カテゴリ:寺院( 14 )


2016年 08月 27日

向嶽寺 仏殿

【塩山 向嶽寺仏殿】
f0191673_22255581.jpg 甲州市塩山上於曽の向嶽寺は臨済宗向嶽寺派の大本山である。
 永和4年に甲州市塩山上竹森の地に草庵を結んだ後、2年後の康暦2年に恵光大円禅師 抜隊得勝(ばっすいとくしょう)により現在の地に向嶽庵として創建されている。
 武田家歴代の厚い保護を受け、武田家滅亡後には一時衰退したものの、徳川家康によって復興がなされたという。
 天明6年の大火により仏殿以下の堂宇が焼失後、文政11年頃に仏殿と方丈が再建されたという。
 再建された仏殿は、仏殿と開山堂を合わせて建立された複合建築となっており、仏殿の後方に開山堂を接続し、建物の内部と外観が一体として構成された姿となっている。











【(甲州塩山名所)向嶽寺】
f0191673_22251452.jpg 大正15年4月18日の火災により、仏殿上層の茅葺屋根を焼失し、その後、現状に復旧され、現在は江戸時代後期の大規模な木造建築の一つとして、内部・外観ともに変化に富んだ構成の妙を表した貴重な遺構として、平成8年2月8日に当時の塩山市の指定文化財として指定され、現在は甲州市の指定文化財となっている。
 写真は大正15年焼失以前の仏殿である。














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by kaz794889 | 2016-08-27 23:08 | 寺院 | Comments(0)
2015年 10月 25日

蓮経寺の石垣

【蓮経寺の本堂】
f0191673_20385128.jpg 南アルプス市桃園の松久山 蓮経寺は、元和年間(1615年~1624年)に開山されたという日蓮宗寺院であり、境内には本堂、日朝堂、七面堂などの建造物が建立されている。

 また、蓮経寺には江戸末期に築かれたという巾六尺、長さ六十間、高さ五尺といわれる石垣が境内西側の道路に沿って残されている。
 





 










【蓮経寺の石垣】
f0191673_20390529.jpg 石垣は水害が発生した場合に境内の墓地を護る目的で築かれたものであり、石垣の西側(写真の右側)直線約600m先には大和川が流れている。
 
 かつての桃園村地内においては、文化元年9月、同2年、同13年8月、文政11年6月、天保6年7月、同8年8月と、大和川の堤防決壊、大破などによる周辺地内における水害が発生している。

















【境内側からの石垣】
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【蓮経寺石垣の北側端】
f0191673_20385995.jpg 道路に面した石垣の一部は道路工事の際に改修されているということである。
 写真は現在残されている石垣の北側端であるが、ブロック塀となっている先も、かつては石垣が築かれていたのだろう。



















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by kaz794889 | 2015-10-25 21:53 | 寺院 | Comments(0)
2015年 01月 10日

高峯山 妙了寺

【妙了寺総門】
f0191673_15205304.jpg 高峯山妙了寺は南アルプス市上市之瀬の日蓮宗寺院であり、宗門の中でも甲府の遠光寺、鏡中条の長遠寺とともに甲斐国の触頭として「国三カ寺」と呼ばれていた。
 
 本寺は、日蓮の直弟子であった妙了日仏尼が日蓮の没後、故郷の中野村(上市之瀬の隣村)に戻り布教に専心し、中野村の真言宗寺院であった妙龍寺の住持と問答し法華経の道場へと改宗、開創された後、妙了日仏尼の子息である中道院日了上人により正応元年に開山している。

 






















【現在の妙了寺総門】
f0191673_15211546.jpg 妙了寺における年中行事である千部会(せんぶえ)が行われていた、昭和24年4月8日の午後3時頃、千部会の花火から発火し、堂塔伽藍三十余棟が立ち並んだ巨刹であった妙了寺は、経蔵、宝蔵、総門を残し境内伽藍は全て焼失している。

 写真は、その焼失を逃れた妙了寺の総門である。 

















【再建された現在の本堂】
f0191673_15212289.jpg かつての妙了寺千部会は4月8日を中心に三日間行われていたが、昭和24年4月8日の伽藍焼失後、4月8日をさけて4月9日に行われているという。
 また、焼失した同寺の本堂は昭和54年に再建落成している。





















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by kaz794889 | 2015-01-10 17:18 | 寺院 | Comments(0)
2014年 08月 21日

恵林寺 四脚門


【東山梨郡 松里村 恵林寺】
f0191673_21291130.jpg 明治39年に開催された山梨県主催一府九県連合共進会に際し、大塚蒼湖、鈴木尚重が描いた山梨県内名勝地18か所を紹介する、山梨県発行の木版画集『甲山峡水』に掲載された恵林寺四脚門である。
 武田信玄の菩提寺である恵林寺は、この当時から山梨県内名勝地の一つとなっていた。



















