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カテゴリ:御嶽昇仙峡( 7 )


2015年 06月 27日

金桜神社門前の旅館 3 「松田屋」

【昭和初期の松田屋】
f0191673_16215219.jpg 金桜神社門前で営業していた松田屋である。























【現在の松田屋跡】
f0191673_16251004.jpg 既に営業を終えている、現在の松田屋の建物である。
 























【現在の松田屋玄関前】
f0191673_16245236.jpg 現在も玄関上に「松田屋」の文字が掲げられている。

























【旅館 松田屋の案内チラシ】
f0191673_16214951.jpg 大正13年に作成された松田屋の案内チラシである。
 「甲州御嶽山案内」と題する金桜神社の案内と御嶽旧道などについて記されている。

























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by kaz794889 | 2015-06-27 16:54 | 御嶽昇仙峡 | Comments(1)
2014年 09月 21日

金桜神社門前の旅館 2 「大黒屋」

【昭和2年頃の大黒屋】
f0191673_16250101.jpg 金櫻神社門前で営業していた旅館の一つが大黒屋である。
 大黒屋の当主は元神官を務め、専ら講中の宿坊にあてていたが、後に宿屋業の営業を願い出て旅館に変更している。



















【現在の大黒屋】
f0191673_16243515.jpg 既に旅館は廃業し改修されているが、大黒屋時代の建物が現在も残されている。






















【現在の大黒屋】
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by kaz794889 | 2014-09-21 16:46 | 御嶽昇仙峡 | Comments(0)
2014年 08月 03日

金桜神社門前の旅館 1 「御嶽館」

【金桜神社門前】
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【(甲斐御嶽山) 金桜神社大鳥居】
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  昭和2年に発行された案内記によれば、金桜神社の門前について、
  「御嶽行自動車にて甲府を発し約30分にして勝地御嶽の入口たる天神平に着す。此処にて小憩の後、荒川の渓流に沿い御嶽百景を眺めつつ溯ること約一里にして仙娥滝に至る。此処を約一町の急坂登り猪狩村に出ずれば平地となる。更に行くこと約20分にして御嶽に到着す。縣社金櫻神社あり、年中参詣者及び遊覧客多く、昔より信仰者多く参拝せしを以て宿坊ありしが、今は旅館と変じ設備も完全し、大に遊覧客を便しつつあり。」と記している。

  
現在は甲府市御岳町となった金桜神社門前地域も、昭和29年の合併までは「中巨摩郡宮本村御嶽」が
この地の住所であった。

 
  かつては御嶽千軒と言われるほど殷賑を極めた地域であったが、明治維新以降、地域の住民は他所に移住しており、昭和6年当時の案内記は、
  「今は殆ど百戸足らずで僅かに往年の面影を存するに過ぎぬ様になったが、探勝の客や参拝の士が多く、旅館、郵便局その他商店が軒を並べ山中の一町場をなしている」としている。

  金桜神社の門前で営業していた複数の旅館も、現在は全て廃業しているが、門前に残るかつての旅館を紹介したい。




【昭和2年頃の「御嶽館」】
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  金桜神社の参道石段直下で営業していた旅館(前述の神社門前写真の鳥居右側に写る建物)が「御嶽館」である。
  峡北地方出身の主人が明治19年に御嶽の地で雑貨商を営んだ後に、旅館を兼業したのが「御嶽館」の始まりと云われる。



【現在の御嶽館】
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  既に旅館は廃業し掲出されていた旅館の看板等も下ろされているが、当時の建物が現在も引き続き住宅として使用されている。




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by kaz794889 | 2014-08-03 16:43 | 御嶽昇仙峡 | Comments(0)
2011年 10月 02日

御嶽昇仙峡 菅原屋

【御嶽昇仙峡 菅原屋の案内】
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 休憩所、旅館、大衆食堂、土産品を営業品目としていた昭和30年代初頭の菅原屋の案内パンフレットである。

【昇仙峡案内図】
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 菅原屋は明治初期に御嶽新道を訪れる者を相手に食品を売る金桜神社参拝講や馬方茶屋として創業し、明治40年代から大正にかけての観光客増加につれて休憩所や土産品屋として基盤を固め、現在もその規模を拡大し営業を続けている。



【甲斐御嶽 天神森】
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 路傍に亭々たる一大老杉のもとに天神の石楼があったことが天神森の語源であると云われている。
 天神森に建てられている写真の建物が菅原屋である。


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by kaz794889 | 2011-10-02 18:42 | 御嶽昇仙峡 | Comments(0)
2009年 12月 27日

長潭橋


【御嶽昇仙峡・吉田初三郎画伯筆『観光の甲府』甲府市発行絵葉書】
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 吉田初三郎により描かれた甲府を題材とし、『観光の甲府』と表題し甲府市が発行した絵葉書(「葡萄郷」「泉都甲府」「武田神社と信玄公」など)4枚の中の1枚である、長潭橋(ながとろばし)を描いた「御嶽昇仙峡」である。
 長潭橋は山梨県内における景勝地のひとつである御嶽昇仙峡のシンボル的な役割を果たしている。

