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カテゴリ:遊亀公園( 6 )


2013年 05月 23日

遊亀公園を歩く 6(公園内)

【公園内に残る常夜灯】
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  明治7年、一蓮寺の境内地であった約7200坪が、公園敷地として山梨県に移管されたことが遊亀公園の始まりである。
  そのため、現在も公園敷地内には、かつての境内地の名残であろう石造物が僅かではあるが散見される。
  公園内の植栽の中に残る写真の常夜灯もその一つである。




【常夜灯の正面】
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  常夜灯の正面には「永代常夜燈」の文字が刻まれ、その背面には常夜灯が建立された「寛政十戌午二月吉日願主」の文字が刻まれている。
  建立当初の位置からは移動していることも考えられるが、かつて境内地であった名残を現在に伝える江戸期に建立された石造物である。

【常夜燈の背面】
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【大正12年頃の公園内と常夜燈】
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  大正12年頃の常夜灯と通信講習所甲府支所の生徒と教官である。
  明治期の公園開設以来、公園内の整備が図られ、大正期の公園内はこうした情景ではあったが、戦時期における公園地の利用や甲府空襲による被災。また、昭和29年に公園内の築山造営や緑陰化により、現在の植栽に整備されていった。




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by kaz794889 | 2013-05-23 22:58 | 遊亀公園 | Comments(0)
2013年 05月 18日

遊亀公園を歩く 5(招魂社跡)

【甲府市太田町公園新設招魂社】
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【招魂堂】
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  明治45年3月の皇太子殿下(後の大正天皇)行啓記念として、甲府在郷軍人会が中心となり、甲府市太田町公園内に招魂社が新たに建設された。
  これまでの招魂社は、明治12年12月に山梨県神道事務局の発議により、太田町公園北側の隣接地(現在の甲府市太田町3-10附近)に建設されていたが、歩兵49連隊が甲府に置かれた明治41年頃に新たな場所(太田町公園内)への建設機運が高まったようである。
  明治45年に招魂社が建設されて以降、「招魂社ヲ護国神社ト改称スルノ件」(昭和14年内務省令第12号)が昭和14年3月15日に公布、同年4月1日に施行され、護国神社の制度が確立されたことに伴い、昭和16年2月に躑躅ヶ崎の地に護国神社の創設が許可され、昭和19年11月に社殿が創建され「山梨県護国神社」として指定されている。
  なお、明治45年の招魂社再建と同時期に奉納された狛犬像(写真の赤丸印)は、山梨県護国神社に移されている。




【太田町公園内の同位置】
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太田町公園内の附属動物園入り口の西側(かつての野外音楽堂があった場所附近)が招魂社のあった場所(跡地はフェンスに囲まれ芝生となった場所である。)
  



【招魂社時代の狛犬 1】f0191673_161488.jpg
招魂社時代の狛犬は現在、山梨県護国神社の拝殿前に写されている。



【招魂社時代の狛犬 2】
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by kaz794889 | 2013-05-18 17:20 | 遊亀公園 | Comments(0)
2009年 10月 10日

遊亀公園を歩く4 (稲積神社)


【稲積神社 正面】f0191673_10471395.jpg
 遊亀公園の西北側に隣接して鎮座するのが稲積神社である。
 境内に建つ稲積神社由緒碑には「崇神天皇の御代四道将軍武淳川別命(たけぬなかわわけのみこと)東征の折田圃を造り五穀豊穣祈願のため、字丸山に奉斎したと伝える甲斐源氏の祖、一条次郎忠頼丸山に館するに当り、庄城稲荷と呼ばれ氏神として甲斐源氏一族の崇敬する所となった。文禄年中、浅野長政甲府城を築くに際し現在地に遷され、後、明治九年郷社となり通称正ノ木さんと呼ばれている。」と刻まれている。



━甲府稲積神社━
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 これは、明治三十年代の稲積神社である。
 当時の神社の様子について『日本名勝地誌第三編』(野崎左文著:明治27年5月7日発行)は「本社は間口三間奥行三間半、其他拝殿、神庫、末社、社務所等あり金彩の美なしと雖も建築古雅にして優美、毎歳旧暦四月三日、十一月三日を以って大祭を行う」と記している。



【稲積神社 社殿】
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 稲積神社は昭和20年7月の甲府空襲により社殿は焼失している。
 罹災後、一時仮殿に奉斎していたが、拝殿は崇敬者一同の浄財により、写真の拝殿等が昭和30年5月に再建されており、本殿についてはは昭和51年5月に再建されている。


