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2016年 01月 10日

都留市 昭和大戦顕彰碑

【昭和大戦顕彰碑の建設作業】
f0191673_22520268.jpg 昭和29年5月に建立された都留市の昭和大戦顕彰碑の建設作業時の写真である。
 
 顕彰碑の建てられた位置には、大正8年4月に最初の谷村町忠魂殿が建設されていたが、昭和3年8月に後方の山崩れにより埋没大破したという。
 
















【昭和大戦顕彰碑の建設作業 2】
f0191673_22520763.jpg





























【現在の顕彰碑】
f0191673_22521399.jpg 建設以来60年余が経過した現在の顕彰碑である。





























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by kaz794889 | 2016-01-10 14:53 | Comments(0)
2016年 01月 03日

謹賀新年 山梨実業家案内


【昭和9年1月1日 山梨実業家案内】
f0191673_12565649.jpg 甲府市二十人町67番地の遠藤印刷所が昭和9年の年始向けに発行した
『山梨実業家案内』である。
 
 三つ折りを開くと両面に「山梨実業家連合広告」と題する甲府市内を中心とする商店や事業所などの広告が掲載されており、裏面に印刷された発行者である遠藤義明の「謹告御礼」と題するあいさつには「今回山梨実業家案内印刷に際し多大の御引立によりて無事図案広告の新刊の栄を得たる是れ一重に賛助諸賢の厚き御同情と深く御礼申上候」と記されている。 





















【柳町三栄会連合会有志による年始広告】
f0191673_12570521.jpg 山梨実業家案内にある「柳町三栄会連合会有志」と題する、昭和9年時に甲府市柳町に所在した商店の年始向け広告である。
















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by kaz794889 | 2016-01-03 17:17 | Comments(0)
2016年 01月 02日

100年前の謹賀新年

【1916年(大正5年)岡島百貨店の年賀チラシ】
f0191673_15105530.jpg 本年、平成28年(2016年)の100年前は大正5年(1916年)である。
 
 大正5年における山梨県の人口は618,657人、世帯数は98,652世帯。人口動態としては、自然増9,077人(出生21,371人、死亡12,294人)、婚姻が5,826組、離婚が664組であったという。

【平成27年12月1日現在の山梨県常住人口は
 833,664人、同世帯数は335,220世帯である。】

 また、この年には甲府市錦町に山梨県病院(現在の山梨県立中央病院)、甲府地方裁判所の新庁舎が竣工している。

 写真は、甲府市柳町で営業していた岡島呉服店(現在の岡島百貨店)が顧客に送付した、この年の年賀チラシである。



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by kaz794889 | 2016-01-02 15:55 | Comments(0)
2015年 12月 20日

三島神社の大欅

【三島神社 東側参道の鳥居】
f0191673_12312259.jpg 大月市街、甲州街道沿いに鎮座する三島神社境内にはかつて4本の大欅がそびえていたという。
 大月の地名の由来は、この大欅を欅の古名である「槻(つき)」から、「大槻」と呼んだことによると云われているが、4本の大欅は枯死などにより現在は残されていない。 

 

















【三島神社 境内】
f0191673_12313821.jpg 三島神社境内にあった4本の大欅は、安政5年、万延元年、明治7年及び昭和30年に枯死しており、写真の手水舎の右側を始め、枯死した大欅に係る4基の記念碑が建てられている。





















【三島神社本殿脇の「三嶋神社ノ大欅」標石】
f0191673_12313143.jpg 昭和30年に枯死した大欅は、「史跡名勝天然記念物保存法」に基づき昭和3年1月に『大月町ノ大欅』として国の天然記念物に指定され、昭和5年4月には「三島神社ノ大欅」として名称が変更されている。
 「天然記念物 三嶋神社ノ大欅」と刻まれた本殿脇の標石は、この大欅に係るものであり、昭和5年3月25日に建立されている。

 この大欅について昭和5年3月に鉄道省が発行した『日本案内記 関東編』には「【大月の大欅】大月駅前の東、三島神社の境内にある。樹幹周囲目通り10米、根廻り12米7、神木として保護されて居る。同境内にはもと他に三株の大欅が存して居た。現存のものと共に四本木と称し、富士登り道者の昔から注目した大木であったと云ふ。指定の天然記念物である。」と記されている。
 
 現在は、残されたこの標石が、国指定の天然記念物であった大欅の存在を伝えている。







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by kaz794889 | 2015-12-20 15:25 | Comments(0)
2015年 12月 17日

都留市・仲町大神宮附近の景

【仲町大神宮附近からの市街地】
f0191673_00033104.jpg 昭和29年5月の「昭和大戦顕彰碑」建設時における様子である。
 奥に写る石組みの先には、現在「ぴゅあ富士」が建てられている。
 また、家々の奥に写る大屋根の建物は、かつのて谷村町役場であり、当時の都留市役所の庁舎である。

















【現在の同位置】
f0191673_00032186.jpg 写真の左奥が仲町大神宮である。
 国道139号の大手前交叉点の一角に建てられていた旧都留市役所庁舎も現在は取り壊され、現在は空き地となっている。
 上記の写真に写る附近の家も、現在は全て立て替えられ、道筋も整備されている。
 





















