カテゴリ:根津嘉一郎( 4 )


2013年 02月 03日

根津翁寿像

【根津嘉一郎翁寿像】
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  昭和7年4月3日に除幕式が挙行された根津嘉一郎の銅像である。
  昭和15年1月4日の根津翁の没後、金属の供出によりこの銅像は供出されている。

【現在の根津嘉一郎寿像】
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  根津翁の銅像が供出された後、その台座には「根津嘉一郎翁銅像再建委員会」により円鍔鰐三による二代目銅像が昭和35年11月に再建され現在に至っている。

【根津翁寿像ト発起人寄附者記名碑】
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【現在の根津嘉一郎寿像と記名碑】
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【根津嘉一郎寿像碑】
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by kaz794889 | 2013-02-03 18:48 | 根津嘉一郎 | Comments(0)
2009年 12月 26日

根津ピアノ

 いわゆる甲州財閥における巨頭の一人として、根津嘉一郎の名は広く知られているところであり、その経歴については既に文献等に詳細されているため、ここでは省略するが、その広い社会貢献に関する事績が後世の我々に深い印象を与えているところである。

【根津ピアノ配給第一日目】
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 「事業を経営する究極の目的は決してかねを儲けるということではない。国家や社会に本当に裨益しようとする真の目的がなくては栄えるものではない。」これは根津嘉一郎の『世渡り体験談』に記されている一節である。
 「社会から得た利益は社会に還元する」という信念のもと、郷里である当時の東山梨郡平等村(現在の山梨市)の学校建築や、現在も根津橋といわれ活用されている笛吹川橋梁の建設などを代表例とした貢献は、郷土山梨に今も語り継がれている。
 そうした社会貢献のひとつが、山梨県下の各小学校へのピアノの寄付であり、それは根津ピアノと呼ばれ根津の名を広く郷土に知らしめている。
 昭和5年に郷里の平等尋常高等小学校(現在の山梨小学校)にピアノを寄贈した後、昭和6年に東山梨郡内の各小学校にピアノを寄贈したことが根津ピアノの始まりであり、昭和8年には山梨県内における約200の小学校にピアノを寄贈している。

 この写真は、県内約200の小学校へのピアノ寄贈にあたり、甲府市近在の小学校に根津ピアノを配給するための第一回目の着荷として、昭和8年8月28日に甲府駅に到着したピアノ28台、オルガン1台を貨車からトラック等へ積み替えた終えた際に撮影された写真である。
 現在甲府駅頭に設置されている武田信玄公の銅像附近から、中央線の線路に沿って設けられている駅前の有料駐車場一帯が当時の甲府駅の貨物ホームであり、撮影されたこの場所はも銅像附近の様子である。
 当日は、ピアノの取扱店である甲府市富士川町12(現在の甲府市中央2-2-13附近)の内藤楽器店が運搬にあたっての万が一を憂慮して家族や職員が出揃って貨車からトラック等への積み込みを指揮するとともに、ピアノの製造元である日本楽器からも職員10名が派遣され、最大の注意をはらっての運送が必要であることなどから、積み込まれたピアノが各小学校に納入されるまで付き添っている。
 この第一日目以降、翌日の8月29日は韮崎駅に20台、9月1日は石和駅に15台、翌2日は身延駅に18台の根津ピアノが到着している。

【根津記念館の根津ピアノ】
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 現在、根津記念館の展示棟である「八蔵(はちくら)」に保存展示されている、昭和5年に当時の平等尋常高等小学校に寄贈された根津ピアノである。
 その側面には「貴族院議員 東京市 根津嘉一郎」の金文字が記されている。

【根津記念館の根津ピアノ】
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 ピアノの側面の壁、右側に掲げられているのは根津嘉一郎の写真である。

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by kaz794889 | 2009-12-26 21:11 | 根津嘉一郎 | Comments(0)
2009年 02月 22日

根津橋

━(甲斐日下部名所)根津橋及根津公園━ 
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 根津嘉一郎からの15万円の私財寄附により、幅3.6m、全長90mの根津橋は大正12年4月に完成し、15日に開通式が挙行された。この橋の架橋により、当時の東山梨郡加納岩村と同郡万力村が結ばれ、日下部駅(現在:山梨市駅)の利用を始め、地域の人々にとっては橋の開通により安全面を含め非常に便利になったのである。

━根津橋━
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 根津橋架橋以前、対岸の行き来については、4km程迂回し上流に架かる亀甲橋を利用するか、笛吹川に架かる仮橋又は中央線の鉄道用地や鉄橋を通行していたが、迂回の不便さや仮設の木橋、鉄橋などの通行は非常に危険が伴っていたのである。

【根津記念館に移された初代根津橋の親柱】
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 根津橋は平成7年に新しい橋に架け替えられ、初代根津橋の花崗岩で造られた高さ約1.5mの親柱4基は、根津記念館と根津橋の袂附近にそれぞれが保存されている。

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by kaz794889 | 2009-02-22 10:17 | 根津嘉一郎 | Comments(1)
2008年 10月 05日

根津記念館

【根津記念館(山梨市正徳寺296)訪問記】
 正式開館は10月11日からですが、10月4日(土)、根津記念館の特別観覧会に行ってきました。
 

 『根津記念館とは次のとおりです。(山梨市発行のパンフレットによる)』
 
 近代日本を代表する事業家の根津嘉一郎翁の生家を保存、活用する施設です。記念館の敷地は約6,700㎡、そこに国の登録有形文化財である長屋門、旧主屋、土蔵など昭和初期の建造物があり、それに加えて設計図により復原した青山荘と茶室、それらすべてが和風建築の粋をこらしたものであります。そして富士山を借景にした庭には池と見事な黒松があり、根津嘉一郎翁の気概を象徴しています。

 
 山梨市の「広報 やまなし」10月号に、記念館のオープン特集として根津嘉一郎を特集しています。山梨市のホームページからご覧いただけると思います。
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 根津記念館は根津の生家ですが、根津自身は、明治30年代には東京に進出していたため、生家は根津の兄である根津一秀が継ぎました。
 登録有形文化財として現在に残されている建物は、昭和7年から10年にかけて根津の関与の元で整備されたそうです。
 根津一秀が明治37年に9月に亡くなった後は、娘(たか)の婿である、啓吉が継いでいます。
 (啓吉は、貴族院議員などを歴任した中巨摩郡常永村の内藤宇兵衛の弟です。)
 今回、記念館を見学し、県内有数の200町歩を有する大地主の、地主経営の場としての観点から旧主屋や土蔵などの残された建造物を見ましたが、印象深いものを感じました。

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[長屋門]
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[旧主屋・玄関]
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[旧主屋・中庭から]
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[土蔵]
※ 三階建の文庫蔵として使用された土蔵であり、旧主屋と連接しています。
 内部も公開しています。今回最も印象深い建物でした。
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[倉庫・展示棟]
※ 向かって左側が常設展示棟(根津の生涯について展示)、右側が企画
 展示棟(10/11のオープン当日から根津家ゆかりの美術品を展示する
 そうです。)
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by kaz794889 | 2008-10-05 18:47 | 根津嘉一郎 | Comments(2)