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カテゴリ:神社( 15 )


2017年 07月 05日

竜王の武田神社

【竜王の武田神社】
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 竜王下宿の神明神社境内に鎮座する武田神社は、武田信玄公を祀る神社である。
 
 明治維新前は信玄堤附近にあったというが、神社附近の免租屋敷が維新後に有租地になるとともに、徐々に荒廃した社殿も失われ祭儀を行うこともできなくなったことから、明治36年に同地区の信徒総代らによる現在地への社殿建設が進められたという。

 明治30年代に建設された社殿は、近年改修整備されている。

 













【社殿改築に係る浄財寄附領収証】
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 社殿改築に係る寄附金の領収証である。
 改築資金については寄附金のほか、募金の方法として当時の在京名士の揮毫を得て頒布するなどし浄財を集めたという。
























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by kaz794889 | 2017-07-05 15:20 | 神社 | Comments(0)
2015年 06月 20日

金櫻神社 4「焼失後再建された本殿」

【現在の金櫻神社境内と拝殿】
f0191673_16525522.jpg 甲府市御岳町に鎮座する金櫻神社は、昭和30年12月18日に神札授与所からの出火により、鎌倉時代の建築で重要文化財に指定されていた中宮本殿、東宮本殿を始めとした建造物のほぼ全てが焼失している。
 
 社殿の焼失後、再建奉賛会が組織され神社復興に着手し、整地工事にあたっては狭隘であった境内の拡張を行っている。このため、焼失前の社殿の礎石や石畳といった焼失以前の境内の痕跡は全く残されておらず、現在は広々とした境内に再建された社殿が建てられている。













【再建当時の金櫻神社本殿】
f0191673_16391404.jpg 社殿の焼失後、拡張、整地された境内に再建された本殿は、昭和32年5月に着工、昭和33年7月に竣工している。

 写真は三間社流造、檜皮葺、金箔極彩色の社殿として再建された、竣工直後、昭和33年7月の本殿である。














【現在の本殿】
f0191673_16393267.jpg 現在の本殿である。
 本殿竣工後、昭和34年に現在の拝殿が再建されている。





















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by kaz794889 | 2015-06-20 17:25 | 神社 | Comments(0)
2014年 12月 07日

山八幡神社

【甲府市 山八幡神社】
f0191673_16093198.jpg 甲府市東光寺1-1-32に鎮座する山八幡神社は、創建当時、巨摩郡西八幡村(現在の甲斐市)に鎮座していたが、永正16年(1519年)に武田信虎が石和から甲府の躑躅ヶ崎に館を移した際に勧請して愛宕山の石取場の地に遷座したと伝わっている。
 その後、文禄年中(1592年~1595年)の甲府城築城の時に、社地を甲府城石垣の石取場とするため、現在地に再度遷座している。















【昭和2年頃の参道】
f0191673_16095608.jpg 山八幡神社は昭和2年に旧制度における村社から郷社に昇格している。
 写真の参道は、郷社昇格時の昭和2年頃の神社参道である。






















【山八幡神社全景】
f0191673_16094631.jpg 昭和2年頃の神社全景である。
 石垣上の玉垣後方に末社と思われる複数の社殿が認められる。






















【現在の拝殿】
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【拝殿】
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【現在の境内と神楽殿】
f0191673_16092294.jpg 神楽殿は大正15年頃の建築と聞いている。
 また、神楽殿横の二基の石碑の内、右側手前の石碑は、昭和2年に建てられた郷社昇格記念碑である。




















【神楽殿及び末社】
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by kaz794889 | 2014-12-07 17:18 | 神社 | Comments(0)
2014年 09月 20日

酒折宮 東側参道

【酒折宮 東側参道】
f0191673_03441823.jpg 甲府市酒折三丁目に鎮座する酒折宮は日本武尊を祭神として祀る旧村社であり、尊が「新治筑波」の連歌を詠じられた連歌発祥の地として知られている。

