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2012年 04月 28日
【国立公園 昇仙峡】 ![]() 「渓谷の美を中心として、南画の如き自然景観を誇る景勝地の代表と申されている昇仙峡は、甲府市を隔る北方九キロ担々たるドライブウェイをバスで三十分で、国立公園玄関口である長潭橋を渡って天神森に着きます。」 昭和20年代中期に山梨交通が発行した観光チラシに記載された、国立公園 昇仙峡を案内する一説である。 【山梨県内観光交通略図】 ![]() 当該チラシに記載されている、山梨県内の観光交通略図である。 【長潭橋附近の山梨交通バス】 ![]() 長潭橋の手前にある、橋と渓谷撮影のビューポイント附近における山梨交通バスと長潭橋である。 このチラシによれば、甲府駅前から昇仙峡天神森までの所要時間は30分、料金は40円である。現在もこの区間は約30分が所要時間ということだが、運賃は570円である。 【山梨交通本社】 ![]() 甲府駅前にある昭和20年代の山梨交通本社である。 バスのりばの建物がある場所は、現在、山交百貨店が建てられている。また、奥の「電車のりば」は、昭和37年6月に廃止された山梨交通電車の乗り場である。 現在その跡は、山交ビルとなっている。 2011年 10月 23日
【夜の甲府】 ![]() 甲府市観光協会が昭和30年代前半に発行した「夜の甲府」と題する観光案内チラシである。 【甲府駅前通り】 ![]() 「夜の甲府」の中に掲載されている夜の甲府駅前である。 左側に写る「東洋堂のビスケット」のネオンがある建物の場所が、当時の山梨交通バスのりばであり、現在、山交デパートの建っている場所である。高い建物のためこの風景を甲府駅前から現在は見ることができないが、甲府城跡に建つ謝恩塔もライトアップされており、今以上に当時の山梨県民には謝恩塔の印象が深かったのではないだろうか。 【「夜の甲府」観光チラシの内容】 ![]() 観光チラシには、夜の歓楽街、甲府芸妓、湯村芸妓、映画館案内等について掲載されている。 創業明治18年「割烹 望仙閣」の広告が掲載されているが、戦後、望仙閣は太田町公園内から市街の甲府市桜町3番地で営業を継続していた。 2011年 09月 25日
【「山と釣の韮崎市」】 ![]() 韮崎市は昭和29年10月10日に韮崎町、穂坂村、藤井村、中田村、穴山村、円野村、清哲村、神山村、旭村、大草村、竜岡村の1町10か村が合併して市制施行している。 この観光チラシは合併後の早い時期に、韮崎市観光協会と韮崎市役所により発行されたものである。 【韮崎市附近観光案内図】 ![]() 南アルプス、金峰山、甘利山などの山々を中心に、武田八幡神社、願成寺、新府城などを名勝地や名所として紹介している。 また、観光韮崎市として「中央線を新宿から三時間半県都甲府から20分で観光韮崎市の玄関口韮崎駅に着く、駅頭に立てば頂上に残雲の南アルプスの連山もすぐ目の前に大きく影じ、左に甲府盆地をへだて御坂の山々の上に秀麗不二の雄姿を見ることができる」と記している 2009年 10月 24日
【『甲府』 甲府及甲府附近の遊覧地】 ![]() 昭和6年4月、中央本線八王子・甲府間が電化された時期に合わせ、甲府商工会議所により発行されたものがこの案内である。 甲府の概況について「山梨県唯一の市にして甲斐一円の物資の門口、商業殷賑を極め、工業は製糸業を第一とし、特産として水晶細工、印伝細工、葡萄・葡萄酒等世に名高し。」と記している。 また、市内の名所旧跡として舞鶴城址、舞鶴公園、遊亀公園、躑躅ヶ崎館跡、機山公の墓、酒折の宮、不老園、善光寺を詳説している。 ━(甲府名所)甲府全景━ ![]() 愛宕山から西側から甲府城址を中心に俯瞰した甲府の景観である。 前記の「甲府」の表紙も、こうした景観を基に描かれたものであろう。 ━甲府市 舞鶴公園附近━ ![]() 中央本線の電化を記念して選ばれた沿線名所を写した絵葉書の一部である。 愛宕山をやや登った位置から写した中央本線と甲府城址を中心とした景観である。 【甲府市勢一班 昭和13年版(表紙)】 ![]() 年ごとに甲府市が発行していた「甲府市勢一班」の昭和13年版(昭和13年10月発行)の表紙と裏表紙である。 内容は市内及や附近の観光地案内を含めた一般的な市勢要覧であるが、表紙等に描かれた図案は市街に湧出する甲府温泉の湯煙と富士山を中心とした周囲の山々を主眼とした図案に、当時の甲府市街の雰囲気が感じられる。 【同(裏表紙)】 ![]() 2009年 02月 08日
