カテゴリ:明治45年東宮行啓を歩く( 4 )


2015年 02月 14日

明治45年東宮行啓を歩く 4 【蹴裂神社境内御野立所】

【上野村 蹴裂神社境内 御昼餐所】
f0191673_11120861.jpg 明治45年東宮行啓の主たる目的は、近衛旅団幹部演習の御見学であった。このため、山梨県内の三方面において演習を御覧になられている。

 明治45年3月29日は、その内の一つである西八代郡上野村(現在の市川三郷町)方面に行啓されるため、8:45に御旅館である機山館を御出門、中巨摩郡西條村(現在の昭和町)押原まで腕車に召させられ、同所の仮御野立所で御小憩の後、御乗馬により蹴裂神社境内の御野立所に成らせられている。
 当日の天候は雨であったが、終日演習を御覧になられ15:00頃に還啓され17:10に機山館に還御されている。

 写真は御野立所である蹴裂神社であり、御昼餐所にも充てられた。






【蹴裂神社】
f0191673_11123026.jpg 蹴裂神社は市川三郷町の歌舞伎文化公園に接する、武田信玄の弟、一条右衛門大夫信龍の城地であった一条氏塁跡に鎮座し、境内は市川三郷町の史跡に指定(昭和51年6月19日)されている。



















【蹴裂神社境内御座所】
f0191673_11121425.jpg 御昼餐所としての御座所は、蹴裂神社の神楽殿があてさせられ、紅白幔幕を吊り廻し、内部柱と天井は紅白金巾を以て蔽い清廉の意を籠めたといわれる。


















【東宮駐駕記念碑】
f0191673_11124058.jpg 蹴裂神社の地元である上野村の村内有志者が相図り、大正4年11月21日に序幕式が行われた、同神社境内に建立された「東宮駐駕記念碑」である。
 




















にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2015-02-14 12:29 | 明治45年東宮行啓を歩く | Comments(0)
2014年 05月 06日

明治45年東宮行啓を歩く 3 【誓願寺境内御野立所】

【大宮山 誓願寺】
f0191673_11123363.jpg
  山梨県行啓(明治45年3月27日から4月4日まで)において、東宮殿下(後の大正天皇)は近郊行啓として4月1日に西山梨郡里垣村(現在:甲府市東光寺1-3-27)の浄土宗大宮山誓願寺境内に設けられた御野立所に成らせられている。


【明治末期の市街図】
f0191673_11131685.jpg
誓願寺は甲府市の愛宕山南麓にあり、昭和12年8月に甲府市に合併するまでは西山梨郡里垣村に位置していた。  



【里垣村誓願寺境内御野立所ニ成ラセラル】
f0191673_11142966.jpg
  明治45年4月1日7時30分に御泊所である甲府城内の機山館を御出門され、誓願寺に成らせられている。
  山梨県行啓の主たる目的は近衛旅団幹部演習の御視察であり、前日の3月31日14時25分に甲府駅着の列車により到着された近衛師団長閑院宮殿下も、当日誓願寺に先着され、東宮殿下とともに演習を御覧になっている。




【誓願寺境内】
f0191673_11151472.jpg
  誓願寺境内の現在の状況である。
  正面の総門は甲府空襲により焼失し再建されている。




【誓願寺御野立所】
f0191673_11155645.jpg
  誓願寺境内、鐘楼の東側に御野立所が設けられている。



【「皇太子嘉仁親王駐駕之所」碑】
f0191673_11163346.jpg
  東宮殿下の駐駕を記念し、東宮大夫波多野敬宜の書により御野立所が設けられた位置に大正2年に建立された「皇太子嘉仁親王駐駕之所」記念碑である。



【誓願寺境内】
f0191673_11171631.jpg
  東宮行啓時の誓願寺本堂である。
  写真の本堂、方丈、庫裏、総門などの諸堂は甲府空襲で焼失している。



