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カテゴリ:甲府市街点描( 37 )


2017年 08月 25日

甲府市柳町 鐘紡サービスステーション甲府代理店

【鐘紡サービスステーション甲府代理店】
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 甲府市柳町44番地(現在の中央4丁目8-1)で営業されていた昭和11年頃の鐘紡サービスステーション甲府代理店である。
 土蔵造りのこの建物は明治31年10月1日に創業した松浦銀行(同行は昭和7年8月26日に廃業)の社屋であり、一階部分を相当改修の上、店舗として使用されていた。

 鐘紡サービスステーションは当時の鐘紡製品のアンテナショップであり、鐘紡が製造する生地による紳士、婦人、幼児の既製品類や鐘紡製の絹布、綿布類等の生地など、新製品の販売・広告を目的に大阪(心斎橋店)と東京(銀座店)を中心に多数の鐘紡ステーションと代理店を展開しており、甲府代理店は八日町で繭袋商を営んでいた跡部家により、昭和11年中頃に営業が開始されている。






【現在の店舗跡】
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 鐘紡サービスステーション甲府代理店があった現在の店舗跡である。
 上記の写真に写る白塗の土蔵は近年まで残されていた。



















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by kaz794889 | 2017-08-25 14:51 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2016年 02月 28日

終戦後の昭和通り

【(観光都市甲府)昭和通り】
f0191673_17582282.jpg 岡島前の通りはかつて「昭和通り」と云われた時期があった。
甲府城郭内の武家屋敷地であったこの地域は、明治8年に松原小路から新たに常盤町となり、町を貫く通りは「常盤町通り」と通称され、通りに面して知事官舎、第十国立銀行、西山梨郡役所などが置かれていた。 

 昭和13年10月に柳町にあった岡島呉服店が岡島百貨店として現在の位置に開店した後、盧溝橋事件後の戦時期であった当時の社会情勢などから、「常盤町通り」から「昭和通り」と改称され、終戦後もしばらくは昭和通りと通称されていたようである。
 写真は昭和20年代後期の街並みであり、通りの左側手前の建物は、昭和16年12月1日に第十銀行と有信銀行が合併した山梨中央銀行の本店である。同行本店は甲府空襲で焼失しており、写真の店舗は昭和25年2月4日に新築落成している。また、その後方は岡島百貨店である。



【現在の同位置附近】
f0191673_17583181.jpg 現在の同位置である。
 「昭和通り」という通りの通称も、現在は「城東通り」となっている。
 左側手前は昭和44年11月17日に竣工した山梨中央銀行の本店。その後方は岡島百貨店である。
 通りに面した建物は新築され、通りも整備されているが、道路幅は当時のまま現在に至っている。
















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by kaz794889 | 2016-02-28 13:27 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2015年 12月 05日

終戦後の春日町通り

【(観光都市甲府)春日町通り】
f0191673_15290449.jpg 終戦後、昭和20年代後半の春日町通りを北側に向けて写したものである。
 
 左側の建物は昭和21年12月に竣工した電気館とセントラル劇場である。
 電気館は甲府空襲により焼失したが前述のとおり終戦後に再建され、その後、昭和32年8月に鉄筋コンクリート造りの建物が新築され、昭和24年7月には隣接するセントラル劇場も改築落成している。

 また、正面右側奥の建物は岡島である。
 










【現在の同位置】
f0191673_15291507.jpg 春日町通りの現在の同位置である。
 写真左側の工事囲いは、昭和49年に建設された甲府銀座ビル(かつてのダイエー甲府店のビル)の取り壊しに伴うものであり、この位置が電気館の跡である。
 新聞報道によれば、甲府銀座ビルの取り壊し後、「デュオヒルズ甲府」を名称とする複合ビルが平成29年秋の完成を目指して建設されるという。

 甲府市街における繁華街の一つであった春日町通りも、現在は賑わったかつての面影が失われている。

 
 










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by kaz794889 | 2015-12-05 16:05 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2015年 01月 01日

甲府・柳町通り 3

【(甲斐国)甲府市柳町大通り】
f0191673_12215237.jpg 明治40年代の甲府柳町通りである。
 現在の山梨中央銀行柳町支店の北寄りの位置から、通りの北側方向を写したものであり、右側の「松阪屋」(山田粂吉が経営していた足袋商)の看板を掲げた建物の右、東側方向が連雀町、柳町通りを挟んだ左、西側方向が桜町通りである。

 柳町通りの先、左側のドームを掲げた建物が有信銀行本店、通りを挟んだ右側の建物が佐渡幸旅館である。 










【現在の同位置】
f0191673_12285078.jpg 昭和20年の甲府空襲で柳町通りの街並みは全て焼失しているが、道筋だけは明治期と変わっていない。
 





















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by kaz794889 | 2015-01-01 17:36 | 甲府市街点描 | Comments(2)
2014年 08月 19日

甲府・柳町通り 2

【(甲府市名勝)柳町四丁目大通】
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 明治40年代の「中央4丁目信号」附近である。
 鰹節の店頭幕は冨士彦であり現在も同じ場所で営業を続けている。
 また、左側の電柱下は当時「自動電話」と称していた公衆電話ボックスである。柳町(正式には「柳町四丁目相生町交叉点角」)の自動電話と云われ、明治42年に甲府市内における2番目(最初の公衆電話は明治40年2月に甲府駅構内に設置されている。)の公衆電話として設置されており、昭和2年2月期(当時は前述2か所の他に桜町、遊亀公園、春日町甲府館前の5か所に公衆電話が設置されていた。)における1か月の電話利用は1日平均24回、合計30円30銭であったという。
 柳町通りの最北が柳町1丁目であり、この4丁目付近は柳町の南端であり、更に南側を流れる濁川を越えると「花は紅、柳は緑」の一節を語源とする緑町に至るのである。