【太鼓橋跡からの稲積神社】
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 遊亀公園と稲積神社は園内の池に架けられた橋によって結ばれている。



━(甲府名勝)太田町公園内稲積神社━
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 遊亀公園側から太鼓橋と稲積神社を眺めた明治40年代の光景である。


━甲斐甲府市 太田町公園━
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 遊亀公園の池側から眺めた大正時代の太鼓橋である。写真中央の建築物は明治期に建設された稲積神社の神楽殿である。




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by kaz794889 | 2009-10-10 11:48 | 遊亀公園 | Comments(2)
2009年 09月 12日

遊亀公園を歩く 3(町田隊忠魂碑)

【町田隊忠魂碑】
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 遊亀公園の北側、公園と隣接する一蓮寺との境に建つ御影石の『町田隊忠魂碑』である。
 この忠魂碑は、昭和11年2月20日、第一師団の満州派遣が決定され、歩兵第四十九連隊(甲府連隊)も同年5月8日に満州国の黒竜江沿岸における国境警備の任務につくため満州移駐となり甲府を出発し、満州移駐となった同連隊の第六中隊長、町田 等大尉が19名の部下と1名の通訳と共に偵察行動の途中、昭和12年3月27日に北安の北東である小興安嶺の山中で約400人の匪賊の大軍に包囲、襲撃され中隊長を始めとした将兵等21名が全員戦死したことに対する忠魂碑として建設されたものである。
 昭和12年4月19日に戦死者の遺骨が甲府に到着し、21日には舞鶴公園(甲府城址)の広場で甲府市出身者の将兵に対する甲府市葬が行われ、太田町の甲宝劇場では「嗚呼町田隊」という芝居が公演され、大入り満員の反響であったことから、当初は一週間であった公演が三週間に渡って続演されている。



【町田隊忠魂碑全景】
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【町田隊銅像】
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 町田隊忠魂碑は、戦死した町田中隊長と親交を深めていた甲府市内の青年クラブ(市内の青年団長OB等により結成された団体)のメンバーから市葬終了後の4月下旬頃に町田中隊長の銅像建設の話しが持ち上がり、全国の軍人、民間人、満州国軍、県内小中学校から基金が寄せられ建設されたものである。
 銅像は彫刻家長谷秀雄の作で高さ約5m、台座は岡山県の万成御影石、「町田隊忠魂碑」の題字は当時の山梨県知事藤原孝夫によるものとして昭和13年3月27日に除幕式が行われてている。
 なお、銅像は戦時中の金属供出により供出され、現在は台座のみが残されている。



【町田隊銅像建設委員】
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 銅像前の着席者は右から、町田中隊長の母堂、藤原山梨県知事、町田中隊長夫人、銅像作者である。

【町田隊忠魂碑の碑文】
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【町田隊忠魂碑背面】
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 町田隊忠魂碑の背面に刻まれているのは、前記の碑文である。また、写真では見にくいが、前述した碑文の下には戦死した21名の官位姓名も刻まれている。



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by kaz794889 | 2009-09-12 21:33 | 遊亀公園 | Comments(0)
2009年 09月 06日

遊亀公園を歩く 2 (遊亀公園附属動物園)

【甲府市立遊亀公園附属動物園の入口】
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 遊亀公園にある動物園の入口。


【昭和12年頃の動物園入口】
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 甲府市内の有志者の寄附により集めた孔雀、真鶴、小鳥、水禽等を公園内の太鼓橋(公園と稲積神社を結ぶ橋)南方の一隅において教育資料として観覧させるために飼育を始めたことが、大正9年5月に遊亀公園内に開設された動物園の始まりである。
 大正13年には太鼓橋の南方から公園内の南隅(旧甲府市立図書館であった、現在の甲府市遊亀会館附近の一帯)側に飼育施設を移し、名称を甲府市動物園としている。
 開園にあたり、大正13年2月に宮内省から新宿御苑で飼育していた丹頂鶴が下賜され、大正14年5月には東宮職からライオンが下賜されている。
 なお、動物園の開設当初は入園料は徴収されていなかったが、大正13年4月1日からは観覧料(大人3銭、小人2銭)が徴収されるようになっている。


【動物園のかつての入口附近(現在の甲府市遊亀会館附近)】
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 昭和20年7月の甲府空襲で動物園の施設は焼失し休園状態となったが、10月には当時の園長が甲府市から荒廃した動物園を無償で譲り受け私立動物園として再開した。
 その後、昭和27年9月に再び甲府市に移管され市立動物園として現在に至っている。 

