カテゴリ:病院( 6 )


2013年 08月 10日

太田町公園時代の市立甲府病院

【市立甲府病院の正面】
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  甲府市立病院は昭和7年1月に甲府市元紺屋町の市立愛宕病舎の一部を転用して開院しており、医師、薬剤師、看護婦ら9名の職員を配置し入院と外来患者の診療にあたっていた。
  その後、山梨県病院と甲府市立商業学校をもって山梨県立医学専門学校開校が決定されたことから、山梨県の要請により昭和18年に同校の附属病院として市立甲府病院は県営に移管されたが、市営による医療施設開設の要望が高まり、昭和20年8月1日に、甲府商工会議所ビル(現在の法人会館)内に市立甲府診療所が開所されている。
  終戦後、診療所拡充の必要性が認められ、総合的な市営医療施設の建設機運が高まったことから、太田町公園南側の一画を病院施設に転用することとし、昭和23年12月19日に起工、昭和24年12月20日に竣工し、昭和25年4月1日に終戦後の新庁舎としての市立甲府病院が開院している。
  写真は昭和25年頃、開院当時の市立甲府病院である。



【現在の市立甲府病院跡】
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  開院後10年が経過した昭和35年頃を境として、施設の狭隘と老朽化などから病院改築の声が高まったことから、東洋化学産業株式会社跡地(甲府市幸町)に新築移転することとなり、昭和39年10月に新病院が竣工している。
  写真はかつて市立甲府病院があった場所の現在である。




【市立甲府病院の全景】
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  昭和25年頃の病院全景である。病院庁舎左側の太田町公園内には、甲府空襲による罹災者のための住宅が建てられている。




【『市立甲府病院竣工記念寫眞帖』】
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  奥付が印刷されていないため、正式な刊行年月は不明であるが、昭和25年4月の病院竣工に合わせて発行されたと思われる、市立甲府病院の竣工記念写真帳である。





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by kaz794889 | 2013-08-10 23:03 | 病院 | Comments(0)
2012年 06月 03日

山梨県病院診察券

【山梨県病院診察券】
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 昭和14年の小児科診療に係る「山梨県病院診察券」である。
 当時の診察科は診察券にも印刷してあるとおり、8科を擁しており、昭和15年度における各科別の入院、外来患者数によると小児科は、入院延人員4,337人、外来延人員5,444人であった。



【山梨県病院診察券(裏面)】
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 昭和14年は、9月1日に初の「興亜奉公日」(毎月1日に酒類の不売、ネオン消灯、勤労奉仕などを実施)が制定されるなど市民生活の戦時統制が強まった年であり、山梨県病院においても、山梨県病院特別警防団が組織され防火訓練が実施され、患者の防護非難方法が定められている。



【昭和10年代の甲府市地籍図】
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 山梨県病院は昭和45年10月に山梨県立中央病院として現在の場所に新築移転するまで、甲府市錦町(現在:中央中央1-11の中央公園を中心とした位置)に置かれていた。



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by kaz794889 | 2012-06-03 10:03 | 病院 | Comments(1)
2012年 04月 01日

甲府の偕楽園

【国立甲府病院構内の「偕楽園」碑】
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 国立甲府病院の構内に入った右側の植え込みの中に、写真の「偕楽園」碑が残されている。
 石碑の裏面によると、この石碑は明治44年9月に愛国婦人会山梨支部及び日本赤十字社篤志看護婦人会山梨支会によって建立されたものである。

【甲府陸軍病院配置図(昭和20年)】
[『北新をたずねて』平成17年4月1日発行より転載]
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 偕楽園は甲府衛戍病院の傷病患者慰問の趣旨で石碑の建立者である愛国婦人会山梨支部等により造営された病院敷地内の庭園であり、明治44年3月に起工し同年9月に竣工している。
 偕楽園は前記配置図の上部右方(第7病棟と第5病棟の間)に設置されており、偕楽園碑も当初はその位置に置かれていた。

【甲府衛戍病院偕楽園】
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 造営された明治44年頃の甲府衛戍病院構内の偕楽園である。
 写真中央に偕楽園碑が建てられている。

【現在の偕楽園跡】
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 甲府衛戍病院、甲府陸軍病院と変遷し、戦後、国立甲府病院となり現在に至っている。(病院の変遷については、当ブログの甲府陸軍病院を参照されたい。)
 30年ほど前までは病院敷地内に戦前期の建物が一部残されていたが、病院の全面改築などにより、当時の建物は既に取り壊されている中、偕楽園碑は唯一この場所の歴史を伝える遺物として残されている。
 写真の場所附近がかつて偕楽園があった場所である。


