毫された石碑が建てられていたが、外門は昭和29年3月31日に焼失している。


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by kaz794889 | 2011-12-11 20:21 | 明治天皇旧蹟 | Comments(0)
2010年 10月 10日

明治天皇御登臨之址

【明治天皇御登臨之址碑】
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 明治13年3月、明治天皇による山梨、三重の両県及び京都府への御巡幸が決まり、同年6月16日に明治天皇は御巡幸に向け皇居を出発、翌17日に山梨県に入られ、上野原宿(上野原市)の行在所である加藤景明方に着御され、18日、19日は野田尻、鳥沢、猿橋、笹子、勝沼、日川、石和、甲府と巡行され、19日の16:30に甲府の行在所である錦町の師範学校に着御されている。
 20日は山梨県庁、静岡裁判所甲府支庁、勧業製糸場に臨幸され、21日は甲府城内の勧業試験場において葡萄酒の醸造を御覧になった後、甲府城の天守台跡に臨幸され、その場所に設けられた御仮屋で暫時御休息されている。
  「明治天皇御登臨之址」碑はこうした明治天皇の御登臨を記念し昭和13年3月に建設されたものである。


【山梨県聖跡保存聖徳顕彰会趣意書】
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 全国を御巡幸等された明治天皇ゆかりの地は、聖跡として当時の「史跡名勝天然記念物保存法」に基き、内務大臣又は文部大臣の指定を受けており、山梨県内においても明治13年の御巡幸ゆかりの地である「菅原行在所」「上野原行在所」が昭和8年11月に、「勝沼行在所」「花咲御小休所」「円野御小休所」が昭和10年11月に国の史跡として指定されている。
 また、明治13年の明治天皇御巡幸から60年の年が紀元2600年の昭和15年にあたる年でもあることから、昭和12年の山梨県議会において、「明治天皇聖跡を保存顕彰し奉るは山梨県民一致の仰望する所なり、当局は之が保存顕彰に関し聖跡保存会を設立し適切なる方策を以って奉公せられん」との意見書が議決された。
 こうした経緯等により山梨県聖跡保存聖徳顕彰会(総裁:山梨県知事、会長:貴族院議員 名取忠愛、副会長 山梨県学務部長)が設立されている。


【同会竜王村副支部長の嘱託状】
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 明治天皇御巡幸ゆかりの地として史跡に指定されていた「菅原行在所」「上野原行在所」「勝沼行在所」「花咲御小休所」「円野御小休所」については、その指定が昭和23年文部省告示第64号により昭和23年6月29日、一斉にその指定が解除されている。




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by kaz794889 | 2010-10-10 23:13 | 明治天皇旧蹟 | Comments(0)
2010年 03月 27日

明治天皇悠紀斎田

【甲府市:南西第一児童公園】
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 古来より、天皇の即位に当たっては即位式と並び全国から卜定した悠紀国、主基国で採れた新穀を天照大神を始めとする神々に供える一代一度の儀式として大嘗祭が行われている。
 明治天皇の即位に伴う大嘗祭における悠紀国及び主基国は全国を大正に占われ、悠紀国は甲斐国巨摩郡、主基国は安房国長狭郡に定められ、明治4年11月に東京において行われている。
 甲斐国が悠紀国とされたことから、斎田は、当時の巨摩郡上石田村(現在の甲府市)に、斎田の控地は当時の巨摩郡中楯村(現在の中央市)と決定され、その斎田の跡地が甲府市上石田三丁目にある「南西第一児童公園」の場所である。

【南西第一児童公園内の記念碑】
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 大正3年の大正天皇大嘗祭に際し、往時を追憶し遺跡の消滅を惜しむ機運から、悠紀斎田記念碑等による跡地の保存が企てられ、山梨県教育会を中心とした各種事業として記念碑、斎田跡の保存施設、周辺道路の改修等が行われている。

━明治天皇悠紀御斎田記念碑━f0191673_21234599.jpg


 大正11年3月建碑の明治天皇悠紀斎田跡記念碑(正碑)である。
 この正碑と後記の副碑を併せた「明治天皇御即位悠紀御斎田記念碑序幕式が大正15年4月8日に行われている。
【現在の正碑】
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━明治天皇悠紀御斎田記念副碑━
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 大正11年9月建碑の明治天皇悠紀御斎田記念副碑である。
【現在の副碑】
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【悠紀斎田跡附帯工事碑】
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 昭和2年6月に建碑された悠紀斎田跡附帯工事碑である。

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by kaz794889 | 2010-03-27 22:03 | 明治天皇旧蹟 | Comments(0)