大月市猿橋町にある猿橋は、橋の南方に建つ宝暦5年10月15日建立の猿橋碑に『我大日本橋梁之奇巧者周防之算橋岐岨之懸橋峡之猿橋是己』と刻まれているとおり、周防の錦帯橋、木曾の桟橋とともに日本三奇橋のひとつとされ、絶壁に架けられた猿橋は長さ31m、幅5.5m、下を流れる桂川の水面からの高さは31m、橋脚を用いず、両岸の懸崖から数多の框を重ね次第に出して橋としており、昭和7年3月25日には国の名勝に指定されている。 【日本三奇橋 猿橋探勝】 ![]() 大黒屋旅館は猿橋畔にある、客室11室、収容客40名の旅館である。大黒屋は直営の自動車部を設け、猿橋の下車駅である中央本線猿橋駅から大黒屋までの約4kmにおける旅客の送迎なども行っていた。 【猿橋案内】 ![]() 「桂畔閣 大黒屋ホテル」の名称で発行された猿橋案内である。 ![]() ━(猿橋名勝)猿橋ノ正面ノ景━ ![]() ━【甲斐国】猿橋の奇景━ ![]() 猿橋とともに、この場所には中央本線の橋梁と東京電燈(現在の東京電力)八ツ沢発電所第一号水路橋が架けられていた。 [中央本線橋梁] 明治35年10月1日に鳥沢駅から大月駅まで延伸開業した当時、鳥沢、猿橋間のルート は、鳥沢駅を出て右カーブし、桂川の左岸を通り猿橋と併行して桂川を渡り、猿橋駅に至るものであったが、中央本線の複線化にあたり、昭和43年9月20日に現在の短路新線化されたため、猿橋と併行する橋梁は現在は撤去されている。 [第一号水路橋] 第一号水路橋は通称を猿橋水路橋といい、都市化が進む東京への電力供給を目的に建設された、東京電燈八ツ沢発電所の施設の一部であり、明治45年に完成した。 この水路橋は明治期のコンクリート橋としては国内最長と言われ、八ツ沢発電所施設の一つとして平成17年12月27日に国の重要文化財にしていされ保存されている。 2009年 02月 06日
【富士山麓スキー・スケート】 ![]() 富士山麓電鉄(現在の富士急行)が発行した富士山麓のスキー・スケート案内である。 昭和初期にデザインスタジオが作成したチラシであり、12月下旬から3月下旬にかけて、日帰りの出来る地として富士山麓のPRを目的とした案内である。 一般のスキーヤー・スケーターの憧憬の地として大自然の厳粛な壮美の限りを尽くした冬の景観を賞でて壮快なスキー・スケートを満喫することをお奨めしますと、案内の中で説明されています。 【富士山麓のスケート スキー】 ![]() 東京の近くで最も簡単に行って来られるスキー地の一つとして富士山麓を案内する、東京鉄道局発行の案内チラシである。 2009年 02月 02日
【甲斐のスキー・スケート案内】
![]() 『銀嶺に描く酢ロームの美しいスプール又旭光に燦として輝くスロープに雪煙を蹴立てて一潟千里に快走を恣にするスキー、氷結せる銀盤のスケートリングを飛鳥の如く自由自在に滑走するスケート、其の爽快にして勇壮な跳躍は他の追従を許さぬ冬のみに与えられたスポーツである。山に富む甲斐の冬はスキーにもスケートにも恵まれ、富士山麓を始め各所にスキーグランドやスケートリングが豊富に展開されて居る。交通関係も京浜地方からは僅かの時間にて到着し得らるるのも独り甲斐の地理的関係に於て持つ誇りである。』 昭和初期に出された「甲斐のスキー・スケート案内」の序言である。 富士山麓、笹子、大菩薩峠、甘利山などのスキー場、富士五湖、大正池、白沢池のスケート場などを案内している。 【山梨県内スキー・スケート案内図(部分)】 ![]() 富士山麓の富士吉田口スキー場は県営富士スキー場として総面積16万坪を有するスキー場であったが、この案内が出された頃には、県と富士山麓電気鉄道株式会社が協力し、33万坪に整地拡張された。富士山麓にはそのほかにも、三ツ峠、小富士(山中湖附近)、大出山(山中湖の西北富士)、三国峠(山中湖の東方三国峠)、天神峠(富士精進口)、本栖の各スキー場があった。 【富士山麓スキースケート案内】 ![]() 山中湖畔のスキー場と河口湖、精進湖のスケートを案内した、「甲斐のスキー・スケート案内」発行以前の案内である。吉田口の県営スキー場の開設以前の頃である。 2008年 12月 05日
今年も12月となり、季節も晩秋から冬へと移ろいでいます。 「秋色の山梨」から「冬の山梨」へと、季節の観光地を順次紹介させていただきます。 ━冬の山梨━ ![]() 冬の山梨における観光地について紹介した、昭和29年発行の観光案内です。 写真のスキー場は、県営富士山スキー場の二合目附近です。観光案内の中には、6カ所の県営スキー場とスケート場がそれぞれ紹介されています。 ━ウインタースポーツ━ ![]() 甲斐のスキー・スケート案内として、戦前期に発行された観光案内です。 「交通の便も、京浜地方からは僅かの時間で到着し得らるるのも、独り甲斐の地理的関係に於て持つ誇りである。」と記されています。 2008年 11月 24日
