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カテゴリ:山縣大弐( 10 )


2016年 09月 06日

山縣大弐を歩く 10【鰍門早発詩碑】

【鰍門早発詩碑】
f0191673_20063943.jpg 鰍門遥向駿河通 急峡長難見鬼工
 目送千山皆北送 扁舟早巳到南中 
 「 鰍門(しゅうもん)遥かに駿河に向って通ず、
   急峡長難(きゅうきょうちょうなん)鬼工
   (きこう)を見る。目送す千山皆北に送るを、
   扁舟(へんしゅう)早く巳(すで)に南中に
   到る。」
  右録 柳荘山縣大弐先生 鰍門早発之詩 梧邨 広瀬和育

 江戸在住の山縣大弐は宝暦3年の夏、墓参のため帰郷、その後富士川を下り熱海温泉に浴し、初秋に江戸に帰ったとされている。鰍門早発の歌は、その時の富士川下りを基に作られたと考えられる。
 当初の詩碑は江戸期に鰍沢の富士川河岸に建立されているが、明和事件の際に、その忌諱に触れられることを憂慮し、詩碑は委棄されたが、その後の水害なと゜により埋没しその所在を失うこととなった。

 このため、大正12年7月に当時の山縣神社創建会会長であった広瀬和育ら有志者によって鰍門早発詩碑が当時の鰍沢尋常小学校敷地内に建立されることとなり、現在も鰍門早発詩碑は富士川町立鰍沢小学校の敷地内に残されている。




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by kaz794889 | 2016-09-06 21:31 | 山縣大弐 | Comments(1)
2013年 12月 14日

山縣大弐を歩く 9 【酒折宮の酒折祠碑】

【酒折宮】
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  酒折宮は甲府市酒折3-1-13に日本武尊を御祭神として鎮座する神社である。
  人皇第12代景行天皇の御代に、皇子である日本武尊が東征の帰途、常陸国より武蔵国を経て相模国を越えて甲斐国に入り、酒折の宮に一夜宿られたと伝えられる地であり、酒折宮は、日本武尊を御祭神として甲府市酒折3-1-13に鎮座する神社である。




【酒折宮境内の酒折祠碑】
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  酒折宮は前述のとおり、日本武尊の東征還路旧蹟の地として伝えられていた場所であり、宝暦の頃にも日本武尊を祀る神社が鎮座していたようであるが、乱世に及び社殿も荒れ、祭祀全からざるに至る状況であったという。
 こうした状況を憂いた山縣大弐は社殿を修理するとともに、日本武尊の武勲武徳を称えた石碑を宝暦12年壬午夏4月に甲斐の旧友とともに建立している。
 写真の酒折祠碑がその石碑であり、文は山縣大弐、書は竹亭とも称した甲府八日町の豪商である加藤翼によるものである。




【酒折祠碑 原碑文】
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  酒折祠碑の原碑文である。




【昭和12年5月頃の酒折祠碑】
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  昭和12年5月に撮影された酒折祠碑である。





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by kaz794889 | 2013-12-14 21:34 | 山縣大弐 | Comments(0)
2013年 01月 12日

山縣大弐を歩く 8 【山縣大弐の墓 3】

【泰寧寺の山縣大弐の墓】
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  茨城県新治郡根古屋村(現在:石岡市根古屋779)にある山縣大弐の墓所である。
  高さ五寸、幅三尺の台石に高さ二尺四寸、幅七寸の自然石の墓であり、墓石表面には「卓栄良雄居士霊位」、右側側面には「明和四丁亥星」、左側側面には「八月廿一蓂」と刻まれており、昭和10年11月26日には山縣大弐の墓として茨城県の史蹟に指定されている。



【山縣大弐の墓に向かう石段】
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  泰寧寺の本堂左側を進んだ正面にある石段である、この石段を上った左側に山縣大弐の墓所が建立されている。



【泰寧寺の門柱】
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  曹洞宗の霊石山泰寧寺の入り口に建つ門柱である。



