カテゴリ:選挙( 7 )


2011年 01月 30日

第一回山梨県知事選挙

【第一回山梨県知事選挙における山梨県選挙管理委員会発行の『知事選挙公報』】
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 1月30日は第16回山梨県知事選挙の投開票日である。
 終戦後における選挙制度の改正により、都道府県知事は官選から民選となり、昭和22年4月5日に第1一回山梨県知事選挙が執行された。
 終戦後の混乱時期であり、保守・革新が入り乱れ、保守派は当時の官選知事であった吉江勝保、社会党右派は衆議院議員であった松沢一、社会党左派は大鷹貴祐、引揚者連盟の柳本朝光、元外交官の川村茂久の5人の候補者が立候補しており、この立候補者の人数は、現在に至るまで山梨県知事選挙における最多立候補者による選挙となっている。
 なおも選挙の結果、自由党及び民主党幹部の支持を受けた吉江勝保が次点の松沢一に3万票余の差を付け138,218票で当選し、初代の民選知事となっている。


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by kaz794889 | 2011-01-30 19:13 | 選挙 | Comments(0)
2011年 01月 16日

選挙粛正運動

【選挙粛正標語】
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 普通選挙法が制定されその法律に基づく選挙が実施行われたことにより、政党政治が進展する一方において、選挙にまつわる買収や贈収賄などの問題も浮上してきた状況から、政界浄化を求める国民世論が拡大したことなどから、斉藤実内閣当時、選挙違反に対する厳罰化を規定した選挙法制の改正とともに、公明正大な選挙の実施を求める選挙粛正運動が進められた。


【山梨県選挙粛正委員選任辞令】
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 昭和10年5月8日に「選挙粛正委員会令」が公布され、6月18日には斉藤前首相を会長とした選挙粛正中央連盟が発会した。
 山梨県においても6月に選挙粛正運動の具体的方針が立てられ、当時の土屋正三山梨県知事を会長に、他25名を委員として選任した山梨県選挙粛正委員会が発足している。
 その後、7月2日には県内の市町村ごとに選挙粛正実行委員を置くための「選挙粛正実行委員規定」を県が定めるとともに、山梨県選挙粛正委員会の協力機関として山梨県教育会、山梨県神職会、愛国婦人会山梨県支部などの六団体を構成メンバーとした山梨県選挙粛正連盟が結成されている。


【甲府市役所による周知案内】
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 このように、7月上旬までに山梨県内における選挙粛正運動の体制はひとまず整備されたものの、組織の末端である市町村においては、こうした運動を山梨県当局による上部からの押し付けと受け取るなどしたため、無関心や冷淡な態度が示されるなど、選挙粛正運動の展開は低調を極め、県民は必ずしも協力的ではなかったのである。

【土屋正三山梨県知事による選挙粛正講演】
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by kaz794889 | 2011-01-16 16:29 | 選挙 | Comments(0)
2009年 11月 22日

第21回総選挙・翼賛選挙

【山梨常会資料 第28号(昭和17年3月31日発行)】
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 第20回総選挙により選ばれた衆議院議員の任期満了に伴い、昭和17年4月2日に公示され4月30日投票となった第21回総選挙は、翼賛政治体制協議会推薦候補者を中心に戦われた、いわゆる翼賛選挙といわれている。
 この選挙は全国で1077名が立候補し、翼賛政治体制協議会による推薦者381名、非推薦者85名(当時の衆議院議員の定数は466名)が当選している。

【衆議院議員選挙投票所入場券(表面)】
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 左の衆議院議員選挙投票所入場券は、第21回総選挙における西山梨郡内某村の入場券であり、その余白にはこの選挙におけるスローガンである、「国思う一票、国思う人へ」「大東亜築く力だこの一票」が刷り込まれている。
 この選挙における山梨県内(山梨全県区の定数は5名)の立候補者は13名、その内翼賛政治体制協議会が推薦した、いわゆる推薦候補者が5名、非推薦候補者は8名であった。
 昭和17年4月30日に実施された投票の結果、推薦候補者が4名(高野孫左衛門、今井新造、田辺七六、堀内一雄)、非推薦候補者が1名(平野力三)当選している。
 この選挙は戦前期における最後の総選挙であり、男性のみに参政権が与えられていた最後の総選挙でもあった。



【衆議院議員選挙投票所入場券(裏面)】
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by kaz794889 | 2009-11-22 22:34 | 選挙 | Comments(0)
2009年 11月 21日

第4回総選挙と石原彦太郎

【明治27年8月30日 甲府新聞 号外】
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 明治27年3月1日に実施された第3回総選挙から3か月後の明治27年6月2日、衆議院が解散され8月2日公示、9月1日投票として第4回総選挙が行われることとなった。
 また、日本と清国との間の情勢が緊迫し戦雲が立ち込む状況の中、公示前日の8月1日には日本が清国に対して宣戦布告し日清戦争が勃発しており、選挙と戦争がほぼ同時に進められ、双方に対する社会情勢の熱狂振りが窺われる。
 ちなみに、総選挙後の9月15日に明治天皇は大本営を広島に移されるとともに、9月18日には第7回臨時帝国議会を広島において開催することとして召集されている。
 
