カテゴリ:旅館・ホテル( 14 )


2014年 12月 14日

温泉旅館 みたけ

【甲斐路の観光 温泉旅館 みたけ】
f0191673_17321340.jpg 甲府駅前の温泉旅館「みたけ」が発行した昭和33年頃の案内チラシである。
 チラシには「観光都甲府及弊館御案内」として「弊館は甲府駅前で交通至便洋館三層楼の駅前第一の旅館です。御観光に御商用に御来甲の節は是非御泊り下さい自家用車もあり家族的に優越申し上て居ります。」と記されている。


























【甲府駅前の奉迎】
f0191673_17320993.jpg 上記のチラシに掲載されている、同旅館から見た昭和32年7月8日の昭和天皇、香淳皇后の行幸啓における甲府駅前の奉迎の様子である。
 旧駅舎時代の甲府駅前が俯瞰できるこの写真の撮影位置から、同旅館は甲府駅前に当時数件あった駅前旅館の一つであった。











【昭和41年の甲府駅前市街図】
f0191673_17310713.jpg 赤く囲んだ場所が「みたけ」旅館のあった位置である。
 昭和20年の甲府空襲により、甲府駅本屋と附属建物は焼失を免れたものの、駅前の街は全て焼失している。「みたけ」旅館も終戦後この位置で営業を開始した旅館と思われる。
 既に旅館は廃業しており、現在この場所(甲府市丸の内2-3-2)には「東横INN甲府駅南口2」が営業している。










































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by kaz794889 | 2014-12-14 19:50 | 旅館・ホテル | Comments(0)
2013年 06月 02日

富士ビューホテル

【昭和30年代の富士ビューホテルの案内】
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【現在のホテル案内】

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 富士ビューホテルは河口湖畔(山梨県南都留郡富士河口湖町勝山511)に昭和11年に開業した今年77年を迎えるホテルである。




【富士ビューホテル敷地内の案内】
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【下記の案内に収載された富士北麓鳥瞰図】
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【昭和10年代の富士ビューホテルの案内】
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  富士ビューホテルは山梨県営ホテルとして建設されたホテルであり、昭和9年5月18日召集の昭和9年5月臨時県会において関屋延之助山梨県知事はホテル建設について次のとおり提案説明を行い、新規事業の特別会計山梨県営ホテル建設計画(ホテル建設費25万円、【内訳】敷地費4万円、建設・設備費21万円)を含む20議案については臨時県会最終日の5月24日に可決確定している。
  「 富士岳麓の開発上、外人を誘致するの方策を講ずるは極めて必要のことでありまして、之が方策の第  一歩としては、適当なる外国人のホテルを建設することに在ると存じます。殊に富士の雄大なる景観は外  人の憧るる所であります。今回神奈川県足柄下郡温泉村富士屋ホテル株式会社に交渉して、尚ホテル建  築資金に就いては鉄道省国際観光局と打合せを致しまして、ホテル建設築資金25万円を利率3分8厘
3か年据置27か年償還を以て借入を為し、河口湖畔に外人向のホテルを建設し、これを右富士屋ホテル
株式会社に貸付けて経営にあたら当らしめ、起債に対する毎年度償還すべき元利金に相当する額は之を
会社より納付せしめ、30か年後、即ち県債償還元利金の金額を会社より完納したときは、ホテルの敷地、
建物、並び設備の所有権を会社へ無償譲渡することとし、県は何も負担しない仕組みであります。従がって
之が収支は特別会計と為すものであります。」

その結果、山梨県はホテル建設費として起債する25万円を以て敷地(26,924坪)購入、ホテル建設及び
必要な設備を行い、神奈川県足柄下郡温泉村底倉359番地富士屋ホテル株式会社に貸付けて経営を行わ
せ、償還すべき元利金に相当する額は毎年会社が山梨県に納付し、その納付金が完了した時点で、ホテル
の敷地・建物・設備一切の所有権を富士屋ホテル株式会社に山梨県が無償譲渡するものとして、昭和10年
7月16日の地鎮祭の後、7月25日に起工、翌11年6月12日に竣工している。
その後、昭和19年12月に富士ビューホテルはドイツ人協会に借り上げられ、終戦後の昭和20年12月28
日にはGHQにより接収され、昭和27年6月末の接収解除後もアメリカ軍との自由契約により施設貸与が継
続され、昭和33年3月20日よりようやく終戦後の一般営業を再開している。なお、創業時の建物はその後
新築され、昭和60年に現在の建物により新規開業している




