峡陽文庫

kaz794889.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

カテゴリ:鉄道( 16 )


2011年 08月 14日

長坂駅開通祝賀会


【長坂駅開通祝賀会の開催通知】
f0191673_15414744.jpg
 中央本線の韮崎、富士見間の開通は明治37年12月21日である。
 この区間にある日野春駅と小淵沢駅の間は約14㎞あり、この駅間距離は単線であることから列車のすれ違いができず、対向列車が駅間を通り過ぎるまでの、両駅での待ち合わせには相当の時間を要するため、所要時間の短縮と合理化のため、大正4年に日野春、小淵沢間に信号場が建設されることとなり、鉄道院から信号場の設置が提示された。
 信号場設置の提示を受けた当時の日野春村長坂上条区は停車場の設置を要望し、これが長坂駅開業の始まりであり、16人の長坂上条区民有志による駅開設請願委員会が結成された。
 駅開設請願委員会は、駅開設に係る条件として鉄道院から示された、土地提供と建設費について、長坂上条区有地と建設費を寄附することにより条件を満たすとともに、開設される駅前の街づくりも計画に含めて準備を進めることとなった。


【祝賀会式次第】
f0191673_1542856.jpg



【長坂駅開設記念碑】
f0191673_15425118.jpg
 長坂駅の開設を記念し鉄道院総裁 床次二郎の揮毫により長坂駅前に大正7年に建立された記念碑である。
 長坂駅の開設にあたり、駅開設請願委員会は大正4年からの3年間に5500円余の寄付金を集め、駅の諸設備や停車場本屋に1000円、駅前の開発・整備に4000円が充てられている。



【現在の長坂駅】
f0191673_15431618.jpg


 大正7年12月11日に開業した現在の長坂駅である。

【長坂駅のスイッチバック跡】
f0191673_1544088.jpg


 長坂駅はスイッチバック構造の駅として開業したが、スイッチバックは昭和48年5月に廃止されている。
 写真は、小淵沢駅方向から長坂駅方向のスイッチバック跡の現状である。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします

by kaz794889 | 2011-08-14 16:40 | 鉄道 | Comments(0)
2011年 04月 16日

JR身延線 波高島駅

【波高島駅舎 正面】
f0191673_19202110.jpg


 大正2年、富士身延鉄道として富士・大宮町(現在の富士宮)が開通以来、芝川(大正4年)、内船(大正7年)、甲斐大島(大正8年)、身延(大正9年)と延伸開通し、昭和2年12月17日には更に市川大門まで延伸開通している。
 波高島駅は市川大門まで延伸開通した、昭和2年12月17日に甲斐下山駅(その後、下山波高島駅と改称され、昭和13年10月1日に現在の波高島駅となっている。)として開業し、現在の駅舎は開業当時の建物である。

【波高島駅舎 北側】
f0191673_19205484.jpg


 身延線の前身は当初私鉄として開業した富士身延鉄道であり、昭和13年に鉄道省に借り上げられ、昭和16年に買収国有化され身延線となっている経緯から、駅舎の様式は鉄道省の様式とは異なり、私鉄らしさが感じられる駅舎が少なくなかったが、開業当初から残っていた駅舎も老朽化や無人化などにより、次第にコンパクトな建物に改築され、山梨県内の身延線に残る開業当初からの駅舎は、この波高島駅の他に、南甲府、東花輪、鰍沢口、下部温泉の五つの駅舎のみとなっている。
 そう遠くないいずれかの時期に、昭和2年建築の波高島駅舎も立て替えられることとなるのだろうか。

【波高島駅舎 ホーム側】f0191673_1921156.jpg


 波高島駅前は道路から少し奥まり、ゆったりとした駅前広場が設けられている。
 

【波高島駅 ホーム】
f0191673_19213913.jpg


 昭和59年公開の映画「おはん」のラストシーンはこの波高島駅でロケが行われているが、主役の吉永小百合が映画の中で腰掛けていたというケヤキのベンチが、この写真のベンチなのだろうか。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします

by kaz794889 | 2011-04-16 20:54 | 鉄道 | Comments(0)
2009年 10月 18日

富士身延鉄道と車内販売

【富士身延鉄道沿線名所案内】
f0191673_1057031.jpg


 大正2年7月20日に富士と大宮町(現在の富士宮)がで営業を開始した富士身延鉄道は、昭和3年3月30日に甲府までの路線が全通し、昭和13年10月1日にその路線が鉄道省に借り上げられた後、昭和16年5月1日には買収国有化され現在の身延線となっている。
 上記の「富士身延鉄道名所案内」図は、十島から国母の間を抜粋掲載したものである。