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by kaz794889 | 2015-12-17 06:30 | Comments(0)
2015年 12月 15日

「谷村代官の治世と文化」展

【「谷村代官の治世と文化」展のチラシ】
f0191673_18194620.jpg 都留市の「ミュージアム都留」で開催中(平成27年11月8日~同28年1月17日)の、平成27年度企画展『谷村代官の治世と文化』を観覧した。

 宝永元年12月、当時の谷村藩主であった秋元喬知に対し武蔵国川越への転封が命じられ、秋元家の所領である都留郡(現在の南、北都留郡)は、同時期に川越藩主から甲府藩主となった柳沢吉保の柳沢家預かり地支配となった。
 その後、正徳3年に幕府代官の支配となり、以降の郡内は幕末まで幕府領となっている。
 幕府代官支配となった後、当時の上谷村と下谷村の境界に位置した旧秋元家の家老であった高山甚五兵衛の屋敷地に谷村陣屋が置かれている。
 また、享保5年には谷村陣屋は出張陣屋となり、それ以降は主に石和代官所からの出張代官となるなどし明治維新を迎えている。

 本展は「Ⅰ 谷村代官所の成立と変遷」、「Ⅱ 谷村代官の活躍と事蹟」、「Ⅲ 江川太郎左衛門と西洋砲術」、「Ⅳ 谷村興譲館 現代に受け継がれる向学の精神」の四部構成による展示となっている。

 

 
 









【ミュージアム都留の全景】
f0191673_18185793.jpg 「Ⅰ 谷村代官所の成立と変遷」の展示では、かつての谷村陣屋の跡地に建つ甲府地方裁判所都留支部の新庁舎建設に伴う、山梨県埋蔵文化財センターによる発掘調査について紹介されている。
 
 



















【「ミュージアム都留」門前の案内表示】
f0191673_18192273.jpg
























【谷村陣屋跡】
f0191673_18193555.jpg 甲府地方裁判所都留支部の敷地正面横に建つ「谷村陣屋跡」碑である。
 前述のとおり、現在新庁舎の建設中であるため、敷地の周囲は工事塀に囲まれている。

 谷村陣屋跡に裁判所が置かれたのは、明治5年10月19日に谷村区裁判所が置かれたのが最初であり、開設当時は旧幕府時代に建築された陣屋の建物により執務が行われたという。
 その後、明治14年6月に木造瓦葺平屋建の新庁舎が竣工。同24年2月には木造瓦葺二階建本館及び附属建物による庁舎の改築がなされ、当該庁舎は昭和34年3月に新庁舎(現在の新庁舎建設工事により取り壊された庁舎)が竣工するまで庁舎として使用されている。

 なお、旧庁舎(昭和34年3月竣工した庁舎の以前の庁舎)は東京都立田園調布高校の山中寮として、山中湖村旭ヶ丘に移築されているという。
 





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by kaz794889 | 2015-12-15 06:20 | Comments(0)
2015年 11月 20日

オープン県庁敷地整備

【山梨県庁敷地整備に伴う愛称募集チラシ】
f0191673_16453200.jpg 山梨県庁構内の敷地については、県民に身近で利用しやすい開かれた敷地とするため、敷地境界にある門扉・フェンスをできる限り取り除き、県民や観光客などの通行を容易し、年間を通じて一般開放することによりオープン化を図るとともに、来庁者が安心して憩える場となるよう整備を進めてきており、平成28年4月から歴史と文化の香りが漂う憩いのスペースとして新しく生まれ変わるという。

 このため、平成27年11月25日(水)を締切日として、現在、山梨県庁敷地全体の愛称募集が行われている。




















【整備中の県庁構内】
f0191673_16451258.jpg 敷地整備の一環として、昭和39年4月に造営された、写真の山梨県庁旧庁舎前に昭和39年4月に野呂川流域総合開発事業の記念として造営された「白鳳の庭」と呼ばれた前庭が移設され、多目的に利用できるオープン広場として整備されることとなり、半世紀ぶりにかつての山梨県庁舎前の広場が復活する。

 左の建物は平成25年に竣工した山梨県防災新館、その奥には昭和38年に竣工した山梨県庁本館が建てられている。















【竣工当時の山梨県庁旧庁舎と旧山梨県立図書館】
f0191673_16454077.jpg 正面の山梨県庁旧庁舎は昭和5年3月に竣工し、平成21年12月24日には山梨県指定文化財に指定されるとともに、竣工当時の姿に改修され、平成27年4月2日には同庁舎内に「山梨県近代人物館」が開設されている。

 左の建物は根津嘉一郎の浄財により建設され、昭和5年9月に山梨県教育会附属図書館として竣工し、昭和6年4月1日に同会から山梨県に寄付され、その後は山梨県立図書館となっている。
 昭和45年に山梨県立図書館が新築移転してからは山梨県庁南別館として使用されていたが、防災新館の建設が計画された際、保存の声が高まり関係組織などからの保存要請がなされていたにも関わらず、醸成された県庁構内の近代建築の景観である旧山梨県立図書館は、平成23年に惜しくも取り壊されている。
 