【創業時の富士ビューホテル】
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【現在の富士ビューホテル】
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【創業時のホテルへのアプローチ】
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【現在の同位置】
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by kaz794889 | 2013-06-02 17:56 | 旅館・ホテル | Comments(0)
2013年 03月 03日

桃柳庵 藤森旅館

【桃柳庵の差入弁当領収書】
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  甲府市橘町(建設中の県庁防災新館、旧甲府西武のあった位置)にあった桃柳館・藤森旅館の差入弁当の領収書(明治34年2月)である。



【明治38年発行の甲府市街図(部分)】
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【桃柳庵 藤森旅館の全景】
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  藤森旅館は昭和初期に取り壊された甲府城南側の濠端で営業(上記市街図中、青色丸印の位置)していた旅館であり、その創業は明治16年である。
  かつての営業案内には「和風2階建て、客間16部屋、裏は蓮池眺望佳」と記されており、旅館の裏手に残る甲府城の濠には蓮が群生しており、濠端と石垣の蓮池は当時の名所地のひとつとなっていた。
  また、明治45年に当時の甲府市街地外に新築移転するまで、藤森旅館の北西にあたる甲府駅前には甲府監獄(前記市街図の青色部分)が置かれていたことから、前記領収書のとおり、監獄への差入弁当に関することも生業としておこなっていたのである。
   




【明治45年3月の藤森旅館と甲府市街】
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  明治45年3月の、現在の山梨県庁南側、県庁前通りである。
  青色で囲んだ建物が藤森旅館であり、その下に小さく写るのが甲府城の濠である。通りの中央には馬車鉄道の軌道があり、道路左側の塀で囲まれている場所は、現在の山梨県議会議事堂が新築移転する前の山梨県議会議事堂である。




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by kaz794889 | 2013-03-03 15:30 | 旅館・ホテル | Comments(0)
2012年 11月 17日

韮崎 清水屋旅館

【韮崎市 本町 清水屋旅館のパンフレット】
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【中央線韮崎町 清水屋旅館 】
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 清水屋は甲州街道韮崎宿で初代清水代右衛門が弘化2年に創業した旅館である。
 当初は旅籠と練油業を営んでいたが、明治42年に三代目鯉鮒七の弟金七の分家に伴い練油業を分業している。
 観光地要素が現在ほどではなかった当時、平常における利用者は商人の利用がほとんどであったが、徴兵検査や製糸女工募集の際は相当の賑わいがあったとされている。


【現在の清水屋旅館】
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 清水屋旅館は現在も旧甲州街道韮崎宿である、韮崎市本町通の創業地と同じ場所で営業を続けている老舗旅館である。




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by kaz794889 | 2012-11-17 08:21 | 旅館・ホテル | Comments(0)
2011年 11月 13日

水車の宿 小松屋

【「山の湯に昇仙峡と葡萄郷」温泉旅館 小松屋のチラシ】
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【新しい甲府温泉 水車の宿 小松屋】
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 小松屋は甲府市相生町48番地(現在:甲府市中央1-12-23)で営業していた温泉旅館である。
 戦後、平和通りが建設されるまで甲府市街のメインストリートの一つであった錦町通りが相生町の市役所前通りにぶつかる西側角地に建てられていた。

 チラシにある水車の宿とは、「当館は庭園に水車を配し温泉の香りゆかしく水車のしたたる水音も静かに枕辺に聞きながら」とあるように、小松屋の庭園に水車が配されていたことによるものである。  