【泰寧寺伽藍】
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  門柱からなだらかな坂を上るったと先に建つ泰寧寺の本堂(左)と庫裏(右)である。



【昭和12年の泰寧寺】
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  昭和12年7月に、前述の石段上から撮影された、当時修築された庫裏である。
  現在の本堂が建立されるまでは本堂を兼ねていた。



【山縣柳荘墳墓記の石碑】
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  写真左の石碑は、昭和10年8月に柳荘山縣大弐の事績を知るものの少なきを憂い、泰寧寺の檀徒総代等の有志者が相謀って建碑された「山縣柳荘墳墓記」石碑であり、山縣大弐の埋首の地に関しては異説があると云うものの、根小屋出身の門弟である園部文之進の手によって当寺の寺域に葬られたことに疑いはない旨等を結びとした山縣大弐の墳墓記が刻まれている。





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by kaz794889 | 2013-01-12 17:42 | 山縣大弐 | Comments(0)
2013年 01月 02日

山縣大弐を歩く 7 【山縣大弐の墓 2】

【山縣大弐の墓】
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  明和事件により処刑された山縣大弐については、三か所の墓所が確認されている。
  写真は新宿区舟町11-6に所在する曹洞宗全勝寺にある墓所であり、山縣大弐の墓石は左側から2番目の墓石が山縣大弐のものである。
  墓石の下には、右読みで斉藤氏の姓が認められるが、この墓所は山縣大弐の妻の実家である齋藤氏の墓所である。また、山縣大弐の墓石の前に置かれた花立は「帝国在郷軍人会四谷区第三分会」から、線香立は「杉大門睦会幹事」から寄贈されたものである。  



【全勝寺の入り口】
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  齋藤氏の菩提寺は、全勝寺の隣地にあった全徳寺であり、墓石も当初はその寺に建立されていたが、明治8年に全徳寺が廃寺になったことから同寺は全勝寺に合併している。




【全勝寺本堂】
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  山縣大弐の墓は現在、新宿区指定(昭和59年11月2日指定)の史跡となっている。





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by kaz794889 | 2013-01-02 19:06 | 山縣大弐 | Comments(0)
2012年 12月 24日

山縣大弐を歩く 6 【山縣大弐生誕之地】

【「柳荘山縣大弐先生誕生之地」石碑】
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  中巨摩郡龍王村大字篠原字八幡前50番地(現在:甲斐市篠原46番地)に建立された、山縣大弐生誕の地を示すこの石碑は、山縣大弐が藩政の改革を指導した上州小幡藩主の後裔である織田信恒子爵の揮毫により、昭和8年9月に完成し同月12日に除幕式が挙行されている。
  山縣大弐生誕の地附近は往事、六本柳と云われた地域であり、石碑の建てられている場所は建立当時、祖母川と田に挟まれた若尾地所部の所有地であった。


【同石碑の背面】
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  石碑の背面には、昭和8年9月22日、龍王尋常高等小学校職員児童、龍王農業補習学校職員生徒の文字が刻まれている。
  これは、石碑建立が、同小学校児童22円44銭、同補習学校生徒3円85銭、各学校職員32円69銭、合計58円98銭の寄付金総額を基に建設されたものであり、建碑工事費総額に46円を要している。


【建立当時の「柳荘山縣大弐先生誕生之地」石碑】
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  石碑が建立された昭和8年当時の石碑の写真である。
  周りが住宅に囲まれている現在と比べ、石碑の後方一帯は一面の田畑となっている。
  除幕式には、山縣神社宮司、龍王村長、龍王小学校長、村松志孝、龍王尋常高等小学校児童などの約50名が参加し挙行されている。





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by kaz794889 | 2012-12-24 23:26 | 山縣大弐 | Comments(0)
2012年 05月 20日