━甲斐御嶽 長潭橋━
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 長潭橋は甲府市平瀬町と甲斐市吉沢との境界である荒川に架かる鉄筋コンクリート固定アーチ橋であり、大正14年10月に橋長34.6m、幅員3.6m、ケーブルクレーンによるステージング工法らより、総工費26,000円をかけて架設されている。
 祝橋、万年橋、栄久橋などと並びも山梨県内における数少ないコンクリートアーチ橋であり、県内の景勝地である御嶽昇仙峡の入口に位置したアーチ橋としての景観は、昭和初期以来、数多くの絵葉書や観光案内に掲載されるなど、ランドマークとしての重要な位置付けとなっている。

━(御嶽昇仙峡) 長潭橋及天神森附近━
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 「長潭橋(昇仙峡)保存か、撤去か」これは、平成21年12月12日の山梨日日新聞に掲載された見出しである。
 山梨県が建設から84年が経過し老朽化が進行する昇仙峡の長潭橋について、架け替えの方針を固めたという記事である。
 山梨県が橋の点検を行ったところ、橋の上下部でコンクリートのひび割れや剥離、鉄骨の露出が見つかったこと、建設当時の設計荷重は6tで現在の基準である25tを大幅に下回り耐震基準も満たしておらず、道幅が狭いため大型観光バスのすれ違いもできないとのことである。
 橋の改修に当たっては、現在の橋を残した上で別の場所に新たな橋を建設する案と現在の橋を撤去し新たな橋を架設する案など4案に基づく改修検討会が設置され本年度内の方針決定を予定しているとのことである。

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by kaz794889 | 2009-12-27 09:36 | 御嶽昇仙峡 | Comments(0)
2008年 11月 23日

昇仙峡案内

 昇仙峡は昭和2年7月に日本二十五勝、戦後期に日本観光地百選・渓谷の部第一位に選ばれるなど、山梨県内の代表的観光地の一つです。
 昭和8年の山梨県内の観光者数では、富士五湖255,356人に次ぐ121,738人という記録があり、富士五湖、昇仙峡、身延山が県内三大観光地の様相を呈しています。
  このため、昇仙峡に関する観光案内は、戦前、戦後を通じ数多く発行されています。
  今回は、そうした昇仙峡に関する観光案内のいくつか紹介します。


『観光案内書』

━甲州御嶽観光案内━

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 山本松州・吉田岳雲編 芳文堂 大正7年8月15日発行 P86

━甲斐御嶽奇景集━
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 土橋永吉 山梨渓遊会 大正14年1月2日発行 P28

━御嶽昇仙峡と甲府案内━
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御嶽昇仙峡探勝会 昭和6年10月17日発行 P47


『観光案内』

━御嶽案内図━
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 鰍沢町今村写真館が昭和2年3月25日に発行。御嶽探勝と金桜神社の案内。



━昇仙峡案内━
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 御嶽自動車株式会社が昭和初期に発行。御嶽昇仙峡、里程と所要時間、自社乗合自動車の運行時刻の案内。



━昇仙峡案内━
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 御嶽自動車株式会社が昭和10年代前半に発行。前記と同様の内容の案内。



━御嶽昇仙峡御案内━
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 御嶽自動車株式会社が昭和10年代中頃に発行。東京・松本からの日帰りによる昇仙峡遊覧を案内。



━御嶽昇仙峡案内━
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 山梨県景勝地協会(山梨県庁内)が昭和10年代中頃に発行。御嶽昇仙峡と探勝行程を案内。



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by kaz794889 | 2008-11-23 23:53 | 御嶽昇仙峡 | Comments(1)
2008年 09月 27日

御嶽昇仙峡

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 昇仙峡は山梨県の代表的な景勝地です。
昭和2年4月、東京日日新聞社、大阪毎日新聞社の共催による「日本新八景」の選定が催され、昇仙峡は全国からの投票により、299万2,930票の得票を得たものの、文人、画家、学者等の審査により「日本新八景」には洩れましたが、「日本二十五景勝」のひとつになりました。
また、昭和25年に毎日新聞社が主催した日本観光地百選の投票では渓谷の部において第一位となり、同26年10月15日に覚円峰と長潭橋を描いた2種類の記念切手も発行されています。
 
 近世の漢詩文や紀行文、明治期前半の旅行案内には、昇仙峡という名称が用いられず、御嶽新道という言葉が使われています。
 昇仙峡という名称が、いつ頃から使われるようになったのか、太宰治の岳父である理学者の石原初太郎の著書『甲斐の名勝 御嶽昇仙峡と其奥』(昭和5年8月発行)の中で「昇仙峡といふ名称は明治20年以降の命名で、何人が名づけ親であるか不明である。しかも今日では押しも押されもせぬ通り名となったのである。」とあります。現在、手許にある明治時代の山梨県に関する旅行案内を見る限り、明治20年代、30年代に発行されたものは「御嶽新道」と記してありますが、二木信山著『富嶽案内 附 甲州御嶽名勝記』(明治42年8月発行)や田山花袋編『新撰名勝地誌 東海道西部』(明治43年4月発行)では昇仙峡という名称が使われています。
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 昇仙峡という、名称がいつ頃から、どのような経緯で使われるようになったのか、調べていきたいと考えています。

by kaz794889 | 2008-09-27 10:40 | 御嶽昇仙峡 | Comments(1)