【戦前の小松屋があった位置】
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 昭和19年6月30日「学童疎開促進要綱」が閣議決定され、7月7日には文部省、内務省、東京都の共同発表として「帝都学童集団疎開実施要領」が出され、集団疎開を実施する方針が定められた。
 その後「帝都学童集団疎開実施細目」や「疎開先県名各区割当表」が発表され山梨県には麹町区、四谷区及び目黒区内の国民学校の学童疎開が割り当てられ、目黒区立月光原国民学校の児童325名が昭和19年9月3日に甲府へ学童集団疎開した際、小松屋は35名の児童を収容する宿舎となっている。

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by kaz794889 | 2011-11-13 14:56 | 旅館・ホテル | Comments(0)
2011年 11月 03日

甲府停車場前 土屋旅館

【甲府停車場前土屋旅館(本館)】
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 土屋旅館は土屋幸二郎が甲府市橘町に創業した旅館である。


【甲府停車場前土屋旅館(洋館)】
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 土屋旅館の本館南側に併設して建てられていた土屋旅館洋館である。
 土屋旅館の場所は、明治45年4月に西山梨郡里垣村梅坪(現在の甲府市朝気一丁目)に新築移転するまで甲府監獄のあった場所である。
 当時の甲府監獄の敷地は、南北が甲府駅前から三井住友銀行甲府支店附近、東西が甲府駅前からエフエム富士の附近に渡っていた。
 甲府監獄の移転後、その跡地は大正4年までに整地区画され市街地となっている。
 土屋旅館も甲府監獄跡地の市街地化に伴い創業している。



【現在の土屋旅館の位置】
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 土屋旅館がかつてあった場所は、平和通りに面した富士急ビルと山梨中央銀行甲府駅前支店の位置(甲府市丸の内2-16-1)である。

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by kaz794889 | 2011-11-03 21:23 | 旅館・ホテル | Comments(0)
2011年 09月 19日

甲府駅前 柳屋旅館

【甲府駅前通り 内湯旅館 柳屋全景】
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 甲府駅前で大塚保作により営業されていた柳屋旅館である。
 左側道路の正面突き当たりが甲府駅であり、旅館の左側側面が駅前通りに面して建てられていた。

【柳屋旅館 三階休息所】
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 前記全景写真の旅館玄関口車寄せの三階右側窓の内側が、この三階休息所の位置である。
 こうした木造三階建ての旅館が甲府市街のあちこちに、戦前期であるこの時代には建てられていた。
 右側の窓から見えるのは、新庁舎建設中の山梨県庁舎である。庁舎の完成が昭和5年であるため、
掲載した二枚の写真は昭和初期である昭和4年頃の状況とかんがえられる。

【「甲府連隊区指定旅館 柳屋旅館」案内】
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 御岳昇仙峡の案内と、列車、自動車の時刻案内が主である柳屋旅館の案内である。

【現在の柳屋旅館跡附近】
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 甲府駅前の平和通りに面した柳屋旅館跡の現況である。
 本来の場所はこの場所よりも南側、平和通りに面した県庁入口附近と考えられる。




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by kaz794889 | 2011-09-19 13:41 | 旅館・ホテル | Comments(0)
2010年 01月 24日

古名屋

【古名屋ホテル・正面】
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【古名屋ホテルの案内パンフレット】
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 古名屋ホテルは明治初期に富士川舟運の港町である南巨摩郡鰍沢町に古名屋旅館として創業し、明治45年に現在地(甲府市中央1-7-15)に移転し、甲府市街の老舗ホテルの一つとして営業されている。


━昭和初期の古名屋━
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 昭和初期の古名屋旅館である。
 同じ頃、甲府市街のボーリングにより多量な温泉が湧出し、新興泉都として県庁所在地の市街に湧く数少ない温泉地として、附近の旅館とともに甲府温泉が形成されていった。
 次の図は、そうした甲府温泉の一つとしての古名屋旅館を中心に吉田初三郎が描いた鳥瞰図である。


━甲府温泉・古名屋旅館鳥瞰図━
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【古名屋の案内パンフレット(昭和30年代)】
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 昭和20年7月の甲府空襲により古名屋は全館焼失したが、翌21年には建物を再建し営業を再開している。 その後、昭和48年10月には8階建の本館が新築されている。



