2009年 05月 12日
━(甲斐国) 躑躅ヶ崎城址 (武田氏三代六十三年間據守せし拠)━ ![]() 躑躅ヶ崎址又は里俗に古城といわれた武田氏館跡の周囲に廻っている堀の情景である。 武田氏館跡には大正6年5月に起工、同8年4月11日に本殿が落成し創建された、武田信玄を祭神とした武田神社が鎮座している。 また、武田信虎が永正16年に石和から館を移し、武田氏の新たな館として信虎、信玄、勝頼の三代が館居した戦国期を代表する館跡として、昭和13年5月30日には国の史跡として指定されている。 【現在の様子①】 ![]() 絵葉書に写る場所と概ね同じ方向の現在の様子である。 絵葉書の写真は明治40年代頃と思われるが、堀の外側の土手部分が整備され当時と比較して堀の幅は縮小されているようである。 【現在の様子②】 ![]() 2009年 02月 10日
━甲府駅前通り(甲府市)━ ![]() 通りの正面が甲府駅である。明治36年開業時の甲府駅舎は、大正13年3月19日に待合室のストーブが失火し全焼した。この駅舎は大正14年3月10日に再建された2代目の甲府駅舎であり、昭和20年の甲府空襲にも罹災せず、昭和61年のかいじ国体に向けて新築された現在の駅舎が建設されるまで親しまれていた。 正面通りの両側には、旅館、土産物屋、運送会社などが建ち並んでいた。左正面の〒マークが掲げられた建物は、甲府橘町郵便局である。 駅前周辺は甲府駅舎を残し、甲府橘町郵便局を含め、その殆んどは甲府空襲で焼失している。 2009年 02月 05日
━甲府市柳町三丁目通り━ ![]() 現在の遊亀通り、「銀座通り東」交差点を南側から北側に向けた状景である。 左側の商店は新藤呉服店、2階建洋館は明治41年1月に竣工した有信銀行の本店であり、新藤呉服店と有信銀行の間が、現在の甲府銀座通りの東側入口にあたる。 有信銀行の隣は、大正13年5月に甲府市横沢町に移転した十一屋野口醸造店であるが、現在は甲府武蔵野シネマが建っている。 柳町は甲州街道の柳町宿として賑わった町場であり、この附近はその中心地点でもあったことから「三日町見附」とも呼ばれ、明治以降においても甲府市街の中心として発展していった場所である。 このため、甲府市街における町並みの定番地点の一つとして、三日町見附のキャプションには、この他にも同一角度から写した数種類の古絵葉書が残されている。 2009年 01月 29日
━(甲斐国)甲府市常盤町通り━ ![]() 今の「岡島」の正面附近から常盤町通りを東に向けた状景である。 道路右側の蔵と疑洋風建築は、明治8年に建てられ、甲府空襲で焼失した「永源」こと小池呉服店。道路左側の棟続の建物には、貸本屋、時計店、洋服店、靴屋などが並んでいるのが垣間見える。 通りの真ん中は勝沼へと延びる鉄道馬車、道路脇には街路樹の柳や火の見など、明治40年代頃、甲府常盤町の街並みである。 2009年 01月 28日
━ 山梨高等工業学校 全景━ ![]() 愛宕山の西側辺から眺めた状景である。 中央に写る校舎が大正13年9月に設立された山梨高等工業学校(昭和19年に山梨工業専門学校と改称し、戦後の教育制度改革により、昭和24年に山梨大学工学部となった。)である。山梨高等工業学校の設立にあたっては、根津嘉一郎が学校敷地を寄附している。 山梨高等工業学校の前に写る校舎は、明治43年3月に甲府市錦町から新築移転した山梨県師範学校(現在の山梨大学教育人間科学部)である。 また、師範学校の左上は、歩兵第49連隊いわゆる甲府連隊の兵舎である。 学校周辺も、写真右側の武田神社方面も、まだ一面の田畑が続いている、昭和5年頃の風景である。 2009年 01月 21日
━甲府桜町ヨリ機山館ヲ望ム━ ![]() 甲府商工会議所東側の「桜町南」T字路から北方向、甲府市社会教育センターまでが新住居表示以前の桜町であった。 絵葉書に写るのは、紅梅通りと交差する現在の「桜通り北」交差点附近から、北側に向けての光景であり、通りの正面には建築中の機山館が見えている。絵葉書の右上部に押印された一府九県連合共進会の記念スタンプから、明治39年頃の風景と思われる。 2009年 01月 20日
━甲府市橘町通リヨリ停車場ヲ望ム━ ![]() 現在の平和通り、県会議事堂入口附近から甲府駅に向かった光景である。 右側に写る木立ちと石垣は、堀を埋め立てる前の甲府城である。 正面は甲府駅、左の木立ちは、いわゆる駅前の三角地帯である。この一帯は、その後甲府橘町郵便局や旅館、土産物屋が建てられ甲府駅前が形成されていった。道路中央は甲府駅前から伸びる鉄道馬車の線路である。人力車が走り、高い建物など遮るものがない光景は、今の平和通りよりも広々とした空間を感じるのではないだろうか。 明治40年代夏頃の甲府である。 2008年 12月 06日
━(甲府名勝) 甲府市常盤町通り━ ![]() 甲府の常盤通りについては、「絵葉書で見る山梨 1」で以前紹介しました。今回は、それ以前の常盤通りの様子です。 右側の郵便ポストの後は、明治22年に改築した第十銀行本店の鉄柵です。建物にめぐらせた鉄柵とともに、洋風の鉄門が建てられていましたが、大正13年に再度新築した際に鉄門は甲府商業学校の門として譲られました。 左側の三階建ての建物は、商工組合中央金庫甲府支店(現在:甲府市中央1-6-16)の場所にあった甲陽館旅館です。この場所一帯は明治7年7月に落成した、山梨県勧業製糸場があった場所ですが、明治36年頃に勧業製糸場が取り壊された以降に市街化された地区です。 甲陽館旅館も、当初は柳町の角(現在:甲府市中央4-2-23附近)で営業していましたが、勧業製糸場の取り壊し後、この場所に移りました。 甲陽館旅館の後方、洋風三階建ては、望仙閣支店として建てられたもので、大正元年12月からは甲府商業会議所の建物として使われていました。 2008年 11月 17日
━旅館 佐渡幸 本店━ ![]() 柳町の旧甲州街道沿い(柳町通りの東側)。柳町宿の脇本陣を勤めた佐渡屋幸三郎家が明治に入いり、看板を掲げた旅館が「佐渡幸」です。 昭和8年に廃業するまで、柳正堂の南隣(現在:中村荘助商店の場所)にありました。 絵葉書の建物は、明治34年に起工された木造3階建・曲尺型で、建築は 全て東京の建設職人が携わりました。当時は甲府市内第一の旅舎として 50室を有し、上流貴紳士が定宿として利用していました。 ━本店裏庭・停車場前支店━ ![]() 佐渡幸の裏側と、甲府駅前にあった停車場前支店です。 2008年 11月 04日
━甲府市春日町(市役所北隣)山梨教会正面━ ![]() 甲府空襲で焼失した、相生町時代の甲府市役所の北隣、甲府市春日町15番地の2(現在:甲府市中央1-2-5附近)に建てられていた、日本基督教山梨教会です。 この建物の建築時期がいつ頃かは判りませんが、甲府市制四十年記念誌によると、教会の設立は明治36年12月21日のようです。甲府市役所とともに、甲府空襲で焼失したと思われます。 < 前のページ次のページ >
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