【列車内葡萄酒販売のお知らせ】
f0191673_10572283.jpg


 甲斐常葉と内船南部(現在の内船:昭和13年10月1日に駅名改称)駅間における、葡萄酒と乾ブドウの車内販売を知らせるチラシである。
 甲州岩崎(祝村)の麗玉園が販売を行ったものであり、販売区間にあたる現在の波高島駅が下山波高島と旧称であることから、鉄道省に路線が借り上げられる以前の富士身延鉄道時代における車内販売と考えられる。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2009-10-18 11:13 | 鉄道 | Comments(0)
2009年 05月 05日

小海線と沿線附近

【高原を行く ━小海線案内━】
f0191673_10101338.jpg
 昭和11年5月発行に発行された小海線の案内パンフレットである。
 小海線は中央本線小淵沢駅を起点とし、しなの鉄道(旧信越本線)小諸駅を結ぶ78.9kmの路線であり、小淵沢、甲斐小泉、甲斐大泉、清里の各駅が山梨県内に所在する駅である。
 八ヶ岳山麓開発のため大正4年8月8日に小諸駅~中込駅間13.4km、同年12月28日に中込駅~羽黒下駅間7.7km、同8年3月11日に羽黒下~小海駅間9.5kmが当時の佐久鉄道として開通し、昭和7年12月27日には小海駅~佐久海ノ口駅間8.9kmが鉄道省により小海線として開通した。
 山梨県側は昭和8年7月27日に小淵沢駅~清里駅間17.5kmが鉄道省により建設され、この区間は小海南線、既に開通している小海・佐久海ノ口間は小海北線とされた。
 昭和9年9月1日には佐久鉄道の路線が鉄道省に売却国有化され、小諸・小海間は小海北線に組み入れられ、その後、昭和10年11月29日の清里駅~佐久海ノ口駅間の開通により、小淵沢駅~小諸駅間が小海線として全通している。

 この『小海線案内』には、「新宿を夜行で発てば黎明に汽車は小淵沢駅に着き、小海線の初列車の出発する頃には富士を始め南アルプスの雄峰から膨大なる八ヶ岳に至るまで、山の巨人群の額を薔薇色に染める曙の色美しさ、谷々を込める乳白色の雲の色、山岳豪華版に非ずして何ぞやと謂いたくなります」と、小海線について記されている。


【清里附近案内図】
f0191673_1010468.jpg


【清里駅附近案内】
f0191673_10112522.jpg
 小海線の全通後に発行された清里駅附近の案内パンフレットである。
 この中で清里駅について「海抜1274m、野辺山駅に次ぐ日本第二位の高きにある駅、赤嶽直下、美の森に近く附近一帯空気極めて清澄、紫外線強烈加附るに清冽なる渓流あるは、現在キャンプの盛に行はるる所以であるが、将来優秀なる別荘地として発展を約束されている。」と記されており、景勝地として美の森、赤嶽、飯盛山、千ヶ淵、枝垂栗、大躑躅などが紹介されている。

f0191673_11393438.jpg
【赤嶽を遠景としたスキー風景を描いた昭和13年5月の清里駅記念スタンプ】







にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2009-05-05 11:27 | 鉄道 | Comments(0)
2009年 05月 04日

塩山駅

 初鹿野駅(現在:甲斐大和)から甲府駅までの中央本線延伸開通に伴い、塩山駅は明治36年6月11日に開業した。

━塩山停車場━
f0191673_22464568.jpg


 開業当時の塩山駅について『甲州案内』(明治36年6月11日:山梨時報社発行:)には、「当駅は七里村字上於曾にあり、東山梨郡奥野田、山村、神金、大藤、三富、諏訪、松里、西保、中牧、諸村に到らんとするもの此処に下車すべし、上於曾は青梅街道に沿いし宿駅にして郵便電信局、商事会社、銀行、旅舎、飲食店等ありて郡中有数の商業地なり、此附近遊覧地多し」と記されている。
 開業当時のこの駅舎も、改築等がその後行われ、昭和61年9月3日には橋上駅として現在の駅舎が開設されるとともに、塩山駅の北口も新設されている。
 