山縣大弐を歩く 5 【延寿山 金剛寺と袴腰天神本殿】

【延寿山 金剛寺】
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 延寿山 金剛寺は山縣神社の東側に隣接する曹洞宗の寺院である。
 明和7年に山縣大弐の兄である山縣昌樹の尽力により、篠原組新居東の地から諸堂宇を現在の場所に移しており、山縣神社の境内に残る山縣大弐の墓も、当初は山縣昌樹により金剛寺の境内(袴腰天神本殿の位置)に建立されていたものであり、明治以降に山縣神社境内の現在の位置に移されている。

【金剛寺 本堂】
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 近年新築された金剛寺の本堂である。
 昭和30年発行の「竜王村史」によれば、発行当時の昭和30年代には明和7年建築の本堂と庫裏、安政6年建築の土蔵が金剛寺の堂宇として残されていたようである。

【本堂の扁額】
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 本堂の扁額は、明治35年に若尾逸平により書かれたものである。

【金剛寺旧景】
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 昭和12年頃の金剛寺である。
 正面に写る堂宇が本堂であり、右側に隣接する建物が庫裏と思われる。


【金剛寺境内の袴腰天神本殿】
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 本堂に向かって右側にある袴腰天神本殿である。
 金剛寺の鎮守として境内に祀られているものであり、以前は天満宮とも称していたようであり、当初は金剛寺の南方にあたる天神川のほとりにあたる六本柳の山縣氏旧宅跡に隣接した天神という旧社地に鎮座していたものである。
 本殿の造立年代は明確ではないが、本殿に係る二枚の棟札によれば、享保四年11月に山縣大弐の父親である山縣山三郎により金剛寺境内に遷宮した旨が記されており、その後、宝暦8年に山縣昌樹、大弐の兄弟が本願人となって本殿の修理を行っている。
 本殿は一間社流造の鉄板葺きであり、構造形式や細部手法から江戸時代中期の遺構と認められるとともに、山縣大弐の由緒を持つ建物である。
 袴腰天神本殿は平成2年12月5日に旧竜王町の指定文化財に指定され、合併後の現在は甲斐市指定文化財となっている。

【北側側面から見た同本殿】
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 石垣積み基壇の上に建てられている、袴腰天神本殿である。

【同本殿の旧景】
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 明治16年9月21日に藤村紫朗山梨県令が官命を奉じ金剛寺墓地において山縣大弐の大霊祭を行った以前撮影した袴腰天神本殿である。
 明治16年の大霊祭の際は、袴腰天神本殿が現在鎮座している場所に山縣大弐の墓が建立されており、この写真は境内旧地に鎮座していたころの本殿の姿である。

【正面から見た同本殿】
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【同本殿の旧景】
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 本殿の旧景は昭和14年5月頃に撮影されたものである。




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by kaz794889 | 2012-05-20 11:53 | 山縣大弐 | Comments(0)
2012年 05月 03日

山縣大弐を歩く 4 【山縣大弐の墓】

【山縣神社境内の山縣大弐の墓】
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 明和事件に連座し、明和4年8月21日に43歳で死罪となった山縣大弐の墓は、茨城県石岡市の泰寧寺(茨城県史跡:昭和10年11月16日指定)、新宿区の全勝寺(新宿区史跡:昭和59年11月2日指定)及び山梨県甲斐市の山縣神社(甲斐市史跡:昭和52年6月25日指定)の3か所に残されている。
 山縣神社に残されている墓碑は当初、神社の東側に隣接する菩提寺の金剛寺境内(袴腰天神社が鎮座する場所)に置かれていたが、明治中期頃に神社境内に移されている。
 左図のとおり、墓碑の正面には「卓映良雄居士」、右側面には没した日、左側面には「源昌貞碑」と刻銘されている。


【(甲斐国) 勤王家 山縣大弐先生の御墓】
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 明治40年前後における山縣大弐の墓である。 



【北側から見た山縣大弐の墓】
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 北側(神社の拝殿側)から見た山縣大弐の墓である。
 墓の後方に見える石塔は、後述する山縣家の墓碑である。