 山梨県においては、第一区(甲府市、西山梨郡、中巨摩郡、北巨摩郡)において石原彦太郎(自由党・新)、薬袋義一(国民協会・元)、八巻九万(無所属・元)が立候補し、9月2日に開票の結果、石原彦太郎が当選している。
 上記の号外は、立候補した石原彦太郎が候補者を辞するとの通知書を反対党が有権者に発送したことに対し、自由党山梨支部が断じて候補を辞することはない胸を伝えている「甲府新聞」(峡中新聞から改題した甲府新聞とは別の新聞)の号外である。

【「富士彦」の広告】
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 第4回総選挙で当選した石原彦太郎は、安政元年11月に甲府柳町に生まれ、質屋業と鰹節問屋を「富士彦」の屋号で営んでおり、柳町の戸長を経て、明治22年に甲府が市制施行した際の最初の市会議員となり、明治24年に山梨県議会議員に当選し、その現職時である明治27年に衆議院議員となり、30年には第4代の甲府市長を務めるなどし、明治31年8月に逝去している。
 『甲府繁昌記』には「石原本店」として、「柳町四丁目東側にして相生町よりの突き当たりにあり商品は鰹節類各種、海苔、缶詰類各種にして質屋業を兼ね屋号を富士井と号し「ふじひこ」と称す」と記されている。

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by kaz794889 | 2009-11-21 21:47 | 選挙 | Comments(1)
2009年 08月 15日

昭和21年4月 第22回総選挙

【山梨常会資料 第27号 昭和21年1月21日発行】
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 幣原喜重郎内閣当時の昭和20年12月18日に衆議院が解散され、戦後最初の総選挙を迎えるにあたり、当時の衆議院議員選挙法が改正されたことを伝える『山梨常会資料』である。
 幣原内閣は連合軍最高司令官から指示された衆議院議員選挙法改正案を昭和21年11月27日に第89臨時帝国議会に提出し、12月17日に同法改正が公布されると翌18日に衆議院を解散した。
 衆議院議員選挙法の改正により、婦人参政権、選挙権の引き下げ(25才から20才)などが得られたのである。


【山梨常会資料号外 隣保組回覧板 昭和21年3月20日発行】
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 昭和21年2月25日に政府は第22回総選挙の投票日を昭和21年4月10日に決定した。
 この選挙は戦後最初の選挙であるとともに、大日本帝国憲法下における最後の総選挙であり、20才以上の男女に選挙権が与えられた最初の選挙であった。
 また、前議員の多数が公職追放されたことや婦人参政権が得られたことから、山梨全県区においては定員5名に対し女性4人を含む32人が立候補した大選挙区、2名連記制による選挙となったが、終戦後の社会状況等から立候補者の中には紙不足の状況から選挙ポスター用紙の割当を目的とした者や政見放送を商売の宣伝に利用する者もいたようである。

【選挙法の罰則に関する御注意】
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 山梨県警察部、甲府地方裁判所検事局が発行した選挙違反に対する注意喚起を促す回覧用の案内チラシである。
 第22回総選挙における山梨全県区は、投票率71%による投票の結果、平野力三(社会党)、天野久(進歩党)、樋貝詮三(自由党)、笠井重治(無所属)、松沢一(社会党)の5名が当選している。


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by kaz794889 | 2009-08-15 17:03 | 選挙 | Comments(0)
2009年 01月 23日

第24回総選挙

【衆議院議員候補者等一覧:棄権は危険です!】
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 戦後3回目、新憲法下における2回目の総選挙である、第24回総選挙の投票日が、ちょうど60年前の今日、昭和24年1月23日である。
 これは、その投票を呼びかける山梨県選挙管理委員会が発行した立候補者一覧である。戦後4年が経過してはいるものの、まだ表題は右から左に書かれており、その紙質からも、まだまだ終戦後の厳しさを伝えている。 
 山梨全県区の定員は5名、そこに15名の候補者が立候補する激戦であつたが、樋貝詮三、鈴木正文、天野久、深沢義守、小林信一が当選している。

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by kaz794889 | 2009-01-23 23:30 | 選挙 | Comments(0)
2009年 01月 13日

第20回総選挙

【清く正しい一票の行使を望む】
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 昭和12年4月に施行された第20回総選挙において、山梨県が選挙公報とともに配布した、公正選挙を訴えたチラシである。
 チラシの裏面には、昭和11年2月の前回総選挙において、山梨県内で132名の選挙違反者が摘発されている旨が記載されている。
 この選挙では、笠井重治、田辺七六、堀内良平、平野力三、今井新造の5人が当選している。

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by kaz794889 | 2009-01-13 22:55 | 選挙 | Comments(0)