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by kaz794889 | 2012-04-01 18:25 | 病院 | Comments(0)
2011年 03月 06日

私立山梨病院

【甲府市橘町 私立山梨病院】
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 私立山梨病院は明治34年、山梨県病院の第8代院長(明治32年3月~同33年10月)であった高橋貞碵により、甲府市代官町72番地に設立された。
 高橋は外科を専門とした医師であったため、卓越した外科的手腕が高く評価されており、県下多数有志の支援出資を得て、明治40年5月には病院を甲府市橘町1番地に移転し施設の拡張を図っている。
 この写真は橘町1番地に移転後の、大正中期頃の様子である。

━ 現在の同位置 ━
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 私立山梨病院のあった橘町1番地は、丸の内2-17-6と改称され現在は甲府信用金庫本店となっている。

【私立山梨病院々報 第一号(明治34年3月18日発行)】
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 橘町移転後の私立山梨病院の診療科目は外科、内科、眼科、産婦人科、小児科、皮膚科、耳鼻咽喉科であった。
 また、日中の執務多忙な人々の便宜を図るため、市内三日町2丁目に内科の出張診療所を開設し毎日午後4時から9時まで診療を行っていた。
 また、病室は特別病室(50室)、一般病室(123室)を有していた。




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by kaz794889 | 2011-03-06 13:57 | 病院 | Comments(0)
2010年 04月 17日

山梨県病院 睦合分院

【睦合分病院全景】
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 明治9年5月に開設された山梨県病院は、同院のみでは行き届かない医療体制を全県下に及ぼすため、分院設置を決め、県南部、県北部、郡内地域の3か所をその適地とした。
 県南部地域については、既に開業していた睦合義立病院を県営に移管することとし、明治9年12月2日に山梨県病院睦合病院が開設された。
 睦合義立病院は、南巨摩郡睦合村南部の西手にあった蒙軒学舎の一部を改修するとともに、以前陶器工場として使用されていた建物を移築改修して診療所、薬局などを設けて明治8年5月に開業していた。
 その後、睦合分院は医療の発展による施設の狭隘が著しくなり、明治18年11月7日に睦合村南部8946番地(南部中学校の南接の場所)に新たな病院の建物が建設された。
 写真の病院はこの新築された病院であり、写真の撮影当時、この建物は山梨県健康相談所南部出張所として使用されていたものである。
 なお、明治22年3月29日に山梨県病院の分院は廃止され、睦合分院は協立睦合病院となっている。

【旧睦合分院庁舎】
 以下の写真は昭和62年1月に撮影した当時の睦合病院の建物である。
 既に撮影当時は個人の所有する建物となっており、この建物の後方には所有者の新築家屋が建てられていた。

【建物全景】
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 建設当時の石柱はそのまま残されているが、時代の経過による改修がなされていた。

【建物の正面】
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【建物の玄関】
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 擬洋風的な構造が見られる玄関であるが、入口は既に閉鎖されている。



【建物の1階左側の壁】
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 上部が白壁、下部が下見板張となっており、窓は観音開き形式であるが、板などで窓は閉じられている。

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by kaz794889 | 2010-04-17 21:15 | 病院 | Comments(0)
2009年 09月 19日

甲府陸軍病院

━甲府衛戍病院 正門━
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 甲府衛戍病院は傷病兵収容等の目的で、甲府への歩兵第四十九連隊設置とともに同連隊東側隣接地(現在の独立行政法人国立病院機構甲府病院(国立甲府病院)の場所)に開設され、明治42年4月18日から業務を開始している。



【甲府陸軍病院配置図(『北新をたずねて』平成17年4月発行より)】
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 昭和12年、甲府衛戍病院は甲府陸軍病院となり、昭和20年12月1日に日本国内の陸海軍病院が厚生省の所管となり国立甲府病院となるまで開設されていたものである。
 なお、『北新をたずねて(平成17年4月:住んでよかったまち北新づくり協議会人づくり委員会発行)』所載の左記配置図は、昭和20年頃の状況を示したものとのことである。、



【現在の正門跡】
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 甲府衛戍病院(その後、甲府陸軍病院)の正門があった場所である。
  国立甲府病院の改修により、当時の正門があった病院正面附近は病院の立体駐車場となっている。


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by kaz794889 | 2009-09-19 15:46 | 病院 | Comments(0)