峡陽文庫

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2008年 11月 29日

小田切謙明と海洲温泉

━『小田切海洲先生略伝』 村松志考著 昭和11年11月25日発行━
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【小田切謙明】 
 弘化3年(1846年)12月1日に山梨県新青沼に生まれ海洲と号し、名主、戸長を務め明治9年に貸付会社補融社を設立。その後、当時の藤村県政を批判し同志と観風新聞を創刊。明治13年には峡中同進会の国会開設請願代表として上京し、大日本国会期成有志公会の創立に努力するなどし、明示14年に県会議員、自由党に入党するなど山梨県の民権運動の指導者として活躍し、明治26年4月9日に没しました。




【海洲温泉】
 海洲温泉の場所、甲府市桜町68番地(現在:丸の内1-9-3)は、明治初期、荊棘の密生した一帯の原野で、小田切は毎朝この場所を散歩していました。ある時、原野の中に一部分だけ土地が湿っていたため、この場所は鉱泉ではないかと掘削したところ、予想どおりの鉱泉であり、これが海洲温泉の起源となりました。
 明治17年6月には瀧泉社を組織し、この場所において温泉業を開始しました。

【海洲大権現】
 海洲温泉の開設後、その周囲には家屋が建ち並び、市街が形成されていったため、町内の有志や瀧泉社の関係者は、小田切の功績を頌し、その徳業を永遠に伝えるため、温泉創業の霊神として、小田切を生神として、明治21年9月に近地に祠宇を建て海洲大権現として崇め奉りました。
 その後、明治23年に近隣の料理屋から失火があり、それは町内に町の守護神が存在しないための不祥事でふるとの説が流布したため、明治21年に奉祇した海洲大権現を町内の守護神として祭事を営むこととし、甲府城の壕近くにあった祠宇を改築するため有志からの寄付金40円を集め、祠宇の地主と交渉したところ、地主は自分の手で建立するため40円の引渡しを要求したため、世話人はその要求を拒み、新たに別の場所に海洲大権現を再建しました。

━甲府市桜町 (内湯旅館)海洲温泉全景 「絵葉書①」━
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 海洲温泉の正面全景です。
 中央に写る暖簾がかかった門の左側の祠が、小田切謙明の生祠である海洲大権現です。

━海洲温泉があった場所(甲府市丸の内1-9-3)━
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 海洲温泉は、甲府税務署前の通り、西方向の突き当たりである、この場所にありました。

━内湯旅館 海洲温泉 御案内━f0191673_1424172.jpg
 案内の表には「創始者 生祠海洲大権現の祭神 小田切謙明翁」の記載があります。
 温泉は「塩類酸にして、硫化水素と僅かの甘味ある塩類泉」であり、午前5時からの朝湯が名物であったようです。



━甲府市桜町 (内湯旅館)海洲温泉全景 「絵葉書②」━
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 海洲温泉の建物(絵葉書①)はその後改築されました。
 絵葉書②は改築後の海洲温泉です。


 小田切謙明の没後、小田切の一人娘である嗣女 浦及子が甲府市白木町の清運寺に墓碑を建立しました。この小田切家の墓所に坂本龍馬の室、千葉さな子の墓碑も建立されています。
━『余話として』司馬遼太郎(文春文庫)━
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 千葉さな子の墓碑建立に関するいきさつは、『余話として』(文春文庫)に所収されている「千葉の灸」をお読みください。
 (「千葉の灸」は、朝日文庫『街道をゆく夜話』にも所収されています。)




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by kaz794889 | 2008-11-29 14:00 | 史料 | Comments(6)
Commented by ひろ坊 at 2008-12-09 00:40 x
小田切謙明顕彰碑が舞鶴公園にありますね。
Commented by ひろ坊 at 2008-12-09 20:32 x
峡陽文庫様、「龍馬のもう一人の妻」阿井景子著(文春文庫)のあとがきに代えての中で「小田切海洲先生略伝」は、次のように記している。谷中天王寺にまいそうした佐那の遺骨を、小田切謙明夫人豊次が、「分骨して更に自家の菩提寺に埋め墓碑を建て供養することにした」との記述がありました。それを確認しようと蔵書を探したが見つからない(蔵書を一万冊程移動したのでその中に入っていて分からなくなってしまった。)
Commented by kaz794889 at 2008-12-09 23:10
ひろ坊 様
 小田切謙明の顕彰碑は、舞鶴公園に残っていたんですね。
 甲府城整備の関係で、公園内にあった全ての石碑は、他のゆかりの場所に移転したものと思っていたため、小田切謙明の顕彰碑はどこに移したのかと考えていたところです。
Commented by ひろ坊 at 2008-12-20 21:32 x
峡陽文庫様
 最近は、舞鶴公園に行っていないので現物は確認していないが、山梨県のホームページ、県政クイックアンサーの中に明治帝御製碑と謝恩塔と共に小田切謙明碑は、整理を免れたとあります。小田切謙顕彰碑が白文でほとんどの人が読めないので分かりやすい掲示説明を設けたらとの質問に対し、分かりやすい説明掲示するとの回答があります。舞鶴公園に昭和11年に石碑は設置されています。
 追伸、千葉さな子(佐那)は、天王寺の墓地ではなく、東京府の谷中霊園のほうに埋葬されたそうです。遺骨は、分骨され小田切謙明の菩提寺、甲府清運寺に埋められた。当時谷中には2つあって天王寺と谷中霊園。小田切謙明夫人豊次のおそれた通り、谷中霊園に埋葬されたさな子の墓が無縁仏になり、谷中の無縁仏はすべて千葉県松戸八柱霊園に移されたそうです。
  

 
Commented by kaz794889 at 2008-12-21 21:17
ひろ坊様
 情報提供いただきありがとうございます。
Commented by ぜひ知りたいのです。 at 2010-07-04 14:35 x
峡陽文庫さま
ご存じでいらっしゃれば、ぜひお知恵をいただきたいのですが、
小田切謙明氏が、生前住んでいたのは、甲府市のどのあたりなのでしょうか。


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