━甲府市遊亀公園動物ノ一━
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 いずれも大正10年頃の動物園の風景である。
 鷲、鷹などの猛禽類の飼育施設である。

━甲府市遊亀公園動物ノ二━
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 鶴、白鷺、おしどりなどの飼育施設である。
 左側に小さく写るのは稲積神社の鳥居と太鼓橋である。

━甲府市遊亀公園動物ノ三━
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 鳥かごで飼育されているオウムやインコ類である。

━甲府市遊亀公園動物ノ四━
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 人垣は猿の飼育施設である。また、右側は孔雀の飼育施設である。

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by kaz794889 | 2009-09-06 16:05 | 遊亀公園 | Comments(1)
2009年 09月 05日

遊亀公園を歩く ①

━甲府市 遊亀公園━
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 遊亀公園はもと一蓮寺境内であったが、明治7年公園敷地として境内の一部7,190坪が山梨県に移管され、明治9年4月に県が管理する山梨県公園となったが、明治維新の草創期における経費の問題等から公園としての本格的な整備に至らなかったが、明治13年の明治天皇御巡幸が決定されたことを契機に公園整備の築造が決定した。
 これに伴い、公園地を拡張し一蓮寺の摂社であった正木稲荷社(稲積神社)を現在の場所に遷座し、域内の諸社を修理するとともに、築庭の巨匠であった佐崎可村の設計、県官である新海吉哉による工事監督により、明治13年5月に整備が竣工し、本格的な公園が誕生した。
 大正6年には、村松甚蔵の寄附金により旧甲府城跡の払い下げを受けた県は、城跡である舞鶴公園の経営に力を注ぐこととなり、同7年4月1日に公園地の一部2000坪を稲積神社に交付され、残りの約9000坪が遊亀公園として無償で甲府市に移管されることとなった。
 甲府市はこれを機に公園内の施設を拡充させることとし、大正8年に公園管理を一蓮寺の石原守善に命じ、その結果として動物園の開設などが行われた。


【現在の遊亀公園正面入口】
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━遊亀公園碑━
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 昭和11年7月に建設された遊亀公園碑は、山脇春樹(遊亀公園の甲府市移管当時の山梨県知事)の纂文、名取忠愛(甲府市移管当時の甲府市長)の撰文により、公園の沿革が刻まれている。


【現在の遊亀公園碑】
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 遊亀公園は所在地の町名を冠して「太田町公園」とも言われている。
 現在も町名として残る太田町は、一蓮寺地内町が明治5年に改称されて以来の町名であり、その由来は、当時この周辺に太畑という集落があったことによるものである。


【『都市の公園と甲府市の公園並に遊亀公園改良計画概要』】
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 甲府市は庭園協会設計部に遊亀公園の改良・整備に関する調査研究を委嘱し、その結果報告が『都市の公園と甲府市の公園並に遊亀公園改良計画概要』(大正11年3月、庭園協会編)である。
 この中で、現在の遊亀公園について次のように評している。
 「造園的施設に到っては或る部分は繊細に過ぎ或る部分は放漫に流れ、或る物は雄大豪壮の風があって不統一の感がないではない、然し中島の滝並びに細流岩組の如きは長く保存する価値あるものである。」 

大正10年12月25日には庭園協会甲府支部の主催により、一蓮寺内において庭園協会理事田村剛、東京府公園技術部長等により調査結果の講演会が開催されている。
 甲府市は調査研究結果に基づき、大正11年11月25日から12月2日の間に、動物園の設計、移転。樹木の移植、手入れ等を行い公園の風致を改めている。
 昭和20年7月の甲府空襲により公園内の諸施設も罹災し、戦災復興に伴う市営住宅が公園内に建設されるなどしたが、昭和25年~26年にかけて市営住宅も移転が完了し公園として再開され、昭和29年には公園内に築山が造営され緑陰化が図られ、昭和32年に都市公園としての指定を受け、現在に至っている。



━(甲府名勝)太田町公園 其一━
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 明治後期の風景である。
 中央に写る屋根は一蓮寺の本堂である。池に架かる橋と、その右の灯篭が公園のスポットとして多くの絵葉書に写し出されている。
【現在の同所】
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 既に灯篭や岸辺の情景は失われている。稲積神社からの風景である。

━(甲府名所)遊亀公園━
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 昭和初期の風景である。写真に写る橋は今もそのまま使われている。
【現在の同所】
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 橋のたもとに売店が建ち、池の岸辺も改良されているため橋を大きく写すのは困難であるが、中央に小さく写るのが前記の橋である。

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by kaz794889 | 2009-09-05 19:02 | 遊亀公園 | Comments(3)