峡陽文庫

kaz794889.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

カテゴリ:甲州紀行( 17 )


2015年 01月 04日

甲州紀行 17 「窓のある土蔵」

【窓のある土蔵】
f0191673_22263599.jpg 門を中心に両側に土蔵を供えた豪農の屋敷である。
 屋敷の敷地を囲む土蔵は残されているものの、主屋は近年建設されたと思われる新しい建物に建て替わっている。

 二階の窓に特長があるので、土地の人に「この土蔵は何かに使われていたのか」と尋ねたが、特段の使われ方はしていなかったようである。
 洋風の窓とは言い難いが、窓枠と土蔵の壁に擬洋風建築の雰囲気を感じる建物である。













にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2015-01-04 22:42 | 甲州紀行 | Comments(0)
2014年 07月 19日

甲州紀行 16「東郡の元医院」

【東郡の元医院 Ⅰ】
f0191673_169336.jpg
  昭和13年、昭和19年に軍医として応召され昭和21年8月に復員した、峡北地方出身の医師が昭和25年に新築開業した元医院の建物である。




【東郡の元医院 Ⅱ】
f0191673_1694434.jpg




にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2014-07-19 16:11 | 甲州紀行 | Comments(0)
2014年 07月 06日

甲州紀行 15 「桜町の稲荷社祠」

【稲荷社祠の全景】
f0191673_21363645.jpg
 昭和20年の今日、7月6日の甲府空襲で甲府市桜町(戦後の町名改正により現在は中央)は、そのほぼ全てが焼失している。
 写真の稲荷社祠は、旧桜町の中心地に現在もその姿を残す稲荷社の祠であり、祠の背面には「昭和十年五月五日 合資会社松林軒 社員一同建之」の文字が刻まれており、祠の他に鳥居と狐の石造が乗る台座は、祠とともに甲府空襲による破壊を逃れた戦前期に建設されたものと思われる。




【稲荷社祠】
f0191673_21374762.jpg
 稲荷社は、かつての桜町の表通りである「ペルメ桜町」から脇に入った、建物と建物の間の谷間にひっそりと鎮座し、祠の周りに置かれた諸道具等から、現在も地元自治会により管理がなされているようである。
 甲府市街の中心地において、戦前期の面影を伝える唯一の稲荷社の祠である。




にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2014-07-06 21:59 | 甲州紀行 | Comments(0)
2014年 04月 13日

甲州紀行 14 「甲府市街の煉瓦塀」

【甲府市街の煉瓦塀】
f0191673_17175633.jpg
  甲府市街の住宅地に残る煉瓦塀である。
  宅地の境界として建設され手前側にはかつて建物があったが、現在は取り壊され駐車場となっている。
  市街地の空洞化は通りに面した建物の歯抜け状態を招いており、そうした状態は甲府の市街地で散見される。建物が歯抜けとなった市街地に、活気のあった近い過去の賑わいを思うと、時代に寂しさを感じるが、その一方で建物が取り払われたことにより、こうした煉瓦塀を発見することができることは複雑なところである。  
  写真のとおり、煉瓦塀の左端はブロック塀となり、そのまま通りに向かって続いているが、かつてはそのまま煉瓦塀がつづいていたのであろう。




にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2014-04-13 18:10 | 甲州紀行 | Comments(0)
2014年 02月 02日

甲州紀行 13 「峡西地方の民家」

【民家の正面】
f0191673_23112189.jpg
  和風住宅に洋間として隣接又は増築された建物を目にすることがある。
  この建物も、最初はそうした建物かと思って見ていたが、側面を見るとそうした建物の体には思えない建物の体である。
  正面の木組みが一見すると洋風に見えるが、側面は土壁をトタンが覆っており、下見板張やモルタルといった洋風のテイストも認められない感がある。
  左側に隣接する和風の主屋には玄関口が設けられているのを見ると、正面に入口が設けられているこの建物は、住宅以外の用途で建てられたものと思われる。




【民家の側面】
f0191673_2312125.jpg
  一見、土蔵を改修した建物とも考えたが、側面の風情はそれとも異なるように感じられる建物である。




にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2014-02-02 23:28 | 甲州紀行 | Comments(0)
2014年 01月 11日

甲州紀行 12 「農業倉庫 2」

【峡中地域の農業倉庫】
f0191673_2226247.jpg
  峡中地域の農業協同組合で現在も使用されている農業倉庫である。
  倉庫の入口がシャッターに、また外壁も改修されているが、戦前期に建設された倉庫と思われる。




にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2014-01-11 22:32 | 甲州紀行 | Comments(0)
2014年 01月 05日

甲州紀行 11 「甲府市横近習町界隈」

【横近習町界隈に残る住宅】
f0191673_17243834.jpg
  甲府空襲で旧市街の7割以上が焼失している中で、横近習町(現在の中央1丁目から5丁目の一部)は全世帯数186世帯の内、15世帯が焼失している、市街で最も被害が少なかった町の一つである。
  このため、戦前の建物が多く残っていた町であり、町内には大店の商店主の住宅を中心に、そうした商店主が持っていた貸家などが点在する住宅地であったとの印象が焼失を免れた街並みに感じられていたが、近年は老朽化などから取り壊されていく建物も少なくなく、かつての面影が徐々に失いかけている状況である。
  街並みの中に残る写真の住宅も、以前はその南側に同じ様式の棟割り住宅が残っていたと記憶するが、現在はこの建物だけが残されている状況であり、戦前の面影もこの町から少なくなっている。





にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2014-01-05 17:53 | 甲州紀行 | Comments(0)
2013年 10月 22日

甲州紀行 10 「農業倉庫」

【農業倉庫】
f0191673_23352411.jpg
  白壁と黒壁のコントラストが映える農業倉庫である。
  一昔前または確実に二昔前までは、農村地に自然と見かけることができた建物ではないだろうか。
  農協の敷地に農協本体の建物とセットで建てられていた農業倉庫も、農協の統合が進み農協本体の数が減少したことや、建物の老朽化に伴う施設の新築等から、自ずとこうした建物も消えている。
  秋の山梨県内で、ふと目についた農業倉庫である。




にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2013-10-22 23:46 | 甲州紀行 | Comments(0)
2013年 09月 14日

甲州紀行 9 「私塾」

【幕末に私塾が開かれた住宅】
f0191673_112917.jpg
  郡内地方の神社の神官を務めた士族で神社奉仕の傍ら商業を営んでいた、文化9年8月生まれのこの家の主は、職掌がら学識も深く誠実な人柄であったため人望も厚かったことから、近隣の子弟を集めて読み書きを教えていたという。
  また、その主の子供も父の私塾を引き継ぎ、明治6年に地区の小学校が創立し自身がその学校の教員となるまで続いていたという。 




【住宅の正面】
f0191673_11292982.jpg
  明治6年当時、学習年限6年、月謝4銭、教師1名のこの私塾には、生徒は男子120名、女子13名の133名が学んでいた。





にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2013-09-14 11:51 | 甲州紀行 | Comments(0)
2013年 08月 24日

甲州紀行 8 「鈴木建設」

【鈴木建設】
f0191673_20591840.jpg
  建築的には特段の特長があるとは言い切れない建物であるが、正面上部の「鈴木建設」の文字は鏝文字と云うのか、立体的な文字看板となっている、看板文字部に特長のある建物である。
  右から左に読むことから推定すれば戦前期の建築だろうか。
  現在は付け替えられているが、かつての県道に面して建てられている。



にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2013-08-24 21:13 | 甲州紀行 | Comments(0)