 酒折宮に向かう参道は、旧甲州街道から中央本線の踏切を越え北側に向かう正面参道と、山梨学院高校方面からの東側参道がある。

 
  















【(甲斐名勝)酒折の宮】
f0191673_03443558.jpg 明治期末から大正初期頃の東側参道である。
 鳥居の右側に写る社殿は酒折宮の旧拝殿である。この拝殿は大正6年2月の火災により他の社殿とともに焼失しており、現在の酒折宮の社殿や参道等は大正11年4月以降に順次整備されてきたものである。















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by kaz794889 | 2014-09-20 04:26 | 神社 | Comments(0)
2014年 08月 30日

金櫻神社 4「焼失前の遺構」

【金櫻神社焼失前の境内図】
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【休憩所】
f0191673_22455708.jpg 昭和30年12月の火災により金櫻神社境内の社殿は全て焼失しているが、前記の境内図に描かれている随身門下の「宝物陳列所」(青囲みの建物)は焼失を免れている。
 左記の写真がその建物である。現在は殆ど薄れかけた「休憩所」という木札が掲げられ、建物を囲む壁は全て取り払われ、大規模な東屋といった風情である。
  
















【建物後方からの休憩所】
f0191673_22460719.jpg 後方からの休憩所である。























【境内地後方 北側の石垣群】
f0191673_22461978.jpg 建物とは異なるが、焼失以前に建造された土木的遺産でもある石垣が、境内地の後方(写真は再建された拝殿の左側。)に残されている。
 
 焼失後に境内地が再造成され、焼失した社殿の基礎となっていた石積なども全て取り払われ現在はまったくの平地となってしまったが、前記の境内図にも描かれている、境内地社殿の後方の石垣である。
 

















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by kaz794889 | 2014-08-30 10:35 | 神社 | Comments(0)
2014年 08月 20日

金櫻神社 3 「焼失前の社殿 2」


【明治29年の金櫻神社境内】

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【金櫻神社 随神門】


f0191673_16031554.jpg 焼失した随神門は梁三間、桁四間、檜皮葺であり、門に掲げられていた「金櫻神社」の額は水戸徳川斉昭公の筆によるものであった。
 写真左側の一段高い石垣上の社殿は後述する神楽殿である。
















【現在の随神門跡】

f0191673_16063811.jpg 随神門は焼失後再建されず、門の跡は石垣と石段が残るのみである。






















【金櫻神社 神楽殿】

f0191673_16070797.jpg 焼失した神楽殿は三間四方、八棟造り檜皮葺であり、徳川綱重公が寄進したものと云われ、写真でも分かるとおり周囲の彫刻は「繊工精技至れり尽くせり」と云われていた。



























【現在の神楽殿跡(石垣)】

f0191673_16072024.jpg 随神門跡の石段下から眺めた神楽殿跡の石垣である。随神門と同様、焼失後の再建はされていない。





















【神楽殿から見た境内】

f0191673_16073253.jpg 神楽殿の内部から見た境内の社殿(左から順に神社拝殿、東宮本殿、鐘楼)である。
 





















【参籠所と境内社殿】

f0191673_16073789.jpg 神楽殿(右側)から渡廊下で結ばれた社殿が参籠所(さんろうじょ:神社に詣で一定期間籠って神に祈願する社殿)である。
 また、中央が神社拝殿、幣殿、本殿である。
 左記の写真のとおり、境内一杯に社殿が建てられていた状況は、焼失後に再建された現在の境内からは想像し難いのではないだろうか。














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by kaz794889 | 2014-08-20 17:11 | 神社 | Comments(0)
2014年 08月 16日