【誓願寺本堂】
f0191673_11174772.jpg
  再建された現在の誓願寺本堂である。




にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。


by kaz794889 | 2014-05-06 12:55 | 明治45年東宮行啓を歩く | Comments(0)
2012年 11月 24日

明治45年東宮行啓を歩く2 【舞鶴城奉迎門】

【(行啓記念)御旅館機山館ト奉迎門】
f0191673_2059548.jpg
 明治45年3月27日の午後4時15分に甲府駅に到着された東宮殿下及び供奉者一行は、御旅館となる舞鶴城(甲府城)跡に建つ機山館に向かわた。
 写真の奉迎門は、甲府城址の入口となる、同城址の堀に架かる遊亀橋を渡った先に建てられたものである。




【現在の舞鶴城(甲府城址)遊亀橋と奉迎門跡】
f0191673_2105770.jpg
 奉迎門の建てられた場所の現在である。
 甲府城址の整備により石垣が整備されるとともに、白壁の一部も再建されるなどの整備が図られている。
 城址後方にあたる北側に高層マンションが建設されるなど、城址周辺の景観は必ずしも十分とは言えない状況である。




【桜町通り】
f0191673_2113536.jpg
 甲府駅から御旅館の建つ城址までは橘町、錦町、紅梅町、写真の桜町通りを経るルートにより到着されている。
 写真の突き当りが甲府城址であり、その城址に建つ写真の洋館が御旅館となった機山館である。






にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2012-11-24 21:34 | 明治45年東宮行啓を歩く | Comments(0)
2012年 11月 04日

明治45年東宮行啓を歩く 1 【甲府駅奉迎】


  明治45年3月27日、皇太子時代の大正天皇が、近衛歩兵第一旅団幹部演習と併せ、教育、産業、民情等視察の思召しを以て山梨県に行啓されている。
  山梨県への行啓にあたり、甲府城内の機山館を皇太子殿下の御旅館とし、8日間御在留され4月4日に還御されている。
御在留の間、演習視察の傍ら東宮侍従を明治13年の明治天皇行在所に訪はしめられるとともに、神社、仏閣、名勝、古墳、諸学校、諸工場を視察されている。
  また、御滞留中の山梨県内は県民が挙って奉迎に赤誠を単め、軍人、学生の連合演武大会、運動会、その他国産品陳列、社寺旧家の宝物陳列、諸学校生徒及び甲府市民の提灯行列などがなされていた。
本年、平成24年が大正100年の年にあたることから、1世紀前の東宮行啓の地を歩くこととしたい。


【(行啓記念)甲府停車場前奉迎門】
f0191673_188030.jpg



  明治45年3月27日午前10時50分に東宮御所を御出門され、新宿駅11時15分発の臨時列車により午後4時15分に甲府駅に到着されている。
甲府駅に到着後、皇太子殿下は腕車に召され橘町、錦町、紅梅町から桜町通りを経て午後4時35分に御旅館である甲府城内の機山館に入られている。なお、この日の甲府は曇天であったという。

【現在の甲府駅前】

f0191673_1894280.jpg



  現在の甲府駅は昭和61年の山梨国体に合わせて橋上駅舎、駅ビル、南北自由通路の三点セットの新駅となり、明治45年当時の甲府駅舎から数えて3代目の駅舎となっている。

【皇太子殿下が御着前の甲府駅付近】
f0191673_18103539.jpg




  行啓当日の甲府駅における奉迎者中、有爵者、文武官高官、貴族院・衆議院議員、従六位又は勲六等以上の者、藍綬、緑綬褒章受領者、商業会議所会頭、郡長、市長、県会、郡会、市会議長、同参事会員、国弊社宮司、管長以上の僧侶、赤十字社特別社員以上の者、愛国婦人会正副支部長等はプラットホームに。
  陸海軍将校、新聞記者、有位帯勲者、官公吏、議員、神官、僧侶、弁護士、医師、赤十字社、愛国婦人会、武徳会員等は甲府駅車寄の左右に。
  高齢者、軍人遺族、学生生徒等は御道筋の両側に整列し、列後の群衆は甲府市空前の盛観であったという。


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2012-11-04 18:32 | 明治45年東宮行啓を歩く | Comments(0)