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カテゴリ:小林一三( 3 )


2014年 12月 27日

宝塚歌劇100周年記念 宝塚歌劇100年展

【宝塚歌劇100周年記念 宝塚歌劇100年展のチラシ】
f0191673_16181292.jpg 明治44年に開業した宝塚新温泉の余興として誕生したのが宝塚少女歌劇である。
 大正3年4月1日から5月30日まで、宝塚新温泉内のパラダイス劇場で「ドンブラコ」、「浮れ達磨」、「胡蝶」の三本立てによる上演が宝塚少女歌劇の第1回公演であり、平成26年は宝塚歌劇の100周年にあたる年である。

 「宝塚歌劇100年展」は、こうした宝塚歌劇100周年を記念して開催された展覧会であり、平成26年3月の名古屋展を皮切りに福岡展、神戸展と巡回し、12月16日から28日まで東京国際フォーラムを会場に最後の巡回地である東京展が開催されている。

 最終日の前日である、本日、「宝塚歌劇100年展」を観覧した。
 宝塚歌劇の創始者は韮崎出身の小林一三であり、「新しい国民劇の創成」という理念のもと、オペラ、レビュー、歌舞伎、新劇などの様々な要素を取り入れながら独創的な舞台の世界を拓いてきたという。

 今回の展示においても、宝塚歌劇の創設から昭和32年1月25日に小林一三が逝去する間における彼の位置付けや功績など、興味深い展示を見ることができた。













【展示室前の案内】
f0191673_16182262.jpg 東京展の会場である、東京国際フォーラム展示ホールの展示室入口に設置されている案内。

















【宝塚歌劇100年展 図録】
f0191673_16181654.jpg 展示会場で発売されている「宝塚歌劇100年展」の図録である。































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by kaz794889 | 2014-12-27 20:16 | 小林一三 | Comments(0)
2010年 10月 30日

小林一三と練絲痕

【成器舎の生徒募集広告】f0191673_1845395.jpg


 小林一三は明治6年1月3日に河原部村(現在の韮崎市)の豪商「布屋」に生まれた。名前は生まれた月日にちなんで名付けられたものである。
 小林一三の母親である「菊野」は小林家の娘であり、父親の「甚八」は中巨摩郡竜王村(現在の甲斐市)の丹沢家から迎えられた婿養子であった。小林一三の母親は、彼が生まれた年の8月に、一三とその姉「たけよ」を残し21歳で逝去しており、その後、父親である甚八は小林家と離縁し実家に戻っている。
 小林一三は地元の韮崎学校を卒業後、東八代郡南八代村にあった私塾である成器舎に入学したが、明治20年の夏に腸チフスに罹り成器舎を退学している。

【小説 練絲痕】
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 成器舎を退学後、小林一三は上京し明治21年2月に慶応義塾に入学している。
 小説である「練絲痕」(れんしこん)は、明治23年4月4日の夜に、麻布鳥居坂の東洋英和女学校の校長である、ESラーヂ女史の夫で宣教師であるチーラーヂが何者かに殺害された事件を題材とした、慶応義塾在学中の小林一三による小説であり、明治23年4月15日から25日までの間、山梨日日新聞に所載されていたが、題材の事件は、当時怪事件とされていたこともあり、事件後10日以内に小説として発表されたことが、事件の内情を知る者による小説であると捜査当局に見られたことから、山梨日日新聞社に作者の住所氏名照会がなされ、当時の小林一三の下宿先に麻布警察署の捜査員が来るなどしたため、続稿の腹案が作者である小林一三にあったものの、第9回を限りに完としたものである。
 なお、写真の「練絲痕」は、『公私月報』第47号の附録として、昭和9年8月5日に発行されたものである。



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by kaz794889 | 2010-10-30 22:10 | 小林一三 | Comments(0)
2010年 10月 17日

小林一三翁生家跡

【小林一三翁生家跡の石碑】
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 小林一三翁生家跡の碑が建てられている「にらさき文化村」(韮崎市本町一丁目)の敷地が、宝塚歌劇団や阪急電鉄の創設者である小林一三の生家跡地である。
 これまでこの敷地は、小林一三の美術コレクションを所蔵する逸翁美術館(大阪府池田市)が所有し、韮崎市が無償で借り受けていたが、同美術館から本年4月頃に韮崎市に寄贈されている。

【明治36年頃の小林一三の生家】
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 小林一三は明治6年1月3日に巨摩郡河原部村(現在の韮崎市)に生まれている。
 韮崎は甲州街道の要衝として、また北巨摩郡の中核として栄えた宿場町であった。
 小林家は屋号を「布屋」と称し、河原部村の名主や明治維新後は区長を努め、醸造業、製糸業、金融、地主経営を行なう近郷きっての大地主であり資産家であった。
 韮崎市内に長く残されていたこの生家は、昭和44年4月に宝塚ファミリーランド内に移築されていたが、阪神・淡路大震災により潰滅的な損傷を受け、現在は解体・撤去されている。

【小林家文書目録】
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 小林一三の生家が宝塚ファミリィーランドに移築された際、家屋とともに家財、文書も併せて宝塚に移されている。その際に、小林家所蔵の文書類についてはその性格を考慮し、池田文庫(小林一三により設立され、文芸、演劇関係の史料を収蔵。)に所蔵されることとなり、小林一三の旧蔵書籍とともに、小林家の屋号である布屋を冠した「布屋文庫」として所蔵されている。
 韮崎から宝塚に小林家の文書を移す際、文書は大小十数個の箱に入れられており、土地売買証文等は小林家において過去に整理されていた形跡があったものの、その他の文書については虫害の発生など必ずしも良好な伝存状況ではなかったようである。
 こうした小林家文書の目録は池田文庫から平成8年3月20日に発行されている。



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by kaz794889 | 2010-10-17 21:55 | 小林一三 | Comments(1)