峡陽文庫

kaz794889.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

カテゴリ:甲府連隊( 9 )


2012年 03月 10日

甲府連隊【歩兵第四十九連隊】を歩く 6「地図で見る今昔」

【甲府連隊入峡記念 絵葉書】
f0191673_16183254.jpg


 甲府連隊の兵営は明治43年4月に完成し、4月23日には太田連隊長率いる二千の将兵が千葉県習志野の仮営を出発し、甲府の新兵営に入城している。
 以来、昭和20年までの35年間、この地に兵営が置かれていた。
 右に写る橋は、兵営と練兵場の間を流れる相川に架かる竜雲橋である。

【甲府連隊の旧兵営敷地内に建つ「歩兵第四十九連隊跡碑」】
f0191673_16273834.jpg


 甲府連隊の旧兵営敷地内に昭和44年4月に建立された連隊跡碑。

【兵営建設当時に作成された絵図】
f0191673_16241545.jpg
 甲府連隊の設置は、明治40年の甲府市議会における、陸軍省に対する甲府への軍隊設置の請願決議とともに、甲府市山田町の若尾民造による、連隊設置に要する敷地約百町歩の献納申し出があったことにより、陸軍省がその願意を容れたことによる。
 これにより、歩兵四十九連隊、甲府衛戍病院、甲府連隊区司令部及び甲府憲兵分隊が設置されることとなり、甲府市に隣接する当時の西山梨郡相川村の地に甲府連隊が設置された。
 兵営の地は、それまで田畑であったため、左記の絵図には敷地内にあった野良道などが記されている。




【昭和初期の甲府連隊附近】
f0191673_16191993.jpg



 昭和初期に発行された「甲府市全図」の甲府連隊附近である。
 兵営の下部にある県立甲府中学校は、甲府連隊設置後の昭和3年9月に旧甲府城内からこの場所に新築移転している。

【現在の甲府連隊跡附近】
f0191673_16194593.jpg



 平成13年8月1日に発行された「国土地理院1万分の1地形図 甲府」の旧甲府連隊附近である。
 昭和初期の地図と比較すれば一目瞭然のとおり、甲府連隊の区画は往事のまま残されている。
 旧兵営の敷地は国有地として売却されるなどして北側や南側の一部が民有地となり住宅地となっている。  また、民有地以外の区画は山梨大学附属小中学校など山梨大学の付属施設、公務員宿舎、自衛隊山梨地方連絡部(現在は甲府合同庁舎に移転)や県有地として山梨県の福祉プラザ、市有地として甲府市立北新小学校、北新保育所、市営団地となっている。
  兵営の西側を流れる相川の先は、甲府連隊の練兵場跡である。
  現在、練兵場の跡は、緑ヶ丘スポーツ公園、国土交通省甲府工事事務所のほか住宅地となっている。


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします

by kaz794889 | 2012-03-10 17:36 | 甲府連隊 | Comments(1)
2012年 02月 26日

甲府連隊【歩兵第四十九連隊】を歩く 5「糧抹庫」

【歩兵第四十九連隊糧抹庫】
f0191673_82257.jpg



 昭和20年の甲府空襲により甲府市街はその70%が焼失した中、甲府連隊の兵営は戦災を免れ、兵営の建物は学校、病院、住宅などに活用され、戦後、徐々に役割を終えた建物は取り壊されていった。
 糧抹庫は間口5間、奥行20間、面積100坪、明治期の洋風建築で山梨県内に現存する最大規模の煉瓦建造物であり、県甲府連隊の建造物として唯一残されている建物である。

【歩兵中隊散開戦闘(歩兵第四十九連隊)】
f0191673_8135645.jpg



 明治末頃の甲府連隊である。写真の右側に写るレンガ造りの建物は、糧抹庫の南側に連続して建てられていた、炊事場と浴場の建物である。(炊事場の左側奥に糧抹庫が建てられていた。) 

【歩兵第四十九連隊糧抹庫 正面】
f0191673_833679.jpg



 糧抹庫は明治42年4月に建造され、終戦後の昭和24年12月に糧抹庫附近の敷地が山梨大学学芸学部付属小学校・中学校の用地となり、残されていた甲府連隊時代の建物が活用され、時代とともに役割を終えた当時の建物が取り壊されていく中、附属中学校の施設として使用されてきたものである。