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by kaz794889 | 2010-01-24 17:17 | 旅館・ホテル | Comments(0)
2010年 01月 23日

山中湖・富士ニューグランドホテル

【富士ニューニューグランドホテル・外国人向け英文パンフレット】
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━富士ニューグランドホテル全景━
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【富士ニューグランドホテル・富士ニューグランドロッヂ案内】
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 富士ニューグランドホテルは、昭和11年7月に横浜のホテル・ニューグランドの経営により山中湖畔に開業した。なお、その三階建てのホテル建物は、国際観光興業が所有していた。
 また、併設されていた富士ニューグランドロッヂは、毎年7月1日から9月中旬までを営業期間として昭和11年5月に開業している。
 この案内に掲載されている図は、吉田博の作成(昭和12年頃)による版画、『富士ニューグランドホテル』である。



━富士ニューグランドホテル ━f0191673_2249365.jpg


 富士山とホテル本館を描いた、富士ニューグランドホテルのアメニティ絵葉書である。

━FUJI NEW GRAND HOTEL,LAKE YAMANAKA FUJI NATIONAL PARK. ━
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 富士山とホテル本館、山中湖を描いた、富士ニューグランドホテルのアメニティ絵葉書である。
 なお、富士ニューグランドホテルは、昭和19年9月に横須賀海軍部隊に賃貸借り上げされ営業が休止された後、昭和20年12月28日にはGHQに接収され昭和27年6月30日に接収解除となっている。
 また、富士ニューグランドロッヂは昭和36年4月に花月園が買収し、同年7月からは山中湖ロッヂ花月園として開業されている。



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by kaz794889 | 2010-01-23 23:35 | 旅館・ホテル | Comments(0)
2009年 12月 23日

甲陽館 米倉旅館

【甲陽館米倉旅館跡】
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 商工組合中央金庫甲府支店がある場所(甲府市丸の内1-6-16)は、かつて甲陽館米倉旅館のあった場所である。米倉旅館は明治維新前、甲州街道柳町宿の本陣として当初は甲府柳町(甲府市中央4-2-21附近)において甲陽館米倉として営業していたが、明治40年代にこの場所に移転している。
 柳町時代の様子について『甲府繁昌記』は「甲府停車場から僅か五丁余にして内外旅客にはもっとも便宜なる地たり、家屋の構造は三層楼にして楼上の眺望頗る宜しき、正面は水煙模糊の間、遥かに芙蓉峰と相対し舞鶴城及び甲府停車場、愛宕山等の風光一望のもとに集むべく真に居ながら峡中の山水に接するを得べし。また館内には最も諸病に効ある鉱泉湧出し優に遠来旅客の労を慰するに便ず、加ふるに其の待遇頗る懇切丁寧にして万事抜け目なきが故に来客常に室に満ち、旅客の同館に宿を求むる者、時に或いは謝絶せらるが如きの繁昌なりと云う。」と記している。

━(甲斐国)甲府市常盤町(米倉旅館前)通り━
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 上記の写真の場所に建つ、甲陽館米倉旅館である。柳町から移転したこの場所は、明治7年10月に県営の勧業製糸場が建てられていた場所であり、県から民間に製糸場が払い下げられた後、中央本線が甲府まで開通した頃に製糸場が取り壊され、町場が形成されていった地域である。
 この場所は常盤通りに面した錦町であり、甲陽館米倉旅館は当時、千人近い団体客を収容できる甲府市内でも有数の旅館であった。

【甲府柳町時代の甲陽館米倉】
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━甲陽館米倉旅館のデザイン絵葉書①━
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━甲陽館米倉旅館のデザイン絵葉書②━
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 写真は、明治45年に甲府停車場前(甲府市橘町)に開業した米倉旅館の支店である。
 また、米倉旅館の経営者であった米倉善八は明治37年4月に甲陽軒米倉を設立させ、中央線の乗客を対象とした甲府駅構内における中売業を始めるなどし、近年まで甲府駅において駅弁の製造販売等が行われていた。

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by kaz794889 | 2009-12-23 13:05 | 旅館・ホテル | Comments(1)