金櫻神社 2 「焼失前の社殿」

【明治中期の金櫻神社境内】

f0191673_20453554.jpg 明治29年4月に発行された『甲斐国総社御嶽山金櫻神社全図』の一部である。
 当ブログの「金櫻神社 1」に記載のとおり、金櫻神社は昭和30年12月に失火のため社殿が全焼していること。また、現在の社殿再建にあたり境内の段差なども全て取り払い平地化しているため、現在の様子から往時の境内を偲ぶことは極めて困難であり、境内全体を俯瞰できるこうした境内絵図などでなければ境内の社殿配置の認識は難しい。

 左の境内絵図を基にかつての社殿を紹介していきた。
 





【甲州御嶽 金櫻神社 東宮本殿と太鼓堂】
f0191673_20460438.jpg 境内絵図で赤色に囲んだ明治40年頃の「東之宮」と「太鼓堂」である。
 「東之宮」は「金櫻神社東宮本殿」として明治40年8月28日に旧国宝に指定されその後は国の重要文化財として保存されていたが昭和30年に他の社殿とともに焼失している。
 「太鼓堂」は梁三間、桁三間、檜皮葺き。建立年月は不詳ながら、徳川家康が平岩親吉に命じて再建させたと云われ、明治維新前は太鼓ではなく釣鐘が吊られていたという。
 











【昭和28年頃の東宮本殿】
f0191673_20460403.jpg  昭和28年7月30日発行に山梨県教育委員会から発行された『山梨県文化財』には「方三間入母屋造り檜皮葺き、鎌倉時代末期の作とされているが、鎌倉時代の入母屋造り本殿建築の遺構は全国でも比較的少なく、建築史上興味深いものと云われている。正面一間に向拝が附せられ中央の蟇股には竹が彫刻され手挟は菊の籠彫で共に桃山時代流行の手法であるが、後補したようである。」と記されている。
 なお、写真右側に写る太鼓堂は東宮本殿の下(前記の写真参照)に建立されていたが、この位置に移築されている。









【甲州御嶽 金櫻神社 中宮本殿と本宮】
f0191673_20460574.jpg 境内絵図で赤色に囲んだ明治40年頃の「中ノ宮」と「拝殿」「本社」である。
 「中ノ宮」(写真の右側)は「金櫻神社中宮本殿」として東宮本殿とともに明治40年8月28日に旧国宝に指定されその後は国の重要文化財として保存されていたが昭和30年に焼失している。
 「拝殿」(写真の左側)は金櫻神社本殿の拝殿であり、梁四間、桁五間、檜皮葺きの社殿であり、浅野左京太夫幸長の建立と云われていた。
 「本社」(中ノ宮の後方)は金櫻神社本殿であり、梁五間、桁三間、檜皮葺きの社殿で武田義信の建立と云われていた。 








【昭和28年頃の中宮本殿と本宮本殿】

f0191673_20460549.jpg 前述の『山梨県文化財』には中宮本殿について「中宮は正殿(本殿)と東宮の中間にあって、日本武尊を祀り三間社流造り檜皮葺きで質朴端正な姿を見せ、鎌倉末期の建造とされている、正面三間に八双金具で飾った板扉を立て荘厳を極め、本殿向拝上三個、長押上に配置された三個の蟇股は蓮花彫刻が施され、神仏混合の影響を示している。」と記されている。
 なお、中宮本殿は昭和11年の大修理により、前記の写真にあった中宮本殿前の建物を取り除き、写真のとおり改修されている。
 また、左側に写る金桜神社本殿には後方左右の柱に、左甚五郎が作成したと伝えられる昇龍、降龍が残されていた。

 






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by kaz794889 | 2014-08-16 23:07 | 神社 | Comments(0)
2014年 08月 10日

金櫻神社 1

【金櫻神社 拝殿全景】
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 金櫻神社は少彦名命、素戔嗚命、大巳貴命を祭神とした神社であり、雄略天皇の御代に金峰山山頂に鎮祭されていた祭神の里宮がこの地に開かれたという。
 文武天皇の御代に至り、大和の国の金峰山から魔障を除く仏である蔵王権現が祀られ、神仏併せ持つ日本三御嶽、三大霊場として広く知られ隆盛を極め、領主、武将の信仰も厚く寄進された鎌倉、室町期からの社殿を始めとする宝物は時代の文化の粋を集めていたが、明治維新後の神仏分離により信仰も薄らぎ、社家も分散し往時の姿は次第に薄らいでいったという。
 なお、大正10年9月21日に県社に列せられている。