【山縣家の墓碑】
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 山縣家の墓碑である石塔は次のとおりである。
 右側の1番目が供養塔、2番目が山縣大弐の兄である野沢昌樹の墓、3番目が山縣大弐の祖父母の墓、4番目から6番目は先祖の墓碑と言われている。

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by kaz794889 | 2012-05-03 22:43 | 山縣大弐 | Comments(0)
2011年 10月 22日

山縣大弐を歩く 3 【山縣神社の3】

【山縣神社 二の鳥居前の石灯籠】
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 山県神社の境内、二の鳥居前に建つ宮形角灯籠は、東八代郡石和町の崇敬者、小林慶子(小林中の夫人)の寄進により昭和12年11月22日に竣工している。
 寄進者の小林慶子は旧岩槻藩主であった大岡家の12代目大岡忠量子爵の四女であり、山県大弐が若年寄であった大岡家の初代大岡忠光に宝暦4年から卒去する宝暦10年まで仕えていた経緯から寄進に至ったものである。

【石灯籠竣工当時】
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 茨城県西茨城郡稲田の御影石を用い中巨摩郡貢川村上石田の石工である深沢源一による二基の石灯籠と永代献灯料として甲府電力株式会社の株券三株とともに山県神社に寄進されている。


【正面左側の灯篭】
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【正面右側の灯篭】
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 石灯籠に刻まれている題字である「仗義」は魏書にある「仗大義討逆賊」、「效忠」は、古語の忠效から西八代郡市川大門町の村松志孝が撰定したものであり、その文字は当時、東京高等師範学校教授であった長野県出身の田代秋鶴が揮毫し、一文字5円、計20円の揮毫料をお礼としたようである。


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by kaz794889 | 2011-10-22 09:33 | 山縣大弐 | Comments(0)
2011年 08月 07日

山縣大弐を歩く 2 【山縣神社の2】

【山縣神社本殿】f0191673_21155752.jpg


 明治34年に山縣神社創設の目的を以って山縣会が組織され、大正8年9月8日には山縣神社奉建会が創設され、奉建会の会長には廣瀬和育が就任している。
 その後、大正10年9月19日に山縣神社創立が許可され、同月21日には県社に列せられ、翌日の22日に鎮座祭が行われている。
 
【竣工当時の山縣神社本殿】
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 本殿は山縣神社の最初の社殿として、大正10年8月30日に竣工している。
 竣工から85年が経過し、前記現状のとおり竣工当時と比較して本殿周囲の樹木も確実に生育している様子がうかがわれる。

【山縣神社拝殿】
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 山縣神社の拝殿は本殿の竣工から6年後の昭和2年6月25日に竣工している。

【昭和10年頃の山縣神社拝殿】
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 昭和10年頃の山縣神社拝殿である。
 本殿、拝殿を主とした山縣神社の社殿工事は、昭和3年9月に竣工し、同月22日に竣工奉告祭が行われている。



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by kaz794889 | 2011-08-07 21:46 | 山縣大弐 | Comments(0)
2011年 05月 08日

山縣大弐を歩く 1 【山縣神社のⅠ】

【山縣神社正面】
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 甲斐国巨摩郡篠原村(現在の甲斐市篠原)で享保10年に生まれ、明和事件の中心人物とされ謀反の疑いで明和4年に処刑された江戸中期の尊王論者である山縣大弐を祭神として、大正10年9月22日に創建された神社が山縣神社である。

【昭和10年頃の山縣神社正面】
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 昭和9年の冬頃に起工した山縣神社の参道が完成した、昭和10年に撮影された山縣神社正面である。

【山縣神社境内】
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 大正10年の神社創建から90年が経過した山縣神社境内は木々も成長し、神社周辺の市街地とは隔絶された雰囲気が創られている。
 境内で成長する樫の木は、昭和9年4月から数年に渡り敷島村長塚の山縣神社崇敬者が献木したものである。

【昭和17年頃の山縣神社境内】
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 昭和17年4月1日に撮影された山縣神社の境内である。
 
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by kaz794889 | 2011-05-08 07:36 | 山縣大弐 | Comments(0)