【塩山停車場開業祝典 招待券】
f0191673_224751.jpg
 塩山停車場開業に際する祝典(祝賀会)の招待券である。
 山梨委託株式会社、甲府運送合資会社は当時の駅を拠点とした荷貨物の運送会社であり、昭和2年4月1日には他の県内運送会社とともに合併し甲府合同運送株式会社となっている。

 塩山駅開業の祝賀会等の状況を明治36年6月11日付の『峡中新報』は「(祝賀)会場は停車場本屋庭前ヘ天幕ヲ張リテ充用スルノ都合デ参加者ハ他村二百余名、自村七百余名ノ多数でアル。構内入口ニ大緑門ヲ設ケ、庭前ニハ高サ六間余ノ球燈竿ヲ三ヶ所ニ建テ、数百ノ万国旗ヲ連ネ球燈竿数百ヲ掲グル…」と伝えている。




にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2009-05-04 23:39 | 鉄道 | Comments(0)
2008年 11月 26日

身延線 南甲府駅

『身延線全通80年』
 身延線は、今年全線(富士・甲府間)開通80年を迎えました。
 大正2年の富士・大宮間(現在の富士宮)の開業以来、順次延長しながら昭和3年3月30日に富士・甲府間が全線開通しました。

f0191673_2250937.jpg

 身延線は戦時買収により、昭和16年5月1日に国買収・移管されるまで、「富士身延鉄道株式会社」という私鉄として運営されていました。

━『沿線名所案内』(富士身延鉄道会社発行)━
f0191673_23361836.jpg


f0191673_2337434.jpg



  身延線も全線開通以来80年を迎え、山梨県内に残る当時の駅舎は、南甲府、東花輪、鰍沢口、下部温泉、波高島駅など数少なくなりました。
  こうした数少ない駅舎の中で、南甲府駅は重厚な駅舎として特に異彩を放っています。
  昭和3年3月30日の市川大門駅から甲府駅までの全通と同時に、「甲府
南口駅」として駅舎が完成し、同13年10月1日に駅名が「南甲府」と改称さ
れ現在に至っています。  

━現在の南甲府駅━
f0191673_22213983.jpg


 現在の南甲府駅の機能や旅客の利用状況、駅周辺の様子などを見た限り、駅舎の規模に違和感が感じられますが、逆にその違和感に甲府市南部の開発拠点として期待を込めて甲府南口駅が開設された、当時の状況が偲ばれます。
━甲斐 甲府南口駅━
f0191673_22504024.jpg


 甲府南口駅舎の開業当時の状況について、昭和評論社(甲府市愛宕町49番地)発行の雑誌『昭和評論』に次のとおり記されています。 

━『昭和評論』 第二巻・第三号(昭和3年4月15日発行)━
f0191673_22505542.jpg
 『壮観を誇る甲府南口駅』
 富士身延鉄道の中枢駅として全
力を注いで建設した甲府南口駅は
構内延長四十七、即ち 約一哩の
広大を有し鉄筋コンクリート二階建
である、階下は南方待合室、北方は
駅の事務所、二階は運輸所及び公
衆食堂で屋上庭園の設備をなし、ホ
ームに出るには地下道付住吉方面
と甲府方面との二方に分れアスハ
ルトの道路は踏心地よく、小手荷物
は総てエレベーターに依りて運搬さ
れる。発車信号は改札とホームとの
距離の関係で電気の信号に依り、
貴賓室は本県には従来見なかった
が、今回始めて設備され尚乗降客
の便宜を計る為め甲府駅と連絡す
る自動車を会社自身が運転する等、
甲府駅などは全く顔色なき設備で
至れり尽せりと云ふべく甲府南方
面は是より一大発展を遂ぐるに至
るであらふ。


 『昭和評論』に記された地下道は、自由通路として現在も東西の連絡に使用されています。
 この地下道の中間附近で一段天井が高くなっている場所が、ホームに続く
階段があった場所と考えられます。また、ホームの中ほどにも、階段口があ
ったと思われる場所が現在も認められますが、現在の南甲府駅に、昭和評
論に記された開業当時の様子を偲ぶことは、難しいのではないでしょうか。


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ 

by kaz794889 | 2008-11-26 22:19 | 鉄道 | Comments(0)