【歩兵第四十九連隊糧抹庫 西側側面】
f0191673_842192.jpg


 平成10年の大雪のため糧抹庫の一部が破損したことを契機に建物保存の機運が高まり、平成14年に耐震・改修工事の後、現在は山梨大学教育人間科学部「赤レンガ館」となっている。


【赤レンガ館 「歴史資料室のご案内」】
f0191673_812675.jpg
 「赤レンガ館」は現在、山梨大学教育人間科学部のコミュニティホール、歴史展示室として使用されている。
 



【館内平面図】
f0191673_8163123.jpg
 館内はコミュニティホールと歴史展示室の2つのゾーンに区分され、歴史展示室には、山梨大学人間教育学部に関わる、18世紀末の甲府学問所、徽典館時代から現在に至るまでの施設・設備の図や写真、それぞれの時代に使用された文物が展示されている。





にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします

by kaz794889 | 2012-02-26 09:08 | 甲府連隊 | Comments(0)
2012年 02月 12日

甲府連隊【歩兵第四十九連隊】を歩く 4「兵営内の石積」

【西側に続く兵営内の石積】
f0191673_8524362.jpg



 甲府連隊の兵営は甲府市街の北部、山並みに向けた傾斜地に造営されたため、南北に向け何段かの段差が設けられていた。
  山梨大学附属小学校の校舎群と南側の学校グラウンドの段差がその兵営中央部にあった最も高い段差である。
  造営当時はその段差に石組みが築かれていたが、現在は当時の石組みは撤去されている。
  写真は前述の段差の北側にある、階段4段ほどの段差に築かれた石積である。


【兵営内の石積 2】
f0191673_854496.jpg



  山梨大学附属小学校は校舎群を挟んだ南側(校舎下)と北側(校舎上)に学校グラウンドを有しており、いずれも段差となっている。
  現在、兵営内の中央には南北に向けた道路が走り、兵営内は東西に区分された形になっており、山梨大学附属小学校はその東側に位置している。
  写真の石積は西側に残されているものであり、山梨大学附属小学校の校舎群と北側グラウンドの段差に続く東西の段差の内、撤去されずに現在も残されている西側部分の段差に築かれた石積である。


【兵営内の石積 3】
f0191673_8544397.jpg


 西側のこの段差を挟んだ南北は市営団地の敷地となっていることから、西側の石積は残されたものであり、石積の間にある階段は後に整備されたものと考えられる。
 


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします

by kaz794889 | 2012-02-12 09:35 | 甲府連隊 | Comments(0)
2012年 02月 04日

甲府連隊【歩兵第四十九連隊】を歩く 3「兵営の外郭」

【兵営の外郭の遺構 ①】
f0191673_1931235.jpg


 明治42年に竣工した甲府連隊の兵営の周囲を囲っていた外郭の遺構である。
 甲府連隊営門附近を写した写真を見ると、営門の門柱左右は石組みではなく、土盛りの状態となっているため、全周が石組みとなっていたかは定かではないが、相当部分はこうした石組みで囲まれていたと考えられるものである。


 前記①の写真は、兵営の南東角地であり、上記地図のアイコンの位置である。


【兵営の外郭の遺構 ②】
f0191673_195559.jpg



【兵営の外郭の遺構 ③】
f0191673_1964478.jpg


 前記②の右側(北側)に残る外郭の遺構であるが、石組みはなく土盛りのみが残されている。

【兵営の外郭の遺構 ④】
f0191673_1973443.jpg


 前記①の石組みは更に左側(西側)に向けて残っており、この石組みは兵営正面、営門に向かって右側から角地に向けての石組みである。
 写真は東側から西側に向けて撮影したものである。
 現在残されている甲府連隊の外郭はこの附近のみである。