【重要文化財 恵林寺四脚門】
f0191673_21293854.jpg 武田信玄の菩提寺として整えられた恵林寺も武田氏滅亡により、天正10年に織田信長の兵火により諸堂は全焼している。
 長くこの四脚門は織田の兵火を逃れた門としてその由緒が伝わっていたが、昭和46年に行われた解体修理の際に確認された棟札により、慶長11年に再建されたものであることが明らかとなった。
 切妻造、檜皮葺によるこの四脚門は、軸部に丹塗りが施されているため、通称「赤門」と呼ばれ、明治40年8月28日に国の重要文化財に指定されている。












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by kaz794889 | 2014-08-21 21:56 | 寺院 | Comments(0)
2013年 11月 16日

曹洞宗 正重院 (廃寺)

【正重院 観音堂跡】
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  南アルプス市徳永地区の現在は廃寺となった曹洞宗正重院跡を訪ねた。
  当寺は天正17年8月に創立し、開山は序方和尚、旧寺領は除地250坪の寺院であったが、檀家を持たなかったことなどから寺が振るわず、昭和27年に正式に廃寺になったという。
  慶応4年の記録では、堂舎一宇(横四間半、縦七間一尺)、観音堂(横二間、竪三間)などの記録が記されている。 
  写真の建物は、正重院の観音堂であった建物であり、廃寺後も残されている唯一の建物である。
  廃寺後この建物は、夜景詰所に使われるなどし、現在は地元消防団の消防ポンプ格納庫に使用されている。




【後方側面からの観音堂跡】
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  観音堂当時の面影は殆ど残されていないが、僅かに残されている屋根の破風の格子や装飾が、寺の名残りを留めている。




【旧境内地内に残る石造物】
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  観音堂の裏手に残る正重院時代の石造物である。



【正重院 本堂のあった跡】
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  現在は写真のとおり地区館が建てられているが、この場所には近年まで正重院の本堂跡が残されていた。




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by kaz794889 | 2013-11-16 18:38 | 寺院 | Comments(0)
2013年 11月 04日

柏尾山 大善寺

【柏尾山 大善寺 境内図】
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  真言宗智山派の柏尾山大善寺は甲州市勝沼町勝沼3559にあり、養老二年2月8日に行基が開創し、聖武天皇から柏尾山鎮護国家大善寺の寺号とともに勅額を賜り、代々皇室の祈願所とされ52堂3000坊を数える隆盛をみたが、当初の堂宇は平安時代初期に焼失したという。
  天禄2年に三枝守国が再建したが安元2年に菩提山長谷寺の僧徒と争い建物はすべて焼失しているが、
当時の検非違使であった平清盛の高倉天皇に対する再興の上奏により、翌年再興が図られたものの、再建された堂宇は文永7年5月に初雁五郎の謀反により再度被災したが、弘安7年に時の執権北条貞時が勅を奉じて再建勧進し8年の歳月を得て再建され、その際に建立され現存する建物が現在の本堂である。




【大善寺本堂(薬師堂)】
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  本堂に当寺の本尊である「木造薬師如来及両脇侍造(重要文化財昭和38年4月4日指定)」が安置されているため薬師堂とも言われている。
  弘安9年3月16日の刻銘がある本堂は、築720年以上が経過し関東周辺で最も古い建物とされている。 



【甲斐国勝沼町 国宝 柏尾山大善寺 本堂 弘安九年建造物】
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  明治期の大善寺本堂である。
  本堂は明治40年8月28日に「古社寺保存法(明治30年法律第49号)」により旧国宝に指定されている。
  なお、戦後の国宝法廃止に伴い施行された文化財保護法に基づき、昭和30年6月22日に同法による国宝に指定されている。



【大善寺山門】
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【甲斐国 柏尾山 大善寺】
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  大正期の大善寺山門である。
  山門は平成14年3月4日に山梨県の指定文化財となっている。




【大善寺庭園】
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  大善寺庫裏の裏側にある庭園は、低い山裾に滝及び築山を組み、その下部に池を掘り水を流すなど、江戸時代初期の特長が残されているという。
  大善寺庭園は名勝として、昭和54年3月31日に山梨県の指定文化財となっている。




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by kaz794889 | 2013-11-04 12:23 | 寺院 | Comments(0)
2012年 09月 23日

甲府・藤光山 法華寺

【法華寺本堂 [甲府市細工町]】
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 藤光山法華寺は甲府市細工町(現在:武田1-4-34)に所在する日蓮宗の寺院である。
 天正2年に武田信繁が現在の地に移すまでは、西山梨郡住吉村上村(現在:甲府市上町)に所在していた。
 写真の本堂は、昭和20年の甲府空襲でも焼失を免れた、甲府市街地域でも数少ない寺院建築であった。


