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カテゴリ:史跡( 3 )


2011年 05月 03日

源 有雅の墓

【史跡 源有雅の墓】
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 甲府市小瀬町にある源有雅の墓である。
 源有雅は鎌倉時代の公家であり、承久の乱の首謀者の一人として捕らえられ、鎌倉幕府軍東山道将軍の一人であった小笠原長清に預けられ、鎌倉へ護送の途中に小笠原長清の所領であった稲積庄(現在の甲府市小瀬付近)において承久3年8月29日に殉難された。
 現在、この場所には小祠と追悼碑が残されている。
 小祠は正面に「富士塚 大権現」左側に「宝暦乙亥歳五月吉旦 中興誓誉代」右側に「山梨郡小瀬村鎮守 久品山浄福寺」裏面に「甲陽御勤士三十一人 小祠鳥居御寄進」とあり、甲府勤番 野田成方ら31人が寄進し、浄福寺(現在は廃寺)の僧により源有雅を祀るために建立されたものである。

【源有雅卿の墓 (甲州西山梨郡小瀬)】
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 大正13年頃の源有雅の墓である。大正12年3月に山梨県仮指定の史跡となり、大正13年5月に「源有雅之墳墓 山梨県」の標柱が建てられている。
 現在、源有雅の墓は昭和48年4月1日に甲府市史跡として指定されている。

【源有雅卿建碑事務所からの通知】
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 小祠の横に建つ石碑は明治35年5月に建碑されたものであり、正面には「正二位中納言源有雅卿追悼碑」と、裏面には香川小次郎の撰書により源有雅の事跡が刻まれている。
 左記の寄付を促す通知は、明治35年4月に源有雅卿建碑佐渡幸事務所から発出されたものである。



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by kaz794889 | 2011-05-03 06:27 | 史跡 | Comments(0)
2009年 07月 18日

田安陣屋跡

【田安陣屋跡】
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 享保の改革により甲府藩が江戸幕府の直轄地となり、甲斐国には甲府城警衛の甲府勤番と、村方を治める三部代官として甲府、石和、上飯田(後に廃止され市川に設置)の各地に代官所が置かれた。
 その後、田安、一橋、清水の徳川御三卿が各地の幕府直轄地に10万石の治所を分割して持つことなり、延享3年には田安、一橋家の各治所3万石が、宝暦12年には清水家の治所が甲斐国内に定まったことにより、江戸幕府による支配系統と御三卿の治所である私領が甲斐国内に入り混じる複雑な支配体制が明治維新期まで続くこととなった。

【田安陣屋跡】
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 御三卿の一つである田安家の治所として、延享3年9月に摂津、和泉、播磨、武蔵、下総、甲斐の6か国に渡って10万石が与えられ、甲斐国内には山梨郡、八代郡の63か村が領地とされた。また、その後の天保3年には巨摩郡の44か村が追加された。
 これにより、田安陣屋は延享4年から明治3年5月までの124年間、当時の一丁田中村(現在の山梨市)に設置されていたが、明治維新による陣屋の廃止後、その跡地は桑畑となっていったが、現在、その多くは宅地に変わっている。

【昭和3年頃の田安陣屋跡】
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 陣屋の廃止後、その跡地は桑畑となったが、現在はその多くが宅地となっている。
 写真に写る石垣と神社は、田安陣屋の東側に位置し、陣屋の守護神として祀られていた水上稲荷社であり、田安陣屋の遺構の一部として現在も残されているものである。「田安陣屋跡」として昭和56年5月25日に山梨市の史跡に指定されている。

【水上神祀の碑】
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 稲荷社境内の拝殿に向かって右側に建つ、文久3年に建立された「水上神祀の碑」(左側)と同時期に建立された「献金の碑」(右側)である。

【小島蕉園翁頌徳碑】
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 拝殿に向かって左側に建つ、大正7年に建立された「小島蕉園翁頌徳碑」である。
 小島蕉園は文化2年から同4年まで田安陣屋の16代目の代官を務めており、「その治績は著しく徳望高き人」として知られていた代官であった。

【水上稲荷社本殿】
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 水上稲荷社の本殿である。
 石垣を登った稲荷社の境内には、この他にも石灯籠や石鳥居など江戸期に建立された石造物等が残されている。

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by kaz794889 | 2009-07-18 21:03 | 史跡 | Comments(0)
2009年 05月 08日

平塩岡と甲斐源氏旧蹟碑

 旧市川大門町(現在:市川三郷町)の甲府盆地を見渡す小高い丘は平塩の岡と呼ばれ、甲斐源氏の祖、源義清が館を構えた地と言われている。
 この平塩の岡にある熊野神社の東側に現在も建つ碑が『甲斐源氏旧蹟碑』である。

━甲斐国市川 甲斐源氏旧跡━
 明治41年頃の甲斐源氏旧蹟碑の景観である。
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 甲斐源氏旧蹟碑は明治18年3月に当時の西八代郡長であった依田孝が有志と図り、甲斐源氏の名跡を後世に残し伝えるために建立した銅製の碑である。
 碑の表面『甲斐源氏旧蹟碑』の題字は太政大臣三条実美の揮毫、碑の三面に刻まれている漢文は重野安繹の撰文、書は長三州によるものであり、漢文には源義清や当該費建立の経過が刻まれている。

【甲斐源氏旧蹟碑建設の寄付金案内】
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 西八代郡長であった依田孝による、銅碑の仕様概要と碑の建設費用に関する寄付金の勧誘を内容とした案内である。年代の記載はないが、碑の建立以前である明治16~17年頃のものと思われる。


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by kaz794889 | 2009-05-08 23:05 | 史跡 | Comments(0)