【現在の同位置】
f0191673_15055963.jpg 現在の同位置である。
 昭和20年の甲府空襲により、この一帯の殆どは焼失しており、名残りの建物は一切残っていないが、道筋だけは道幅を含め当時のままである。




















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by kaz794889 | 2014-08-19 23:33 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2014年 06月 01日

昭和初期の甲府市街全景

【観光都市・甲府】
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  「観光都市・甲府」と題する絵葉書セットの中の一枚である。
  甲府城跡から眺めた昭和初期の甲府市街であり、昭和戦前期の最も充実した時期の市街である。



【甲府市街の建物】
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  前記の拡大写真である。
  赤書注記の建物の内、甲府警察署、甲府郵便局、甲府税務署以外は甲府空襲で全て焼失しているが、焼失を逃れた甲府警察署等の建物も、その後改築され、現在はいずれの建物も残ってはいない。
  常盤町の岡島も建てられる前の甲府市街である。



【甲府城跡 鉄門脇附近からの甲府市街】
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  甲府城跡に再建された鉄(くろがね)門の脇から眺めた、現在の甲府市街である。
  甲府市街としては高層の建物が建設され、戦前期のような見通しはきかない現在の街並みである。




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by kaz794889 | 2014-06-01 13:16 | 甲府市街点描 | Comments(1)
2013年 07月 21日

昭和20年代後期の甲府市街全景

【(観光都市甲府) 市街全景】
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  昭和20年代に発行された、「(観光都市甲府) 市街全景」と題する絵葉書である。
  市街の70%が焼失した甲府空襲から復興した甲府市街を、愛宕山中腹から眺めたものである。
  荒川の南側には田畑が広がり、市街化はまだ進んでいない。





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  前記の写真に写る市街の建物で、甲府空襲による被災を免れた建物は、甲府警察署、甲府郵便局である。
  岡島は建物の外郭は残ったものの内部は焼失している。また、甲府市役所は相生町の本庁舎が焼失したことから、被災を免れた錦町の甲府市水道部の庁舎を市役所としていた。
  山梨県病院、山梨中央銀行本店、山梨県立甲府第二高校(被災時は甲府高等女学校)は甲府空襲で被災したため、終戦後に再建された建物である。なお、戦後甲府地方裁判所検事局から独立した組織である甲府地方検察庁は、終戦後に建設された庁舎である。




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by kaz794889 | 2013-07-21 21:56 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2013年 05月 16日

甲府市緑町の丸茂要七本店

【丸茂要七本店】
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  甲府市緑町三番地で、夜着・布団・蚊帳・敷布を商いとして営業していた、明治43年頃の若松屋丸茂要七本店である。
  当時の甲府市街地では、こうした蔵造りの商家を数多く見ることができたという。
  この店の建つ緑町三番地(現在:若松町4-2)は、甲州街道の甲府柳町宿である柳町から、緑町、太田町と、かつての甲府市街の賑わいの町が続いた南北の道に面していた。




【現在の同位置】
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  終戦後も長く布団店として営業していたが、現在は営業を終えており、終戦後に建てられた店舗が残されている。





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by kaz794889 | 2013-05-16 23:41 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2013年 05月 12日

甲府市相生町の矢崎金吾商店

【甲府市相生町33番地の矢崎金吾商店】
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  甲府市相生町33番地で、薬品と食料品を販売していた大正14年の「マル金 矢崎金吾商店」である。
  同店は相生町通り(東西の通り)と相生小学校前通り(南北の通り)が交差する角地であり、相生町通りには甲府市役所や山梨貯蓄銀行、桜町や春日町の通りが面するなど、附近は戦前期における繁華街の中心地の一つであった。




【現在の同位置】
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  甲府市相生町33番地は、住居表示の変更に伴い現在は相生2-3-16と改称され、同商店のあった場所には、現在「センティアHOTEL NAITO」が建てられている。





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by kaz794889 | 2013-05-12 14:45 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2012年 12月 09日

濁川北側の城東二丁目・四丁目地内

【旧池添町の不二葡萄園】
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  池添町は昭和23年から41年までの甲府市内の町名である。
  元は甲府市善光寺町の一部であったが、町域の約半分を占める字池添によるものであり、字名は同地内に存在した入道堀に由来しているという。
  町の中央を濁川が流れ、南側はかつての甲府刑務所の敷地であり町域の4分の1を占め、北側は不二葡萄園の広大な葡萄畑であった。
  左の写真は昭和10年頃のものであり、写真右側の人影のある道路の右側は、濁川(僅かに人影の上に写っている)であり、その道は濁川に沿っていた。写真に写る葡萄畑は、現在、城東病院となっている。




【現在の同位置】
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  既に葡萄畑もなくなり、甲府刑務所の移転後に建設された熊野通りが旧国道20号線(甲州街道)に向けて通じている。



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 写真の手前は濁川に架かる第一池添橋である。
 現在の熊野通りからは、旧甲府刑務所裏の高い外壁に沿って通じていた、二輪車がかろうじて通行可能な小道の面影は全く消えている。
   



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by kaz794889 | 2012-12-09 18:40 | 甲府市街点描 | Comments(0)