【現在の法華寺本堂】
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 法華寺は甲府市内にある遠光寺、信立寺とともに甲府法華宗三か寺の一つであり、約800年前に写経された山梨県内でも最古の写本と言われている、甲府市の指定(平成8年2月14日)文化財「紺紙金泥法華経」を所蔵している。
 なお、現在の本堂は平成7年に改築されたものである。


【現在の法華寺 山門】
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 山の手通りに面して建てられている、甲府空襲による焼失を免れた法華寺の山門である。
 

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by kaz794889 | 2012-09-23 15:23 | 寺院 | Comments(0)
2012年 04月 15日

瑞泉寺の太子堂

【青龍山 瑞泉寺】
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 瑞泉寺(甲府市中央3-7-17)は浄土宗府中五ヶ寺(誓願寺、尊躰寺、教安寺、来迎寺)の一つとして知られた古寺であり、明応7年(1498年)に武田氏の加護のもと、運公上人が鎌倉にあった錦屏山瑞泉寺を古府中に移し造立したのが始まりであり、文禄2年(1593年)に現在の場所に移されたという。


【瑞泉寺境内の太子堂】
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 瑞泉寺本堂に向かう参道左側に建設された太子堂完成時の集合記念写真である。
 写真の撮影時期の詳細は不明であるが、左側に写る煙突と周囲の建物は、大正15年5月に創業した雨宮製糸場(山田町50番地)と思われる。


【現在の太子堂】
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 瑞泉寺の本堂、庫裏などの堂宇は昭和20年7月の甲府空襲で焼失している。
 太子堂は戦前期と同じ位置に再建されているが、後方にあった製糸場はすでになくなっている。
 後方に写る建物は、製糸場があった奥(西側)に数十年前に建設されたマンションである。



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by kaz794889 | 2012-04-15 11:40 | 寺院 | Comments(0)
2011年 04月 23日

大野山 本遠寺 「お万の様の墓」

【お万様の墓】
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 本遠寺は徳川家康の側室であった、お万の方が身延山久遠寺22世日遠上人に深く帰依し、慶長14年に伽藍を造営寄進して開山された。
 お万の方が逝去すると、徳川御三家のひとつである紀州大納言頼宣(徳川頼宣)が生母の菩提のために建立した墓所が、お万様の墓である。

【お万様の墓 正面】
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 お万様の墓は、関西形式の宝篋印塔で欠損部位はなく保存状態も良好であること。また、山梨県の近世大名墓の墓制を物語る稀少な遺構であり、当時最上級の技術や部材により造営されていることから、平成20年5月8日に「徳川家康側室養珠院墓所」として山梨県指定の史跡に指定されている。

【甲州大野山本遠寺 お万様の墓】
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by kaz794889 | 2011-04-23 23:42 | 寺院 | Comments(0)
2011年 04月 17日

大野山 本遠寺

【別格本山 大野山 本遠寺】
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 本遠寺は慶長14年に身延山二十二世の日遠上人が退隠して開創した寺で、日蓮宗の本山42ヶ寺の一つとして列せられ、開基は日遠上人に帰依した徳川家康の側室養珠院(お万の方)であり、寛永3年に仏殿を建立し寄進している。
 その後、養珠院を生母とする和歌山藩主徳川頼宣によって堂宇の造営が行われ、承応4年に落成したが、幕末の慶応3年3月の火災で伽藍壮麗を誇った堂舎の多くを焼失し、僅かに残った堂宇が現在の本堂と鐘楼堂である。

【本遠寺 本堂】f0191673_16463555.jpg


 本堂は桁行五間、梁間七間、屋根は入母屋造、桧皮葺で南面し正面に一間の向拝が付いている。
 本遠寺本堂は、日蓮宗の聖地である身延山周辺にある江戸時代初期の本堂遺構としては唯一のものであり、昭和61年1月22日に国の重要文化財に指定されている。

━甲州大野山本遠寺本堂━
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【本遠寺 鐘楼堂】f0191673_16465996.jpg


 鐘楼堂は仁王門から本堂に直進する参道左手にあり、建立年代は梵鐘に刻まれた銘から、慶安3年10月頃までに完成したものと考えられている。
 建物の桁行三間、梁間二間、楼造で屋根は入母屋造、桧皮葺で二層の鐘楼となっている。
 本堂と同じく鐘楼堂も昭和61年1月22日に国の重要文化財に指定されている。

━甲州大野山本遠寺鐘楼━
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by kaz794889 | 2011-04-17 17:26 | 寺院 | Comments(0)