昭和初期における自然志向の広がりなどにより、登山・ハイキング活動とともに郷土の文化・歴史を研究する、甲府ワンドラーが創立するなど、昭和10年頃から全国的に徒歩旅行であるハイキングが流行し始めました。 ━甲府からのハイキング━ ![]() 甲府市役所内の甲府観光協会が発行したハイキング案内。日帰り案、京浜、静岡、諏訪など各方面からの一泊案などが掲載されています。 ━甲府からのハイキング━ ![]() 名古屋鉄道局が昭和12年3月に発行した小冊子風の案内です。なお、昭和25年4月に名古屋鉄道局甲府管理部が廃止されるまで、甲府は名古屋鉄道局の管轄区域でした。 昭和12年7月の日中戦争勃発、同13年4月の国家総動員法公布などによる戦時体制下、旅行の目的は心身教練にあるという意見が強まり、練成旅行と名称を変えて行われるとともに、時代の風潮として享楽的な旅行の概念を一変させ、祖国や郷土を認識して心身を教練する、国策的な旅行である、史跡や遺跡巡りが奨励されていきました。 ━国民精神総動員 ハイキングコース━ ![]() 山梨県が発行したハイキングコースの案内であり、体力増進・精神修養ハイキングコースとして、富士山麓、甲府近郊、身延・下部、御嶽・増富、南アルプス、大菩薩方面と県内全域についての案内となっています。 ━甲府からの史跡名勝めぐり━ ![]() 甲府市役所、甲府観光協会が発行した案内であり、「御奉公の道は先づ心身の練成! 歩いて剛健なる体力を培いませう」と掲げながら、県内各地の史跡・名勝めぐりを紹介しています。 軍事輸送の増加により、一般旅客を抑制させるため、不要不急の旅行は止めるよう呼びかけられ、昭和15年からは乗車券制限などがなされるようになり、当時の鉄道省は「不要不急の旅行は遠慮して国策輸送にご協力ください。」とのポスターを各駅に掲出しました。 昭和19年4月からは、決戦非常措置要綱に基づく旅客輸送制限が行われ、東京都区内、川崎・横浜市内の鉄道駅から100km以上の旅行には、警察署等での証明が必要となりました。 なお、東京方面等から甲府より先の駅に向けては、旅行証明書が必要となりました。 ━山梨県景勝地と温泉案内━ 『銃後国民の第一義は心身の強健にあり』 ![]() 山梨県景勝地協会が発行した、景勝地と温泉案内。昭和15年7月に、新宿伊勢丹で開催された、霊峰富士山展で配布されました。 ━爽涼の秋 ハイキングに━ ![]() 甲府市相生町の温泉旅館 小松屋が発行した案内。 ━心身の練成は!甲府からの山山━ ![]() 甲府市役所・甲府観光協会が従来のハイキング案内に替わって発行した登山の案内。 『甲府市を中心として四囲に繞らす高山峻岳は心身練成の道場である』としながら、甲斐駒、鳳凰山、白根三山などを紹介している。 2008年 11月 22日
━(富士八景の内)西の湖━ ![]() ━文化洞ヨリ見タル西湖━ ![]() 『西湖』 河口湖西岸の長浜より西方1kmで西湖の東岸に達する。この間乗物の便がない。 西湖は東西3km半、南北800m、水面は海抜921m、その最深点は77m に及び、富士五湖中最大を示している。従って水色は美しく、冬季は第3号 に相当する。モーターボート東岸から西岸の根場まで通う。(鉄道省編「日本案内記 関東編」昭和5年3月発行より) ━「西湖案内」(西湖渡船合資会社発行)━ ![]() 河口湖を船津から船で横断して長浜に着き、そこから8丁で西湖に至ります。 西湖の渡船場から、西湖渡船合資会社のモーターボートが西湖を縦断して対岸の根場を結んでいました。1日6便の定期船のほか、貸切船は随時運航していたようです。 次の図は、この西湖案内に掲載されている西湖の案内図です。 ![]() ━「西湖附近御案内」━ ![]() ━「富士五湖 河口湖西湖御案内」(河口湖西湖遊覧渡船株式会社発行)━ ![]() 河口湖西湖遊覧渡船会社は、河口湖及び西湖における渡船会社であり、西湖には遊覧渡船を10艘保有し、西湖では1日8便の定期船が所要時間40分で根場まで運行されていました。 ![]() < 前のページ次のページ >
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