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします

by kaz794889 | 2012-02-04 19:39 | 甲府連隊 | Comments(2)
2011年 01月 10日

甲府連隊【歩兵第四十九連隊】を歩く 2「将校集会所跡」

【山梨大学ワイン科学研究センター正門】
f0191673_11295887.jpg


 甲府連隊跡(山梨県福祉プラザ)と甲府陸軍病院(国立甲府病院)の間の道路を北上した、甲府連隊の北西(現在:甲府市北新1-13-1)に位置する、山梨大学工学部の付属施設である「山梨大学ワイン科学研究センター」の場所は、かつての甲府連隊将校集会所のあった場所である。

【同研究センター庁舎】
f0191673_11302127.jpg


 ワイン科学研究センターは、昭和22年に山梨工業専門学校の応用科学教室を借用して創設され、昭和24年の国立学校設置法に基づき山梨大学工学部附属醗酵研究施設である醗酵研究所となり、山梨県特産の葡萄酒を中心にその醗酵に関する基礎的研究を行うとともに、当時は付設の実験工場で実際の醸造研究を行っていた。

【山梨大学附属醗酵研究所時代の旧将校集会所】
f0191673_11304417.jpg


 明治40年3月に竣工した甲府連隊の兵営は、昭和20年の甲府空襲における罹災を逃れたため、終戦後、兵営の建物は種々の施設に転用されている。
 山梨大学醗酵研究所の庁舎も兵営内の将校集会所を転用して使用されていた。
 写真は将校集会所を使用していた昭和20年代後半から30年代初頭の醗酵研究所である。また、左の建物は戦後建設された実験工場と蒸留塔である。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2011-01-10 12:07 | 甲府連隊 | Comments(0)
2009年 12月 04日

軍隊歓迎会

━軍隊歓迎会記念絵葉書━
f0191673_22261524.jpg


 明治42年4月22日の歩兵第四十九連隊甲府転営とともに、同年4月18日には甲府衛戍病院が業務を開始し、既にその前年である明治41年3月8日には甲府連隊区司令部庁舎が兵営の東側に完成、同年11月15日には甲府憲兵分隊が開庁した。
 こうした軍の施設が甲府に設置されたことに伴う軍隊歓迎会が、甲府市の太田町公園において明治42年4月25日に開催された。これを記念して発行されたものがこの絵葉書である。
 絵葉書の人物は、右上が軍隊歓迎会長で当時の山梨県知事である熊谷喜一郎、左上が当時の歩兵第四十九連隊長である太田朗陸軍大佐、中央の下が当時の甲府市長である加藤平四郎である。
 また、中央が歩兵第四十九連隊の正門と兵営、左が甲府連隊区司令部、右が甲府憲兵分隊の庁舎である。

【軍隊歓迎会開催案内状】
f0191673_22264575.jpg
 明治42年4月25日の午後一時から太田町公園で開催する軍隊歓迎会に関する案内状である。



【歓迎会員心得】
f0191673_2227986.jpg
 歓迎会における各種心得の案内とともに、歓迎式、園遊会、立食による懇親会といった歓迎会の順序について、歓迎会員心得として案内している。



にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2009-12-04 23:04 | 甲府連隊 | Comments(0)
2009年 09月 21日

甲府連隊【歩兵第四十九連隊】を歩く 1 「営門跡」

【甲府連隊兵営図「戦記 甲府連隊」より】
f0191673_81043.jpg
 歩兵第四十九連隊、いわゆる甲府連隊は、明治42年4月に兵営が西山梨郡相川村に設置された。
 現在の甲府市北新1丁目のほぼ全域がかつての兵営があった場所である。
 昭和20年7月の甲府空襲により市街地が焼失したものの、甲府連隊の施設は甲府空襲による罹災を免れたため、終戦後、当該施設は甲府空襲の罹災者や外地からの引揚者のための住宅として、また山梨師範学校、甲府高等女学校など校舎が焼失した学校の仮校舎として使われてきたが、こうした甲府連隊時代の施設は現在までにその殆んどが取り除かれ、山梨大学の附属小中学校、甲府市立北新小学校、山梨県福祉プラザ、甲府市営団地などを始めとした住宅地となっている。
 左記の甲府連隊兵営図は昭和39年9月にサンケイ新聞甲府支局から発行された『戦記 甲府連隊』によるものであるが、下図の「現在の北新町略図」も既に45年が経過した昭和39年当時の状況であり、当然ながらその略図も大きく変化しているものである。
 今後、「甲府連隊を歩く」と題し現在の様子を紹介していくこととしたい。