【金櫻神社 参道石段からの全景】

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  昭和30年12月18日、電気工事作業員のコタツの火の不始末が原因(当時の新聞記事による。)で境内の社殿等九棟が全焼しており、現在の社殿はその後再建されたものである。
 焼失した社殿の内、中宮本殿及び東宮本殿は鎌倉、室町期の建物であり、明治40年8月28日に旧法の国宝に指定されていた重要文化財であった。
 社殿の焼失後、焼失前の境内段差は平地かされ、往時の境内の面影は失われている。
 
 焼失前、かつての金櫻神社については次回としたい。 










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by kaz794889 | 2014-08-10 18:57 | 神社 | Comments(0)
2014年 01月 12日

箭弓神社(小菅村)舞台

【箭弓神社全景】
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小菅村川久保に鎮座する箭弓(やきゅう)神社は天日鷲命を祭神として文明10年に小菅遠江守信景により建立されたと伝えられる神社であり、明治6年には村社に指定されている。


【箭弓神社舞台と舞台前の覆屋】
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  大正時代に建設された拝殿と昭和63年に再建されたという社殿の他に、境内の南側(前記の全景写真右側)には舞台が残されており、舞台前の境内地には近年建設されたと思われる覆屋が建てられている。
  小菅村には古くから伝えられる村の芸能がいくつか残されており、箭弓神社では獅子舞が舞台前の覆屋の下で現在も舞われている。


【箭弓神社舞台】
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  箭弓神社の獅子舞については「伊勢神宮から各国に一組の獅子舞が許され、甲斐国には(現在の小菅村内の地区である)川久保、池之尻、田元の三地区に伝授された」と伝えられており、現在も毎年8月の第一土曜日には三ヶ村箭弓神社祭典として、4種の演目による三頭立ての獅子舞が、「宮廻り」として昼は前記の三地区内各所で舞われ、夜は神社において祭典が行われている。




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by kaz794889 | 2014-01-12 23:58 | 神社 | Comments(0)
2013年 08月 31日

諏訪神社と吉田の火祭り

【北口本宮冨士浅間神社境内図】
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  北口本宮冨士浅間神社の境内神社である諏訪神社は「建御名方神」及び「八坂刀売神」を祭神として鎮座している。
  現在の北口本宮冨士浅間神社が位置する地は、かつての上吉田村の守護神である諏訪の神が祀られていたことから「諏訪森」と呼ばれていたが、その後、富士山信仰者の増加に伴い浅間神社が拡大し現在に至っている。



【諏訪神社 拝殿】
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  諏訪神社拝殿は、桁行五間、梁間四間、一重入母屋造の建造物であり、平成16年3月25日に富士吉田市指定文化財として指定されている。



【(北口本宮)冨士浅間神社摂社諏訪神社】
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  昭和初期の諏訪神社拝殿である。なお、本殿は昭和2年8月に災禍に昭和51年4月に再建・竣工している。



【吉田鎮火祭】
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  吉田の火祭りはもともと諏訪神社の祭礼として執り行われてきたが、その後の北口本宮冨士浅間神社の拡大に伴い同者の祭礼として知られるようになり、現在は同社と諏訪神社が一緒に毎年8月26日及び27日に火祭を開催している。
  また、吉田の火祭は平成24年3月8日に国指定の重要無形民俗文化財に指定されている。




【甲斐吉田火祭之景】
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  明治期の吉田の火祭である。上吉田宿の富士山に向かって右側の看板は「刑部ホテル」のものである。




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by kaz794889 | 2013-08-31 11:56 | 神社 | Comments(0)