「旧山梨県立図書館と県庁第一南別館」
http://kaz794889.exblog.jp/10658113/


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by kaz794889 | 2015-11-20 06:32 | Comments(0)
2015年 11月 18日

山梨県民会館の取り壊し

【取り壊し工事中の山梨県民会館】
f0191673_23512072.jpg 昭和35年に内藤多仲の設計により完成した山梨県民会館は、その役割を終え、今年8月から取り壊し工事が始まっている。
 建物全体を囲っている工事用の外壁の高さから推察すると、8階、7階などの最上階部分の取り壊しは終了しているようである。
 工事用の外壁のため、その外壁に囲まれた段階で、その特徴的な県民会館の姿は見ることができない状態である。















【山梨県民会館】
f0191673_23513568.jpg これまで当たり前であった景観が、ここ何年かの間に甲府市街から相次いで失われている。
 半世紀以上の間、この一角のランドマーク的な存在として、また山梨県民の中にある「県民会館」という名前と語感が、取り壊し完了とともに失われることは、まさに惜別の感深しといったところ、それは、これまで過ごした時代や時間の中に普通に存在し、想いでの中の様々なシチュエーションとしての記憶が存在することによるのだろう。

















【山梨県民会館建設当時の案内パンフレット】
f0191673_23514759.jpg 県民会館建設当時の案内パンフレットである。
 その内容から、山梨県民会館に寄せた当時の山梨県の期待の大きさが感じられるものである。


























【山梨県民会館建設当時の案内パンフレット】
f0191673_23515662.jpg





























【山梨県民会館建設当時の案内パンフレット】
f0191673_23520065.jpg



















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by kaz794889 | 2015-11-18 00:34 | Comments(0)
2015年 11月 03日

甲州名物の葡萄

【甲州名物の葡萄】
f0191673_20521943.jpg 「昇仙峡と葡萄とは余りにも有名で秋の実る頃となれば観光客その後をたたず味覚に舌うつ事でしょう。」
 昭和30年代に発売されていた山梨の観光絵葉書セットの中の一枚と、その絵葉書に記載されている案内文である。

 戦前期のモノクロの絵葉書から、判型も大きくなったカラーの絵葉書に進化したといっても、モノクロ写真にいわゆる人工着色を施した、昭和20年代後半から30年代における一般的な絵葉書の形態の絵葉書であり、そこに写された観光的な葡萄の摘み取りの様子に、富める山梨を目指していた昭和30年代頃の郷土の情景といったものが感じられる。
 



















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by kaz794889 | 2015-11-03 21:07 | Comments(0)
2015年 10月 24日

甲府柳町御大礼記念の飾り幕と道祖神幕絵の面影

【奉祝 御大礼紀念 甲府市柳町通り】
f0191673_12141351.jpg 
 大正4年11月10日の京都御所紫宸殿における即位の礼、11月14日から15日にかけての大嘗祭など、11月10日から15日にかけての大正天皇御大典を祝した100年前の甲府柳町通りの景観である。

 通りには多くの人々と山車。また、両側の商家の軒先をつなぐように奉祝の飾り幕が掲げられている。












【道祖神幕飾り付けの面影】
f0191673_12164441.jpg 江戸中期以降の甲府商人の隆盛に伴い発展していった甲府の道祖神祭は、町内ごとに物語絵や名所絵などの画材を決め、江戸の浮世絵師や京都の絵師などに幕絵の製作を依頼し、幅5mから10mに及ぶ長大な飾り幕が甲府の街に飾られており、柳町の画材は一丁目が二代広重の「田舎源氏」、二丁目が岸連山の「京都名所」であり、写真の位置にあたる柳町三丁目は広重筆の「東海道五十三次」であったという。

 明治維新御の明治4年から7年にかけての生活習慣に変化を強いる布達や禁令が、政府や山梨県から発せられる中、明治5年11月4日に山梨県令土肥実匡の名により山梨県内に広く行われていた道祖神祭礼を取り締まる「道祖神祭礼取締の義」が発せられ、甲府道祖神祭も廃せられ、広く知られていた幕絵も不要となり処分、転用がなされている。

 甲府道祖神祭が廃された明治5年の布達から今年は143年目を迎えるが、写真に写る大正4年の景観は明治5年から43年目の年であり、廃止前の賑わいや幕絵の飾付作法を知っている多くの人々が活躍する時代でもあることから、前記の写真に写る奉祝飾り幕が掲げられた景観に、かつての甲府道祖神祭の面影が写されているのではないだろうか。

 







【峡中新聞 第四号(明治壬申[五年]十一月)】
f0191673_13125419.jpg  【峡中新聞第四号掲載の「道祖神祭礼取締ノ義」】
f0191673_13125739.jpg
 明治5年11月4日に山梨県令土肥実匡の名により発せられた「道祖神祭礼取締の義」と、掲載された峡中新聞 第四号である。



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by kaz794889 | 2015-10-24 16:52 | Comments(0)