【現在の甲府連隊営門跡】
f0191673_86810.jpg
 甲府連隊の営門があった場所の現在の様子である。
 東西に通じる道路に面し、その北側に向けて甲府連隊の兵営施設が置かれていたが、その兵営を東西に分断する形で、北側に通じる道路(写真正面の道路)が戦後建設され、現在はT字路となったこの場所に営門が置かれていた。



━(甲府名勝) 甲府第四十九連隊正門━
f0191673_872273.jpg


 明治42年頃、甲府連隊の兵営が建設された当時の営門である。この建設当初からの営門が終戦時まで使用されていた。

━(甲府名所) 四十九連隊正門━
f0191673_875396.jpg


 昭和初期の営門である。営門に変化はないが、門扉が木柵から鉄柵に取り替えられている。

【歩兵第四十九連隊営門跡碑】
f0191673_884045.jpg


 営門跡のやや東側、山梨県福祉プラザの駐車場に建てられている「旧歩兵第四十九連隊 営門跡碑」である。
 この石碑の建設当時、この場所は山梨県の職員住宅であった。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2009-09-21 09:05 | 甲府連隊 | Comments(0)
2009年 03月 01日

軍隊歓迎会・歩兵第四十九連隊

 歩兵第四十九連隊が衛戍の地として甲府に設置されたのは、明治42年4月であった。(設置の詳細・状況については、当ブログ20年11月2日の「甲府歩兵第四十九連隊入峡」を参照されたい。)

━(甲府名勝)甲府歩兵第四十九連隊正門━
f0191673_22474084.jpg



━(甲斐国)歩兵第四十九連隊の全景━
f0191673_22492128.jpg



━軍隊歓迎記念━
f0191673_22512444.jpg


 歩兵第四十九連隊の設置に伴い、甲府衛戍病院(後の甲府陸軍病院)、甲府連隊区指導部、甲府憲兵分隊(甲府市新青沼町)が設置された。
 山梨県軍隊歓迎会により、歓迎記念の絵葉書が明治42年に発行された。
 上段右側から、熊谷喜一郎山梨県知事、歩兵第四十九連隊正門、歩兵第四十九連隊長・太田朗陸軍大佐
 下段右側から、甲府憲兵分隊、加藤平四郎甲府市長、甲府連隊区司令部。

【軍隊歓迎会・案内状】
f0191673_2312522.jpg


明治42年4月25日、午後一時から甲府市・太田町公園において開催された、軍隊歓迎会の案内状である。

f0191673_2314892.jpg



f0191673_2323889.jpg


 軍隊歓迎会における式次第である。
 園遊会や各種余興が開催されたようである。

【歓迎会場案内】
f0191673_2331262.jpg



【歓迎会場全図】
f0191673_2343249.jpg


 軍隊歓迎会は太田町公園を会場として開催された。会場図によると、会場正門附近に記念絵葉書売店、会場の奥に寿司・天ぷら・ビール・だんごなどの模擬店が設置されている。


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2009-03-01 23:20 | 甲府連隊 | Comments(1)
2008年 11月 02日

甲府歩兵第四十九連隊入峡

【甲府歩兵第四十九連隊の入峡】
 日露戦争の戦時中における兵力不足から、歩兵第四十九連隊から第六十四連隊までの16連隊とこれに伴う特科部隊を新設して兵員を戦地に出発させていましたが、これらの連隊は定まった兵営を持たずに、既設連隊の兵営を借りて編成されていました。
 日露戦争が終結し、これらの新設連隊について各地に兵営を定めて常駐することとなったため、山梨県においても甲府市が中心となって強力に連隊誘致運動に動き出したようです。
 しかし、一つの連隊として三千人余の兵員が起居する兵営や訓練のための練兵場を設けるためには広大な土地が必要であったため、連隊誘致運動も、一時は敷地問題で行き詰まりの局面をみせていたようですが、若尾家の当主であった若尾民造から、明治39年7月に連隊所用敷地約14万5,500坪の献納を受け、甲府に連隊設置が確定し、直ちに陸軍による営舎建設が始まり明治42年3月に営舎が竣工しました。

 こうした曲折を経て、千葉県習志野を仮兵舎とした歩兵第四十九連隊に対して、明治42年3月25日に甲府への衛戍地転営が命じられ、兵員2000名が同年4月21日から三日間に渡って甲府に入峡しました。
 甲府の繁栄を願って誘致した歩兵第四十九連隊の入峡を当時の市民はどのように受け入れたのでしょうか。

 甲府市緑町の市民が、中巨摩郡貢川村(現在:甲府市貢川)の親族に差し出したハガキ(明治42年4月23日の日附印)に、当時の状況が次のように記されています。

━当時の状況を伝える葉書━f0191673_945856.jpg

『一筆申上候、御承知の通り、明後二十五日は連隊歓迎会の当日にて市内各町は思ひ々の装飾を為し、国旗軒提灯は勿論各所に大緑門又楼門を造り、緑町は道路の中天に万国旗を横断し旗の(トンネル)を作り、其他、佐渡町魚町には盆栽の陳列有之実に美観を呈して、先づ[花]の甲府とも申すべく、夜は伊勢町の提灯行列又銀行会社員数百名のカンテラ行列有之申今までになき飾り付けに御座候、定めし当日は賑やかなることと存じられ候為、御隠居様始め姉上様御子供衆を御召連れ早朝より御出かけ下され度様御待申上候、右御通知御案内申上候』



 このような市民の歓迎ムードの中、明治42年4月21日には第一大隊、
22日に連隊本部及び第二大隊、23日には第三大隊の順に甲府駅に下
車し、熱狂的な歓迎を受け、市内の町飾りや旗行列の中を甲府駅前か
ら連隊の新兵営まで行進を続けました。
 また、入峡を終えた連隊は、25日に連隊旗を捧持し連隊長以下全員
が甲府市内を行軍し、市民の歓迎に応え、当日の市内の人手は夥しく
夜もカンテラ行列が続きました。

━歩兵四十九連隊 入城紀念━
f0191673_9314391.jpg

 甲府駅に到着した際の状況を山梨日日新聞は次のように伝えています。
 「一行の甲府駅に着するはや数発の煙火中天に轟き、どよめき渡る群衆
いやが上にどよめき降車を待てり、プラットホームに迎えたる熊谷知事以下
数人やがて隊長以下降車、駅前の広場に整列するや、歓迎者は歓迎門を
かきいて其前に列を正して起つ、名誉職、官吏、在郷軍人、学校生徒等無
慮三万余、盛観無比なり、」
 甲府駅に連隊一行が到着し、駅前において整列を行っている景観の絵葉
書です。
 上部が写っていませんが、駅前に大きな歓迎門が造られています 

━連隊歓迎門 甲府櫻町━
f0191673_932233.jpg

 「桜三 四 歓迎」の文字が掲げられている市内の歓迎門です。
 この場所は、常盤通りと桜町通りの交差点です。交差点から桜町通りの南
方向に向けた景観です。
 歓迎門の左側の建物は、甲府市桜町38番地(現在:中央4-3-22、山梨
貸切自動車のある場所です。)に建つ、吹寄牛肉店です。「明治維新期の
創業で、山梨県下における牛肉店の元祖であり、その名は遠近に響き、山
間僻陬にも知れ渡る一名物である。」と明治36年7月発行の『甲府繁昌記』
の中に記されています。
  また、歓迎門右側の柱の傍らに写る煉瓦造りの建物は、市内のいくつか
の場所に当時設置されていた、公共便所です、ここ、常盤町十字路には、
明治37年3月25日に設置され、明治43年6月15日に撤去されました。

━甲府 兵営之正門━
f0191673_9322131.jpg

 甲府駅前から水門町を経て朝日町の通りを北上し、新兵営の甲府
第四十九連隊正門を入る一行です。
 甲府駅から兵営までの約1kmの沿道は、小学生や市民の群れで
ぎっしり埋まり、歓迎の波の中を一行は、一糸乱れず行進したそうで
す。



にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ

by kaz794889 | 2008-11-02 20:38 | 甲府連隊 | Comments(0)